第二十一話
天文23年(1554年)
信長が清州と鳴海を押さえ、尾張の内側を固めている最中だった。信長は清州に本拠を移し、鳴海には家老の佐久間信盛が入って支配を固め、城下の整備や関所の整理、兵の整理など余計な混乱が発生しないよう占め直している。知多半島へも信盛を取次として影響力を高めていると聞く。
そんな頃、蟹江の屋敷にも京からの使者が訪れた。
山科言継と飛鳥井雅教が下向してきたのである。
門前にて出迎えると、供の者たちは汗を浮かべながらも装束を崩さず、礼だけは端正だった。
言継は扇の骨を軽く鳴らし、私の顔をまじまじと見てから、涼しげな声で言った。
「左近将監、久しいの。京でもそなたの名は評判であるぞ。度重なる献金には帝もお喜びであった」
雅教は余計な賛辞を添えず、屋敷の様子や家中の者の装いを眺めているようだった。その視線には驚きが強かった。
歓待の宴を済ませ、夜が更け始めた頃、父・秀政と共に二人を奥へ通し、改めて話を聞く。
香の残りが薄く漂い、灯明の芯が小さく鳴る。
言継は盃を片手に、宴の余韻が抜けない様子だ。
「蟹江はますます繁栄しておるようだの。そなたらの働きは朝廷でも評判での、私も鼻が高い。以前と比べて山科の屋敷も新しくなり、客人を招くのも恥をかかずに済む」
「ふふ、権中納言様はまこと羨ましい限り。飛鳥井家は何とか屋敷を修繕してやりくりしておりますよ」
二人は酒に酔っている様子だが、公家というのは表面を取り繕うのは上手い。
父と目配せして、二人に応える。
「飛鳥井左衛門督様、飛鳥井家とは祖父の代から良くして頂いておりました。父・秀政と共に感謝の印として屋敷の修繕と諸々の費用をこちらで持たせていただければと存じます」
「何やら、強請ったようで悪いの。だが、ありがたくその申し出を受け入れることにしよう。よろしく頼む」
雅教は表面上は取り繕ったようだが、内心ウキウキといった様子だ。
せっかくなので、少し働いてもらうことにした。
「折角です。家中の者へ礼儀作法をお教えいただければ私としても幸いではありますが、もちろん、相応のお礼はいたしますとも」
そう伝えると笑みを浮かべながら雅教は承諾した。
すると、酔いが醒めたように言継は姿勢を整えて、発言する。
「左衛門督殿、よろしいかな。伊松左衛門佐、左近将監、本題じゃ」
雅教も真顔になり、姿勢を整える。
「桑名の地を治め、税を徴収し、朝廷を支えるよう宣旨が下された。これに従い迅速に桑名を支配下に収めるように」
父は一度頷き、私へ視線を寄越した。父からすでに”桑名を伊松家に”という話が出ていると聞かされていたため驚きはなかった。むしろ、来るべき話が来たという感覚だった。
「承ります。桑名を迅速に支配し、禁裏御料として税を納めることをここに誓い申す」
私がそう答えると、言継の目尻がほんのわずかに緩んだ。しかし、桑名を支配するということは、六角や北畠を刺激することになる。現時点では、伊松家単独では対処は難しい。
私がその名を出すと、雅教が扇を閉じ、落ち着いた口調で答える。
「そこは我らも責をもって両名を説得する。六角は三好と敵対しており対応する余力はない。北畠へも必ず承諾させる」
「そなたらには心苦しいが、桑名のみであれば、両者も大きく騒ぐことはないじゃろう」
二人はそう答えるが、折角の領地拡大の好機だ。二人の顔を立てつつ、こちらの手を入れる。
「承知いたしました。ただし、こちらからも文を用意いたします。桑名以外へは兵を動かさぬ旨、近年の蟹江侵攻への追討である旨、両者お抱え商人の桑名での扱いを優遇する旨を明記した文を当家の伊口勘助へ持たせますので、ご同行させて頂ければと」
細かなやり取りを終え、二人が寝所へと向かったあと、父はぽつりと零した。
「家祖・藤原秀惟公以来、伊松家は領地拡大のための戦をすることはなかったが、これも世の流れか」
「父上、われらも滅ぼされぬために大きくならねば、戦の世を生き延びるために桑名を取りましょうぞ」
出陣の準備が進むにつれ、領内の様子は慌ただしくなる。兵糧を乗せた荷駄が盛んに行きかい、矢束が積まれ、鉄砲方が火縄の湿りを嫌って乾いた布を重ねる。厩では馬の鼻息熱く、鎧櫃の金具が触れ合う音が、夜の静けさを細かく割った。
言継と雅教に同行させた勘助からも山伏衆を通じて進捗が知らされる。
