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竜国の姫は、田舎で静かに暮らしたい  作者: コフク
第二章 竜になれなかった者――闇と竜の血

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第9話 闇の継承者(帝国視点)

重く沈んだ空気が、玉座の間を満たしていた。

黒曜石の床は磨かれすぎていて、そこに映る影すら、冷たい。


中央に立つのは皇帝。

その前に跪く第一皇子レオグリム。

そして、わずかに後ろに控える小柄な少年――第二皇子ディアグリム。

 玉座の上方、鎖のかかった梁には、一羽の巨大な黒い烏が止まっている。皇帝の人工烏、ディキオ。感情の無い目だけが、紫に濁って光を宿していた。瞬きもせず、ただ、見ている。


 重い沈黙を破ったのは、皇帝の声だった。

「――まだ、竜にはなれぬのか」

 皇帝の声は低く、石壁に吸い込まれ、さらに冷えて戻ってくる。

 レオは跪いたまま、拳を握りしめた。気を失いそうな程の圧力に、爪が掌に食い込む感覚が、かろうじて自分を保たせる。

「……方法を、探っています」

皇帝の背後で、鎖が微かに軋んだ。

ばさり。

羽音は小さいが、重い。

「探る?」

 紫の瞳が、刃のように細くなる。

「竜の血を引くというのに、まだ進まないか。……前の、竜の調査はどうした?」

「アグラールの国境近くの村に赤い竜が出た。その村に、竜の気配を持つ少女がいた。――以上の情報は得ました。しかし、どのように竜化するかの情報はまだ得られておりません。今は、次の機会を伺っています」

「次、次と、いつまでかかっている。竜化できないままか、闇の力を磨くのか、はっきりと期限を切って、結果を見せろ」

 レオは、返事をして頭を下げた。そのまま、顔を上げることができない。皇帝の闇の重圧が、身体に圧し掛かる。

 

 皇帝はゆっくりと、もう一人に視線を移した。

「ディア」

 鮮やかな紫色の髪の少年が、静かに一歩、前へ出る。

 まだ九歳だが、その瞳には子供の明るさはない。底の見えない紫色をしていた。

「お前はどうだ」

 ディアは答えず、目を閉じた。


 ――次の瞬間。

 窓外から、無数の黒い影が吸い込まれるように舞い込む

 カァ――ッ。

 カァアアアア――ッ。

 数十の黒烏の群れが、玉座の間の上空を渦巻く。

 一回り大きな烏を核に、闇の粒子が天井付近で集まり、絡まり合い、融合し、――一瞬だけ、巨大な黒い獣の輪郭を形作った。

 翼を持つ、牙を持つ、影の怪物。

クロウ・レギオン。

 まだ未完成ではあるが、確かに“集合体”だった。


 皇帝の口元が、わずかに上がる。

「……この年で、ここまで形にするか」

 ディアは息を整え、静かに言った。

「もっと、大きくできます。もっと、強く」

「そうだ。お前はできる」

 皇帝の声は満足を含む。そして、次の言葉は――ある意味残酷だった。

「竜に頼る必要はない。闇は、我らが力だ」

 その言葉と同時に、上空の影がゆっくりと羽を広げた。ディキオが、ぎぎぎ……、と微かに音をさせながら、首を傾ける。


 レオの指先が、わずかに震えた。

「兄上」

 ディアがレオを見上げる。紫の瞳は感情を見せない。悪意もない。 ただ純粋な疑問――それが、最も刺さる。

「兄上は……まだ、竜になれないのですか」

 レオは言葉を失った。


 皇帝は背を向け、吐き捨てるように言った。

「去れ。竜の力を得られぬなら、価値を示せ」

 玉座の間を出る足音は、二つ。


 長い廊下。冷たい回廊。レオは歩みを止めない。止めれば、折れる。

 別の足音が近づき、ふと視線を横にやる。遠くの回廊から歩み寄る、紫の髪の女がいた。レオの母――皇帝の妹。案じる目。それはいつも、余計に胸を締めつける。レオは、手で彼女を遮った。

 ディアは、二人から、視線を逸らした。

 見ない。

 見たくない。

 ――母を気遣われる兄の姿など、見たくない。

 歩く。

 歩く。

 そして誰もいない石の階段で、ディアは足を止めた。小さく息を吐く。

(……母などいなくても、強くなれる)

 表情を変えず、また一人、自室へと向かう。



 玉座の間を出たあと、レオは自室へ戻り、影である男に命じた。

「アグラールで、祭りがあると言ったな。今回は僕とウィンが行く。準備をしろ」

「はっ」

 竜の匂いのする人間がいるという、村。あの後、気付かれたのか、黒烏たちが気配を感じることができなくなった。

(……答えをよこせ。俺に、足りないものを)

 レオは視線を上げた。傍らには、母と彼に仕えるウィンクルムがとまって、様子を見守っている。鎖という名の、黒烏。彼の力を使えば、レオもある程度の黒烏の集合体を作ることはできる。けれど、皇帝の闇の力には、まだほど遠い。


