8 雛姫視点
移動教室からの帰り、階段を降りてくる彼にわたしは気づいた。
今日もまた食堂にパンを買いに行くのかな?
あ、このまま進めばすれ違える。
急ぎ足の彼はわたしに目もくれず階段を駆け降りてく。
パンが売り切れちゃうと困るもんね。
すれ違いざま彼が巻き起こした風がわたしの頬を撫でていくのがくすぐったい。
友達ならこういうとき「今日もパン?」なんて話しかけることもできるのに。
そしたらきっと「おう!」って笑ってくれるんだろうな。
「ひーなぁー?あんたいつまでこの状態続ける気?」
「ホントだよ。もうわたしたち高3だよ~?片想い3年目突入って……あー、あり得ない」
「ちょ、ゆんちゃん、ようちゃん、シー!!」
誰かに聞かれると、わたしは二人を引っ張って空き教室に飛び込んだ。
中学から仲良しで一緒に合格発表まで見に来た彼女たちとは、1年のときゆんちゃんとクラスが離れてしまったけれど、3年になって全員同じクラスになれた。
そして彼、西嶋航平君とは一度も同じクラスになれないまま。
進路別にクラスが分かれちゃう3年で、わたしは文系、西嶋君は理系を選択したから、高3のいま同じクラスは絶対ないよね。
「シー、じゃなぁい!ひな、この3年でやっと西嶋と隣のクラスになれたんでしょ!?あいつって昼はいつもああやって昼ご飯買いに飛び出してくんだから、それを狙ってぶつかるとかやってみな?」
ゆんちゃん、わたしにそんなベタな漫画みたいなことしろって言うの?
「それ一昔前の出会い方でしょ」
「一昔前も何も雛姫は最初それで西嶋に出会ってるじゃない。しかもお約束の一目惚れって」
ようちゃん、違う。
わたしがぶつかったのは電灯の柱だから。
それに一目惚れっていうのは、相手のことを一目で好きになっちゃうことでしょ?
西嶋君に出会ったときのわたしは緊張してほとんど話もできなかったし、かっこいいって思ったけどそれだけだったもの。
ただ笑顔がいいなぁって印象に残ってて、入学してから探してみたりしたけれど。
で、いつのまにか西嶋君を探してしまうのが癖になっちゃったんだけれど。
どうしてそんなことしてしまうのなぁって思って、そこでやっと西嶋君のことが好きなんだって気づいたのよ?
……なんて二人に話すのは恥ずかしいから言わない。
「そんなおいしい出会い方してるのに、なんで入学したとき西嶋に話しかけなかったかなぁ?「あのときはありがとう」でも「久しぶり~」でも何でもよかったのに。――さすがにいま、その話題で話しかけるには遅すぎるよねぇ」
「雛姫、いい?チャンスなんてこっちからもぎ取らないと、そうそううまく転がってないんだからね。せっかく入学前にわたしたちで雛姫を大改造して可愛くしたはずが……トホホだよ」
大改造?なんかリフォームした家みたい。
うん、でも確かに入学前の春休みはすごかった。
わたしがついうっかり二人に「高校じゃ眼鏡じゃなくてコンタクトにしようかな」って相談しちゃったら、理由を問いただされてまだ名前も知らなかった西嶋君のことを話す羽目になった。
二人は合格発表の日のことを覚えていて、ははーんて意味ありげに笑ったっけ。
あのときはちょっと気になる男の子が眼鏡は嫌いっぽいって、チラッと頭をよぎっただけなの。
だからすぐに思いなおしてやっぱりいいって言ったのに、思い立ったが吉日と勢いにおされて丸め込まれてしまった。
彼女たち曰く、わたしは女子力を上げなきゃだめだということだったから、きっと当時のわたしは自分が思う以上にひどい有様だったんだろう。
眼鏡を新調して更にコンタクトまでなんて、スポンサーになるお母さんが絶対渋ると思っていたら、二人と話をしたお母さんはなぜか喜んでお金を出してくれた。
あれにはすごく驚いたけれど「雛姫がおしゃれに目覚めてくれて嬉しいわ」って言ってたから、母親ながらに娘のわたしが地味なのを気にしてたのかな?
