18
俺の唇が触れた頬を押さえる雛姫のうろたえるさまがおかしくて、つい笑ってしまった。
「人間誰しも可愛いと思うものにはキスぐらいしたくなるよな。ほら、子犬や子猫見てると可愛がりたくなるじゃん」
「わ、わたし子犬や子猫と一緒?」
「や、そっち注目しないで――俺の邪宣言を正当化する言い訳だし」
「邪宣言ってなに?」
雛姫が警戒したように自身を抱きしめる。
「まぁ色々と」
「だから色々ってなに?」
「うん、それはおいおい?――それより飯食べようか。今日もうまそうだな……いただきます」
箸を手に俺が手を合わせる横で雛姫がなにやらブツブツと言っている。
「――やっぱり男の子なんだ……」
むぐむぐハンバーグを頬張る俺が漏れ聞いたのはそんなこと。
なに当たり前のことを言ってんだ?
自分の彼女相手に聖人ぶってどうやって手を出そうと悶々とするより、素直に手を出しますって宣言する方がよっぽど健全だと思うけど。
「ひどーいぃ!そういうこと堂々と言わないでよぅ~。女の子の夢を打ち砕くなー!!」
バカーとまで言われても俺は男だし女の夢なんて知らねーもん。
まあでも少女漫画みたいな男を夢みてんだろうってのはなんとなくわかる。
一度姉ちゃんに「あんたもこうなれ」って、無理やり少女漫画を見せられたときは1分でギブアップだった。
こんな男いるわけないだろってくらいの王子っぷりは、ギャグ漫画かと思ったくらいだ。
気にせず弁当を食べていたらポカポカと雛姫に腕を叩かれた。
「もう、なんでそんなに余裕なの!」
余裕じゃなくて女の夢がわかんないだけだから。
俺は箸で取ったコロッケを雛姫の口に押し込む。
「――むぐっ」
「せっかくうまい弁当があるんだから一緒に食べよう」
そう言うと彼女はコロッケを手にもち、一口分を飲み込んで俺を軽く睨んだ。
「そうやってわたしを嬉しくさせることサラッと言っちゃうし」
「嬉しくさせる?」
「お弁当がおいしいとかお世辞でも嬉しいもん」
お世辞じゃなくてうまいけど……喜んでるみたいだしどっちでもいいか。
でもうまいと言うだけでこんな嬉しそうな顔をするならまた言ってみよう。
巽の分の弁当をかろうじて残し、心地よい満腹感に満足しながら冷えたお茶を飲む俺は、このとき完全に油断していたんだと思う。
4時間目が終わったしそろそろ巽が来る頃だな、とかなんとか空を見上げていたら。
「ねぇ、航平君の汚点って何?」
前置きもなく尋ねられ、俺はブホっ!とお茶を噴出してしまった。
「なっ……汚点って何の話?」
誤魔化そうと質問に質問をかぶせると、だからねと雛姫が好奇心に満ちた目で俺を見つめてくる。
「さっき木戸君の話をしてたとき汚点がどうとか言ったでしょ?航平君にそんなのあるのかなぁって思って」
おーい、キラキラ瞳が輝いてるように見えるけど――。
「あのさ。仮に俺に汚点があるとしてそれを簡単に話すと思うか?そうできるなら汚点って思ってないだろ」
「じゃあ教えてくれないの?」
「教えるも何も汚点なんてありません」
スイと目をそらして俺は澄ましてお茶を飲む。
「いいもん。じゃあ成山君に聞くから」
「あいつは知らないし」
「やっぱりあるんじゃないっ!」
あ、しまった。
墓穴を掘ったと思った俺はゴホンと咳払いをしてもう一度、「汚点はありません」と言い切る。
あんな恥ずかしいこと知られてたまるか!
絶対、白を切りとおしてやる。
「航平の汚点って面白い話をしてるね」
俺たちの会話に割って入ったのが誰かなんて声だけでわかる。
ヤバイ、巽だ。
こいつは雛姫みたく簡単に煙にまけないからどうすっかなぁ。
でも以前俺が言いたくないっつったら聞かないって言ってくれたし……そういう約束は守ってくれる奴だから大丈夫か。
「あ、成山君。本当に成山君は航平君の汚点を知らないの?」
雛姫が俺を「航平君」と言ったとたん、巽は俺にだけわかるようにぬるい目を向けてきた。
なんかその顔、ムカツクなっ!
