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第十幕

お世話になっております。作者です。


いつもありがとうございます。


今週ちょっと忙しくて、若干少なめです。申し訳ありません。

それから暫くして、士気を回復したローマ軍歩兵部隊が攻撃を再開する。


後方を遮断される事に対する不安が、完全には払拭されてはいない為だろう。その攻めは、先程までとは違いどこか精彩を欠いたものであった。

「なにもたもたやっておるのだ! 攻めろ!攻めて攻めて攻めまくるのだ!」

先程とは打って変わり、動きの鈍い自軍に、ウァロがまた癇癪を爆発させる。

優勢な筈のローマ軍内部に、何とも言えない嫌な空気が漂いはじめていた。


「後詰の部隊は引き続き敵の攻撃を受け流しつつ後退を続けよ。四、五、六隊は後方から後詰の部隊の援護に回れ!」

ローマの司令部とは対象的に、カルタゴ軍歩兵部隊の司令部は活気に満ちている。変幻自在かつ的確な彼の指揮が、幕僚達と兵士達の士気をいやがうえにも押し上げている。


「敵の中央部の一点を交代でひたすら狙え!波状攻撃だ! 敵は必ず崩れる!」

ウァロの指示の下で、ローマ軍は新たな重撃を開始する。敵部隊の動きからそれを素早く察知した彼は、巧みに兵を動かし、その攻撃をいなしてしまう。

「第三部隊、第七部隊は攻撃してくる敵の側面を突け!牽制でいい!決して深入りするな!後詰の部隊は後退の速度を少し速めよ! まともにぶつかるな!もっと奥へ奥へとと引きずり込むのだ。第二隊、第八隊、第九隊! まだ攻撃の時ではない! 手はず通りに後退を続けよ!」

彼の指示により、カルタゴ軍が敷く包囲網がまた一段と深くなる。ローマ軍はまた一歩、深みへと足を踏み入れた。


「前線の阿呆共は何をやっている! まだ突破出来んのか? 相手は寄せ集めのガリア兵だぞ!」

まるで苛立つウァロを嘲笑うかの様に、ローマを滅する為の包囲網を着々と構築するカルタゴ軍。苛立ちのあまり陣幕から飛び出しウァロの前に、馬に乗った伝令兵が駆け寄る。

「緊急故馬上より失礼致します!」

「ならぬ! しっかりと下馬して報告せよ!俺は総司令だぞ!」

おいおい、こいつは状況を分かっているのか? と言いたげな表情で顔を見合わせる幕僚達。伝令兵も同じ気持ちなのだろう。ウァロに気付かれぬよう舌を鳴らしつつ下馬し、もう殆ど怒鳴る様に報告する。

「申し上げます! 我が左翼騎兵部隊は敵騎兵部隊の前後からの挟撃を受け戦線が崩壊しつつあり。撤退も難しい状況故に、至急援軍を乞う、以上、ミヌティウス将軍からのお言葉です」

「無能共めが! これだけ雁首そろえて使える奴はおらんのか!」

全軍を統べる大将として決して口にしてはならない言葉を喚きつつ、ウァロがまるで子供の様に地団駄を踏む。

「まだか? まだ中央は破れんのか!」

「・・・・・・まだその様なような報告は上がってきておりませぬ」

ウァロの問いに対して、幕僚の一人が瞳に軽侮の色を宿らせながら答えた。それには気付かずに、ウァロは交戦中のカルタゴ軍を忌々し気に見やる。彼らの掲げる戦旗は力強くたなびいており、その佇まいには翳りなど微塵も見受けられない。

「誰だ!」

ウァロは指揮杖を地に叩きつけ、カルタゴ軍を睨み据えながら叫ぶ。

「こいつらの指揮を執っているのは誰だ!」


子供の様に喚き散らしているウァロを尻目に、敵軍を改めて観察するパウルス。彼等は相変わらず攻撃を捨て、陣形を維持しつつ、防御と後退に終始している。そのたどたどしい動きを見るパウルスの脳裏に、『何か』が引っかかった。

(なんだ? この違和感は)

敵軍をもう一度仔細に観察し、パウルスはやがてその違和感の正体に気付く。

(戦旗の位置が入れ替わっている?)

