最終幕
お世話になっております。作者です。
お陰様で、『ハンニバル・カーニバル!』遂に完結です!
思えばノリとシャレで書き始めた小説でして・・・・・・。いや、まさか完結までいけるとは思ってもいませんでした。
これも毎回読みに来て下さった皆様のお陰です。
本当にありがとうございました。皆様には心よりの感謝を捧げます。
この作品はこれで終わりですが、もう一点の『銃口先の愛しい君へ』は連載中です。
もし宜しければ、お目を通して頂けると幸いです。
あと、来週の月曜日(12月15日)、私の二作目の発売日です。営業さんの話ですと、日本橋の丸善書店では平積みして貰えるそうです。
感激ですね。
発売日は見に行こう。
この作品『本能寺の武田兵』は私の自信作です。
お手にとって頂けると幸いです。
新作も色々考えております。準備が出来次第、色々アップしていきますので、引き続きお付き合い下さると幸いです。
では、名残惜しいのですが、一旦お別れです。
皆様、本当にありがとうございました。
幕僚達の視線の中、彼は用意された馬にまたがる。
「し、司令! どちらへ?」
慌てた幕僚の一人が彼に駆け寄る。
「知らぬ。風にでも聞くがよかろう」
そう言い残した彼は、颯爽と馬を走らせ、カルタゴ軍の陣地を出る。
それを呆然と見送る幕僚達。
「こ、この事を大将軍にお知らせするのだ!早く!」
幕僚の一人が慌ててハンニバルの下へと駆けて行った。
世界を知りたかった。
自分が立っている大地が、何処に繋がっているのか知りたかった。
地を多い尽くす空の青さは、何処まで行っても青いのかを知りたかった。
広大な海の『果て』には何があるのか、いや、そもそもこの海というものに『果て』などあるのか・・・・・・。
この世の成り立ち。
この世界が創られた意味。
空を見上げる度、地を踏みしめる度、海を見渡す度、それを思うも自分の中にも外にも答えはなかった。
ある日家庭教師のアリストテレスに聞いてみた。
「この世界とはなんだ?」
答えはこうだった。
「その問いの答えは貴方の中にある。何故なら貴方も世界の一部だからだ」
分からなかった。どんなに考えても分からなかった。
だから見に行く事にした。
世界を。
全てを見尽くせば何かが分かるかもしれない。
だが自分はマケドニアの王だ。国を捨てて一冒険家として、世界探検と洒落こむ訳には行かない。
だから国を背負って行くしかない。
国家事業、即ち侵略という形にならざるを得ない。
攻め込まれる国の民はさぞかし迷惑だっただろうがそこは諦めてもらった。
余は軍隊の力をもってして、周辺国のペルシャ、インドの一部を征服し見て回った。
刺激的だった。マケドニアとはまた違う自然、文化、風習、民族。
常識や価値観の違う人間との会話のなんと刺激的な事か。
更なる好奇心に突き動かされ、進軍を続けようとする余に兵士達が結束して逆らってきた。
「もう帰りたい」
と。
止むを得ず引き返す事となった。兵士あっての軍であり、兵士あっての大将なのだ。彼等にそっぽ向かれては戦争なぞ不可能だ。
無念だった。何故王族などに生まれてしまったのか。市勢の一市民として生まれれば、心の赴くまま、世界の果てまでも見に行けただろうに。
鬱屈とした思いを抱えて帰路につく余を、原因不明の熱病が襲った。
三日三晩熱に魘され、四日目の朝、臣下達が枕元で騒ぐ中、ふと意識が遠く。これが死か、そう思った瞬間暗闇に包まれた。次こそはもっと自由な身で生まれる事を願いながら、余はそれに身を委ねた。
再び覚醒した時、誰かの中にいた。
信じがたい話であり、最初は戸惑った。
しかし直ぐに冷静さを取り戻し、宿主の五感を利用して状況を確認する。
どうも余は一人の青年の心の中にいるらしい。青年の方は余の存在に全く気がついていない様だ。
職業は羊飼いで、一緒に暮らしている男は祖父らしい。
早朝に起きて羊を追い、日暮れと同時に床につく。
なんの代わり映えのない、ただ食う為に生きるだけの日々。三日もすると飽きが回ってきた。この者達はよく退屈しないものだと呆れを通り越して感心する。
余は退屈をもてあまし、この青年、名前はルーファンというらしいが、時々、彼が街に出た時などに、体を一時的に拝借して外の世界を見て回る。
この国、ローマと言うらしいが、堅牢な統治体制と豊かな経済力、そして強大な軍事力を抱えた大国である事を知る。治安は安定しており、社会資本も整備され、人々の生活は豊かだ。
ただ街行く人々の顔に陰りが見えるのが気になる。
さりげなく探りを入れてみると、現在ローマはカルタゴという国と交戦しているらしく、どうもその旗色が良くないらしい。
カルタゴにはハンニバルという名将がいて、この者が随分と戦上手らしく、ローマは至る所で煮え湯を呑まされているとか。らしい。様だ。街の雰囲気が暗い理由を知ると同時に、この大国を揺るがしているハンニバルという男に興味を抱く。
