表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/7

第三話 聖女の涙

夜が明ける。

 神聖院の崩れた屋根から光が差し込み、灰の中に漂う粉塵を白く染めていた。

 静寂。破壊の直後に訪れる、不気味な静けさ。

 ノア=ヴェルグレインは瓦礫の中に立ち、剣を杖のように突き立てた。足元には、血と灰が入り混じった泥が広がっている。


 ヴァルドラス――教導院長であり、勇者を操った男は斃れた。

 だが、あの最期の言葉が頭から離れない。


> 「……神の意志は、次代へ……加護は継承される……」




 加護は継承される。

 つまり、“次の勇者”がもう存在している。

 あるいは、それ以上に――神が、まだこの国を支配している。


 ノアは拳を握りしめた。血が滲んでも、痛みを感じない。

 その時だった。崩れた壁の向こうから、かすかな声がした。


「……う、うぅ……」


 泣き声。

 ノアは慎重に瓦礫をどけた。現れたのは、小さな少女だった。

 年の頃は十にも満たないだろう。白い神官服の裾は破れ、煤に汚れている。

 膝を抱えてうずくまるその姿は、どこか懐かしいものを感じさせた。


「……大丈夫か?」

 ノアの声に、少女はビクリと身体を震わせる。

 怯えた瞳。けれど、その色を見た瞬間、ノアは息を飲んだ。

 ――青い瞳。あの、セリアと同じ色をしていた。


「あなた……魔族なの?」

 唐突な問いだった。

「どうしてそう思う?」

 少女は涙を拭いながら、少しだけ微笑んだ。

「匂いがする。……勇者様が言ってた、“優しい匂い”」


 ノアの胸に痛みが走った。

 勇者――セリア。

 その名を、今この国の誰もが“禁句”のように扱っているというのに、この子は恐れずに口にする。


「君は……勇者を知っているのか」

「はい。わたし、勇者様のお世話をしていたんです。神聖院で」


 少女は、震える手で胸の十字飾りを握りしめた。

 「勇者様は……とても優しかった。笑ってくれて、食事のときもわたしと話してくれて。

 でも、ある日を境に、突然泣かなくなって……声も、表情も、何も……」


 ノアは膝を折り、少女と目線を合わせる。

「……何があったか、教えてくれ」


 少女は唇を噛み、やがて口を開いた。

 「勇者様は、“神聖術式”を埋め込まれたんです。

 『女神の加護』って呼ばれてましたけど……実際は、“操るための呪い”でした」


 その言葉に、ノアの中で何かが軋む音がした。

 怒りでも悲しみでもない、もっと冷たい何か。

 脳裏に蘇るのは、あの日のセリアの笑顔。空洞のように静かな、無理に作られた笑み。


「勇者様は何度も拒もうとしていました。

 でも、身体が勝手に動くんです……! 剣を握る手が、涙を流しても止まらない。

 “神の声”が聞こえるたびに、痛そうに頭を抱えて……」


 少女は泣き崩れた。

 ノアは拳を握ったまま、その姿を見つめるしかなかった。

 それが、セリアの真実。

 神の“加護”とは、神の“支配”だったのだ。


「君の名前は?」

「……ティア、です」

「ティア。どうして君が助かった?」

 少女は小さく首を振る。

 「わかりません。でも、勇者様が言ってました。

 『もし、わたしがいなくなったら――代わりに伝えて』って」


 ティアは胸元の鎖を外した。そこには銀のペンダント。

 中央に嵌められた赤い宝石が、微かに光を放つ。

 ノアがそれに触れた瞬間、空気が震えた。


 ――声が、響いた。


> 『……ノア……ごめんね……でも、これで終わりじゃない……

 “彼女”が動き出す前に、止めて……お願い……』




 声は弱く、途切れ途切れだった。

 けれど、それは紛れもなくセリアの声だった。


「“彼女”……?」

 ノアが問うと、ティアは震えながら答えた。

 「最近、聖都で“聖女”と呼ばれる人が現れたんです。

 神の声を聞くことができるって……でも、その聖女様、いつも泣いてるんです。

 何もないのに、涙を流して……まるで、誰かの悲しみを代わりに受けてるみたいに」


 ノアの胸に、寒気が走った。

 勇者の加護――いや、神聖術式。

 それが、聖女という名で再び使われている。


「……ヴァルドニアは、まだ続けるのか。

 罪を、同じ方法で繰り返すのか」


 ノアの声は低く沈んだ。

 ティアは涙を拭い、震える声で言う。

 「勇者様は……あなたのことを話してました。

 『ノアは誰かを守るために剣を振るう子だ』って」


 その言葉に、ノアは思わず目を閉じた。

 脳裏に浮かぶのは、あの穏やかな笑顔。


> 「君なら、世界を変えられるよ」

 あの時、確かにそう言ってくれた。




「……ありがとう、ティア」

 ノアはゆっくりと立ち上がり、瓦礫の外を見つめた。

 遠く、光の塔が見える。聖女が祈るという塔。

 そこに、すべての始まりと終わりがある。


「ここに隠れていろ。ボクは“聖女”に会いに行く」

 ティアはノアの手を握る。

 「気をつけてください……ノア様。あの塔には、“神”がいます」

 「……構わない。ボクはもう、祈りを捨てた。

 神だろうと何だろうと、彼女を奪ったものを、許さない」


◇◆◇


 夜。聖都の中心、光の塔――聖女院。

 月光を受けて輝くその塔は、まるで神の指のように空を突いていた。

 塔の頂には、ひとりの少女が立っている。

 白金の髪、純白の衣。だが、その頬には乾かぬ涙の跡。


「……彼が、来る」


 少女――聖女リゼルは静かに呟く。

 風が彼女の髪を揺らし、瞳に宿る青が月光を映す。

 その瞳は、どこかセリアに似ていた。

 リゼルは胸に手を当て、微笑む。


 > 「主神レオルナよ……これが“御心”ならば、どうか、導いて」


 祈りの声が塔の中に響く。だが、その祈りの奥底に、ほんの一瞬だけ――

 “恐れ”と“悲しみ”が滲んだ。


 リゼルの耳に、誰かの声が囁いた。

 > 「リゼル……守って。もう、誰も……」

 それは、確かにセリアの声だった。


 少女は涙を流す。

 聖女の涙が、光となって床に落ちた。

 その光が、遠く離れた場所――瓦礫の中で眠るティアの頬を照らす。

 まるで、ふたつの祈りが繋がっているかのように。


◇◆◇


 夜風が吹く。

 ノアは塔を見上げ、深く息を吸った。

 「待っていろ……今度こそ、君を解き放つ」


 剣が微かに光を帯びる。

 それは怒りの炎ではなく、悲しみが形を変えたもの。

 復讐の夜は、まだ始まったばかりだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