第十三幕
「ひ、ひぇぇぇぇぇぇぇ!やめろ!助けてくれぇ!」
「覚悟っ!」
スピキオは命乞いするガリア兵の喉に、情け容赦の無い一撃を加える。
絶命した敵から即座に槍を引き抜こうとするも、先端が筋肉にからめとられたらしくびくともしない。スピキオはチッ、と忌々し気に舌を鳴らし、槍を捨て剣を抜く。
二回目の戦場。
四方八方敵だらけで好敵手の物色の必要など無いくらいだ。勝手が分からず戸惑う事や窮地に陥る事もあるが、今こうやって何とか切り抜けている。
至るところで取っ組み合う男達の中で、手近なガリア兵二、三人を斬って捨てたスピキオの目が、妙な男をとらえる。
人の背丈を遥かに超える巨剣を手にした細身の男が、悠然とした足取りで戦場を我が物顔で闊歩している。
(なんだあいつは?道化か何かか?)
頭の先から爪先まで戦闘思考中のスピキオが一瞬呆けてしまう程、男の立ち振る舞いはこの場からで浮いていた。その時、二人のローマ兵が左右から謎の男に襲いかかった。
「むん!」
謎の男が無造作に振るった大剣が、二人のローマ兵の上体を一瞬で吹き飛ばした。残った下半身がパタリと力なく地に墜ちる。
(な、なんだ今のは?)
驚愕するスピキオ。目の前で起こった出来事に対して、理解が追い付かない。それくらい、たった今眼前で起こった出来事は現実離れしていた。小声で神の名を唱え、己の正気を確認するスピキオの前で、別のローマ兵が謎の男に襲いかかっていた。
「うおおおおおおおおっ!」
ローマ兵は根本まで真っ赤に染まったグラディウスを振りかざし、謎の男に襲いかかる。ローマ兵は手にした獲物で敵の頭部を狙うも、謎の男はそれよりも数倍速い速度で剣を振り下ろす。
何かが砕ける音がした。
ローマ兵は頭部を胴体へとのめり込ませ、そのまま前のめりに倒れこむ。
謎の男の人間離れした戦いにぶり戦慄を覚えたのか、敵も味方も武器を振るうのも忘れて男に見入ってしまう。静まり返る場の中で、遠巻きにして様子を見るローマ兵達に彼の挑発が炸裂する。
「どうした? はようかかってくるがよい。余は勝利を盗まぬぞ」
彼は巨剣を片手に人差し指を使ってちょいちょい、とローマ兵達を挑発する。その瞬間、彼を取り巻いているローマ兵の顔に怒気がみなぎる。
「う、うおおおおおおおおっ!」
雄叫びをあげながら、ローマ兵達は次々と彼に襲いかかる。
「ふはははははははは! 愉快!」
彼は哄笑と共に、向かってきたローマ兵を、次々と斬り、薙ぎ、叩き潰してまわる。 たった一人の男によって、世界最強と名高いローマ兵達が縦に横に両断されていく。
「ピラだ! 遠巻きにして投げ槍で仕留めろ!」
下士官らしき一人のローマ兵の指示の下で、ピラを手にした数人のローマ兵達が手早く彼を包囲し、一斉に投擲の体勢に入る。
全方位からの攻撃。
回避は不可能だ。この場にいるローマ兵達の誰もが、無数のピラを槍を打ち込まれてハリネズミと化す彼を想像した。
その時、彼が手にしている巨剣が、太陽光の下で眩い光を放った。目を焼かれ、ピラを手にしたままその場でうずくまるローマ兵達。
「ふっふ、余に惚れよった。善哉善哉。お主を二度と寡婦にはせぬ。どこまでも余についてくるがよい」
彼は巨剣を見て不敵に笑い、そのままローマ兵の中に突進する。
「宴もたけなわじゃ。うぬらも存分に楽しむがよいわ!」
そう言いながら巨剣を横になぎ、三人のローマ兵達の上体をまとめて吹き飛ばす。そして彼は、目の前の轢断されたローマ兵の下体を片手で持ち上げて、敵が密集している所に目掛けて次々と叩き込む。
「うわあっ!」
いきなり飛んできた味方の遺体により、ローマ兵達の隊列が乱れる。彼はその隙を逃さずに一気に間合いを詰め、それはそれは楽しそうにローマ兵達を斬って薙いで叩き潰してまわる。
「もっと大勢でかかってくるがよい! 無勢を潰して回るのは骨が折れるのでな!」
彼は殺戮の合間にも、ローマ兵達に更なる挑発をしかけるのを忘れない。
「おのれぇぇぇぇぇぇっ!」
稲にたかるイナゴの様に、彼に群がるローマ兵達。
「甘いわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
彼は手にした剣を地面に平行する形で倒し、そのまま独楽の様に回転する要領で敵兵を纏めて吹き飛ばす。彼は哄笑あげながら、文字通り屍山血河を築いていく。
最早人間技とは思えぬ彼の殺戮に、流石のローマ兵達も怯む。彼等は武器を片手に、ジリジリと敵から後ずさる。
