幼いころの衝撃
小学校二年生ころのことである。
父は絵がうまくて、幼いころの記憶に、部屋のいたるところに父が書いた絵が飾られていた。寝室の北側には大きなキャンパスにうさぎが三羽と野原の花が書いてあった。また隣の部屋にはキツツキの絵や森の絵などがあり、子供心にその絵に惚れていたのである。
父はとても厳しい人で、母よりも子供の躾に熱心な人だった。長女である私は常に叱られ、父は怖い人だと思いこむくらいであった。
ところが、絵に関してだけは人が変わったようにやさしくて、暇があれば幼い妹たちと一緒にテーブルに朝顔の鉢植えなどを置いて絵の勉強をさせてくれた。
そんな父がある日仕事の出張で大阪に行くことになって、今では考えられないことだが、出張に小学生の私を連れて大阪に行ったのである。
朝から雨がしとしと降る日で、田舎のことですから、バスの回数も少なく、ましてや道路の舗装もなされていなかったころ、自転車の荷物台に乗せられて駅に向かった。
雨具もたいしたものがなく、誰かのお古の茶色のゴム合羽を着せられていたのを記憶している。
父は電車に遅れまいと急ぐあまり猛スピードで自転車をこぐので、私の足は水たまりのしぶきが跳ね上がり長靴の中はぐしょぐしょ。そのまま電車で大阪にむかった。
怖い父と一緒に大阪に行くというのはどうも複雑な気持であった。ただうれしかったのは、真新しい黄色と黒のチェックのワンピースを着せてもらったことで、胸に赤、ピンク、赤と三つの小さなバラの花がついていた。
着いたのは大阪の梅田駅、今はもうなくなったが、駅前に噴水があった。
父が会社の所用をしている間、私は噴水の縁に座っておばあちゃんがこしらえてくれたゆで卵を食べながら、ひとり父の帰りを待っていた。
今思えば怖い話だ。
父が戻ってきて、いいものを見せてあげよう、と私の手を引きあるビルの中に連れて入った。町の様子は始めて来た私にとって、何もかもが珍しく目をまんまるにしていたような気がする。
ところが、もっと驚いた。大きな箱の前に立ってお金を入れた。自動でレコードが動き始めた。いわゆるデュークボックスである。いつもラジオを聞いていたので、歌謡曲がそのボックスか流れるということが何か凄いものを見たような気がした。
始めての体験であった