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異聞・戦国奮闘記  作者: 峰ジスト


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第十二話

文芸:歴史カテゴリー日間1位にランクインしました。

読んでいただいている皆様のおかげです。

本当にありがとうございます。

天文18年(1549年)

年が明けて2月のころ、帰蝶の輿入れが行われた。

私も縁戚として参加したが、平手政秀による武三献の儀礼は見事なものだった。

遅滞やトラブルの発生もなく、事前に信長にも普段のうつけと陰口をたたかれるような恰好や所作はさせないよう指導したのも良かったのだろう。

相手方の随行役は長井隼人佐だった。後年、長良川の戦いで義龍側につき明智氏を滅ぼし、油の生産地である明智庄の代官になるため、数年は誼を通じておくのがいいだろうと軽く挨拶を交わす。

こちらは公家被官であり、勅旨により任官されているので、表面上は非常に丁寧にあいさつを受けた。


有名なエピソードである信長がうつけなら殺せと指示を受けた帰蝶と信長の会話が実際に交わされていたのか見てみたかったが、同席できるわけもないので、おとなしく帰る。

帰路の途中、少し遠回りとなるが、末森の信秀を見舞いに行こうと思い末森に寄った。

体調がよかったのか、末森周辺の政務の途中であり、少しして信秀の私室に通される。

身体は痩せており、以前より覇気も小さく感じるが、鋭い眼光は健在だった。

侍女の用意した湯呑を置きながら挨拶もそこそこに話しかけてくる。

「美濃の姫はどうだったか、秀興」


「綺麗な方でしたよ。少し挨拶を交わした程度ですが、所作も丁寧で信長殿の正室に相応しいかと」

と、簡単な印象を述べる。


「ふっ、あいつは儂に似て女好きだからな。きれいな嫁を貰って浮かれなければよいがな。

 美濃との縁組は清州にとって良い睨みとなろう。

 せいぜい寝首を掻かれないように気を付けろと伝えてくれ」

笑いそうになったが、表に出さないよう了承した。

談笑を終え、後日蟹江で評判の医者を寄越すと伝え蟹江に帰る。


屋敷に着くと志乃が出迎える。腹が大きくなってきたが、まだまだ動くのが億劫ではないようだ。

昨年に妊娠が発覚してからは、食事や軽い運動、身の回りを清潔にするように気を付けている。

婚姻から6年、子供は体への負担を考えて行為をしておらず、周囲にもその旨を伝えていたが、志乃にとって不安は無くならなかったようだ。一緒に体を動かしたり、貝合わせや簡単な歌合せなどを催し不安にさせないよう気を付けていたが、子ができると一層憑き物が落ちたように表情は柔らかくなった。

