2.空虚な殺人事件
『このクラスの祭ノ宮美鈴さんが殺害されました』
「――――……は?」
ある日の授業前、朝の会。
担任のAIが発した言葉が、暁也には理解できなかった。
殺害。久しく聞かなかった言葉に、それが何を意味するのかさえ、暫くわからなかった。
祭ノ宮美鈴の席には、彼女のアバターの姿はなく、机の上に花瓶のオブジェクトが置かれていた。
暁也は混乱しきりだったが、他のクラスメイトたちがどう思っているのかはわからなかった。発言は全てAIを通す。教室が無秩序にざわつく、ということはありえない。雑音は授業妨害になるため、意味のない言葉をAIは拾わない。
ただ、大半のアバターがフリーズしていた。発言や行動が制限されている間は、アバターがフリーズする。行動指示を送っているのに、AIがそのコマンドを却下している状態だからだ。その様子から、クラスメイトたちも混乱していると推察できた。
その混乱を無視して、再び担任が発言する。
『犯人はこのクラスの中にいます』
「まさか、ありえない」
暁也が呟いた言葉は、検閲NGとして、画面上には表示されなかった。
――ありえない。殺人など、起こるはずがない。
ここは電脳空間だ。本当に祭ノ宮美鈴が殺されたのだとしたら、犯人は彼女に直接接触したことになる。しかし、未成年は特定の事例を除いて、直接生身の人間に会うことができない。
デバイスで各個人が管理されている現在、カメラの死角などは存在しない。デバイスを外すことはそれ自体が重罪だ。犯人が判明していない、ということもありえない。
訝しんで、はたと気づく。これはもしや、何かの授業なのだろうか。
ロールプレイを取り入れた授業は数多くある。テーマが物騒ではあるが、思考実験か何かなのかもしれない、と暁也は推察した。
驚いて損をした、と体の力を抜く。
殺人事件が全くのゼロになったわけではない。捕まることを承知で犯行に及ぶ者、電気ショックを避けるために暴力行為をせずに工夫で殺害する者、バイタルに全く影響を出さずに犯罪が行える者など、さまざまな人種がいる。それでも、それらはAI教育が行われる前の世代の話だ。その中でも、限られた特殊な人間がやることだ。
AI教育は、そもそも犯罪者を生み出さないためにある。犯罪者にありがちなバックボーンは、AI教育世代には存在しない。虐待も、孤独も、イジメも、貧しさもない。罪を犯すメリットがないのだ。
だから殺人などという非日常は、ほとんど起こらないと言って良い。ましてや、小学校のクラスで起こるなど。つまりこれは、設定された演劇だ。
『皆さんで、犯人を考えてみましょう』
ほら、と暁也は内心で呟いた。
子どもが触れて良いフィクションは検閲が厳しく、限られてはいるものの、ミステリーというジャンルは健在だ。いささか過激ではあるが、これは推理ゲームなのだろう。クラスメイトが殺害された、などという炎上しそうな設定は不思議だったが、AIがやることに間違いはない。
AIは絶対だ。AI教育世代にとって、その認識は揺るがなかった。
親よりもAIの言うことが優先されるのだ。これは保護者によって子どもの価値観が歪められるのを防ぐためで、どんな小さな疑問も、これまで親が行ってきた教育も、全てAIが担う。
親が行うのは子どもを養育することで、生活環境を整えること、惜しみない愛情を与えることなどだ。これらが満足に行えない場合は、子どもを取り上げられる。
教育に関しては、全てAIが指示をする。日常生活の危険だったり、健康管理ですら、個々のデバイスを通じてAIが行うのだ。
だから誰もAIの言うことに疑問は持たない。担任が指示したことによって、アバターのフリーズも解け、生徒の一人が挙手をする。
『先生、ヒントはないんですか?』
『ありますよ。そうですね、シチュエーションパズルの形式でいきましょう。個人名を出すのは、最後の回答だけにしましょうね』
シチュエーションパズル。「ウミガメのスープ」に代表される、水平思考ゲームだ。
プレイヤーは出題者に「YES/NO」で答えられる質問を投げかけ、出題者はそれに「YES/NO」で答える。そうして答えに辿り着く、というゲームだ。
今回は、生徒たちが担任のAIに質問することになる。ゲームだとわかったので、生徒たちが次々に発言する。
『犯人は男ですか?』
『いいえ』
『原因はイジメですか?』
『いいえ』
『本当は自殺ですか?』
『いいえ』
なかなかYESが出ない。クラスメイトたちの質問を、暁也はぼんやり見ていた。
このゲームの意図はなんだろう。手掛かりがなんら残されていないのに、シチュエーションパズルで推理することに意味はあるんだろうか。
個人名を出さないとはいえ、例えば最初の性別のように、属性で絞っていけば回答に辿り着くのは容易い。死因は? 動機は? 犯人さえ判明すれば、それでいいのだろうか。
『はい、そろそろ質問はお終いにしましょう。では皆さん、回答を提出してください』
暁也が発言しないまま、質問タイムは終わってしまった。
生徒たちはそれぞれ、非公開で回答を担任に提出する。暁也も慌てて適当なクラスメイトの名前を書いた。
AIは回答を一瞬で読み取り、結論を出した。
『全員提出しましたね。ありがとうございます。それでは、回答を発表します』
暁也もなんとなくどきどきして、回答を待つ。当たっているなどとは、微塵も思っていないが。
もったいぶった担任が、ぱんと手を叩くSEを鳴らした。
『犯人は、岩通百夜さんでした!』
やっぱり外れたな、と暁也は息を吐いた。岩通百夜を特定できるような質問はほとんどなかったと思われたが、何人かが「当たった」と発言していた。
当の岩通百夜本人は、黙ったままだった。アバターがフリーズしていたので、もしかしたらリアルでは発言しているものの、すべてNG判定をくらって教室では発言できていないのかもしれない。
『先生、どうして岩通さんが犯人なんですか?』
当然解説があるものと、一人の生徒が発言した。
それに、担任は笑顔を作って答えた。
『それは、岩通百夜さんの回答が一番多かったからです』
「え?」
暁也は思わず声を漏らした。
投票制? そんな馬鹿な。それは推理とは言えない。ゲームになっていない。
クラスメイトたちも同じことを思ったのか、多くのアバターがフリーズした。文句を言っているのかもしれない。AIに対して否定的な発言や暴言は全てNGとなる。表示はされないだろう。
『岩通百夜さんは犯罪者となりました。なので、残念ですがこのクラスとは今日でお別れです。さようなら』
担任がそう言った後、「ぎゃっ」という生々しい声が聞こえた。次いで、岩通百夜のアバターが消失した。
悲鳴や意味のない言葉などは、通常拾わない。つまりこの悲鳴は、AIが、わざわざ生徒たちに聞かせたということになる。
誰も発言をしなかった。動かないだけの電脳空間が、奇妙な静寂に包まれた。
ただフリーズしただけなら、どれだけ良かったか。産毛が逆立つ寒気を感じながらも、画面上には何の変化もなかった。ただ、パソコンに表示されるデジタル時計の数字が刻まれていくことだけが、故障でないことを示していた。
カチリと、教室に飾られているアナログ時計のオブジェクトが八時五十分を指した。電子音のチャイムが鳴る。
『はい、では朝の会は終わりです。九時から一時間目が始まりますので、準備してください』
チャイムの音を聞きながら、暁也は理由のわからない悪寒に、腕をさすった。




