9 雛姫視点
その日は朝からついていなかった。
まずコンタクトの片方をなくした。
そのせいで朝からばたばたして中間テスト最終日は遅刻寸前だった。
校内じゃ眼鏡姿を西嶋君に見られるかもって裸眼で歩くから、友達の顔はわからないし、同色の物は見分けがつきにくくて足とかぶつけるし。
とどめとばかりに放課後、担任につかまって資料作りを手伝わされるなんて……もー、わたし今日は厄日なの?
担任に解放されたときには既に校舎に人の姿はほとんどなく、そろそろ昼食を終えた生徒たちの部活動の声や音がわたしの耳に届く。
よいしょとカバンを肩に抱えなおしたわたしはお腹をさすった。
お腹すいたなぁ。
お腹の足しに帰り道の駄菓子屋さんでアイス買って帰ろう。
財布の中身を確認しつつ昇降口に向かったわたしは数人の人の気配に気づいた。
男の子たちのようだ。
声が聞こえてくるのは3年のシューズロッカーがある辺りだから同級生かな?
男の子に緊張することは少なくなったけれど数人いるとやっぱり身構える。
いなくなるのを待ってみようとわたしは足を止めた。
「あー、くそ!ムカツク……航平の野郎っ。滝沢もあんなののどこがいいんだよ」
バンとロッカーの扉を閉める音と靴を投げ捨てる音がする。
「んなこと言ったって滝沢が西嶋を好きなのは西嶋のせいじゃ――」
え?もしかして西嶋君のこと言ってる!?
わたしはすぐに気がついて息を潜め、別の学年のシューズロッカーの陰に隠れた。
「うっせぇ!あいつは昔っからああなんだよ。誰彼かまわず愛想振りまいて、相手をその気にさせるのがうまいんだ。ちやほやされてりゃさぞかし気分いいだろうよ」
「ああ、おまえ同中だっけ?なに?西嶋ってそういう奴なの?」
「マジ?いい奴っぽいのに実は性格悪ぃってやつ?」
「あいつのは押し付けがましいしいんだって。やってやってるっつうの?自分が上って思ってるからそういう態度になるんじゃん?性格悪ぃってのよりそっちのが俺、嫌いなんだよ」
押し付けって……そういう人じゃないのに!
見ず知らずのわたしを助けようとしてくれた人なんだから。
誰だろうこの人。
どうしてこんなひどいこと言うの?
これじゃあ聞いてる人が西嶋君のこと誤解しちゃう。
「確かにんな奴だったら鼻につくけど木戸が言うほどひどいか?俺、前に物理教えてもらったけど普通だったぜ?つうか、あいつの教え方マジわかりやすかった」
「え?俺もわかんねぇとこあんだよな。西嶋って物理できんだ?成山がトップだと思ってたけど、あいつ変わってっから教えてもらうのもちょっとって……会話、成立しなくね?成山と仲がいい西嶋ってすげぇよなぁ」
「あー、トップは成山。あいつ漫画ばっか読んでいつ勉強してんだって感じだけど、頭めちゃくちゃいいらしいぞ。天才と変人は紙一重ってやつじゃん?」
あ、よかった。
他の人は西嶋君のよさをちゃんとわかってる人たちだ。
話からすると彼らは西嶋君と同じクラスみたい。
西嶋君のことを嫌ってるらしい木戸君ってどんな人だっけ?
そこにまたバンという大きな音が響いてわたしは驚いて身を竦ませた。
シューズロッカーを叩いたようだ。
「おまえらなぁ」
「あ、悪ィ悪ィ。えーと、女なんていくらでもいるじゃん?」
「友達に合コンセッティングしてもらうか?……って俺ら受験生じゃーん」
ふざけたように笑う男の子たちの声に混じって苛立ったような声がする。
「いらねぇよ。つぅか俺がムカついてんのは航平にだ。あいつも俺と同じ目にあわせてやりてぇ」
「同じ目って……西嶋の好きなやつ知ってんの?」
「んなの知らなくてもいいんだよ。絶対うまくいかないような女に告らせて、振られるとこ見りゃとりあえず気はおさまる。――あぁ、隣のクラスの安在とかよくね?あいつ、フリーなのにどんな奴に告られてもOKしないらしいじゃん」
わたしは自分の名前が出たことにぎょっとした。
なんでいきなりわたしが出てくるの。
「え?それちげーよ。安在って年上の彼氏がいるだろ。すげぇ金持ちの男。高級車の助手席に乗ってたのを見たって奴いるし」
はいっ!?