志乃の身体を労わりながら、話をする。

「今度、信長殿の室に文でも送ってみてはどうかな。

 母上にもお願いしてみるが、昨年まで戦をしていた美濃からの輿入れであり、不安も強かろう。

 そなたからの文があれば、家中での立場も固まりやすくなろう」


「そうですね、まずは婚姻の祝いの挨拶を出してみようと思います。

 畿内の情報や朝廷の事柄などお教えすれば、奥での立場も強くなることでしょう。

 義母上にしていただいたように私もしてみようと思います」

笑みを浮かべながらおなかをさする志乃を軽く抱きしめ礼を言う。


それから少し経った頃、父・秀政と、これからのことを話していた。


蟹江の発展は順調であった。

港には日ごとに新たな船が入り、年貢と関銭、交易からの収入は右肩上がり。

新田開発と治水の効果もあり、領内の生産力はすでに八万石を超え、港の収益を合わせれば十万石越えの力を備えつつあった。

反面、その豊かさは周辺の荒廃を映す鏡でもある。

三河や北伊勢から流れてくる流民は後を絶たず、その数は年々増加していた。


「蟹江ばかりが受け皿となれば、いずれは賄いきれなくなりましょう」

私がそう告げると、父は静かに頷いた。


「それゆえ、近頃は那古野への道を整えたのであろう。

 三河から来た者の一部は、信長殿の領内へ回すよう計らっておる。

 あちらも人手はいくらあっても困るまい」


流民の一部は、蟹江で改宗を済ませ、一時の仕事を得たのち、那古野へと移るようになっていた。

信長の領内にも、我らが伝えた農法や新式の農具が徐々に広まりつつある。

鍬や犂、石臼の改良は、蟹江のみならず那古野の周辺村にも行き渡り、信長の領民の間でも

「三郎様の治める地は、収穫が増えておる」という評判が生まれ始めていた。


鍛冶職人や漆工、染物師の何人かを那古野に派遣し、特産品の製法を分け与えたのも、

単なる恩義ではない。

尾張全体の富そのものを増やさねば、いずれ伊松も織田も、周囲の大国に呑み込まれる。


「津島・熱田の商人衆も、今のところ異論はないようです。

 那古野の市が大きくなれば、彼らにとっても新しい売り先が増えますから」

私の言葉に、父は茶碗を手に取り、ゆるく揺らした。


「津島は伊松、大橋、織田の三つ巴で育ててきた場所。

 熱田は古くからの社家と商人の地。

 あの者らが黙っているなら、まずは順調ということだろう」


窓の外では、夕陽が伊勢湾を赤く染めていた。潮の匂いがほんのりと部屋へ流れ込む。

私は一度息を整え、父の方へ向き直った。

「父上、これから信長殿はますます領地を広げましょう。

 それに従い、我が家の所領も増えることと存じます。

 先の話にはなりますが、円滑な領地経営のためには――

 “人”を育てておかねばなりません」


父の視線が、わずかに鋭くなった。

「人……か。家臣を増やすという話ではあるまいな」


「家臣だけでは足りませぬ。

 百姓の子、商人の子、寺子の生まれ……そうした者の中にも、

 算盤に長けた者、読み書きに優れた者、地形を見る目に秀でた者がいるはずです」


私は文机の脇に置かれた紙束を指でとんとんと叩いた。

「いずれ、信長殿の領地が尾張中へ、また周辺諸国へ広がれば、

 年貢の勘定も、検地も、兵糧の管理も、今までとは比べものにならぬほど煩瑣になりましょう。

 そのとき、武勇と血縁だけで人を選んでいては、治めきれませぬ」


父は黙って聞いていた。

「蟹江に、学び場を設けとうございます。

 寺を本とし、和尚方に経と書を教えていただく一方、

 我らが算術や度量衡、土地改めの術、兵站の基礎などを教えるのです。

 伊松家の嫡流、分家、譜代の子弟、商人の次男坊あたりまでを選び、

 十年先、二十年先に“政を支える者”を育てる場として」


父は、茶碗を口に運びかけた手を止めた。

「……寺子屋のようなものか」


「はい。ただの読み書きの場ではなく、“政所の倉”となる人材を出す場です。

 いずれ那古野にも同じものを設け、信長殿の家中からも子弟を送り込んでいただければ、

 尾張全体で同じ物差しを使えるようになるでしょう」


そこまで言うと、父は小さく笑った。

「先を見すぎるのではないか、秀興。

 十年、二十年先のことなど、乱世ではどう転ぶか分からぬ」


「だからこそ、先に手を打つべきかと」


少し熱のこもった声になったのを自覚し、私は言葉を選び直した。

「……一向一揆の件も、早くから寺社との関係を改めたからこそ、今は落ち着いております。

 あのときに放置しておれば、今ごろは長島の火の粉が、この蟹江にも降りかかっていたはずです」


父の目が、わずかに細まった。

「なるほどな」


その表情は、私が幼いころ、初めて水田の輪作を提案したときとよく似ていた。

「山科家との縁を使おう。

 京にはまだ、学問を捨てぬ僧も公家もいる。

 幸いこちらと縁も結びたい公家は多いでな。

 幾人か、蟹江へ呼び、縁ある寺に住まわせて“学びの場”を開かせることもできよう」


父はそこで少し口をつぐみ、静かに付け加えた。

「ただし、あまり表立ってやれば、周囲から“何を企んでおる”と見られる。

 最初は伊松家中の若者を中心にし、商人衆の子は少しずつ、だな」


「承知いたしました」


私が深く頭を下げると、父はようやく茶を口に含み、喉を鳴らした。

「……信長殿には、いずれ話しておけ。こういう話が嫌いではあるまい。

 兵が動くことばかりではなく、“人が育つ”ことの重さも分かる男だ」


窓の外を見ると、港の方角の空が茜に染まり始めていた。

伊勢湾の向こうには、三河、遠江、駿河、さらには畿内へと続く道がある。


(人を育てるということは、盤石な体制を築く助けになろう。

 信長殿が尾張を取るならば――その地を支える手を、こちらで用意しておこう)


