第五話
定番の硝石の生産ですが、あまり詳しくなくなんとなくで書いてみました。
突っ込みどころが多いと思います。。
天文9年(1540年)
冬普請が一段落したころ、蟹江の蔵裏で山伏衆の頭目・弁増と向かい合っていた。
彼は信濃山中を渡り歩いてきたというだけあって、
土地の草木や土質、獣の動きにまで詳しい男だった。
「若様、信濃の山には奇妙な“白い土”があるのです。
岩陰にこびりついたり、古い洞窟の端に溜まっていたり……火にくべると、ぼふっと白煙を噴く」
その言葉に、私は背筋が震えた。
(……硝石か?)
硝石は火薬の要。
いずれ来る“鉄砲の時代”には欠かせない。
興味を装いつつ、慎重に質問を重ねた。
「その白い土、どのようなところに多いのだ」
「馬や獣の糞や、枯れ葉の積もるところに……
山の雨水が染みると、じわじわ増えるようで」
(硝石丘法……!
山伏は知らずに、硝石生産の前段階を見ていたのだ)
胸の内で確信しながら、私は低い声で告げた。
「弁増、この話は決して外へ漏らすな。
そなたらの山の知を活かし、蟹江にも同じものを“育てて”ほしい」
弁増の目が細く細まる。
「……それは家中の秘としてですか」
「いずれ役に立つ。だが今は、私と父だけが知ればよい。
他言無用だ」
弁増は深く頭を垂れた。
「承知つかまつる。山伏の掟にかけて、外へは漏らしませぬ」
こうして密やかな硝石生産が、蟹江の裏山で静かに始まった。
その夜、父・秀政と祖父・秀教を前に、私は職人街と市の収支を並べた。
「漆器、染物、陶器、紬……
職人たちのおかげで、蟹江の収益は三割増えております」
祖父が目を細め、口元がほころぶ。
「まさか、これほどとはな……」
「特に菜種油は、東国で評判です。大山崎の油座を避けて、関東へ回すことで、
争わずに販路を広げられました」
父が感心したように頷いた。
「“西を避け、東を取る”。うまくいったようだな」
そこで私は、少しだけ声を落として付け加えた。
「収益が増えた今こそ、兵の装備と鍛冶場の強化を進めるべきです。
鉄の備蓄と合わせれば、いずれ必ず力になります」
祖父は黙っていたが、その沈黙は否定ではなかった。
「……そうだの。伊勢方面もきな臭い」
そう呟いた。
「その伊勢についてですが、父上、祖父上……
一向宗対策が必要かと存じます」
秀政が眉をひそめた。
「北伊勢の願証寺は力を持ちすぎている。
確かに尾張南部にも信徒が少なくない」
「はい。だからこそ、早めに手を入れるべきだと考えます」
「まずは人別帳を整理し、各村で誰がどの宗派に属しているかを把握します。
その上で、蟹江では“改宗”を勧めていくべきです」
祖父が扇を閉じ、低く問うた。
「反発は出ぬか?」
私は首を横に振った。
「冬の普請で、領民の信頼は高まっています。
“伊松はよくしてくれる”という気持ちがある今だからこそ、
反発は少のうございます」
秀政はしばらく考え、やがてゆっくりと頷いた。
「……やってみるだけの価値はある。これも国の守りよ」
天文10年(1541年)
蟹江の市が賑わいを増し、工房の煙が絶えぬ頃。
那古野では、織田信秀が静かに杯を置いた。
「……蟹江が妙に栄えておる。農具の質、工人の出入り、港の取引量……どれも尋常ではない」
家臣・林新五郎が膝を進める。
「はっ。左近将監様は領内をよく治めておられますゆえ。
とはいえ、近頃の発展ぶりは、実に目覚ましいものが……」
信秀は目を細めた。
「ただの領主の才覚だけで片づけられるものか。
調べよ。市の動き、商人の往来、農具の流れ、すべて洗い出すのだ」
「御意」
密かに放たれた織田家の探索は、数月のうちに蟹江の変化を詳らかにした。
・改良された鍬の圧倒的な効率
・菜種油の東国での評価
・陶器・紬織の生産増加
・冬普請による治水強化
・戸籍整理による村の把握
その報告に、信秀は静かに息を吐いた。
「……大したものよ。伊松を侮ってはならぬ。
あれは尾張の新しい形の“国造り”をしておる」
家臣たちはうなずく。
信秀は立ち上がり、机上の領内の地図を指でなぞった。
「いいか。蟹江のやり方は、我らが真似るに値する。
那古野でも鍛冶場を増やし、冬普請と村ごとの把握を進めよ。
農具は伊松から買い、技は盗まず、堂々と学べ」
家臣たちは驚いた。
「殿が……他家の施策を取り入れるなど」
信秀は鼻で笑った。
「勝つためなら、何でも使う。それが織田だ」
その言葉に、誰も反論できなかった。
一方その頃、蟹江の屋敷では、私は机に向かい、丁寧に筆を運んでいた。
《吉法師殿
先日の兵法書についての御質問、
わたくしなりに考えをまとめました──》
見守っていた母・琴子が微笑む。
「よいお友達をお持ちになりましたね、菊千代」
「はい。吉法師殿は……学ぶことにも、人を知ることにも熱心なお方です」
吉法師から届く手紙は、8つの子が書いたとは思えぬ鋭さを帯びていた。
《蟹江の様子をもっと知りたい。
なぜ市が活気づくのか。
鍬はどう作られているのか。
蟹江の者たちは、なぜ伊松家を慕っておるのか。》
《菊千代、他の領地では民の扱いが良いとは聞かぬ、
蟹江ではどのように民を扱っているのだ?》
菊千代は一つずつ丁寧に答えた。
時に図を添え、
時に絵を描き、
時には難しい話を子が理解できる言葉に変えて説明した。
月に何度も、六郎兵衛や商人衆が行き来する際に手紙を託し、
二人の文は絶えることがなかった。
そして――
那古野でも静かな変化が起こった。
平手政秀が吉法師を見て驚く。
「若……近頃、字が急に上達されましたな」
「学んでおるのだ、菊千代と。
あやつが送ってくる文は、何度も読み返す値打ちがある」
信秀は廊下の陰からその姿を見つめ、ふっと笑みを漏らした。
「よい刺激となっておるか……
ならば、伊松との縁は大切にせねばな」
吉法師は菊千代の文を胸に思い、握りしめた。
(いつか……一緒に戦えればよいが)




