第14話 暴れる象の噂
祭りの熱がようやく抜けた頃、ハルヴェルト領エルント村の魔獣研究所・出張所に、国境寄りの村から妙な依頼が持ち込まれた。
森で象が暴れている――
◇
その日も朝から、私は平和に、入り口に届けられた森の魔獣たちからの貢ぎ物の薬草をココットに渡したあと、牛たちの世話をしていた。
「私、春に学校を卒業して、出張所所員専属になったけど、大した仕事してないよね」
食事中の牛たちの間を箒で邪魔にならないように掃きながら、ため息をつく。
『そうなの?』
マタタキ牛が草をむしゃむしゃ食べながら、優しく応えてくれる。乳牛のお母さんたちは、私にも寄り添ってくれるのがありがたい。
「フルールたちは、お菓子学校に通い始めたのに、私、出張所入ってから、セレフィナたちを迎えに行った位しか仕事してない……。お給料はもらってるけど」
『毎日私たちのお世話もしてくれてるじゃない。平和なのは良い事よ~』
出張所ができてから、マックスは王都との連絡や報告に追われ、ビュートゥは牛たちの世話をしつつ自由に動き、アンドロメダはあちこちの魔獣のところへ歌いに行っては報告書を書いている。
ココットは資金や薬草、備品や飼料、王都の研究所に出す書類の管理まで一手に引き受け、いつも忙しそうだ。
(私、これで良いのかな?)
そう思いながら会議室へ向かうと、真ん中の席に、見知らぬ中年の男が掛けていた。マックスが前に立ち、他の所員も周りの席に着き始める。
◇
「……森で、象が暴れている?」
マックスが報告書を読み上げると、ビュートゥが首をかしげた。
依頼を届けに来たのは、アグラールと帝国との境にある森シュッツヴァルトに隣接する村、シュッツドルフの男だった。地元で象の森と呼ばれているというその森は、エルント村よりも少し南東。国境に近い上、霧が深いことも多く、人があまり入りたがらない場所らしい。
「象、ですか……?」
私が思わず聞き返すと、男は、帽子をぎゅっと両手で握った。
「ええ。もともと大人しい連中でしてね。森の奥で静かに暮らしとったんですが……二、三か月ほど前から、急に荒れだして」
「人を襲うようなことは?」
「今のところはないです。けど、夜になると、鳴き声がし始めて、どしどしとやってくる。怖くて皆、家で震えることしかできん。そいで、朝には柵が壊れていて、畑も踏み荒らされてて、家畜が怖がっていたり……正直、理由が分からんのです」
ココットがメモをとり、マックスが腕を組んで聞いている。
「村の被害は、どのくらいですか?」
マックスが穏やかな声で続きを促す。
「倉の壁が崩れて、備蓄が半分やられました。柵は三回直して、三回壊れて。夜中に木が倒れる音がして、みんな怖くて眠れなくて」
ウィルが地図を広げた。
「シュッツドルフ村まで、ここからどのくらいですか?」
「馬で半日もあれば。すぐ来ていただけるなら、村まで案内します」
「すぐ行こう。ウィル、彼を応接室にお連れして」
マックスは即断した。
◇
男が部屋を出ると、マックスが私の方を見た。
「魔獣研究所としての、調査対象だね。リリちゃん、行ける?」
私は、気持ちが少しだけ引き締まるのを感じた。
「行きます。ほぼ初めてですね。ちゃんとした、“研究所らしい仕事”!」
「……なんか、ごめんね」
マックスが苦笑いをする。
「人員は最小限でお願いします」
背後で、ココットが帳面をぱたん、と閉じた。
「派遣費がかさみますので」
マックスは頷いた。
「分かってる。リリちゃんと、僕と護衛のウィル。あと、コフクも。ビュートゥさんは留守番をお願いします」
ビュートゥが残念そうに眉を下げた。
「ふむ。象の話は気になりますが……後ほど詳しく教えてください」
アンドロメダが、するりと手を挙げた。
「私も良いかしら? その村、行ったことがあるの。村で情報を集めるわ」
マックスが了承すると、ココットもすごく渋い顔ながら承諾した。
アンドロメダはどこか遠い目をした。ほんの一瞬だけ。
そうして、私たちは急いで支度をし、早めの昼食を食べて、村人の男とともに出張所を出発した。
◇
村は、森に寄り添うように隣接する、石積みの家が並ぶ小さな集落だった。石の塀は古く、畑の端に壊れた柵の跡が生々しい。村人たちは皆、疲れた顔で行き来していた。