潮の匂いを含んだ風が障子の隙間から流れ込み、薄く揺れた蝋燭の火が、父の横顔を赤く照らした。


父との話を終えた後日、山伏衆の頭・弁僧を呼び出した。

弁僧はいつものように、旅装のまま膝をついた。粗い麻の衣に、使い込まれた錫杖。

しかし、その瞳の奥には山中を駆け回って培われた鋭さが宿っている。

「若様、ただいま参りました」


「急に呼び立ててすまぬ、弁僧。少し、先の話をしたい」

私は、先ほど父に語った“学び場”の構想を、そのまま弁僧へ語って聞かせた。

農政、算術、戦における兵站、文書の扱い。

これから先の世を支えるには、武勇だけでは足りぬということを。


弁僧は黙って聞き、やがて深く頷いた。

「領内や周辺諸国の諜報に土地の目利きなど人手は足りておりませぬ。

 縁のある山門からあぶれたものを取り込んでおりますが、

 ただ、足りぬのは“手足”だけではなく、“頭”でございましょうな」


「そういうことだ」


私はうなずき、声を少し落とした。

「この学び場には、伊松家の若者だけでなく、

 商人の次男坊や、寺子の縁者、槍働きの子らも入れようと思う。

 山伏衆にも目を配り、適性のありそうな者は勧誘し、次代の山伏衆として育ててほしい」


弁僧は目を細めた。

「山伏の数を増やすことにも、なるわけですな」


「無論だ。山伏衆は、ただの斥候ではない。

 地形を読む目、天候を読む勘、情報を精査する力……

 それを、次代に繋いでいく必要がある」


弁僧はしばし沈黙したのち、静かに笑った。

「承りました。

 この弁僧、若様のご方針に沿うよう次代の教育にも力を入れましょう

 さっそく派遣するものを選びとうございます」


「頼んだ」


そう告げたとき、窓の外で風が木々を揺らした。

伊勢湾から吹き上がる風は、山の匂いと混じり、部屋に入り込んでくる。

弁僧が引き下がると、今度は寺社への手配に取り掛かった。


蟹江一帯の主だった寺――

ことさらに一向宗色の濃くない寺を選び、住持や僧正を一人ひとり城へ招いた。

改宗に応じ、近年信徒数を増やしている寺も多い。

その者たちは、伊松家との結びつきを深めたがっていた。

広間に僧たちが並ぶと、薄く香が焚かれた。

私は一座を見回し、口を開いた。

「諸寺には、これまで治水工事や流民の受け入れ、

 改宗の折の取りなしなど、多くの助力をいただいている。

 蟹江がこのように落ち着いておるのも、諸卿の働きあってのこと。

 まずはその礼を申したい」


僧たちは一斉に頭を垂れた。

私は続けて、本題を切り出した。

「このたび、蟹江に“学びの場”を設ける。

 寺を基とし、読み書きと経だけでなく、

 算盤、土地の見方、兵糧の扱いなども教える所としたい」


年配の僧が、袂を正しながら問い返す。

「それは……寺子屋のようなものでございましょうか」


「それに似てはいるが、少し違う。

 いずれ尾張全体で領地が増えたときに、“政を支える人材”を育てる場だ。

 伊松家の家中はもとより、那古野の者も、いずれここを頼ることになろう」


僧らの間に、わずかな囁きが走る。

私は間を置き、懐から一通の書状を取り出した。

「そのため、教育に用いる米や銭について、

 従来よりも幾らか増額しようと考えている。

 寺にとっても、学び場に通う子らの出入りが増えれば、

 信徒の結びつきは強まるであろう」


信徒を失い、一向宗本願寺派からの改宗を受け入れた寺ほど、

この提案に敏感に反応した。

