第二幕
いつもお読みいただきありがとうございます。作者です。
すみません、勝手にお盆休みを頂きました。
休みの間中、寝食忘れて『ウィザードリィ バリアンツ ダフネ』をプレイしておりました。
メインミッションの『グアルダ要塞攻略』そっちのけで、途中で現れるサイクロップス先輩とひたすら殴り合っていました。
パイセンのこん棒さばきはキレッキレで、危うく僕の秘蔵の業物、カシナートの剣(星5(+15))がへし折られるところでしたよ。
巨人恐るべし。心臓を捧げる事を日常とする調査兵団の気持ちが分かった盆休みでした。
さて、本題。
無期限中止中の私の連載作品『銃口先の愛しい君へ』についてです。
爺ちゃんのお墓の前で僕も色々考えた。
一人でも読んで下さる読者がいる以上、小説家として最後まで続けなあかんのではないかと。
つーわけで、この『ハンニバル・カーニバル!』が終わった後、『銃口先の愛しい君へ』の連載を再開いたします。
勝手言ってすみません。またお付き合い下さると嬉しい限りでございます。
では。
今回の主戦場となるであろうカンナエを一望できる、小高い山の登山道。
そこを馬で登るハンニバルとルーファン。
「大将軍」
「馬鹿野郎、二人の時はハンちゃんでいいと言ったろう」
後に続くルーファンに、馬上で半身になって応じるハンニバル。その表情は砂場で遊ぶ子供のそれであり、カルタゴ軍五万人の将兵の命を預かる大将軍の顔にはとても見えない。ルーファンは首をブンブン振り回して言った。
「そんなこと言おうものならハスドルバル将軍に首を叩き落とされます!」
何が面白かったのか、はっはっはっ! と呵呵大笑するハンニバル。
「あいつももうちょっとシャレを理解しねぇと、この世界じゃやってらんねぇんだがなぁ。そこんとこ教育してやっているんだが、中々伝わらん」
あれは教育だったのか、どう見てもおちょくっているようにしか見えなかったが、と思いつつも口にはせずに曖昧な笑みで流す賢いルーファン。ひとしきり笑って気が済んだのか、真顔になり馬を進めるハンニバル。
ハンニバル・バルカ。
武将に相応しい、下顎の張ったがっしりとした容貌。その中輝く、雷光の結晶の様な隻眼。無駄な肉など一欠片もついていない、引き締まったその精悍な体躯、一声で千人の荒くれ者をひれ伏させるカリスマ。カルタゴ軍五万人の将兵の命を預かるに相応しい男であり、その軍司令官としての能力は神がかったものすら感じられる。
彼に続きながら、ルーファンはこの不思議な男との出会いを思い出していた。
ルーファンはここカンナエの大草原で移民の子として生まれた。両親は祖父と共に東の方から渡って来たらしい。何故祖国を離れたのか? 何でも教えくれた祖父や両親も、この問いには黙って首を振るのみであった。
そんな両親も彼が十歳の時流行り病で亡くなり、祖父が親代わりとなった。日の出と共に起き、羊や馬を追い一日の糧を得て、満ち足りた気分で眠りにつく。俗気とは無縁の山での静かな暮らしに終わりが訪れたのは、つい数ヶ月前の事であった。
ハンニバルに撃退されたカンナエ方面ローマ軍の残党が、ルーファンと祖父が住む山小屋に現れ略奪の限りを尽くしたのだ。数少ない羊や馬を守るべく体を張った祖父はローマ兵に殺害された。その後は無我夢中でよく覚えていない。気が付いたら大草原の中を血まみれの姿で一人歩いていて、そこで偵察中のハンニバルに出会い、保護されて今に至っている。
それ以来、ルーファンは、カルタゴ軍の中でハンニバルの身の回りの世話や馬匹の真似事などをやっている。馬と羊の世話をするしか能がない移民の子である自分に、何故か兄弟の様に接してくれるハンニバルに、大いなる安らぎと共に少しの戸惑いも覚えている。
