第九十五話 賢者と愚者の終着点
室内は実験道具やら作りかけの金細工やらがそこここに放置され、研究室とも趣味の部屋ともつかない混沌とした様相を呈していた。
「ようこそいらした伯爵殿。そして皆さんも」
ガラクタの数々が落とす影の奥から低く這うような声がし、けれどもその相手を俺たちは見ることができない。部屋の中央にどんと置かれた作業机を迂回しつつ進んでみると、雪崩を起こしたような本の山が目に留まった。
「お兄様、また潰されたの?」
「そうらしい」の重々しい返事は確かにその本の下からして、「すまないが掘り起こしてくれないか。身動きが取れない」とのなんとも情けない要望が俺たちにさらに目を剥かせた。
「わたしにも覚えがありますわ~。でも古紙とインクの匂いが居心地がよくてそのままうたた寝なんかしちゃったりして~」
ほわほわと常人には理解しがたい同意を示しつつ、山の最上部から分厚い書物を除去し始めるエクリーフに、ベルゼヴィータとマスカレーダのため息が並ぶ。同じ厄介な年上のきょうだいを持った者同士のシンクロだった。
こっちはとにかく大所帯なので、本の山はあっという間に解体されていった。そしてそろそろお兄様本体が見えてくるかというところで――、「ふうっ」
スポン、と音がしそうな勢いで、本を割って下から飛び出てくる顔があった。
「えっ」
それを見た途端、ぽかんとするエクリーフとマスカレーダ。いや、その顔の気持ちは俺もよぉくわかるよ。
「いや、危なかった。このまま過去の叡知の下で未来の一日を無駄にしてしまうところでした」
そう言って朗らかに笑ってみせたのは……十歳前後と思しき少年だった。
それもただの少年ではない。子供サイズの漆黒の礼装。ふわりと膨らんだボブカットの黒髪と、妖しく輝く紅い双眸。顔立ちは幼いながら端正の一言で、肌は絹のように白くきめ細やか。ショタ界の美少女であるユングレリオ陛下と双璧をなすような妖しくも美しいショタが、そこにいた。
「エクリーフ女史ですね。ようやくお会いできました」
その魔ショタが下半身を本の中に埋めたまま、身を乗り出して握手を求めてくる。
「あ、あら~。まさかあなたがフォラスさんなの~?」
眼鏡の奥の瞬きをしきりに増やしながら、困惑した手で応じるエクリーフ。
ショタい面……いや初対面では誰だってそうなる。俺だってそーなった。
あの両親とこの妹だ。長男はさぞ暗く輝く星のようなイケメンだろうと思ったら、こんな幼い子供が出てくるのだから。
どうやら深族は――それも貴族で間で特に顕著らしいのだが、摂取したミアズマの影響で年齢と外見が一致しないことが多々あるらしい。合法ロリショタはもちろん非合法成人も山ほどいて、ベルゼヴィータの弟なんか身長二メートル超えの厳つい大男でどう見ても父親だった。ちなみに、ベルゼヴィータさんはちゃんと外見通りの年齢なので安心(?)だ。
「お、驚きですわ~。お手紙はとても落ち着いた聡明な文章でしたし、さっきはとても重々しい声がしていましたから~」
「ははは、本に肺まで潰されていたので、変な声が出ていたのでしょう」
何だかエクリーフと、そして二人を横から見ているマスカレーダの態度が落ち着かない。驚きというより、どこか照れているような。これはひょっとして二人ともうちのメイドさんたちと同じくショタ……いや下衆の勘繰りはよそう。この魔ショタは確実にお姉さん特効を持っている。やまとさんもきっと真っ逆さまに癖に堕ちる。
とにもかくにも、彼がハイペストン家の長子フォラスだ。ショタにはすでにオーメルンも陛下もタガネもいるが、うん、「また」なんだ、すまない。
体格的に一族伝統の男仕事である鉱石掘りには向かないが、学問と細工物は家内随一。アークエンデの〈闇の心臓〉に繊細かつ精緻な装飾を施してくれたのも彼だ。ちなみにすでに成人済みであり、婚約者もいたりする。
「挨拶をする時間も惜しい。まずこれを見てください」
本の山から自力で這い出るなり、フォラスは机の上を埋めていた雑貨を、黒シルクの汚れも気にせず腕で押しやった。代わりにそこに置いたのは、雪のように真っ白な粉の載ったシャーレ。
俺たちの視線がそこに集中する中、彼の幼い声が流れていく。
「これは煉界船の破片だったものです」
「これが……?」と、さっきまでの少し浮ついた空気を一瞬で取り払ったエクリーフに、フォラスはわかっているといった口調で、
「ついこの間までは確かに木片でした。手紙でも伝えたように、ほぼ確実にゴフェル杉――大陸中に生えている一般的かつ伝統的な船の建材です。それがある日を境に、突然この白い粉末となって崩れ落ちたのです」
「時間で劣化したのかしら~? 墜落現場の本体の方は~?」
