4.道徳
『このクラスの岩通百夜さんが亡くなりました。皆さん、黙祷を捧げましょう』
翌日。朝の会は、沈黙のまま終了した。
今回は「殺害」という言葉が出なかったことに、暁也はほっとした。
ありないことだとは思うが、殺人が連鎖したらどうしよう、などと恐怖していた。
そうだ、そんなことはありえない。そんな非日常は、起こらない。
そう自分を納得させ、暁也はいつも通りに授業を受けた。
電脳空間の学校はいつも通り、暁也のクラスも普段通り。
異変が起こったのは、道徳の授業だった。
『では本日は、グループに分かれて、昨日の事件について自由に話し合ってみましょう』
瞬間、多くのアバターがフリーズした。無理もない。
昨日は多くの生徒がカウンセリングを受けたはずだ。各家庭でも、ショッキングな話題に、なるべく触れないようにしているだろう。
それを授業で扱うなど。生徒のトラウマになりかねない。
けれど、その疑問を口に出す者はいない。いや、リアルでは口にしているのかもしれないが、少なくとも画面上には反映されていない。
戸惑いはあるものの、AIに逆らう者はいない。クラスメイトたちは、担任の指示通りに、五人一組の四グループに分かれた。
暁也のグループは、春夏冬秀秋、五百旗頭百葉、鵲翔真、古龍風凛というメンバーだった。男女混合、名前の順だろう。
『さあ、それでは、皆さん。話し合いを始めてください』
ぱん、と手を叩くSEが鳴って、教室がどよめいた。
その違和感に気づかぬまま、百葉がおそるおそる挙手をした。
『なんでもいいと言われても、どんなことを話せばいいんでしょうか?』
『どんなことでもいいんですよ。祭ノ宮美鈴さんの死因でも、岩通百夜さんが犯人となった理由でも、お二人に関する思い出でも』
動揺を隠せないまま、クラスメイトたちは話し合いを始める。
暁也のグループで口火を切ったのは、翔真だった。
『なーんか、昨日から変だよな。五年生になったらこんな授業があるって言ってたっけ?』
『普通はないだろ。祭ノ宮美鈴の件があったから、急遽授業に組み込んだんじゃないか。それにしても、異様だとは思うけど』
答えた秀秋に、百葉が震える声で発言する。
『あたし、やだな……。知ってる人が死んじゃうなんて、初めてだもん。あんまり思い出したくないっていうか……』
『我慢しろよ。授業なんだから、意味があるんだろ。AIが言うんだから、仕方ねーじゃん』
苛立ったような翔真の言葉に、風凛が口を挟む。
『何か、変よね?』
『だから、さっきから変だって話してるだろ』
『そうじゃなくて。鵲くんの今の発言、そのまま通ったの、おかしくない?』
『は?』
『それに、ちょっと他の会話を見てみなさいよ』
発言は音声でも聞こえるが、画面上にも表示され、直近のものならログも閲覧できる。
他のグループの会話も閲覧することができるが、その内容は、些か普段よりも不穏だった。
『クラスで殺人なんてちょっとおもしろい、とか。こんな発言、AIが許容するはずないわよ。なんで通ってるの?』
『確かに。変だな。検閲されてない?』
訝しんだ秀秋が、暁也に話を振る。
『生方くん。黙ったままだけど、フリーズしてる?』
「いや。僕も、変だと思って、教室の様子を見てた」
暁也もまた、会話ログをスクロールしていた。
授業の始め、担任が手を叩いた後。教室がどよめいた。
意味のない音を、通常拾わない。どよめきが起こったということは、あの瞬間、AIによる会話の制御がなくなったのだ。
だから通常なら検閲されるAIに反発的な発言や、暴力的な発言もそのまま通っている。
「会話の制御、なくなってるよね」
『やっぱり、そうだよね』
暁也の言葉に、秀秋が同意する。けれど、翔真は呆れたように否定した。
『それはありえねーだろ。学校での会話は全部AIが校閲するって決まってんだから』
『でも実際、普段ならNG判定が出る発言も通ってるわ』