「あ、悪魔め!」
睨み合いの中で、ローマ兵の内の一人が吐き捨てる。
「どうした? これだけいて余の首を取ろうとする者はおらんのか!」
彼は真紅に染まった巨剣を片手に、更にローマ兵達をあおる。それに応える者はいない。誰もが悔しそうに唇を噛みしめる中、猛る一声がローマの戦旗を翻した。
「ここにいるぞ!」
彼に怯むローマ兵達の中から、敢然と一人の若者が進み出る。男はスピキオだった。彼は若者を一目見るなり、その雷声でどやしつける。
「うぬごときが余の前に立つなど百年早いわ! すっこんどれ小わっぱ!」
「殺し合いに年齢もクソもあるか! 挑まれれば迎え撃つのが戦場の慣わし! それともなにか、この俺に臆したのかぁっ!」
侮り混じりの彼の大喝に、見事な啖呵を叩き付けるスピキオ。彼は一瞬驚いた表情を浮かべたあと、巨剣の血糊を払いながら呵呵大笑する。
「よう言うたぞ小僧! 見事な啖呵よ! 気に入ったわ! 名乗るがよい!」
スピキオはやや大げさにグラディウスを剣を構え、一騎打ちの作法に従い名乗り上げを行う。
「ローマ軍参謀師団軍政部所属、『ローマの子』五人が内うちの一人、プブリウス・コルネリウス・スピキオ! 参る!」
「かかってくるがよい、ローマ一の勇者よ!褒美に余の剣を存分に味わわせてくれるわ!」
いざ、尋常に! との掛け声と共に、スピキオは一気に敵との間合いを詰める。彼はそれを迎え撃つべく、腰を落とし、巨剣を構える。両者の間合いが触れ合うか触れ合わないかのくらいの距離で、スピキオがいきなり手にしたグラディウスを彼の顔面に目掛けて投げつける。
「むっ!」
彼は巨剣をはね上げて、それを辛うじて弾く。 彼の姿勢は巨剣を下から上へと振り上げた状態であり、その上体は今、がら空きとなっている。
スピキオはその隙を逃さず、背中に隠し持っていたもう一本のグラディウスを素早く抜き、そのまま敵の首筋狙う。
「もらった!」
スピキオは勝利を確信した瞬間、頭部に凄まじい衝撃を受けてその場に崩れ落ちる。軽い脳震盪を起こしたのか意識がぼやけ、思考がまとまらない。ザッ、と誰かが目の前に立ち、自分を睥睨する。その時になってようやく、意識が現実に追い付いてくる。
(何だ? 俺は打たれたのか? でも何で? あの間合いで剣は間に合わない筈だ)
ひたすら混乱しているスピキオの瞳に、彼が手にしている巨剣の柄が映る。
(そうか! 俺は柄で殴られたのか! あの状況でなんて機転だ)
敗北感に浸るスピキオの頭上に、彼の巨剣が迫る!
(これまでか)
スピキオは観念して目を閉じる。瞼の裏に浮かぶ家族の、友人達の、パウルスの、そして何より妻の笑顔。
(すまぬ、テルティア。幸せになってくれ)
瞼の裏で妻に別れを告げたスピキオの頭部が、甲高い音を立てる。衝撃と共に『何か』が割れる音がした。顔全体を優しく撫でる風を感じながら目を開けたスピキオの両側に、綺麗に二つに割られた兜の残骸がそれぞれ転がっている。
(兜を割られただけ? 生きているのか、俺は)
見上げると、スピキオから巨剣を引く彼の姿があった。
(いや、生かされたのだ。俺は)
湧いてきた身を焦がさんばかりの屈辱感の中、スピキオは思わず叫ぶ。
「勝負はついた! なのに何故俺を殺さぬのだ!」
「余にも分からぬ。大方こやつがうぬを気に入ったのであろう。ふふ、このじゃじゃ馬めが、随分と面食いとみえる」
彼は悪戯っぽく笑い、スピキオに向けて手にした巨剣をこれ見よがしに掲げる。ふざけるな! 殺せ!、と叫ぼうと口を開きかけたスピキオに、彼は格の違いを見せ付ける。
「尋常な勝負とうたいながら奇手を仕掛けてくるその才覚、なかなかのものよ。大いに楽しめたわ」
そう言って彼は踵を返して、また新たなる敵をその苛烈すぎる眼光でとらえる。
「殺すには惜しい。精進せい!」
彼は背中越しにスピキオに対してそう言い放ち、また新たな剣刃の中へと突っ込んでいく。
負けたのだ、完全に。
彼の背が遠ざかっていくにつれて、スピキオの胸中に再び屈辱感がぶり返す。目尻に熱いものを感じる。唇の上で感じる忌々しい塩味。敗北感が惨めさと化し、そしてそれが己の矜持を食い尽くした時、いつしか彼は雄叫びをあげていた。
「名も知らぬ戦士よ、俺はこの屈辱は忘れん! 俺を殺さなかった事を後悔させてやる! 俺の名はプブリウス・コルネリウス・スピキオ! お前とハンニバル、そしてカルタゴを滅する男だ!」