「航平の汚点ねぇ――あ、俺のお弁当これ?なんか残りが少ない……航平、俺の分も食べたね?」
「ちゃんと残してるじゃん」
いっつもおまえに好物取られてばっかなんだ。
今日ぐらい仕返しさせろ。
しばらく俺を見つめていた巽は「いただきます」と言って弁当を食べ始める。
あれ?文句の一つも言ってくるかと思ったのに何も言わない?
チラ、と巽に視線を向けても静かなものだった。
「今日もおいしいね、安在さん」
「本当?ありがとう」
「だからお礼にいいものあげる」
脇に置いた漫画に挟んでいたものを雛姫に手渡すのを俺は見た。
なんだ?
写真っぽかったけど。
「それ航平だよ」
はい?俺の写真?
雛姫は写真を見た瞬間、
「嘘っ!これ本当に航平君?――やだ、可愛いぃ~~~」
俺と写真を見比べての台詞に嫌な予感を覚える。
「女の子みたいー。フリフリの服がすっごい似合ってる!!」
「ちょ……雛姫、それ見せて――」
「木戸が握ってた航平の弱みってきっとそれ。同じ幼稚園だったみたいだし。航平からすると確かに汚点って言いたくなるだろうね。今じゃ見る影もなく育っちゃって――時の流れは無情であると同時に残酷なんだって、この写真を見て知ったよ」
雛姫が裏返して見せてくれたそれは、俺の子どものころの写真だった。
「うわぁ!なんでそれがここにっ」
たぶん幼稚園ぐらいかもう少し幼いだろう。
姉ちゃんのお下がりを着せられても、それがおかしいと疑問も持たなかった間抜けな俺が写ってる。
奪い取ろうと手を伸ばしたけど彼女は素早く写真を引っ込めて胸に抱いた。
「ダメ、あげないっ」
ちっ、そう運動神経はよくなさそうなのに!
「巽っ!おまえなんだってそんなもん持ってんだっ!!」
「それは話せば長いことながら、この前の日曜日、航平が安在さんとデートに出かけてる隙に、家にお邪魔しておばさんからゲットしたんだよ」
全然話長くねぇし。
くっそぉ、母さん巽のことお気に入りだからな。
「なんで俺んちに行ったか聞いていいか?」
「航平が木戸に脅されたネタが気になって夜も眠れなくなっちゃって。まるで恋する乙女のようだったよ、俺」
そう言って頬を押さえ、恥らう仕草をするのが気持ち悪い。
「おまえ、聞かねっつったじゃねーか!」
「だから航平には聞いてないでしょ?航平嫌がってたし、安在さんに教えるのはやめようかと思ってたけど――」
巽が、ふ、と微笑む。
「食べ物の恨みは怖いんだよ?」
俺に向けられる巽の笑顔が黒い。
「あ、安在さん、他にもコレクションあるから食べ終わったら見せるよ。スカートのもあるんだよ」
「本当!?見たい。っていうかこんな可愛い航平君もっとほしいぃ~」
「巽、ちょぉマジやめてっ!」
頼んでも巽は顔色も変えず弁当を食べて俺を無視した。
打ちひしがれる俺に気づいた雛姫がぽんと背中を叩く。
「全然汚点じゃないよ?可愛いし」
可愛いってフォローになってねーし。
「良かったね、航平。女装に理解ある彼女で」
巽の「女装」という言葉のダメージがでかすぎて、もはや反撃する気力も起こらない。
これ、どんな羞恥プレイだよ。
その後、昼休中、俺の子どもの頃の写真を見て「可愛い」と大騒ぎする雛姫に、男のプライドを木っ端微塵にされた。
もう二度と巽を怒らせるのはやめよう……。
抜け殻になりながらも俺がそう固く心に誓ったのはいうまでもない。
次が最終話となります。