序幕
ハードディスクの肥やしになっていた戦記物。
俺自身すっかり忘れていた(笑)
ちょくちょく投下していきますので、どんなものか、皆様の感想を聞かせて下さい。
ノリと酔狂の赴くまま、三日くらいで書いた作品ですのであまり期待しないでください。
禁じ手使ってます(´・ω・`)
ハンニバル・バルカ。言わずと知れた人類史上最高クラスの戦術家。カルタゴ出身。その傑出した軍事的才能により、大ローマを何度も揺るがせた男。彼が残した戦術は後世でも高く評価、研究され、後に続く、彼に勝るとも劣らない数多の名将達の道標となった。
彼の生国カルタゴとは、北アフリカの現チュニジア付近にある、フェニキア人により建国された国家である。当時としては高い造船技術と金属加工技術を有した地中海最大の海運国家であった。このカルタゴ、以前大きな戦役を経験している。
第一次ポエニ戦争である。
事の発端は、地中海に浮かぶシチリア島で起こった小競り合いであった。その西半分はカルタゴの属領であり、東半分は北東がメッシーナ、南東がシラクサの支配下にあった。ある時、メッシーナとシラクサとの戦争が勃発した。カルタゴにとっては地方の小競り合い程度であったこの戦だが、メッシーナがローマに応援を要請した事から状況は一変、シチリア島をめぐってのカルタゴとローマの戦争へと突入した。この戦いが、後世に言う第一次ポエニ戦争である。この二十二年間に亘る戦にカルタゴは敗北、シチリア島を失い、それだけではなく属領のコルシカ島とサルデーニャ島までローマにかすめ取られるという醜態をさらす。カルタゴは四百年に渡り築き上げたものと利益、そして地中海西半分の海を失った。
ローマは勝った。だが勝ちすぎた。
ローマが得たもの。領土と名声と財物、そして一人の男の復讐の念。
ハミルカル・バルカ。カルタゴの名将であり、ハンニバルの父親ある。第一次ポエニ戦争で奮戦するも、力及ばず敗軍の将となる。彼はこの雪辱を晴らすべく、最強の軍隊を作るため、当時カルタゴの植民地であったスペインへと渡る。第一次ポエニ戦争での敗戦を経験した彼は、国家の権益を守るに足る、強い軍隊の必要性を痛感していたのだ。この時ハンニバルは九歳。既に大器の片鱗をのぞかせていた彼は、ローマへの復讐の為スペインに向かう父に同行を頼み込む。それに対して父ハミルカルは、バアル(キリスト教以前の中東にて、広く信仰されていた神の名前)の神殿にて『生涯ローマを敵とすることを誓う』ことを条件に同行を許可した。
「生涯ローマを敵とせよ」
親から子へと託された願いと言う名の呪い。
ハンニバルは終生、この呪縛から逃れられる事は無かった。
ハミルカルの死後しばらくして、ハンニバルは二十二歳の若さでスペインにおけるカルタゴ軍の司令官に抜擢される。
彼はその卓絶した軍事的才能を存分に生かし、父に成り代わり、ローマに対して復讐を開始する。スペイン西部の都市サマランカ、ローマの主要都市の一つサグントゥムを陥落させ、その名を天下に轟かせる。これを受け、ローマはカルタゴに宣戦布告、こうして第二次ポエニ戦争が始まった。
ハンニバルの戦略はイタリアに遠征し、そこで敵を叩くというものであった。そのための戦術としてハンニバルはアルプスを越えてローマに侵攻する事を決断。五万の兵、九千頭の軍馬と荷役動物、それに三十七頭の戦象を従えてカルタヘナを出発する。苦難の十五日を経てアルプス越えを果たすも、カルタゴ軍の軍容は当初の五万人の半数にも満たない兵士達と、ごくわずかな戦象と荷役動物だけだった。こうした甚大な損害もものともせず、ハンニバルは残りの軍勢を率いてイタリアのポー平原に侵入。ハンニバルがアルプスを越えてくるなど夢にも思っていなかったローマ軍に完璧な奇襲攻撃を仕掛け、勝利する。その後、カルタゴ軍は二度の戦いで迅速な勝利を収め、穀倉地帯であるカンナエを占領。ローマは遅まきながら事の重大さに気付き、八万の大軍を編成し、カンナエに向かわせた。