「ガスのせいですべて確認できたわけではありませんが、同じ現象が起こっていると思われます。船を覆っていた爪らしきものも同様です。ちなみにあれは正真正銘の人の爪でした。一般的なものよりだいぶ肥大した形ではありましたが」
手紙でのやり取りを知らない俺たちに気を遣い補足してくれる彼。子供の外見に対し、中身はちゃんと大人だ。エクリーフが安心して調査を任せられる理由が、こういうところにも出ている。
「何かきっかけになるようなことはあったかしら~?」
「時期的にはミアズマとガスの噴出と重なっていますが、それ以外は」
「ふうん。ちょっと気になるタイミングね~」
「はい。わたしもそう思ったのですが、まずはこの粉の解析をと思い、錬金、魔導錬金の基本的な作業で反応を見てみました。結果は――」
小さく息を吸い、あどけない顔に陰の塗膜を張りつけて彼は言った。
「ゼロです。あらゆる干渉に対し、何の反応も示しませんでした。加熱しても、液体に溶かそうとしても、必ずこの状態を維持しています」
「……!」
恐らくこの場において、その異常さを正しく理解しているのはエクリーフだけだった。彼女の柔和な目つきが戦場に立った妹顔負けの鋭さを描いて初めて、俺たちは事の重大さを知る。
「それで、フォラスさんの予想は?」
「……それは……。まだ語るには早いかと。貴女にも調査をしてもらってから……」
「大丈夫ですわ。わたしは他人の意見をあんまり気にしないタチなので」
数瞬のためらいの後、フォラスは細いのどを絞るように答えを口にした。
「本当にただの当て推量になってしまいますが……これは“愚者の砂”ではないかと」
愚者の砂。まるで聞いたことがない単語に、俺たち門外漢は揃って困惑の顔を向け合わすことしかできない。ただ、言葉一つ出ただけで急速に干からびていった室内の空気が、不穏な未来を暗示するかのようだった。
「伯爵様は、“賢者の石”というのをご存知かしら~」
エクリーフの柔らかな声が語る。
「それは聞いたことがある。錬金術の奥義だとか何とか……」
「ええ~。錬金術が目指す究極物質。そこからあらゆる存在へと変化させられる、天が世界を生み出す時に使ったとされる素材ですわ~。それさえあれば、金だろうと人だろうと海だろうと作ることができる万能の触媒ですね~」
俺はうなずく。まわりの皆もここまでは理解できるといった態度だった。ここまでは。
「魔導錬金にも、それに対抗してというのではないですけど、目指すゴールがあるのです~。それが“愚者の砂”。賢者の石とは反対に、物質からありとあらゆる要素を抜き取った、もうどうやっても何にも流転することのない、最終的な宇宙の廃棄物のことを指します~」
「何でわざわざそんなゴミを作るんだよ?」
率直なオーメルンの疑問に「それを生み出す過程が重要なのです」とフォラスからの固い声が応え、俺たちの耳目を再集中させた。
「物質からすべてのエネルギー――いえ、存在意義を奪う、その技術こそが。錬金術は手順と条件が同じなら同じ結果が得られるという、神が定めた法則を見つけ出す学問でした。魔導錬金はそれを外れ、人の意志で異なる結果を引き出そうとする――ある意味で神を殺す学問を出発点としています。それゆえに、最後にたどり着く場所は自然とそこに」
訥々と語られた彼からの説明に、俺たちは暗闇に立ち尽くす思いだった。特に顔をこわばらせているのは、この中では一番身命を賭して神への奉仕にあたっているマスカレーダ。
魔導錬金は都でも学ばれている学問だ。だが神を殺すものだなんて物騒な言説は表には出てこない。こんな物言いをされては、顔をしかめるのも無理はなかった。
「賢者の石同様、愚者の砂も理論で語られるだけの仮想的な物質です。なので、これがそうだという根拠はどこにもありません。しかしながら憶測に憶測を重ねることを許していただきたい。――この船を造った者たちは魔導錬金の極致に達している可能性があります」
煉界船を造った者たち。数多の岩塊を引き連れ、地上へと侵攻してきた彼ら。
煉界人。それはつまり神話の終わりに海に消えた、七番目の人類かもしれない存在。
「彼らが魔導錬金を武器に挑んできたら、我々に勝ち目はありません」
※
討論は現場を見てもらってから――。
フォラスが放った警句の寒気も収まらぬまま、俺たちは騎翅の背に乗って煉界船の墜落現場を目指すことになった。
物質からあらゆるエネルギーを抜き去る技術があれば、すべての攻撃を無効化し、あらゆる敵を無力化することも可能だろう。攻守において隙はなし……事実ならその通りだ。
だが、彼の推測には致命的な弱点があった。
第一の反論として、俺たちは煉界船に勝利している。今までの深族の戦士たちも命と引き換えに撃退の成果を勝ち取ってきたのだ。煉界の戦力は決して無敵などではない。
では、愚者の砂ではなかったとしてあれは一体何だったのか?
