15
泣きそうな顔をしていたはずの安在が、泰治をきつく見据えるのを俺は見た。
「大事な話は人のいない場所でするものだよ、木戸君?」
だが挑発するような口調とは裏腹に彼女の両手は拳に握られ、硬い声からも緊張しているのが見て取れる。
泰治は探るような眼差しを安在に向けながら、へらと笑った。
「安在?なに言って――」
「ネタならあるんだけどな?」
ネタ?何の話だ?
俺には意味がわからないが泰治には通じているらしい。
明らかに顔色を変えたのがわかった。
けれど――。
「なんだ。安在、あれ聞いてたのかよ?全部わかってて航平の告白オッケーしたってか?」
すぐにどうでもいいというような態度で泰治は肩を竦めた。
逆に安在はその態度に少なからず驚いているようだ。
彼女の反応に泰治がわずかに目を眇めたのに俺は気づく。
まずい、こいつ矛先を俺から安在に変えやがった。
「泰治、おまえもういい加減にしろ」
とっさに割って入る俺を無視して泰治は彼女にニヤニヤと近づいた。
ビクと怯えたように安在が震える。
この状況でこの態度はだめだ。
余計に相手を調子付かせてしまう。
俺は安在を俺の背後に引き寄せて泰治を睨んだ。
「おーお、やっさしいねぇ航平」
ピュと口笛を鳴らした泰治はそれでも安在を覗き込むように、まだしつこく彼女に絡んでいく。
そろそろ廊下にいた周りの奴らが何事かと異変に気づき始めている。
このまま騒ぎが大きくなるのはまずい。
泰治を無理やりどっか連れていくしかないか?
「安在、ざーんねん。俺と航平、今朝決別してんだよな~。だからそれ、もう切り札にはなんねーよ。それよりおまえってさぁ、航平の――」
っていうか俺が限界だ!
泰治てめえ、安在をビビらせてんじゃねぇぞ!!
「木戸君って馬鹿なの?もうきみ、ただのお邪魔虫だよ」
けど俺が動くより早く巽が泰治の言葉を遮ぎった。
「はぁ?いまなんつった、オタ野郎」
「馬鹿とお邪魔虫」
しれっと巽は繰り返す。
うぉいっ!巽!!
いまのこの状況をわかってるのか!?
火に油を注ぐなっ。
「てんめぇ、んとにムカつく野郎だな」
「そっくりそのまま返すよ」
淡々と言いながら巽は腕時計に目を走らせる。
「もうそろそろチャイムもなりそうだし、時間がないからちゃっちゃといこうか。木戸君、気づいてないみたいだけどね。安在さんが全部知ってるってことは、きみが全部バラすぞーって航平を苛めるのももう無理ってこと。で、察するに航平に仇をとってっていうあれが、安在さんのいうネタじゃないの?――安在さん、木戸に告白された?」
俺の後ろで安在が即座に首を振った。
はぁ!?ちょっと待て!
なら最初から全部が泰治の仕込みなのか?
作り話までして俺を安在に告らせてなにが面白いんだ?
「泰治、俺、おまえのやりたいことがさっぱりわかんねー」
「てめぇが安在に振られてりゃ良かったんだよ。なのに話聞かれてたってありかよ」
ちっと舌打ちする泰治の言葉に俺はすぐには二の句が継げなかった。
なんだそりゃ?
んなの見てなにが楽しいんだ。
くだらない。
同時に俺は、安在が俺の告白をOKした理由がますますわからなくなった。
すべてを知っていてなんで俺とつきあうことにしたんだ?
てめえらの揉め事に関係ない自分を巻き込むなって、普通は怒るとこじゃないか?
ああでも安在はおとなしいし争いは避けたかったのかもしれない。
それでも関わらないようにしようと告白されても断るって選択をすると思うんだよな。
もしかして泰治の思い通りにさせたくなかったとか?
で、頃合いをみて俺と別れるつもりだったんじゃ……。
そうか。
だからいま「全部知ってる」発言をしたのか。
ならこのあと俺は振られるんだろうなぁ。
そう気づいて一気にへこんだ。
や、いまは安在より泰治のことだ。
もはやこいつの相手をするのが馬鹿らしく思えてならなくても、これだけは言っておかないといけないだろう。
「泰治が嫌ってんのは俺だろ?他の奴巻き込まねーで俺だけ狙えよ」
「航平、こういう残念な人には何を言っても無駄だよ」
そう言い放つ巽の目は信じられないほど冷たい。
巽の奴、キレる寸前だなこりゃ。
巽は普段のほほんとしてして怒ったりしないけど、怒りが振り切れると恐ろしいほどの冷血漢に変わる。
そうなると嫌いな相手ほど手段を選ばずやり返すんだ。
「巽、これは俺の問題だ」
「わかってるよ。だから木戸に関わらないようにしてたんでしょ。でなきゃとっくに潰してるし」
「はぁ?オタ野郎になにができるって――」
「社会的に抹殺?俺だったら簡単にバレるようなヘマしないでもっとうまくやれるから」
ああ、くそ泰治っ。
いちいち巽に突っかからないで空気読んで引き際を心得ろよ。
本気でキレた巽は俺でも宥めるのに苦労するんだ。
俺が目だけで巽に「やめろ」と訴えると、それに気づいた巽はニと笑った。
「木戸君さぁ、今後誰からも相手にされない寂しい人生送ってみたくない?因みに俺、パソコンがあればいろーんなことできるんだよね。現代社会って何でもかんでも電子化されて素晴らしい世の中になったって思うよ」
ん?巽の奴遊んでる?
俺にはそうわかったけど泰治には巽の本気と冗談の見分けがつかないらしい。
「なっ……」
「巽、ほどほどにしてやれよ?」
そして俺のこの言葉をどう受け取ったのか……。
「てめえらの相手なんかしてられっか」
顔を引きつらせて泰治は踵を返し立ち去っていく。
最初に絡んできたのはおまえのほうだろうが、と俺は思ったが口には出さないでおいた。
俺には理解できない思考回路をした奴だし、なにが地雷かわかったもんじゃない。
今後はなるだけ避けていこう。
「あれ?行っちゃった。冗談なのに……ねぇ?」
「おまえの冗談ってわかりづらいんだよ。脅してるようにしか聞こえないっての」
「でも航平はわかってくれるでしょ」
「まぁそりゃな。ともかくサンキュ、助かった。――ってか泰治がもう関わってこないことを願うわ」
はぁーと溜め息をついたところで4時間目が始まるチャイムが鳴った。
俺は安在に目を向けると手にしていた弁当入りのカバンを手渡す。
「ごめんな、巻き込んで」
「ううん」
触れた指に彼女と手を繋いだ感触がよみがえる。
俺と安在はやっぱり今日までなのか?
放課後全部話して謝ってもう一回告白するつもりだったけど、見込みはゼロなのか?
「西嶋君、あの――っぇ?」
「悪い、安在。やっぱ4時間目サボってくれ」
離れたはずの安在の手を掴むと返事も聞かずに俺は歩き出した。
彼女にいままでありがとう、とか、実はこういうことだった、とか、もう別れてほしい、とか、そんなことを言われたらと思うと怖かった。
だから彼女が言葉を続けられないように遮ってしまったんだ。
マジで俺、自分でも情けないくらいヘタレすぎる……。
屋上に向かって階段をのぼる俺のポケットで、携帯がブーっと震えたのがわかった。
短い間隔で切れたからたぶんメールだろう。
だけどいまはメールにかまってる場合じゃない。
俺は屋上に出ると安在に向き合った。