ローマの大軍の足音がヒタヒタと迫る中、その不敗の名将が森の中にある小さな小屋の中で苦悩している。彼の視線の先には、人の腕の長さ程の升目のついた盤があり、そこには戦車や歩兵、騎兵等を型どった駒が配置されている。
盤上の駒の数は、明らかにハンニバルの方が少ない。そして盤を挟んでハンニバルと対峙している、トュ二カ姿の上に、無染色無地のトガを優雅に着こなした男。ハンニバルに横顔を見せる形で長椅子に腰掛け、相手とは対照的にリラックスした状態で羊皮紙を広げている。長椅子に身を預け、読み物を楽しむただそれだけの行為に、そこはかとない気品を感じる。シュッ、と空気が揺れた。ハンニバルが盤上の重装歩兵の駒を手に取り、敵の王の近くに置く。対面の男は盤を見もせず、そう来る事は分かっていた、と言わんばかりに戦車の駒を敵陣へと滑り込ませる。驚愕のあまり眦を広げるハンニバルをよそに、再び読み物に没頭する男。
「ま、参りました」
暫く悩んでいたハンニバルだが、やがてがっくりと項垂れて投了を宣言する。盤上の模擬戦とはいえ、世界最高クラスの戦術家を苦も無く捻った対面の男は涼しい顔で言う。
「どんな時でも一発逆転を狙うその打ち筋、拳闘士や賭博師としてはともかく、軍司令官としてはさて、どうかな?」
「うっ・・・・・・くっ」
屈辱のあまり言葉が出ないハンニバル。そんなハンニバルに容赦なく追い打ちをかける男。「お主に命を預けている将兵は、さぞかし苦労している事であろうて」
黙って項垂れるだけのハンニバル。ここイタリアに来る道中でのアルプス越えで、将兵の半数を失ってしまった彼には耳の痛い言葉であった。
「ハンニバルよ」
「はっ」
畏まるハンニバル。歴史上最高クラスの戦術家が完全に兜どころか甲冑までをも脱ぎ捨てている。
「汝は正道よりも奇道を好む。それはよい。だが、」
男が優雅な手つきで羊皮紙を丸めながら続けた。
「『奇』はどこまで行っても『奇』だ。『正』にはならん」
「・・・・・・」
一言一句逃さぬよう、神妙に男の言葉を聞くハンニバル。この英雄を生徒扱いするこの男は、一体何者であろうか。
「『正道』、言葉通り『正しい道』。敵よりも多数の兵を集めるのが戦の基本よ。それが叶わぬ時は外交、謀略をもって戦いを避ける。少数で多数を破るのは奇道であり邪道と知れ」
ゆっくりと顔を上げるハンニバル。その目は真剣そのものだ。二人の目が空中でぶつかり合う。
「なんじゃその目は。気に入らんな」
男が纏う覇気が視線を通してハンニバルを打つ。だが常人なら卒倒しそうな程の圧力を持つその視線を前にして、何とか口を開くハンニバル。
「我が軍はそうもいかなくなって参りました」
「ほう、・・・・・・そうもいかなくなった、とな」
「はっ。ローマ軍八万がこのカンナエを奪い返すべく此方に向かっております」
「ふん」
「それに対してわが軍は五万。兵数で不利な上に、歩兵部隊の大部分はガリア兵、この地で調達した寄せ集めの傭兵です。最強と名高いローマの重装歩兵、ファランクス隊とはとても渡り合えませぬ。練度も兵力も士気も差がありすぎまする」
「なら何とする? 五万人の将兵の命を預かる立場として。申してみよ」
「戦いまする」
「うぬは余の話を聞いていなかったのか?」いつの間にか男の左手が腰の物に伸びている。それを見て震えあがったハンニバルは、慌てて男に向けて訴えかける
「策がありまする! 奴等を滅する秘策が!」
「ほぅ・・・・・・」
男の左手が剣から離れる。それを確認して安堵するハンニバル。彼の背中は冷たい汗でびっしょりだ。