カルタゴ軍の各部隊が掲げる戦旗の位置が、先程と違い大きく様変わりしている様な気がした。それが意味する事は一つ。

(部隊の配置を変えた? この状況でか? まさかな)

自身の気付きより、身に沁みついた常識を優先してしまうパウルス。


もし彼がこの時最前線にいたら、敵を前にして軍の配置を変えるというカルタゴ軍の離れ業を目撃していたら、この戦いの結末は変わっていたのかもしれない。



「敵の攻撃がより一層激しくなりましたね」

ハンニバルに代わり全軍を統括するマゴの隣で、幕僚の一人が不安気に呟く。状況は悪くはないものの、未だ勝利を信じきれていないのか、他の幕僚達も皆、彼と同様に心細気な顔をしている。首脳陣に漂う臆病風を払拭すべく、マゴはあえて慣れない冗談を口にする。

「自分達の状況を把握したんだろう。地獄の一丁目に足がかかっている事をようやく認識したとみえる」

自分としては傑作だと思ったのだが、幕僚は冗談だと受け取らなかった様だ。

「地獄だと分かっていながら、何故敵は後退しないのでしょうか?」

ニコリともせずに幕僚が言った。

(だめだ、私はとても兄さんの様には出来ない)

心中に湧いて出た大きな落胆を悟られぬ様に、マゴはあえてあっけらかんとした口調で応える。

「せっかく地獄に来たんだ。土産の一つでも持って帰りたいんだろう」

マゴの冗談がようやく伝わったのか、幕僚達が小さく笑う。彼等の眼前で、こちらを目掛けて遮二無二に突っ込んでくるローマ軍。その奮闘ぶりを見るマゴの脳裏に、兄との水入らずが浮かぶ。これはそう、先日兄と夕食を共にした時の記憶だ。


「今回の戦、俺は絵を描くだけだ。現場じゃ何もしねぇ」

兄の言葉に、マゴは手にしていたグラスを取り落としそうになる。

「何もしない、って。では我々はどうすればいいのですか?」

呆れた表情を浮かべるマゴの視線の先で、ハンニバルが焼いた牛肉にフォークを突き刺している。

「何もしないのが一番なのさ。何せ俺は囮だからな」

そう言って肉を頬張り、ニカッと笑う。ロウソクの灯りに引かれたのか、目の前をうろつく蛾を手で払いながらマゴが言う。

「囮とはどう言う事ですか?まさか部隊を率いて敵を挑発するとか」

違う違う、と手の一振りでマゴの懸念を払拭し、ハンニバルは説明を始める。


ローマ軍司令官、二人の内の一人、ウァロは功を焦っている事。


ローマの独裁官を目指す彼は、戦功を稼ぐ為に間違いなく自分の首を遮二無二に取りにくる事。


自分が陣地の一番奥にいる限り、奴は間違いなく突撃してくる事。


敵司令官について、まるで見てきたかの様に語る兄の言を、マゴはホラだとは思わない。何故なら、彼は知っているからだ。

ハンニバルはその卓越した情報収集能力で、ローマ軍を逐一調べ尽くしている事を。


「戦の勝敗を決めるのはいつだって情報さ」


兄の口癖。

情報一つでローマ軍八万を掌の上で踊らせてしまう兄、その名もハンニバル・バルカ。



(とてもかなわない。根本的に私とは『何か』が違うんだろうな)

戦風の中、諦めと感心がない混ざった奇妙な感覚に浸るマゴの側で、別の幕僚が感心した様に呟く。

「信じられない・・・・・・。現場にいながら、まるで戦場を上から見下ろしているかの様に的確に部隊を動かしている。寸分のズレもない。神業としか言い様がようがない」

ローマ軍の猛攻を受けているカルタゴ軍歩兵部隊が、たどたどしくではあるが、その陣形を逆Uの字の形から徐々に徐々にUの字に変える事で、次第にローマ兵をローマ軍歩兵部隊を呑み込みつつある。戦術上の奇跡を目の当たりにしつつあるマゴ、僥倖と言っていい状況ではあるが、彼の内心は複雑であった。

(今、戦術上の常識が覆されようとしている。それは自分が今まで築き上げてきたものが一瞬で瓦解するという事だ)

物思いにふけるマゴの手が、いつの間にか拳と化している。

(それを目の当たりにする事は、武将として幸せな事なのだろうか?)



これより少し前、ハスドルバルは、マハルベルと戦うローマ左翼騎兵部隊の背後を強襲していた。

前後からの挟撃を喰らい、動揺するローマ騎兵を次々と討ち取ってゆくヌミディア騎兵達。

殆ど掃討戦と化している戦場で槍の血糊を払い、一息入れるハスドルバル。その目は自然と中央へと向かう。そこには今当にカルタゴ軍の半包囲網下に陥ろうとするローマ軍歩兵部隊の姿があった。

「信じられん・・・・・・。戦いながら軍隊を後退させた。この用兵、人間技ではない」

呆然とした表情で呟くハスドルバル。


彼の側で今、カルタゴの軍旗が力強くたなびいている。


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