そんなわけで半ば強引にコンタクトを買わされ、次に二人のおすすめの美容院に連れて行かれた。
髪を揃えるだけって言ってたはずが、顔を隠す前髪をばっさり切られて、わたしは蒼白になりながら騙されたと思ったけれど髪がくっつくわけもない。
それから肌や髪のお手入れの仕方だとか、はやりのファッションだとか、女の子を磨くためにいろいろ叩き込まれた。
憧れの彼に可愛くなって会いたいでしょって二人に言われたら、どういうわけか言うことをきいちゃてたの。
それってやっぱり二人が言うように、合格発表のあの日、わたしは西嶋君に一目惚れしてたのかな?
でもそうやって頑張ったことも……さっきの通りまったく実を結んでないのだけれど。
「ご、ごめんね。でも入学したあとの西嶋君、全然わたしに気づかなかったし、忘れちゃうくらい印象に残ってないんだなぁって思ったら、話しかける勇気が出なくて……」
「はぁ?ひなが西嶋に話しかけなかったのってそれが理由!?」
え?そうです。
わたしが頷くと質問してきたゆんちゃんだけでなく、ようちゃんまで溜め息をついた。
「いくら外見を変えても中身が一緒じゃだめだわ。ひなの性格改革しなきゃ無理」
「まぁ、控えめなところが雛姫のいいところでもあるんだけど――恋愛じゃ不利だよねぇ」
ちょっと!
そこで残念そうな顔して首をふらないでっ。
なんかわたしが可愛そうな子みたいじゃない。
そんなわたしにようちゃんはビシっと指を突きつける。
「いーい、雛姫。見つめてるだけじゃ事態は変わんないよ?さっきも言ったけどわたしたちはもう高3なの。このまま何もしないで卒業しちゃっていいの?」
「ラッキーなことに西嶋ってずっとフリーじゃない。まぁあいつの場合ちょっと鈍感で、そういう雰囲気にもっていこうとしても無理だって聞いたけど……。でもそう思ってる子がいるってことは、ひなみたいにあいつのことを見てる子が他にもいるってことだよ!あと一年しかないから絶対仕掛けてくるっ。西嶋が誰かとつきあっちゃってもいいの!?」
二人とも目がマジすぎるっ。
怖いってばぁ~。
教室の隅に追いやられたわたしは交互に彼女たちを見た。
「こ、告白したほうがいいってこと?」
「したほうがいいんじゃなくてしろっ!」
声がハモってます。
そして命令……部活の先輩ですか?
さすがは現役陸上部とバレー部の鬼部長。
「いまのあんたならイケるから!」
「昔ほど男の前で緊張もしなくなってるし、友達からはじめるって手もある!」
友達……うん、せめて西嶋君とお友達にはなりたいなぁ。
そうすればさっき階段で思ったような妄想が現実になるはずだし。
でも、いきなり知らない女の子からお友達にって言われても、西嶋君だって困ると思うんだけどな?
わたしだったら困るもん。
そう思ったけれど二人がわたしのことを応援してくれてるのはすごくよくわかる。
その気持ちが嬉しい。
「2年前二人が大改造してくれたおかげで、わたしでも可愛く変身できるんだってわかったの。あれで少しずつ自分に自信が持てるようになれたよ。だから男の子の前で緊張することも減ったんだと思う。すごく感謝してるの。本当にありがとう」
わたしがそう言うと彼女たちは顔を見合わせて、やがておかしそうに笑いだした。
「せっかく忠告してるのに――あーもぅ雛姫はそのままでいたほうがいいのかな?」
「へんに無理させたらひなのことだから大失態やらかしそう」
わたしの肩をようちゃんとゆんちゃんがポンと叩く。
「お腹も空いたし話はここまでにしよ」
「とりあえず、お弁当食べよっか」
お弁当と聞いてクーとわたしのお腹が鳴った。
それが二人にも聞こえてしまったらしい。
わたしたちは笑いあって空き教室を後にした。