この国やカルタゴ、そしてハンニバルという男についての情報収集を進める過程で、余が創った帝国が、余の死後に分裂した事を知る。
特に何も思わなかった。
余の死後に力のある者達が帝国を継いだ。ただそれだけの事であり、それで構わなかった。
帝国の事より、この時代を知り、この世界でどう生きるか。やや変則的ではあるものの、再び得たこの命をどう使うのか、此方の方が余にとっては重要であった。
そんなある日の晩、重装備の兵達が家に乱入してきた。彼等の狙いは羊と馬だった。自身の財産を守る為、兵士達に立ち向かったルーファンの祖父は殺され、その刃が此方にむけられる。
余は即座にルーファンの意識を押し退ける事でその体を乗っ取り、襲ってきた兵士達を返り討ちにする。
彼等の死体をあさり、金目のものを奪うと、血がついた剣を片手にそのままの家を出た。
死体だらけの家で休む気にはなれなかったのだ。
麓の町に向かう途中で雨が降ってきた。ずぶ濡れになりながら草原の中を歩いていると、遠くの方から騎馬の一団が駆け寄ってきた。
「お前は何者だ! 見たところ平民の様だが、この雨の中何処へ行く?」
部隊の先頭にいる、中々の面構えをした隻眼の指揮官らしき男が誰何してきた。余は完全に無視して歩み続ける。
「おい! お前正気か? それとも耳が聞こえないのか?」
「閣下! あの剣はローマ軍のものですぞ」
男の部下が言う。男は余が先程の略奪兵から奪い取った剣を見て言った。
「ローマ兵には見えぬが、取り敢えず調べる事にする。拘束しろ」
そう言って隻眼の男が部下達に命令を下した。次々と走り寄ってくる騎兵達を前にして余は内心ほくそ笑んでいた。
丁度馬が欲しかったのだ。
「どうした、殺さないのか」
地に座り込んだ状態で余を睨み上げながら、隻眼の男が傲然と嘯く。
剣を喉元に突きつけられている絶体絶命なこの状況においても、その隻眼が微塵も揺らいではいないのは見上げたものだ。隻眼の男の周りには、惨殺された彼の部下達の死体が転がっている。全て余が手にかけた。
部下達をあっと言う間に皆殺しにしてやったところ、隻眼の男が一騎打ちを挑んできた。それを軽くねじ伏せてやって今に至っている。
「この状況においても命乞いせぬその豪胆さ、そして余と十合以上わたりあうその見事な剣技、気に入った。名乗るがよい」
「嫌だと言ったら?」
「うぬの目ん玉を抉りとって、そのへらず口の中に押し込んでやるわ」
「参った、降参だ」
隻眼の男は両手を広げ、己の名を名乗る。
「俺の名前はハンニバル。ハンニバル・バルカ。カルタゴで一番いい男さ」
「ほぉ・・・・・・」
驚愕と共に、余はハンニバルの喉元に突きつけている剣を引いた。意外そうな表情のハンニバルに余は言った。
「汝と話がしたい。場所を用意せい」
「ば、場所?」
「こんな雨の中で余に立ち話をせよと言うのか」
余の声に苛立ちが混じる。物分かりが悪い奴と話していると苛々してくるのだ。
「わ、分かった」
それを感じ取ったのだろう。ハンニバルは慌てて立ち上がり
「あんたは我が軍の兵士を殺した。だから陣には連れていけない。偵察の途中で手頃な洞窟を見つけてあるからそこで話そう。それでいいか」
「構わぬ。案内せい」
そう言って、主を殺され不安げに嘶いている馬に乗る。そんな余にハンニバルは恐る恐ると言った風で聞いてきた。
「なぁ、あんた一体何者だ? 訓練された軍人を纏めて捻り潰すなんて人間技じゃねぇよ」
余は自らの名と、この世界で再び生を受けた経緯を語る。
「嘘だろ・・・・・・。そんな事が」
名将ハンニバルが呆けた様に呟いた。
その後カルタゴ軍野営地の近く、ハンニバルが用意した隠れ家に住み、彼と何度も語り合った。
余の正体について最初は半信半疑だったハンニバルだが、余との軍事論の議論や、将棋形式の軍事駒を使った盤上の演習を経て信じるに至った様だ。
それ以来、ハンニバルは時間を見ては隠れ家に現れて、余に教えを乞うようになった。
因みに余が対応するのが面倒な時はルーファンに出てもらった。
ルーファンが出ている時、余は大体眠っているので子細は知らぬが、ハンニバルはルーファンとも仲良くやっていた様だった。
そしてあの日、ハンニバルがローマ軍撃破の為に図々しくも余の力を無心してきた。
「この作戦の要である、中央歩兵部隊の指揮をお引き受け頂きたいのです!」
形式上とは言え、余に自らの指揮下に入れと言う。
その無礼に対し、剣をもって報いてやっても良かったが、すんでのところで思いとどまる。
戦いながら軍隊を後退させる。
一步間違えたら全軍崩壊に繋がりかねない、戦術上の非常識。
流石の余も実行した事はない。余をそこまで追い詰める程の敵に出会えなかったと言うのもあるが、とにかく余にとっても未知の戦術だ。
戦記物でしかお目にかかった事がない戦術を、余の力をもってして現実世界で再現出来るかどうか?