六角義賢は三好とやり合っており、後方に余計な火種を抱えたくないのか交易と桑名のみを条件に承諾したようだ。北畠からの返事はまだないが、反応は悪くないようだ。
そして、出立の朝ーー私は屋敷を出る前に、志乃の部屋へ立ち寄った。
志乃は腹が少し目立ち始めていた。私との第二子を宿していた。だが、顔色はよく、いつものように髪を整え、浅い色の小袖の襟元をきちんと正している。無理に平静を保っているのがわかるのに口調は崩さない。その姿が余計に愛おしく感じる。
その傍らには、嫡男の菊千代がいた。数え六つとなり、まだ幼いが木刀を振ったり、学問に精を出したりと活発な子供だ。そんな菊千代だが、私の出立を察してか、いつもより口数少なく黙り込んでいる。
「ちちうえ、いくさにございますか」
菊千代が言った。声は細いのに、目が逸れない。力強い目をしている。
「そうだ。我が家は公家の血を引くが、武家だ。そなたも大きくなれば戦にでることになろう。なに心配するな。父の強さをお主に見せてやろう」
少しおどけて菊千代に答え、頭を撫でようとする。菊千代は一瞬だけ唇を噛み、ぐっと堪える顔をした。
なるほど、戦では人が死ぬとわかっているのか。私も死ぬかもしれぬと理解しているのか。
教育係の爺たちはよくやっているようだ。
志乃はそんな様子を見て息を吸い、菊千代の背中をさすりながら私の袖をそっとつかむ。
「あなた様、どうかご無事で」
言葉は短いが、指先の力が強い。私はその手に重ねるように、志乃の手を軽く握った。
「桑名だけだ。長引かせぬよ」
菊千代も真剣な顔で言う。
「ちちうえ、ごぶうんを」
その顔を見ると胸の奥が少しだけ熱くなる。
この子が家を継ぐ頃には、私は何を残せているだろうか。
屋敷から出陣し、港に立ち寄る。すでに水軍衆が準備を終えており、船頭たちは綱を確かめ、櫓の割り当てを叫び、甲板では弓手が弦を指で弾いて具合を見ている。今回の水軍は五百。桑名湊を押さえるための“鍵”だ。そこに、叔父・右馬助秀隆がいた。日に焼けた顔で、いつもの人懐こい笑みを浮かべながらも、目だけは戦人の目になっている。
「秀興、天候も潮目も悪くない。戦には持ってこいだな」
「叔父上、先に湊を押さえて頂きたい。船を逃がさぬように」
「承知した。と言いたいとこだが、長島がちと不安だな」
叔父は私の肩口の鎧紐を指先でつまみ、軽く引いた。
「そのために迅速に桑名一帯を押さえるよう進軍するつもりです。桑名を取ってしまえば、長島を半包囲できる。あとは政をもって信者を引きはがせれば無力化できます」
叔父はにやりとした。
「お主は相変わらずそういうのは上手いな」
叔父は背を向けて、水夫へ指示を飛ばす。
「舟は二手! 一手は湊を押さえろ、もう一手は川筋を塞げ! 余計な火は上げるな、だが逃げ道は残すな!」
私はその様子を見ながら、馬上から合図を送り、陸の四千五百の兵も動き出した。
侵攻は電撃に徹した。桑名三城――伊藤武左衛門の東城、樋口内蔵の西城、矢部右馬允の三崎城。互いに支え合う形で桑名と湊を押さえるが、同時に崩せば立て直しが利かない。
こちらは、事前に周囲を調べていた山伏衆の案内で道と刻を選び、守りの薄い場所を突いて押し込んだ。同時に六角と北畠の援軍は来ないことを喧伝し敵の士気を下げる。
持久戦に持ち込まれれば時間が生まれ、介入の隙を作る。だから、籠らせない。
要所を奪い偽報を用いて敵を引きずり出す。
叔父率いる水軍は早々に湊を押さえたようだ。一時的に船の出入りを禁じたが、商人たちの反発は少なく済んだ。2日のうちに3城は落城して桑名一帯は伊松家の支配下となった。
私は父と事前に決めていた手を打つ。軍勢を誇示して終わりではない。
蟹江から官吏を大量に派遣して桑名湊の把握に努める。また、下った伊藤や樋口、矢部の家臣たちの所領の安堵状を発行し、代わりに検地を行い領内の石高の把握にも努める。
今回の支配には、以前からの経験豊富な官吏以外にも領内の学び舎を卒えた者たち――文字が読め、算盤ができ、礼法と手続きの筋を知る若い官吏たちが活躍した。
彼らは領内の各村へ足を運び、桑名は伊松家の支配下にはいったこと、伊松家の統治の仕方を伝えていく。
商人には港湾の優先権や交易船使用権を交付する代わりに帳簿の提出を義務付ける。
曖昧だった商人からの税をしっかりと納めさせるために条件を飲ませる。