「着いたぞ。絶景だ。敵の陣形を一望できる」
頂上に到着したハンニバルとルーファン。眼下で聳える小高い山、向こう側で流れるオファント川、その二つに挟まれたやや狭い平原に、ローマ、カルタゴ両軍勢がひしめきあっている。
ハンニバル達から見て向かって右側がローマ軍、左側がカルタゴ軍だ。両軍の構成は共に歩兵と騎兵からなる。中央に歩兵部隊を置き、その両側面を騎兵部隊が守る形だ。お互い数百メートルの距離を挟んで気炎をあげつつ睨み合っている。昨日まで大人しかったローマ軍が、今日は朝から妙に入れ込んでいる。攻撃の前触れだ。両軍の衝突は時間の問題であろう。鋭い隻眼で戦場を見下ろすハンニバル。とても声をかけられる雰囲気ではなく、ルーファンはただ黙って控えているよりほかはない。微かに馬のいななきがする。耳を凝らすルーファン。どうも小規模の騎馬隊がこちらへと向かってくるようだ。ローマ軍の騎兵隊かもしれない、そう思ったルーファンは、懐にある剣の柄を握り締める。完全武装のローマ騎兵に自分ごときがなんの役にもたたないが、ハンニバルが逃げる程度の時間は稼げるはずだ。この人は死んではいけない人だ。ルーファンの耳になぶり殺しにされた祖父の断末魔が蘇る。
「大丈夫だ、ギスコ達だよ」
ハンニバルが穏やかな声でルーファンを宥める。ギスコとはカルタゴ軍の将軍の内の一人だ。
「でも、ひょっとしたら」
心配性のルーファンが、音のする方から目を離さずに答える。
「敵だったらこんな音を立てて来ないよ。それに情報によると、今日のローマ軍司令官はあの間抜けのウァロだ。この山の重要性に気付く事はない」
そう言って豪快な欠伸をするハンニバル。成程、と得心しつつも一応警戒を保つルーファン。ハンニバルはそれ以上ルーファンを止める事をせずにローマ軍に目を戻し、そしてぼそりと呟いた。
「ひでぇ陣立てだぜ。ただ並べただけのお粗末な三列縦隊。マクシムスの奴がお役目御免になってくれて本当に助かったぜ」
彼の口にしたマクシムスとはクィントゥス・ファビウス・マクシムス独裁官、前任のローマ軍総司令官である。卓絶した戦略家であり、有能な政治家でもあった。カルタゴ軍の弱点は兵站(補給)にある事をいち早く看破し、徹底的な持久戦を展開してハンニバルを大いに苦しめた。ゲロニウムで行われた会戦ではハンニバルに一矢を報いている。敵地イタリアでの戦いにより、常に補給に苦しむハンニバルにとっては最悪の相手と言っていい。しかし戦わずして勝つという彼の戦略を、決戦を望む故国ローマは全く理解せず、クンクタートル(のろま)と罵倒した挙句に軍司令官を解任してしまった。
この愚行に対して、後にローマは高いツケを支払う事になる。
因みに敵の消耗を待つ持久戦略の事をファビアン戦略と呼ぶが、これは彼がハンニバルに対して展開した、この戦略を語源としている。
こもれびと呼ぶには強すぎる日差しの中、馬のいななきと共に鎧や馬具の鳴る音が少しずつ大きくなる。ルーファンは剣の柄を強く握りしめた。
「これは大将軍!」
「おう、遅かったな!」
現れたのはハンニバルの予想通り、馬に乗ったギスコ将軍だった。彼の後ろには百騎程度の騎兵が従っている。馬から降り、ハンニバルの前で報告するギスコ。
「仰せの通り、騎兵を百騎連れてまいりました」
「おう、ご苦労さん」
正対してギスコの労をねぎらうハンニバル。上官の肩越しに見えるローマ軍を見て、ギスコが思わず弱音を吐いてしまう。
「何と雄大で巨大でありましょうや」
ハンニバルはその大きな手をギスコの肩に置き、朗らかな声で言った。
「おめぇは一つ忘れているぜ。俺らにはギスコ、お前がいるが、あいつらにはいないという事を」
