第六幕
いつもお世話になっております。作者です。
先ずは病状の報告です。
結論から言うと、悪性腫瘍ではありませんでした。ホッとしています。ただ、本格的な治療は必要なので、暫くはリハビリの日々です。なるべく連載は続けますが、場合によってはお休み頂く事になるかもしれません。その時はどうかご容赦願います。
私の二作目、『本能寺の武田兵』の発売日が決まりました。12月15日(月曜日)です。内容だけでなく、表紙にも力を入れましたので、ご覧頂けると幸いです。(アマゾンとかで予約を受け付けていますので、表紙だけでも見て頂けると嬉しいです)
さて、本編です。この回あたりから僕の悪ノリが始まります。
この展開はどうでしょうか?皆様のご不興をかうのではないかと心配なのですが・・・・・・。
また閲覧者が減ったらどうしょう(´・ω・`)
戦風の中、戦意闘気を漲らせて整然と並ぶカルタゴ軍左翼騎兵部隊。
彼等を構成するのは、馬を操らせたら世界一と言われるヌミディア人達である。そんな彼等の前に進み出たハスドルバルは、まるで舞台役者のように大仰な仕草で演説を行う。
「諸君! 我らは大将軍より先陣の名誉を賜った! 武人としてこれに勝るも名誉はあるまい!」
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」 目の前の将兵達から歓声が上がる。ハスドルバルはそんな彼等の咆哮を抑える様な野暮な真似はせず、好きなだけ吠えさせる。鬨の声が収まり、猛々しさをはらんだ孕んだ静寂の中、ハスドルバルは再び口を開く。
「それでだ諸君! 我らは賜ったこの身に余る栄誉に対してどう応えるべきであろうか!」
「勝利をもって!」
「勝利をもって!」
「勝利をもって!」
手にした槍を掲げて、上官の呼びかけに応える左翼ヌミディア騎兵達。
彼等に対して大きく頷いたハスドルバルは、眼前に展開するローマ右翼部隊と正対し剣を抜く。七千人の兵士達が、槍を構え馬上で静かに腰を浮かす。ハスドルバルは剣をゆっくりと振り上げ、そしてその数倍の速度で振り下ろした。
「かかれぇ!」
七千人のヌミディア騎兵が一丸となって、ローマ軍右翼二千五百人に襲い掛かった。
紀元前二百十六年八月二日。後の戦史上にて『包囲殲滅戦の最高傑作』とまで評されるカンナエの戦いが今、始まる。
カルタゴ軍中央歩兵部隊司令部。
つい先程から眼前で始まっている軽歩兵同士の小競り合いは、カルタゴ軍が劣勢だ。
「・・・・・・ご指示を」
司令、と呼びかけずに、ルーファンに指示をあおぐ幕僚達。
「そんな事言われても・・・・・・」
幕僚達の刺すような視線の中、右往左往するだけのルーファン。やっぱり逃げ出してしまおう、こんな命令を出す方がどうかしている。ハンニバルには助けてもらった恩があり、個人的にも親しみを覚えてはいるが、こればっかりは納得できない。僕は悪くない。悪いのはハンニバルだ。そうやって自己を正当化し、逃げ出すため踵を返した彼の前に、屈強な騎士達が立ちふさがる。
「・・・・・・前方に展開中の軽歩兵部隊が破られつつあります。ご指示を」
逃がさぬとばかりに、さり気なくルーファンの退路を断つ騎士達。進退窮まったルーファンが思わず弱音を吐く。
「ぼ、僕は只の羊飼いだ。軍事の事なんか何も分からないんだぞ。そんな僕に指示なんか出来る訳ないだろう! 不可能だ!」
(試しもしないのに何故不可能だと分かる?)