同時に、護岸と堤の普請を名目に砦と櫓を置く準備を進めた。長島と願証寺の動きを見張るためだ。冬季の給金普請で得た手応えは大きい。支配者が変わり不安そうにしていた領内は、米と銭を支払われる普請により落ち着いたようだ。働いたものが持ち帰るものがあれば、噂は悪くならない。
もちろん、反発は出た。旧国人衆の残党や、関所の整理による利権を失った一部の商人、国人が夜に火を放ち、役所の札を剥がし、手代を脅す。だが長引かせなかった。治安維持に軍を割き、動ける手足を潰し、首謀者をあぶり出す。規模が拡大すれば六角や北畠の口実になる。あくまで「治安の回復」として終わらせた。
桑名を支配下に置いてから10日ほど経った頃、六角や北畠から使者は来たが、こちらを攻めるよなものではなく今後ともよろしくといった感じだ。
山科言継と飛鳥井雅教はきちんと仕事を果たしたようだ。
無事交渉を終えた伊口勘助には褒美をしっかりと与えようと心に決める。
秋の収穫を終える頃、桑名領内は落ち着きを取り戻し、以前よりも動きが活発になった。
東城改め桑名城の本丸にて、政務を行っていた私も元に叔父が顔を出す。
「呼んだか、秀興」
筆を置いて顔を上げると、ちょうど秀隆が入ってきた。日の焼けた頬に疲れが残り、襟元にはまだ塩気が染みている。だが目は冴えていた。
「叔父上。.......桑名のことだ」
叔父は畳へ腰を下ろすより先に、部屋の隅に置いた地図へ目をやった。湊と城、そして木曽川筋。指が自然に動く。海と川の者の目だ。
「湊は押さえた。商人どもも、帳簿の提出で動きを縛った。国人衆もおとなしい。何か問題があったか」
「私はそろそろ蟹江に戻ろうと思います。桑名には城代を置いて任せようと思います。しかし、桑名を任せる者は商いに通じていなければなりません」
私が書付を差し出すと、叔父は目だけを落として、そこに書かれた自分の名を見た。次の瞬間、彼の口元がゆっくり歪む。
「……儂に、陸に上がれと申すか」
声は低い。冗談めかしているようで、芯は硬い。
私は視線を逸らさず答えた。
「叔父上にしか任せられぬ。桑名は湊が肝だ。交易を理解せぬ者ならすぐに商いは濁り、銭は逃げ、噂が立つ。六角も北畠もそれを口実にしよう」
叔父は鼻で笑った。
「そうと言っても、家中には商いに通じている者を多かろう。何も儂でなくても良かろう。それにな……秀興。儂の仕事は、船を動かすことだ。川を遡り、海を越え、潮と風の間で生きることだ。城代だの何だの、政務のような真似は肌に合わん」
「合わぬなら、合うように体制を整える。それに、桑名は長島が近い。木曽川や揖斐川沿いにいつ火が付くか分からぬ。石山の本願寺がこれをどう見ているか。叔父上ならば水軍と連携して長島に対処できよう」
叔父は黙った。拳が膝の上で軽く握られる。彼の中で、自由と責の綱引きが始まっているのが見えた。
私は畳に手をつき、少しだけ言葉を重くした。
「叔父上。これは“お願い”ではない。伊松家が伊勢へ伸びるなら、桑名が要になる。要を任せられるのは――叔父上だけだ」
その言い方が、彼の癇に触れたのか、叔父は笑った。だが、その笑いは荒くない。自嘲に近い。
「……儂だけだと? お前、うまく言うようになったな」
「事実だ」
「ふん」
叔父は立ち上がり、部屋の外へ一歩出そうとして、ふと止まった。振り返らずに言う。
「儂はな、海が好きだ。陸に縛られるのは好かん。だが――」
そこでようやくこちらを向く。目が真剣だった。
「儂が残れば、桑名は安泰か?」
私は即答した。
「安泰だ。叔父上が残れば領内は騒がぬ。伊松の一門が残るのだ」
「……なら、引き受ける」
私の胸の奥がほどける。だが、叔父はすぐに指を立てた。
「ただし条件がある」
「何だ」
「城代といっても、儂を帳場に縛りつけるな。書類仕事は好かん」
私は苦笑して答えた。
「承知した。叔父上の家族を呼び寄せられるよう屋敷を整えましょう。それと、たまには船に乗れるようにも取り計らいましょう」
叔父は鼻で笑い、踵を返した。襖の向こうから声が飛ぶ。
「おい、者ども! 桑名城の用心を改めるぞ。湊の番所の札を作り直せ。船頭の名寄せも今夜中だ。――勝手をした者は、明日から仕事を回さぬ!」
そんな叔父上の姿を眺めながら、私は蟹江に帰還した。