反発した風凛に、かちんときた翔真が、バカにしたように口にする。
『へえ、ならどこまで言えるか試してみようぜ。バカ、アホ、マヌケ』
『低俗な中傷ね。その程度の語彙しかないの? 脳みそにおがくずでも詰まってるんじゃないかしら』
『てーぞくってなんだよ!』
否定された経験などない翔真が、怒ったように声を荒げた。
それに怯えて、ついに百葉が泣き出した。
『翔真くん、なんでそんなこと言うの? そういう言葉はダメだって、ずっとAIに教わってきたじゃん。今までずっと、誰も怒ったり、喧嘩したりなんて、なかったのに。急にどうしたの? もう、わけわかんないよ』
翔真も、根は悪い奴ではないのだろう。泣き出した百葉に、大人しく口を閉ざした。
今までの会話は全てAIが校閲していた。生の言葉を交わしたことなどない。
だいたいの性格は把握していても、実のところ、クラスメイトがどんな人間であるかなど、誰もわかっていなかったのだ。綺麗に整えられた姿しか、知らないのだから。アバターの姿とて、リアルの姿に基づいているとは限らない。
暁也は再び、会話ログをチェックした。小さな喧嘩が、あちこちで起こっているようだった。
議論の練習はしたことがある。けれど、それらの発言は全てAIの手が加わっていた。
誰かの発言を否定したりはしない。否定された経験がない。だから強い反発心を覚える。そしてその気持ちを正しく伝える術も、まだ身に付いていない。だから、相手を傷つけることが目的となった言葉が出てくる。
そうなれば、喧嘩になるのは必然だった。
AI教育の成果なのか、派手な喧嘩は起こっていない。それでも、確実に空気が悪くなっているのがわかった。
「今年から新しく取り入れられたカリキュラム……とか?」
『それなら事前通達があるはずだ。可能性は著しく低いけど、AIの不具合……って方がまだ納得できるね』
秀秋の言葉に、確かに、と暁也は頷いた。
けれど、学校のAIに不具合など、一大事だ。即座に修正が入りそうなものだが。
この不具合は、暁也のクラスだけに起きているのかもしれない。
だとしたら、クラスメイトの誰かが親に申告するまで、気づかれないのではないか。
「道徳が終わったら、昼休憩だし。その時に、ちょっと親に相談してみるよ」
『そうだね、それが良さそう』
暁也たちのグループは、事件に関する話題は避けて、無難な会話を続けて時間を潰した。
他のグループは、不安を零しあったり、中には少々険悪になっているところもあった。
この道徳の時間がその後の明暗を分けるとは、その時、誰も思っていなかった。
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「おかーさーん」
昼食の時間。暁也が二階の自分の部屋から一階のリビングに降りると、母親が昼食をテーブルに並べていた。
暁也の食事を用意するために、母親の休憩時間は暁也の昼休憩と合わせているようだった。
「あのさ。担任のAIが、ちょっとおかしくて」
「おかしい? どういう風に?」
「んー……なんか、授業中、いきなり会話のチェックがなくなって。言ったことがそのまま通るようになったんだよね」
「ええ!? そんなことあるの!?」
「僕も初めて。だから、ちょっと問い合わせてほしくて」
「わかった。確認しておくわね」
暁也が昼食を食べている間に母親は問合せを済ませたようで、暁也に報告してきた。
「聞いてみたけど、特に不具合は検出されなかったって。念のためリカバリもかけてくれるらしいけど」
「そっか、ありがとう」
不具合ではない。だとしたら、まさか本当に、新しいカリキュラムの一環なのだろうか。
何にせよ、暁也は事態を報告した。対処するとの返答もあった。これ以上、できることはない。
しかしその判断は間違っていた。
事が起こったのは昼食後。昼休憩のレクリエーション中だった。