「・・・・・・恐れ入ります」
そう言った後、ギスコがほんの一瞬だけルーファンの方に目をやる。そこからハッキリとした不信と侮蔑を感じ取ったルーファンは、思わず視線を反らしてうつ向いてしまう。
(僕だって困っているんだよ。いきなり司令官をやれなんて言われて)
内心一人愚痴るも、口には出さずに戦場を見るルーファン。自分は一介の羊飼いであり、軍人ではない。所謂素人だ。そんな自分の目から見ても、状況はカルタゴ軍にとって不利だと分かる。
騎兵の質や数こそカルタゴ軍が上だが、歩兵の質や数では圧倒的に劣る。相手は世界最強と言われているローマの重装歩兵。それに対して寄せ集めの歩兵部隊であるカルタゴ軍。強みである騎兵に活路を見いだしたいところだが、それも難しい。カンナエは山と川に挟まれた狭い平原だ。そこの中央に両軍の歩兵がドン! と居座れば、結果的に騎兵の動ける範囲は狭まってしまう。カルタゴ軍の左翼騎兵部隊は右手の自軍歩兵部隊と左手の川に挟まれ、右翼騎兵部隊は左手の自軍歩兵部隊と右手の山に阻まれ縦横に動き回れない。勿論、それはローマの騎兵部隊にも言える事だが。
(右翼はともかく、我が軍の切り札である左翼騎兵部隊七千人の行動が制限されてしまうのは、少しまずいんじゃないかな)
軍内部で味方と敵の強弱を論じると極刑に処せられるので、決して口には出さずに内心一人ごちるルーファン。そんな彼の内心など知ってか知らずか、ギスコと共にローマ軍を見下ろしながら、何やら打ち合わせをしているハンニバル。
「マハルベル将軍より伝令!」
そこへ一騎の伝令兵が駆けてきた。ハンニバルの前で馬を降りようとする彼を、ハンニバルが静止する。
「戦場だ! 礼は不要。そのまま報告せよ」
「はっ! 敵騎兵部隊が騎乗を始めました。歩兵部隊の動きも何やら慌ただしい様子です」
ハンニバルの側でギスコが顔色を変えた。それとは対照的にハンニバルは涼しい顔のまま伝令に尋ねた。
「そうか、で、お迎えの準備は出来ているんだろうな?」
「はっ! 全軍戦闘準備完了しております!大将軍におかれましては、直ぐさまお戻り頂き、全軍の指揮をお願い致しますとの事!」
「分かった。直ぐに戻るとマハルベルに伝えよ」
「はっ! では御免!」
山道を駆け降りていく伝令を見送ったあと、ハンニバルはギスコに声をかけた。
「ギスコ」
「はっ!」
「連れてきた百騎にこの山を死守させろ。両軍を一望出来るこの場所を、奴等に取られたくはない」
「ははっ」
そう返事するも、何やらもじもじしているギスコ。その様子を目ざとく感じ取ったハンニバルが、口を開く。
「どうした?」
「いや、あの、決戦には私めもお連れ下さるので?」
自分も兵と一緒にこの山の守備を命じられるのではないか・・・・・・。生粋の武人であるギスコは不安のあまりハンニバルに確認してしまう。部下の杞憂を豪快に笑い飛ばし、ハンニバルがギスコの肩をどやしつける。
「勝負所で切り札を出し惜しみするほど俺は愚かじゃねぇよ、カルタゴの猛将ギスコ。おめえはマハルベルの下でハンノ(ハンノ・ボミルカル。ハンニバルの甥)と一緒に、右翼を担当してもらう。思い存分暴れるといいぜ」
そう言って眼下のローマ軍を指さすハンニバル。その言葉を聞いたギスコの顔が輝く。
「畏まりました!」
元気よく答えるギスコ。そんな彼の肩をもう一度軽く叩き、ハンニバルが山を下りるべく馬首を翻す。
「さぁ、待ちに待ったお祭りの始まりだ!」
ハンニバルがルーファンを見てニカッと笑った。自信に満ち溢れた笑い。おそらく自分の勝利を微塵も疑っていないのだろう。何故こんな絶望的な状況でそんな風に笑えるのか、ルーファンにはさっぱり分からなかった。