すべては現地に行ってから――。
「…………」
眼下に広がる森からあふれた靄が雲のように山肌を隠すのを眺めつつ、俺は体の内側に一つ大きなため息をつく。
単なる調査にこんなにも胸騒ぎがするのにはわけがあった。
この北方山地がヴァンサンカン領に属しているから、というのはもちろんある。平地の町とはほとんど関わりのない魔境とはいえ、何かあったら一番に対処しなければならないのは領主である俺だ。
だがそれ以上に大きな理由。――アークエンデ。
これまで俺は、彼女がいつかラスボスにならないよう数々のフラグを折ってきた。俺自身の消滅の回避。シノホルンの闇落ち回避。アルカナとの対立の回避。〈死食の女王〉襲名回避……。だがそれらを経ても、彼女は今日までバキバキにパワーアップを続けてしまっている。
元よりそうした素地があったというのなら、それはその通りだ。むしろ一番太い説。
自動で選ばれてしまう〈死食の女王〉を継承するほど高い魔導素養。試練石もアークエンデを探して世界をさまよっていたわけだから、いずれどこかでは出会っていた。
要は力の使い方の問題なのだ。その方向性が間違っていない限り、彼女には重魔導主義を取る王国の次期エースとして輝かしい未来が待っているはず。
だが……もしも、俺たちのすぐそばに彼女をラスボスへと引き寄せている重力があるとしたら。
今まで気づきもしなかった、しかし巨大で確実な。
それは『アルカナ・クロニクル』の舞台、〈憤災戦争〉そのもの――。
女性向け恋愛シミュレーションである『アルカナ・アルカディア』と戦略シミュレーションである『アルカナ・クロニクル』は、共通した世界観とキャラクターを持ちながらも一部でパラレルな要素がある。
その一つがアークエンデ魔王化の経緯。
『クロニクル』の合戦パートにおいて、アークエンデがアルカナと戦った場合、こういうセリフがある。
――「学園でつけられなかった決着をここでつけてさしあげますわ」
短いやり取りから世界観を想像させるゲームなので、彼女らの因縁は事細かには語られていない。しかし学園で魔王化したアークエンデがアルカナとの決着をつけていないということは、通常あり得ないのだ。
『アルカディア』において、アークエンデは魔王化した直後にアルカナに敗れ、学園を追放されている。俺もやまとさんに見せてもらったが、あそこは怒涛のストーリー展開で、たとえ天が裂けてもこの二人の決着を阻むことはできなかった。
しかし『クロニクル』において、どうやらアークエンデは〈憤災戦争〉の始まりを受けて学園生活から急遽ヴァンサンカン領に帰還しているようなのだ。
つまり魔王化のタイミングにズレがある。まったく違うフラグが存在している。
であれば、〈憤災戦争〉の芽を潰さない限り、彼女のラスボス化は止まらないことになる。
そして〈憤災戦争〉の最大の元凶――〈反貴族連盟〉を凶行に走らせた、この世界の最奥に眠る火種こそが……煉界なのだ。
俺の勘違いならばそれでいい。アークエンデは強すぎるがゆえにいつでも世界の敵になり得る――そういう理屈なら俺は彼女の隣でいつまでも道先を照らし続けよう。けれどもしそうでないのなら、俺はこれから出会う煉界がらみの事象すべてに向き合っていく覚悟が必要になる。
「このあたりよ」
どこも同じに見える山の上でベルゼヴィータがそう発し、先頭を切って地面へと降下していく。
ここがその運命の分岐路にならないことを祈りつつ、俺は彼女へと続いた。
メイドさん一同「ショタは何人いてもいいですからね」