一人の軍人として興がわいた。
試してみたい、その欲望に抗しきれず、その頼みを一度だけ引き受け、そして見事に実現してみせた。
満足だった。不可能を可能にしてやったのだ。
『戦いながら軍隊を後退させるのは不可能である』
軍事学上の常識を、余の手でくつがえしてやったのだ。
気分がいい。我ながら見事な仕事を納めてやったわ!
馬上で自らの仕事を振り返りつつ、満足感に浸っていると、後方から馬の嘶きが聞こえた。振り返ると、黒毛の大きな馬が、見事なたてがみをたなびかせつつ、此方へと駆けてくる。それを見た時、余は喜びのあまりに思わず叫んでしまう。
「ブケファロス! お主も『来て』おったのか!」
余の回りを嬉しそうに走り回る前世の愛馬ブケファロス。余が乗っている馬はやや迷惑そうにヒヒン、と小さく嘶いた。
「さて、困ったの。旅に二頭の馬は不要だ。この馬はどうしたものか」
余が乗っている馬の首筋を軽くさすりながら考えていると、背後から余を呼ぶ声がする。
振り向くと、そこには馬に乗って此方に駆けてくるハンニバルがいた。隻眼の名将は余の前で馬を降り、その場で跪く。
「大王! 此度の戦での御助力、誠にかたじけのうございました!」
「よい。余もそこそこ楽しめたわ」
めんどくさ気に応じた余に、ハンニバルはカルタゴ軍本陣の方を指し示して言った。
「さぁ、今すぐにお戻り下され。これより戦勝の宴を開きますゆえ」
「ふん」
余は興味無さ気に鼻を一つ鳴らし、馬首を翻す。そんな余に、ブケファロスも続こうとする。
「お、お待ち下され!」
ハンニバルは慌てて余の馬の前に立ち塞がり、行かせまいと余の馬の轡を取る。
「無礼よな、ハンニバル。そっ首を叩き落とされたいか」
余は細めた目でハンニバルの首筋を見る。向けられた殺意に怯えつつも、ハンニバルは決死の覚悟でその轡を取り続ける。
「無礼は百も承知であります。しかし大王を行かせる訳には参りません。我が首と引き換えに、何卒我が故国、カルタゴを天へと導いて下され!」
「なに?」
意外な申し出に、一瞬だけだが余の気が抜ける。それを前向きな反応だと思ったのか、ハンニバルの言に勢いが宿る。
「大王の力をもってローマを滅ぼし、そしてカルタゴを大帝国にしてくだされ。その為ならこの命、いつでも献上つかまつりますぞ!」
そう言ってハンニバルはその場に跪き、その頭を垂らした。
余はそれを興味無さげに見やり、馬から降りる。
ハンニバルは覚悟を決めたのか微動だにせずに、余の裁きの剣を待っている。
余は手にした巨剣で、ハンニバルの後頭部を薙ぐ。
束ねてあった髪がバラけて、彼の後頭部を覆う。顔を上げ怪訝な表情を浮かべるハンニバルに、余は言った。
「戦神は髻を好まぬ。心せよ」
そう言って馬から降り、今の馬からブケファロスへと馬具の付替えを行う。この作業をハンニバルにやらせようかと一瞬思うも、そこは思いとどまる。未熟なれど一国の大将軍だ。小物の様な真似をさせる訳にもいくまい。
ハンニバルの悲しげな視線を背に感じながら作業に勤しむ。やがて全ての作業を終えた余は、かっての愛馬にまたがり、張りのある声でハンニバルに呼びかける。
「ハンニバルよ!」
「はっ!」
余の威に打たれ、改めて畏まるハンニバルに余は言った。
「興が湧かぬ」
「はっ?」
「大帝国を創る、それは覇道よな。余は一度その道を征き、その先に何があるのか見てきた」
「・・・・・・」
無言で瞳を翳らせるハンニバルに、余は言った。
「知った道を行くのは退屈であろう? 余は行かぬ。行きたければ汝一人で行くがよい」
「どうあっても我等をお導き頂けませぬか」
がくりと肩を落とすハンニバルに、余は目元と口元を僅かに綻ばせつつ言った。
「ハンニバルよ」
「はっ」