そんな人いません。
きっと人違いだからっ!
それからどんな人に告白されてもっていうのも誤解を生むと思うの。
高1のとき一度呼び出されて告白かと思ったけれど、あれだって結局質問されただけで、どれだけ自意識過剰だってすっごく恥ずかしかったもの。
あのときは確か……好きな奴いるのって聞かれて正直にいるって答えたら、どんな奴って更に質問されたんだよね。
西嶋君のことを言いたくなかったから、悪いと思ったけれど適当な言い訳を――んん?
あ、そうだ!思い出した。
西嶋君を想像されないように、当時ハマってたドラマの男の人のことを答えちゃったんだ。
大金持ちの御曹司で外車に乗ってる年上のイケメン王子様設定だった。
あまりにありえないキャラだったからか、何度か同じようなこと尋ねてくる人がいて、わたしも嘘って言えないまま強引にその設定で押し通したっけ。
まさかあの話が一人歩きしてるの!?
「へぇ、安在って彼氏いたのか――でも木戸、どうやって西嶋を安在に告らせるわけ?」
「んなの簡単だ。おだてて頼めばいいんだよ。安在もおまえにならなびく――みたいなこと言って持ち上げりゃ、勘違い野郎のあいつならすぐその気になって口説こうとすんじゃね?もし乗ってこなくても脅すって手もあるしな。ガキの頃から知ってっからネタならあんだよ」
「おっまえ、いますんげぇ悪い顔してんぞー?嫉妬もほどほどにしとけよな。俺、西嶋のこと嫌いじゃないしノータッチで通すぞ」
「俺も聞かなかったってことで。――つうかさぁー、嫌いな奴なんて無視すりゃいいのに」
え?
お友達の人、スルーしちゃうの!?
そこは止めてよ!
わたしは焦ったけれど会話に割って入れるはずもなく……。
「おまえらのことなんて頼りにしてねーよ。帰んぞ」
足音とともに木戸君という人の声が遠ざかり、彼が昇降口から出て行くのがわかった。
遅れて溜め息が聞こえる。
「あーもー、なんだあいつ?ガキか?俺、西嶋に同情するわー」
「完璧にとばっちりだもんな」
やれやれというような残りの二人の声も遠ざかっていく。
わたしは充分に時間をおいてそっと出入口を窺った。
人の姿はない。
そこでやっと気が抜けて長い息を吐くと、その場にしゃがみこんだ。
ひどい、とただ思う。
自分の好きな子が西嶋君を好きだったからって、腹いせに同じ目にあわせてやるなんて、どうしてそんなことを思いつくの?
なんでも誰かのせいにしてしまう人がいるけれど、木戸君という人はそういうタイプではないかと思う。
それに言うことを聞かないなら脅してでも自分の思い通りにしようって――もうその考え方からしてわかんない。
「決めた」
うずくまっていたわたしは顔を上げた。
もし、西嶋君がわたしに告白してきたら絶対に断らない。
木戸君の思い通りになんてさせないんだから!
それにどんな理由でも西嶋君とつきあえるチャンスがあるなら、わたしはそれをみすみす見逃したくないの。
今日までずっと片想いしてきたんだもん。
嘘でも西嶋君の彼女になれるならなってみたい。
「――告白してこないことだってあるんだし……」
ついそんなことを言葉にしてしまったのは自分への言い訳だったのかもしれない。
木戸君の悪巧みに便乗して、西嶋君の彼女におさまろうとしてる自分の狡さから目をそらしたくて。
でもきっとね。
つきあうことになったとしてもすぐに終わっちゃうの。
だって西嶋君は正直な人だもん。
好きでもないわたしとつきあうのは駄目だって、早いうちに別れようとすると思う。
だから「もしかして」が起こったそのときは――。
少しの間だけわたし……夢を見てもいいよね?