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「巽、おまえ教室戻ったはずじゃ?」
「うん、戻ってこれ持ってきた。航平はこれ」
カバンから少年誌を取り出しそのまま布製のそれを俺に手渡す。
中を見ればジャージが丸まって入っていた。
「ジャージ?」
「じゃなくて枕。それをこうやって頭に敷いて目を瞑ればあら不思議。数秒で夢の中という未来のネコ型ロボットがくれそうな快眠アイテム」
「なに?俺に寝ろってか?」
「そう」
「なんで?」
俺の隣に腰を降ろした巽は雑誌を広げながら言った。
「やなことあってもぐっすり寝ておいしい物食べたら元気になるでしょ?お昼は安在さんのお弁当が待ってるしそれまで寝てれば?染みつけても怒んないよ」
「涎なんか垂らすか!」
「ふーん、航平って目から涎垂らすんだね」
ぺら、と雑誌を繰りながら巽に言われ俺は思わず顔をおさえた。
いや、どこも濡れてない。
「心配しなくても泣いてないよ。だって男の子だもん」
おい巽、そのまま沈黙しないでくれ。
どう突っ込んでいいかわからん。
俺は手にしたカバンを見つめ、しばらくあって屋上に寝転がった。
巽の言動を理解しようとしたって俺には無理だ。
目を閉じたところで巽の声がした。
「今日のお弁当のおかずはハンバーグとコロッケだって」
「なんでおまえがそんなこと知ってんだよ?」
「俺、安在さんとメル友だから」
はぁっ?いつの間に!?
ぎょっとして目を開けると巽が俺に向かってピースしていた。
「俺ってすごいよね」
「悪かったな、マメじゃなくて」
もともとからしてメールを頻繁に使う人間じゃないし、書いたとしてもほぼ要件のみだし。
けどこれでも安在からのメールにはちゃんと返信するようにしてるんだ。
や、返信っつっても簡潔なんだけど。
んで俺からメールしたことはほとんどない……――。
だめじゃん、俺。
安在に冷たい彼氏って思われてんじゃないかって気がしてきた。
「うん、まぁマメとかそういう話でもいいけど」
なんか別の意味で言ったのか?
じゃあなにがすごいんだ。
そう思ったが問い返す気にはなれなくて俺はもう一度目を瞑った。
巽が雑誌を繰る音やグランドからホイッスルの音がする。
制服が半袖に替わったからか、屋上に寝転がると腕に小石が当たって地味に痛いな。
俺は小石を避けるように胸の上で腕を組みつつ、制服の背中側が汚れてるだろうと、そんなどうでもいいことを思った。
* * *
カシャ、と電子音がしたことで俺は気がついた。
いまのはなんの音だ?
それに間近に人の気配がする。
巽か?と目を開けると、安在の顔があって俺は飛び起きた。
「あ、起きた。おはよう」
「安在?なんでここにいるわけ?もしかしてもう昼!?」
「ううん、まだ。成山君にメールもらったの。西嶋君が屋上で討ち死にしてるからって――寝不足?それとも気分悪いの?」
心配そうな顔になる彼女に俺は慌てて首を振った。
「ちょっと気分的にダレてサボってただけだから。それより巽は?」
雑誌を読んでいたはずの巽がいない。
「別の漫画を持ってくるって教室に行っちゃた。すぐ戻ってくると思う」
携帯で時間を確認すれば3時間目が終わったばかりの時間だった。
俺、マジ寝してたのか。
塔屋の影は随分と短くなって足元は日の光にさらされてる。
どうりで暑かったはずだ。
「よいしょ」という安在の声に俺は目を向けた。
日陰に座り込んで見慣れた大きなカバンを脇に中身を取り出そうとしてる。
「何してんの?」
「少し早いけどお弁当の用意。うちのクラス、次は自習になったからわたしもここにいる」
「や、いくら自習でも教室にいないとマズイだろ」
「じゃあ西嶋君は?」
尋ねられて俺は言葉に詰まった。
「何かあったの?」
重ねて尋ねてきた彼女の顔が曇ったため俺はとっさに笑顔を作る。
「わかった。ちゃんと授業受ける」
「西嶋君、わたし授業に出てとかそういうつもりじゃなくて――」
「ちょっとヤなことがあって不貞腐れてただけだから」
「嫌なこと?」
「ん。でも寝たら復活した」
「ほんとに?」
「ほんとほんと」
立ち上がった俺は制服の汚れをはたき、巽の枕代わりのカバンと安在が持ってきた弁当入りのカバンを手にして、彼女を見下ろした。
「心配してくれてありがとな」
俺を見上げる安在がやっとホッとしたような顔になった。
並んで階段を下りながら俺はチラを彼女を盗み見た。
柔らかそうなふわふわの髪がいつものように軽やかに揺れている。
この髪に触れたいと思った。
手を伸ばしかける俺は、けれど寸前でやめた。
いまのままじゃ触れられない気がしたからだ。
やっぱり彼女に全部話さなきゃいけないんじゃないか?