「この辺で、象が……暴れとるんです」
案内役の男が、説明していると、村人たちも集まってきた。
「夜になると、どしどしと地面が揺れて。木が折れて。誰も近寄れません」
「子供が怖がって、夜中に泣いて、私らもよく眠れんのです」
マックスさんが村人の話を一つ一つ聞く。
「この間はあの辺の、森の端の畑が荒らされました」
マックスが眉を寄せる。
「酷いですね」
男が村長たちを呼びに行くと、マックスが私たちの方を振り返った。
「リリちゃん、ウィル、僕たちも森へ行く前に、もう少し話を聞いておこう」
それから広場へ移り、村長たちから改めて状況を聞き取った。
元々象は森の奥でとても静かに暮らしていた。
象が暴れるようになったきっかけは、はっきりとは分からない。ただ、ある夜森の奥が突然ひどく騒がしくなり、その後からではという者もいる。
薪を取りに森へ入る者も減った。けれど村の人々は、象を討つつもりもない。昔から森の守り手でもあるから。
「……森へ行くなら、道だけ教えます」
案内役の男はそう言い、指を差した。
「石の目印を辿れば迷いません。ただ、奥へ行くのは危険かと……」
「奥へ行きます」
私はきっぱり言った。
「象に話を聞きます」
男はぽかんとして、声も出ない。
マックスが軽く笑う。
「魔獣研究所の、そういう特別な能力のある所員を連れてきたんです」
「さすが、魔獣研究所は違いますね!」
良く分からないが、村人たちも、納得してくれたようだった。
マックスが小さく咳払いをして、真面目な顔に戻った。
「では、我々は森へ行く。アンドロメダは村で情報を集めてくれ」
「ええ。任せて」
アンドロメダは柔らかく微笑んだ。
◇
私たちが森へ向かったのを見届けた、そのあと。
村人の一人が「ご案内します」と申し出ると、アンドロメダはにっこりと笑った。
「ちょっと、古い知り合いに会いに行くわ」
村人が「え?」と首を傾げる前に、アンドロメダはもう角を曲がっていた。
村の奥へ、古い石垣に沿って、細い道を迷いなく進む。左、右、また左。――まるで何度も来たことがある場所を歩くように。
やがて、岩に寄り添うように建つ小さな家の前に出た。白みがかった土色の石壁。低い屋根と小さな窓。窓辺に乾いた薬草の束が下がっている。
追ってきた村人が、腕を掴んで止めようとした。
「ここは……ミルナの家です! なかなか人前に出てこんので、行っても無駄です」
「……大丈夫よ」
アンドロメダは静かに笑って、その手をそっと外した。
「古い知り合いだから」
家の前に柵は無いが、敷地の境目に、目に見えない硬さを感じる。
(相変わらず、岩みたいに重い結界)
アンドロメダは門の前で立ち止まり、深く息を吸った。
そして、歌い始める。
大きくはないが、よく透り、のびやかに響く、柔らかい声。
短く、どこか懐かしい旋律。
――二節目に入る前に、こつ、と鳴って岩の結界が消え、石の扉がゆっくりと開いた。
小柄なおばさんが、驚いた顔をして立っていた。白い布を頭に巻き、土のついたエプロンをしている。頬は日焼けして、瞳だけが妙に澄んでいる。
「……アンちゃん?」
一言で、長い時間が一気に消える。
「ミルナ!」
アンドロメダがわっと飛びつき、ミルナはそれを受け止めた。体格差があるのにびくともしない。
「歌声は変わらないけど、大きくなったわねえ」
「……この国の食べ物が美味しくて」
アンドロメダは泣いているのか笑っているのか、顔を肩に埋めたまま、しばらく動かなかった。
「え、もしかして、アンドロメダさんですか? 流石ミルナさん、他は誰も分かりませんでしたよ。村のみんなにも教えないと!」
案内役も、やっと気付く。
「先に戻りますね。歓迎会の準備でもしておきます」
村人は、嬉しそうに駆け戻って行った。
短い笑い。でも、その笑いの底に、深く沈むものがある。
ミルナは、二人だけになると、低く言った。
「……あの日以来だね」
「ええ」
「ここに来た理由は……森の象でしょう」
アンドロメダは頷いた。
「それについて話すのはあとで。まずは、家に入って。……こんなに元気になって、良かった。魔力も、こんなに回復して……」
二人が家に入り扉を閉めると、岩の結界が、もう一度、こつ、と鳴った。