「汝には『覇』がよく似合う。行くがよい。血ぬられた『覇道』を。そしてその先に何があるのか、その隻眼でしっかりと見据えて参れ!」
「・・・・・・畏まりました」
無念そうに、だが毅然とハンニバルは答えた。その瞳には、今までにない『覚悟』が浮かんでいる。余は大きく頷き、両鐙でブケファロスの腹を蹴る。ブケファロスが嘶いた。
「さらばだ!」
そう言ってハンニバルを残し、ブケファロスを走らせる。
風が心地よい。
新たな旅立ちの日に相応しい、真っ直ぐな風よ。
余の行く道を寿ぐがよい。
これからどんな世界が余を待つのか。
心躍る。
余の前にはどこまでも果てしない世界が広がっている。これからどんな大地が海が空が人が余を迎えてくれるのか。胸の高鳴りを感じながら、余は胸一杯空気を吸い込む。まだ体内に残る生臭い鋼と血の残滓を、新しい空気が何処かへと押し流していった。
カンナエの戦い
ローマとカルタゴの雌雄を掛けた決戦は、カルタゴに軍配が上がった。両軍の戦死者は以下の通り。
カルタゴ軍 司令官クラス 無し
兵士 六千人
ローマ軍 司令官クラス 執政官パウルス、法務官セルウィリウス(法務官とは将軍の意)、法務官ミヌティウス他、元老院議員総数三百名の内、約三分の一強にあたる八十名が戦死。
兵士 六万人から七万人。捕虜は約一万以上。
因みにカルタゴ軍の戦死者は、全て現地で雇い入れたガリア歩兵やヒスパニア歩兵であり、虎の子であるカルタゴ正規軍には死傷者は殆ど出ていない。
カルタゴの圧勝であり、即ちローマの惨敗である。
戦の翌日、カルタゴ軍論功行賞の席にて。
ハンニバルはマゴや幕僚達と共に、将兵達の武功を次々と論功帳に記録していく。
「大将軍、ここには何と?」
マゴが指差した先には『歩兵部隊司令官』とある。
「そうだなぁ、そこは空欄でいいか」
ハンニバルが頭をボリボリと掻きながら言う。
「宜しいので?」
念を押してくるマゴを前に、ハンニバルは両手を上げて、降参の仕草を取りながら言う。
「書こうにも書きようがねぇだろうが。例え書いたって誰も信じやしねぇって。俺だって未だに夢だったんじゃねぇか、って思う時もあるくらいだぜ?」
「確かに」
ハンニバルの言に、マゴは苦笑いしながら同意する。
「大将軍! た、た、た、た大変です!」
将軍の内の一人であるギスコが、何やら喚きながら陣幕へと飛び込んでくる。
「どうどう、落ち着けギスコ。なんだ、どうしたんだ?」
ハンニバルが右手で首筋を揉みほぐしながら言った。
「どうしたもこうしたもないですよ! これ、これ見て下さいよ」
ギスコが掲げたものは、赤ん坊の頭くらいある黄金の塊であった。
「今ローマの陣地を見てきたんですけど、金銀財宝が山の様にあります! 今馬車十台で分捕り品をこちらに移しているんですが、とても今日中には終わらない!他にも八万人分の食糧や軍需物質!大将軍!私達カルタゴは大金持ちです!」
ギスコの報告により、どっと喜びに沸くカルタゴ軍首脳陣。
そんな中、ハンニバルはやや張りの無い声で言った。
「金銀財宝のうちの半分は今後の軍資金にするが、もう半分はお前らと兵達で分けろ。ただし不満が出ない様公平にな」
ハンニバルの声でまたまたどっと沸き立つ首脳陣。
「命令はしかと承りました。では私は分捕り品の移送作業に戻ります」
ギスコはハンニバルの前に黄金を置き、その巨躯に似合わぬすばしっこさで陣幕を飛び出していく。それを苦笑いで見送ってから、ハンニバルはマゴや幕僚達に声をかける。
「おい、お前らも行っていいぞ。欲しいもんに唾つけとけ。今ならよりどりみどりだろ」
「えっ! よろしいので?」
マゴの相好が欲望の為、だらしなく崩れている。
全員の熱い視線を一身に浴びたハンニバルは、手にしていた羽筆を机の上に放り投げながなら言った。