「面白い。興がわいたぞ。話してみよ、その策とやらを」
男が長椅子ごとハンニバルに向き直る。そんな男を前に、盤の上で駒を駆使して説明を始めるハンニバル。自身が考えに考え抜いて編み出した、ローマ軍八万を殲滅させる秘策を。
「邪の極みよのう。汝の頭の中は相当ひん曲がっとるようじゃな」
盤を見ながら呆れた様に呟く男。説明を終えたハンニバルは、額に汗を浮かべて男からの評価を待っている。
「話にならん」
ハンニバルの作戦をバッサリと切り捨てる男。それに対し、ハンニバルがやや色をなし反論する。
「お言葉ですが、この作戦は戦術的には不可能ではないはずです。そのお言葉はあんまりかと」
「余は戦術の話などしておらん。戦略の話をしておる」
「戦略?」
「戦略とは『戦を略する』と書く。不必要な戦を避け、戦力を温存し、本当に必要なところに戦力を集中するのが真の大将の振る舞いぞ。しかるにそちはどうだ」
自然と項垂れてしまうハンニバル。男がこれから何を言おうとしているか、自分がこれから何を言われるのか、彼は十二分に分かっていた。
「愚行としか言いようがない冬のアルプス越え。ティキヌス、トレビア、トラシメヌス、なんの戦略的価値もない場所での三度の大戦で徒に兵を消耗し、今当に正念場の現在、見事兵力不足に陥り、好んで邪道に足を踏み入れようとしておる。これを愚行と言わずに何を愚行と言うのか、この痴れ者めが」
「お言葉ですが!」
アルプス越えが愚行だと? 仕方が無かったのだ! 制海権はローマに握られ、陸路を行こうにも、イベリア半島経由でイタリアに向かう道すがらは全てローマの大軍が配備されていた。陸海路全てが塞がれていた我がカルタゴに、アルプス越え以外、他にどんな手立てがあったというのだ! 三度の会戦も意味は無くはない! これらの勝利によって、同盟都市の盟主であるローマの威信を揺るがせ、その結束に楔を打ち込んでやったのだ! その証拠に、我がカルタゴになびく同盟都市もちらほら現れ始めた。今当に風が吹こうとしている、いや風を起こしてやったのだ!
『戦勝を材料として同盟都市を離反させ、その上でローマを滅ぼす』
三度の会戦はこの戦略の一環であり、決して、決して行き当たりばったりの無価値な戦争ではない! 色をなし、思わず反駁しかけるハンニバルを、まるで踏み潰すかのように睥睨する男。その目に射られた瞬間、ハンニバルの全身に戦慄が走り抜ける。
(いかん、これを口にしたら首を叩き落とされる!)
「こ、これはとんだご無礼を」
すんでのところで思いとどまり、跪いて無礼を詫びるハンニバル。それに対して、鷹揚に答える男。
「構わぬ。申してみよ」
内心を奮い立たせつつも、男の逆鱗に触れぬよう、直接の反論を避ける形で言上するハンニバル。
「邪道、奇道は『正』ではありませんが『道』ではあります! 多用は避けるべきかもしれませんが、立派な手段の一つであります」
「ほぉ・・・・・・」
ハンニバルを見る男の瞳から侮蔑の色が薄らぐ。
「成程。汝の言う事にも一理はある。『邪』や『奇』であっても『道』である以上戦術になりうるか。ふむ・・・・・・」
そう言って改めて盤上の戦場を凝視する男。模擬とはいえ殺伐とした戦場を、どこまでも澄んだ目で見る目の前の男に、ハンニバルはこれまで以上の畏怖を覚えた。やがて男は指で盤上の一点を指し示し呟く。
「この作戦の肝はここじゃな」
(このお方には敵わぬ)
心中舌を巻くハンニバル。自身が全知全能をかけて編み出した最高傑作ともいえる戦術の要を一目で看破された。この男が敵でなくて本当に良かった、と心底思いながらその場に跪くハンニバル。怪訝そうな表情を浮かべる男の前でハンニバルは叫んだ。
「お願いしたき儀がございます!」