一人が口を開けば、二人、三人と賛同が続く。

「若様のお考え、誠に意義深きもの。

 この寺の地を、学びの場としてお使いいただければ本望にございます」


「経と書の教えは、我らも疎かには致しませぬ。

 若い者を何人か選び、学び役として鍛え直す所存」


顔ぶれの中には、どこか安堵の色を浮かべる者もいた。

改宗後の立場に不安を抱いていた寺にとって、

“学問の寺”としての役割を与えられることは、

新たな拠り所となるのだ。

「では、寺ごとにどの程度の子弟を受け入れられるか、

 後日、弁僧や代官を通じて聞き取らせる。

 学び場で出た優秀な者は、寺の側で取り立てても構わぬ。

 伊松家としても、そのような者が増えるのは望むところだ」


僧たちの顔に、目に見えて光が差した。


寺への話がまとまりつつある中、私は、社家への働きかけにも着手した。

蟹江周辺の社は、古くから土地の守り神として信仰を集めている。

津島や熱田のような勢いはないが、一向宗の影響が薄まった今、

社勢を立て直したいと願う社家も少なくない。

私は社家の長を招き、その場で一つの提案を告げた。


「神前に供える御神酒について、

 少しばかり、新しい造り方を教えたい」


「新しい……造り方、でございますか」


戸惑う社家に、私は言葉を選びながら続けた。

「これまでの御神酒は、米を醸した清酒が主であろう。

 そこに、火と器をうまく使い、

 “香りと力を濃くした酒”を造ることができる」


前世で耳にした蒸留の仕組みを、この世界の言葉へと置き換えながら、

私は簡単な図を描き、説明していった。

湯気を冷やして集めること、そのための器と管の工夫、火加減の要諦――

すべてを一度に伝えても理解しきれぬから、

まずは最初の手順だけを社家へ任せ、

実際の造りは伊松家の監督のもとで進める算段だ。

「これを“神御下酒”として、祭礼や特別な日のみに供える。

 旧来の酒とは別物として扱えば、新たな信仰の形にもなるだろう」


社家の長はしばし黙考し、やがて深く頷いた。

「若様の御考え、実に面白うございます。

 ただ、あまり奇異に過ぎれば、古き者どもが眉をひそめましょう。

 まずは一社にて試み、評判を見てから他社に広げるのがよろしいやもしれませぬ」


「その通りだ。一度に広げる気はない。

 まずは蟹江の社から始め、評判と様子を見ながら、他の社にも“御下酒”として伝えていこう

 朝廷にも山科家を通じて献上するつもりだ。 

 お墨付きを得ればやりやすかろう」


古くからのしきたりを重んじる社家に、新たな酒の造り方を教えるのは容易ではない。

しかし、“神に供える特別な酒”として位置づけることで、

それは異端ではなく“格の高い御神酒”となる。

領内にも広まれば、社の収入源にもなり、税収もあがるだろう。


学び場の設置、山伏衆の育成、寺の役割の再定義、

そして社における新たな神酒の導入。


ひとつひとつは小さな変化に過ぎぬ。

だが、積み重ねれば、いずれ蟹江という地は、

ただの港町ではなく、“人と知と信仰”が集う場へと変わっていく。


(戦だけが力ではない。

 人を育て、地を育て、信を整えることこそ、

 長く続く力となる)


障子の向こうで、海鳴りが遠く響いていた。

その音を聞きながら、私は頭の中で、十年先、二十年先の蟹江と尾張の姿を、静かに思い描いていた。

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