 レオには竜の血と、闇の血が入っている。ディアは、闇の血が濃い。闇の力を追うのみでは恐らく、いずれディアにも、越えられるだろう。

(だからこそ、竜が必要だ。闇だけでは――俺は、皇帝にはなれない)

 アグラールへ行って、答えが得られる確証もないままの出発。まだ見えない答えを探して、もがき続ける……。



 石の廊下を抜け、ディアグリムは自室の扉を閉めた。重たい音。

 闇色の部屋。窓の外には帝都の黒い空。


 少年は、しばらく動かなかった。

 やがて、ゆっくりと頬を触る。

 濡れている。

 気づかなかった。

 袖で乱暴に拭う。

「……母は、僕を捨てた」

 父からは、そう教えられている。

 闇の国に合わず逃げた女。

 自分を置いていった女。

 弱い女。裏切り者。

 ――そう、何度も。


 けれど。

 ときどき胸の奥に浮かぶ、知らない旋律。

 誰かが優しく髪を撫でる感触。あれは何だ。


 窓辺に、先ほど皇帝の間で烏の核となっていた、ひときわ大きな影が舞い降りた。

 羽音は重い。

 年老いた烏。片目に傷がある。ディアが生まれて間もなくから、ついていてくれた個体。

 名は――コル。

「来てくれたのか」

 ディアはそっと指を伸ばす。

 コルは肩にとまり、低く鳴いた。

 カァ……。

 コルの頭に、自分の頭をそっと触れる。すると、ディアには、分かる。

 “今日は、皇帝に、褒められて、良かったな”

 “でも今日も、泣いたな”

 “まだ細い。もっと食べろ”

「……細い?」

 ディアが眉をひそめる。

「でも、父様も、絵姿の母様も細い。僕の両親は両方とも」

 コルは首を傾げ、もう一度鳴いた。

 “そんなことはない”

 ディアは、わずかに息を呑んだ。

 母の姿は、ちゃんと見たことがない。

 “絵姿”はある。帝国が持つ記録の中の女は――細く、冷えた目をしている。

 父である皇帝もほっそりとしているが、芯の強い女性だったと話していたことがある。

 でも――自分を捨てた母など、思い浮かべても何にもならない。

「……僕には、君たちがいる」

 少年の声は、少しだけ震えていた。

「血も、母も、関係ない。僕は闇だ。闇があれば、強くなれる」


 窓を開け、夜風が吹き込む。

 次の瞬間、コルが羽ばたき、無数の烏を集める。

 クロウ・レギオン。

 まだ歪だが、形は作れる。

「もっと強くなる」


 闇の魔力が渦を巻き、部屋の隅の灯りが一瞬、消えた。

 ディアは再び練習を始める。

 涙の痕を乾かすように、闇が渦を巻いた。



 帝国からは、遠く離れた森。出張所の裏を少し歩いた辺りで、アンドロメダはふと顔を上げた。

「……あら」

 闇の気配――それは、懐かしくて、胸を刺すもの。

 枝の上に、一羽の老いた烏が降りた。片目に傷。重い羽音。その存在感だけで、分かる。

「コル。……まだ、あの子のそばにいるのね」

 コルは低く鳴き、アンドロメダの出した腕に乗った。すると、断片的な像が、アンドロメダの脳裏をよぎる。

 ――冷たい玉座の間。

 ――紫の瞳。震える指先。

 ――ひとり、泣いている少年。

 そして、もうひとつ。

 ――“細い”という言葉。

「……細い、か」

 アンドロメダは、自分の頬に指先を当てて笑った。笑い方は軽い。けれど、目は笑っていない。

「帝国にいた頃の私は、確かに細かったわね。あの人たちも……きっと、その姿のまま覚えてる」

 コルが鳴く。

 “まだ細いと思っている”

 “皇帝も、皇子も”

「あら、困ったわ」

 アンドロメダは肩をすくめる。

「こっちに来てから、食べ物が美味しくて。……戻ったら驚くかしら。痩せられるかしらね」

 コルは、じっと彼女を見た。まるで、笑うべきか黙るべきか量っているように。


 アンドロメダは焚き火を見つめ、声を落とした。

「捨てたのではないのだけれど」

 小さく笑う。

「戻らないのは、事実ね」

 焚き火の火が揺れる。

「……でも、夜は終わらないわけじゃない。明日へ向かうための夜にもなれる」

 星の光が、闇の中で明るく輝く。

 コルは低く鳴いた。

 その音は、肯定にも、慰めにも聞こえた。


 アンドロメダは、ゆっくり息を吸う。

「もう少し、待っていて。きっと、会いに行くわ。

 ――その時は、もう逃げない」


 コルは静かに羽ばたき、夜へ消えた。

 森に残るのは、歌姫の沈黙と、星を映す闇だけ。


 そうして間もなく、また夜が明ける。


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