1.AI管理法
『本日の授業はここまでです。お疲れさまでした』
「お疲れさまでした」
滑らかな合成音声の挨拶を聞くと、パソコンの電源を落として、生方暁也は自室の椅子で大きく伸びをした。
小学五年生になって身長も伸びたからと、新しく買ってもらったゲーミングチェアはリクライニングするので、暁也がのけぞっても難なく体を支えてくれる。
このままパソコンでゲームでもしようか、それともオヤツにしようか、と悩んで、先にオヤツを食べることに決めた暁也は、二階の自室を出て一階に降りた。
脳が糖分を欲している。オヤツを食べてからの方が、ゲームも捗るだろう。
キッチンに入り、棚から適当なお菓子を取り出して、コップにジュースを注ぎ、ダイニングのテーブルに置く。
「いただきます」
誰も見ていないが、きちんと挨拶をしてから、暁也はお菓子を口にした。
食べ物を摂取し始めたことを感知して、腕につけたデバイスが、カロリーをカウントしだす。
両親は共働きで、家にはいるものの、この時間は二人とも自室で仕事をしている。
声をかけても邪魔にはされないだろうが、別段不便もないので、両親の仕事が終わるまでは、暁也は大人しく一人で過ごすことが多い。
今の時代、大半の仕事は在宅でできる。
そして、学校も。
インターネットの発展、SNSの普及、そしてAIの進化。
これらが社会へもたらした変化は、決して良いものばかりではなかった。むしろ低年齢層には悪影響の方が大きかった。
親や教師がどれだけ気をつけても、子どもがネットから勝手に誤った情報や悪意あるコンテンツを拾ってくることを止められない。子どもというのは基本的に悪いことをしたがるもので、押さえつければ余計に反発する。
単純な暴力よりも陰湿さを増した、ネットを利用したイジメ。取り返しのつかないデジタルタトゥー。承認欲求のための炎上行為。SNSの過度な煽りによる、ルッキズムや差別の加速。AVは小学生でも違法サイトで見るのが当たり前。クラスメイトの写真を使ったディープフェイク・ポルノがあとを絶たず、学校行事での撮影や卒業アルバムは禁止となった。それでも、生徒が自分の端末で撮影をすることは止められない。持ち込み禁止のルールは反発が強く、強行したとて守られなかった。
イジメによるトラウマや、SNSにより生じる理想と現実のギャップが原因で、不登校者は年々数を増した。それに比例して、幼い内から将来に希望が持てなかったり、別の世界に生まれ変わるという間違った希望を持って、子どもの自殺者も増えていった。
少年犯罪は増加する一方だったが法整備が追いつかず、子どもたちは年齢を逆手にとってやりたい放題となった。かねてより問題視されていた性犯罪は更に対応が後回しとなり、ほとんどが野放しだった。
一度集団による大きなフェミサイド事件が起こり、女性たちが大規模なデモを行ったが、満足な対策は取られなかった。女性たちは自衛のため、可能な限り家から出ない、という選択をせざるをえなかった。そして母親たちは我が子を守るため、子どもを学校に通わせることをやめた。
フェミサイド事件より以前から、不登校を許容する風潮が広まり、義務教育は崩壊しかかっていた。それがこの一件で、完全に学校は存在する意味を失ってしまった。しかし教育を各家庭に委ねれば、格差は広がる一方だ。家庭のみで全てが完結してしまうと、虐待に気づくこともできなくなる。
そして政府は、苦肉の策として、人間社会をAIに管理させる「AI管理法」を施行した。
日本国民は、生後すぐに腕時計型のデバイスが支給される。これには記録機能があり、生活の全てが映像・音声共に記録される。プライバシーの観点から反発は大きかったものの、この記録を精査するのは人間ではなく、AIが検閲し、問題がなければ一定期間の後削除される。
バイタルも常に記録されており、生命活動に異常があれば警察・救急に自動で連絡が行く。孤独死は減り、虐待の判明も早くなった。
暴力行為が検知された場合には、該当者に電気ショックが与えられる。これにより、犯罪行為は激減した。取得している記録は常時サーバーと同期されているため、犯罪者がデバイスを壊して隠ぺいなどもできない。
冤罪も格段に減り、特に立証が難しかった性犯罪は、映像記録だけでなく相手のバイタルも同時に記録されているため、性的衝動があったことが明確になり、「わざとではない」という言い訳が通用しなくなった。性行為はデバイスを通して同意確認をする必要があり、同意なしに行為に及んだ場合は問答無用で犯罪となった。
起こってしまった罪を裁くだけではなく、そもそも犯罪者を生み出さないため、教育には特に力が入れられた。
子どもたちは現実の学校へは通わない。代わりに、電脳空間の学校へ通う。教師役は全てAI。そして子どもたちの発言は、全てAIの検閲を通す。
生身の人間同士が接触すると、必ず衝突が起こる。なら、会話はAIにさせればいい。
マイクを通して発言すると、その言葉はAIに検閲され、適切な言葉となって相手に届く。相手の言葉もまた、AIに校閲されたものだけが届く。自分が伝えたい内容を、どう言えばいいのか。それをAIが教えてくれる。
だから、イジメは起こらない。顔を合わせないので物理的な攻撃はしようがないし、言葉での攻撃も、全てAIが言葉を変換するため、適切な表現に変更されてしまう。相手を傷つけることができないよう、制限された空間でのみ、子どもたちは交流ができた。そうして、正しい人間関係を学んでいく。
道徳が教師の思想によって捻じ曲げられることはない。AIによって統一された教育が行われるからだ。遅れていると言われ続けた性教育も、小学生の早い段階から適切に行われた。教師がAIなのでどんな疑問に対しても忌避することはないし、得た知識を悪用するようなクラスメイトもいない。ポルノは厳密に管理され、成人がデバイスを通して認証を突破しなければ情報にすらアクセスできない。
子どもたちが道を踏み外すことはない。そもそも、そんな機会がないからだ。
満十八歳になるまでは、家族以外の人間に現実で会うことはできない。母親たちが安全のために子どもを家に閉じ込めた結果、少年犯罪が減少したため、家から出さないことが最適解とされたのだ。
家庭での問題は、デバイスが解決してくれる。栄養状態や精神状態に影響が出れば、すぐにデバイスを通じて児童相談所に連絡が行く。暴力行為は電気ショックで封じられる。親もまた監視されているため、虐待は行えない。養育に不適切と判断された場合には、子どもは施設へと送られる。
満十八歳まで。きちんとした人間に育つまで、誰にも傷つけられないよう、そして誰も傷つけないよう、子どもたちは大事に守られて育った。
十八歳まで異性との交流がなければ少子化に拍車がかかりそうなものだが、成人の通知と共に、AIが診断した相性の良い異性と自動で婚約されるシステムがある。
当人同士の同意があれば破棄することもできるが、遺伝子レベルで全国民を対象に行われる診断は的確で、結婚後の離婚はほぼなかった。国民の幸福度も、右肩上がりだった。
安全で平和な日本。人間が解決することを諦め、AIに全てを委ねた結果、ようやくそれは実現した。