「だ、誰だ!」
いきなり聞こえてきた声に驚愕し、ルーファンは辺りを見渡す。見たところ目の前の騎士達や幕僚達の中で発言した者はいない。皆気味悪げな表情でこちらを見ている。
(気のせいか)
安堵しかけたルーファンの心を、ドス黒い霧の様なものが覆い尽くしていく。
(まぁ、無能惰弱なうぬにこの状況は手にあまるか。よかろう、さっさと余にその体を明け渡すがよい)
気のせいじゃない。確かに声がする。外ではなく、自分の中で。
「・・・・・・だ、誰なんだお前は・・・・・・」声の主が自身の中にいる事にようやく気付き、ルーファンは呆けた様に呟く。一人で何やら喚き始めた彼を、とうとう狂ったか、と気の毒そうに見る幕僚や騎士達達。その時ルーファンが奇声と共にいきなり反り返った。
「キィィィィィィィィィィィィィィィエィエィエィエィエィエィ!」
歩兵部隊の指揮所から遥か後方にある総指揮所で全軍を統括するハンニバル。その形の良いまつ毛が二、三度跳ね上がる。彼が悦に入る時の癖である。
「どうされましたか?大将軍」
副官であり、弟でもあるマゴが兄の様子の変化に気付く。何がそんなにも嬉しいのか、ハンニバルはウキウキした様子で答える。
「さてと、今日の俺の仕事は終わった」
そう言ってハンニバルはどっかりとその場に座り込む。彼の視線の先には、ローマ軍の軍威に恐れをなし、士気が崩壊しかかっているカルタゴ軍歩兵部隊の姿があった。
「冗談はおやめ下さい大将軍!前線が崩壊しかかっているんですよ!今すぐ指示を出し、歩兵部隊を立て直さないと」
血相を変えるマゴを尻目に、ハンニバルは顎をなでながら何やら楽し気に呟いている。
「この状況からの奇跡の大逆転か。あんにゃろ、今日のおいしいところを全部持って行く気だな」
「アウアウアウアウアウアウアウアウアウやめろやめろやめろやめろやめろやめらやめろや・・・・・・め・・・・・・ろ」
口から泡を吹きだしながら地をのたうちまわるルーファン。『浸食』されていく意識の中で、彼は今までの不可解な体験を思い起こしていた。
日常生活において、唐突に意識が飛ぶ事があった。覚醒すると、大抵見た事もない場所に立っていた。今まで親しかった人達が、急によそよそしくなったりした事もあった。自分は夢遊病の気があるのだろうな、くらいにしか思っていなかったのだが・・・・・・。
(お前だな。お前が時おり僕の体を乗っ取っていたんだな)
(お前?)
心の中の『何か』、いや『誰か』の声に怒りの色が混じる。
(うぬごときが余を『お前』呼ばわりか。不敬の極みじゃの。その罪、万死に値する)
(不敬ってなんだよ! 僕はお前の家来じゃない!)
ルーファンの言い分は至極真っ当なものであったが、胸の内の『誰か』は歯牙にもかけてくれなかった。かけなかった。
(幾ら無能惰弱とはいえ情けない生を貪る権利はある。故に意識の一片くらいは残してやろう、と思わんでもなかったが)
遂にルーファンの口から絶叫が途切れ、その瞳の光が薄らいでいく。その大きく開かれた口から流れ出るは、呼吸と呼ぶにはあまりにも儚い、只の空気の微かな流れであった。ルーファンは地に伏した状態で、まるで何かを取り戻そうとするかの様に、両手を天にあげる。全身全霊をかけて自らの意識にすがりつくルーファンに、『それ』は冷然と宣告を下す。
(去ねぃ!)
錯乱しているルーファンを気の毒そうに見やる騎士や幕僚達。その内の一人が進み出て、鞘から剣を抜き放ちつつ言った。
「狂ったか。無理もない。こうなれば一思いに楽にしてやるのが情けというものであろう」そう言って地に伏しているルーファンの顔を見下ろす形で仁王立ちになり、逆手に持った剣を振り上げて、心臓を目掛けて一気に突き入れる。
次の瞬間!
「なっ・・・・・・馬鹿な!」
目前の光景に絶句するより他ない騎士。突き入れた剣を、ルーファンがその右手で捉えている。
(何だこの力は?)