でないと俺はずっと後ろめたい気持ちを持ち続けて、安在と接し続けなくてはいけなくなる。
そしてその気持ちがある限り彼女に触れられない気がする。
そんなのは嫌だ。
手を繋いだとき自分でも馬鹿になったんじゃないかと思うくらい嬉しかった。
また繋ぎたい。
彼女と向き合って心から笑いあいたい。
俺はぐ、と手を拳に握った。
安在にすべてを話して、その後はちゃんと謝ろう。
そしてもう一度、彼女に好きだと伝えよう。
振られるかもと弱気なことが頭をよぎるのを無理やり無視する。
ちょうど3年のクラスが続く2階に降り立ったところで俺は彼女に呼びかけた。
「なに?」
俺を見つめる眼差しは無邪気で優しい。
「放課後、ちょっと話しがあるんだけどいいかな?」
俺がこう言ったとたん安在の顔色が見る間に変わった。
「話って?いまじゃ、駄目なの?」
「ん、大事な話だから」
「そ、そっか」
明らかに作り笑いとわかる笑顔を浮かべる彼女はなぜか泣きそうだ。
なんでこんな顔するんだ?
「安――」
「あれ?自主休講はもう終わりなの?もっと青春を謳歌しようよ」
数冊の漫画を手に巽が現れ、俺たちの微妙な雰囲気に気づいたのか眉を寄せた。
「どうしたの?」
「な、なんでもないよ?あ、じゃあ西嶋君。4時間目が終わったらいつもみたいに――」
取り繕う安在が不自然に言葉を途切れさせたため、俺は彼女の視線を追って後ろを振り返った。
見れば薄ら笑いを浮かべた泰治がこちらに近づいてくるところだった。
「よぉ航平、もしかして授業サボってたのは彼女と校内デートするためか?」
俺たち3人の側に立つ泰治を見て俺は嫌な予感がした。
「安在、巽と先に教室戻ってくれ」
俺の言葉を受けて巽が彼女を呼ぶ。
「行こっか、安在さん」
「え?あ、うん」
「ちょっと待って、安在。俺、面白い話知ってるんだけどさ」
言いながら泰治はチラと俺に視線を向けて笑った。
こいつ、話す気だ。
直感的に思って俺は泰治の腕を掴む。
「黙れ、泰治。――巽、安在連れてけ」
「なんだよ、俺が悪者みたいじゃね?俺はただ真実を安在に教えてやろうとしてるだけだろ」
「黙れっつってんだろが」
俺が安在に話すことなんだ。
他人の口から伝えられたくない。
泰治は俺の手を力任せに振り払った。
「はっ、必死だな。安在、よく聞けよ。こいつがおまえに告ったのって――」
「知ってる」
泰治の声を遮る安在の言葉に俺は一瞬眉を寄せる。
知ってる?
……何を?
彼女はさっき見せた泣きそうな顔で微笑んだ。
「――全部知ってるよ、わたし」
俺は驚愕のあまり息を飲んでいた。