「あんな話聞いた後じゃもう仕事になんねぇだろ? 今日はもういいから行ってこい。全員の取り分決めた後は大宴会だ!」
歓声と共に、我先にと飛び出していくマゴと幕僚達。全員が出ていき、がらんとした陣幕の中で勝利の余韻に浸ってみるハンニバル。いつもの様に沸き立つものは無い。勝利なぞ虚しいものだ、としみじみと実感する。
『勝って利を手にする』
だから『勝利』と言うのだろう。繰り返しになるが、勝って手に入れられるのは利益。それだけ。そして、その手にした利益もいずれは消えてなくなる。その後残るものはいつも虚しさだけ。
勝利。文字通り勝って利を得る事。即ち、勝つ事で得られるものなぞ利益だけだという事だ。これを虚しさと言わずして何を虚しさと言うのか。
ハンニバルは目の前で燦然と輝く黄金を熱の無い目付きで眺める。ふと、その蠱惑的な輝きに嫌悪感を覚え、そっとそれから視線を外す。視線の先にはルーファンの残した角笛があった。彼が羊を追う時に使っていたものだ。
「興が湧かぬ」
覇道を歩む事に対する彼の感想が頭をよぎる。
彼は身をもって知っていたのだ。勝利の虚しさを。
確証はないがハンニバルはそう思っている。覇道とは即ち勝利を積み重ねる事に他ならない。
そしてその先には多分何もない。
でも、それでも俺はこの道を行く。
覇道で何を得るかではなく、覇道を歩む事自体が俺の人生だからだ。九歳の時、父親と共にバァルの神殿に捧げた誓い。
生涯ローマを敵とする。
父ハミルカルから血肉と共に与えられた『呪い』
俺はそこから逃げる気は毛頭ない。
『呪い』に生き『呪い』に死す我が血塗られた人生。
全てはローマを滅ぼす為。
「いいですよね、大王」
この世界のどこかで、旅の空を満喫しているであろう彼を思うハンニバル。
「汝の人生ぞ。汝の好きに生きればよかろう」
風に乗って、彼の言葉が聞こえた様な気がした。
いつの間にか口元が綻んでいた。
カルタゴの英雄 ハンニバル・バルカ
彼はまだ知らない。
最大の敵が、再び目の前に立ちふさがろうとしている事に。
ローマ元老院議事堂。
執政官任命式。
議員達で埋まる議事堂の中で、任命台に立つ議長とその前で畏まる一人の男。
定例の儀式の後、議長は厳かな声で任命の儀の開始を宣言する。
「我等元老院は全会一致をもって、汝、クィントゥス・ファビウス・マクシムスを執政官へと任命する! 謹んで拝命せよ!」
議長の前で跪く、緩みなど微塵も感じられない、鷹の様な容貌を持つ男が、その引き締まった口元を開き、威厳に満ちた声で応える。
「身に余る大任を頂き、恐悦至極に存じます。非才の身なれど、粉骨砕身働き、我がローマに仇なすもの全てを滅する事、剣にかけてお誓い申し上げます」
マクシムスは洗練された仕草で、議長より差し出された指揮杖を恭しく(うやうやしく)受け取り、誓いの言葉を口にする。
そして彼はそのまま振り返り、手にした指揮杖を会場に向けて大きく掲げる。
一拍の後、議員達による割れんばかりの拍手と歓声が議事堂に響き渡る。彼等の、そして彼等の後ろにいるローマ市民達の期待と歓迎を一身に浴びながら、マクシムスは遠い空の下にいる好敵手を思った。
(カンナエでの大敗を契機に、ローマは今、本当の意味で一つになった。これからはお前の思う様にはいかないぞ、ハンニバル)
最強のハンニバルキラ―が今、再び歴史の表舞台へと躍り出ようとしていた。
包囲殲滅戦の最高傑作と言われたハンニバルのカンナエ戦。
何故か後世に伝わっていない、勝利の立役者となったカルタゴ軍歩兵部隊司令官の名。
歴史がそれを語る事は永遠にないだろう。
ハンニバル・カーニバル!
完
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