剣を通して伝わってくる膂力に戦慄を覚える騎士。その瞬間、彼の視界が反転した。
「ぐわっ!」
彼は豪快に宙を舞い、顔面から地に落ち気を失う。周りの騎士や幕僚達は確かに見た。ルーファンが右手を軽くひねり、剣ごと騎士を投げ飛ばしたのを。
「誰に向けて剣を向けておる、この痴れ者めが」
ゆっくりと起き上がるルーファン、いや、ルーファンの形をした『誰か』 彼は両足でしっかりと地を踏みしめ、周りの騎士や幕僚達に鋭い一瞥くれる。人間の物とは思えない凄まじい眼光に射貫かれて、誰一人目を逸らさぬ者はいなかった。
その時、一陣の風が吹く。
彼は僅かに顔を綻ばせ、それを心地よさげに受ける。
「鋼の焼ける匂い、身を打つ兵気、血の弾ける音、これぞ戦場の風よ。心地よし」
彼は小さいが重みのある声で呟き、目を軽くしかめて周りを見渡す。
「左に河川、右に丘陵。面白い、イッソスを思い出すわ」
そう言って彼は指揮杖を振りかざし、その雷声をもって指示を出す。
「伝令!」
誰も動かない。ひ弱な羊飼いの男が、いきなり別人の様な、いや、別人と化したのだ。このあり得ない状況に、誰一人とてついていけていない。
「・・・・・・お、お前は誰だ」
騎士の内の一人が、勇気を振り絞って彼を誰何する。その瞬間、彼の額に稲妻が走る。
彼が持つ大剣がうなりをあげた。
剣風の中で、その身を二つに割られ、血煙の中に沈む騎士。眼前で繰り広げられたあまりの非現実的な光景に、場の空気が凍りつく。鎧ごと人体を真っ二つにするなど尋常な膂力ではない。人間離れしている。この華奢な男の体のどこにそれ程の力が潜んでいるのか。
「余の手にかかってあの世に逝ける事を光栄に思うが良い。うぬごときには過ぎたる土産ぞ」
彼は傲然としかいい様がない口調で、死者に餞を送る。 突如変貌した司令官の覇気に呑まれ、案山子のように突っ立つだけの幕僚達や騎士達。そんな彼らを前にして、彼は血が滴る剣を片手にドスを効かせる。
「伝令が来ていないようだが」
「で、伝令! 急げ! すぐに司令官閣下の前に参上せよ!」
幕僚や騎士達が慌てて伝令を呼ぶ。どんな強敵に対しても臆しない彼らが、今心底彼に怯えている。慌てて駆けつけて来た伝令に、彼が幾つかの指示与える。
「御意!」
との掛け声と共に三々五々散っていく伝令兵達。その後、彼は指揮杖を地面に突き刺し、その上に両手を置く形で堂々とした命令を出す。
「全軍全進! 現状の陣形を維持しつつ敵に当たれ!」
「な、なりませぬ。それだと前進した部隊のみに敵の攻撃が集中し、局地的ながらも前進部隊はそのまま半包囲の憂き目にあいます。何卒ご再考を」
彼の剣が再び疾る。またしても上がる血煙。鎧ごと両断された騎士の死体が二体となった。
「うぬごときが余に兵を語るなどと千年早いわ」
彼は血糊で煌めく剣を片手に、幕僚達に向き直る。
「まだ余に兵を語りたい者は名乗り出よ。余の手にかかる栄光を褒美としてくれてやるわ」
「ぜ、前進! 全軍前進だ! 第六、七、八隊は前進! 第五、九、部隊は第六、七、八隊の後詰だ! 急げ!」
歩兵部隊司令部が俄かに慌ただしくなる。鈍重な動きで配置につき、ようやく前進を開始する寄せ集めのガリア兵達。そんな騒がしい空気の中、彼は不快気に呟いた。
「命令の伝達、それによる部隊の連動、そして着陣。全てが迂遠すぎる。何と連度の低い。相手がスピタメネス、メンノンだったら今頃我等、全滅ぞ」
彼の口調は忌々し気であったが、戦場を見るその目は妖しく輝いている。そんな彼を、剣の届かない間合いで肩を寄せ合い遠巻きにしているカルタゴの幕僚達や騎士達。ローマの大軍を前にしても怯えの色を見せなかった彼らが、今心底震えている。




