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第九十四話 禍々しき我が家へようこそ

 北の空に滲んだ黒染みはすぐに無数に分かれ、その形を明確なものにした。

 黒いハエの大群――。〈ベルゼブブの軍勢〉が解散した今、彼らはベルゼヴィータの生まれた頃からの良き友であり、深山幽谷の北方山地に住まう自由民だ。


「エクリーフ!」

「ベルゼヴィータさん、お久しぶり~」


 一際毛並みのいい巨大ハエの鞍から降りたベルゼヴィータが、出迎えたエクリーフに駆け寄って抱擁を交わす。普段はクールな彼女がアークエンデ以外の相手にここまで感情を露わにするのは珍しい。が、それも当然のことか。エクリーフは煉界船戦勝利の立役者の一人。命と、そして一族の恩人でもあるのだ。


「連絡してくれれば騎翅(きし)を出したのに」

「いいのよ~。わたしが大きなハエに乗って都を離れたらそれはそれで大騒ぎになっちゃうし、姉妹での馬車旅も楽しかったから~」


 煉界船残骸ニ異変アリ。その文面だけで大事ではあったが、今更急いでも仕方ないというエクリーフの意見は、色めきだっていた俺たちの頭を急速に冷やした。

 聞けば、その異変とやらも少々前からすでに起きていたことで、深族による煉界船の調査は撃破直後から粛々と行われていたとか。その精度は手紙でやりとりしていたエクリーフの出る幕がないほど高度なもので、仮に彼女自身が出向けなくとも大きな違いはないという。


 だから今回の訪問は、これまでの調査に対する意見交換と、今起きていることに対しての私見を求めてという、大事だけどそれほど緊急でもないという内容なのだった。


「初めまして、ベルゼヴィータ嬢。わたしはエクリーフの妹のマスカレーダ。今回は姉が御厄介になります」


 控えていたマスカレーダが右手を差し出すと、ベルゼヴィータは躊躇わずにその手を取った。「強いな。戦士の手だ」と漏らしたマスカレーダと、「あなたもね」との返しをしたベルゼヴィータには似た顔が浮かんでおり、まるでお互いを認め合うようにその握手は長かった。


「まずはわたしの家に来て兄に会って。ここ数日部屋にこもり切りで、ひたすら何かを調べ倒してるみたいだから」


 似た者同士か、の発言をかろうじて飲み込んだマスカレーダの苦笑を皮切りに、俺たちは早速出発の準備にかかる。


 メンバーは前回の煉界船戦の参加者に加え、獣人姉弟二人と美人シスター二人の大所帯。

 危険があるわけではないが、相手が相手だけに手練れが入用だった。


 エクリーフは調査隊編成に関して何度も聖庁に打診をしていたのだが、すべて検討中の一言で押し返されていたという。

 何日もかけて北方山地までたどり着き、そこからさらに何日もかけて山の深部へと分け入って、まだ生きていたらようやく調査開始というふざけた難易度に加え、例の仮説のあってどんな真実が飛び出てくるかわからないというパンドラの物置状態。

 上層部の腰が石のように重くなるのもむべなるかなというところだが、それでもぶーぶーもんくを垂れ続けた結果、「ならあなた一人が好きにすればいい」と匙を投げられ、それをあえて真に受けることで、館長は都を飛び出してきてしまったというわけだ。


「結果的にはこれが一番よかったと思うわ~。教団の調査隊が深族の人たちと会ったら、きっと手柄の取り合いのようなことになってしまうと思うから~」


 そううそぶくエクリーフはベルゼヴィータに優しく手を取られ、彼女の後ろにタンデムする。


「エクリーフはわたしが預かるから、伯爵さんはマスカレーダの方をお願いするわ」

「よ、よろしく頼む伯爵殿……」

「あ、ああ……」


 どこか直視しにくそうなマスカレーダの態度につられ、こちらも変に意識した返事になってしまう。この間の嫁の話、エクリーフはすでに忘れ切った様子でケロリとしているのに、とばっちりを受けた周辺だけが引きずらされている模様。なんと迷惑なおねいさんなのだ。


 おまけに……。


「ゴクリ……」


 騎翅に二人乗りするとなれば密着は不可避。その見本図のように、ベルゼヴィータに抱き着いたエクリーフはご立派なものを潰すほどぴったりと身を寄せている。

 姉妹はどちらも修道服ではなく、山歩きもできるズボン姿。厚手の外套も羽織った冒険家風の装備ではあるが、それでもボリュームゾーンは隠せない。


 ゴオオオ……<〇><〇> <〇><〇> <〇><〇>


「な、何か?」


 押し寄せてくるもの言いたげな眼差しに呼びかけるも、


 ゴオオオオオオオ……<〇><〇> <〇><〇> <〇><〇>


 口ほどに物を言う視圧は無言のまま俺の体積をへこましにきていた。待ってくれ。これは致し方ない犠牲なのだ。いくら鞍で体が固定されていても、空中で安定した姿勢を求めるならばどうしても操縦士と密着するしかない。その結果、パイレーツ(最悪な比喩)の戦艦と衝突してしまったとしても仕方ないじゃないか……。


 そんなにっちもさっちもいかない状況で。


「ミギャーッ! 拙者、こんな恐ろしいイキモノには乗れんでござる! 頭からかじられてしまうでござるーっ!」


 何とも情けない悲鳴が俺たちの視線を引き寄せた。見れば、白黒の髪と尻尾をバリバリと毛羽立たせて猫耳獣人二人が抱き合っている。


「みんな騙されてるでござる! こんな恐ろしい虫が人の言うことを聞くわけないでござる! 拙者たちは走っていきそうろぉー!」


 ひたすらわめくタマネ。普段はたしなめ役で、人一倍勇敢なタガネも今回に限っては眼を見開いたまま姉の体にしがみついている。どうやら獣人の本能がこの巨大バエに恐れを抱いてしまったようだ。

 

 無理もない。どう見たってストーリー終盤でエンカする最強モンスターだし、実力は煉界船と戦うために生涯鍛え上げられたホンモノ。むしろこれを早々に受け入れているエクリーフたちの感性の方がどうかしている。


「は、伯爵殿ぉ……」

「伯爵様……」


 子猫二匹が救いを求めるようなアワレな目を向けてきた。くっ、部屋まであるのにそんな捨て猫みたいな顔をして……。


「仕方ない。では、タマネとタガネはわたしと一緒に乗ろう。マスカレーダはアークエンデが任されてくれるか」

「もちろんですわお父様! さあ、マスカレーダ隊長、こちらへ」


 これはある意味、進退窮まっていた俺たちを助ける一手になったかもしれない。俺を押さえつけていた極寒の眼差しは包囲を解き、その一角であったアークエンデもにこやかにマスカレーダを迎えている。あ、いや、密着された瞬間、顔がひくついていた。


 心配しなくても君はちゃんと育つよアークエンデ。原作にそう描いてあったから。


「伯爵殿と一緒なら安心でござる。お邪魔するでござる~♪」

「め、面目次第もございません。お背中をお借りいたします……」


 一方、猫たちはさっきまでの怯えようから一転、家族旅行にいくかのように意気揚々と俺の騎翅に乗り込んできた。

 タマネは俺の膝の間にすっぽりと入り込み、タガネは乙女のように恥じらいながら背中に体を寄せてくる。さっきまであった周囲からの冷たい視線も、これは寛容な心で認めてくれるらしい。


 こうして出発前にも軽くひと悶着起こしつつ、俺たちは北の山へと飛び立ったのだった。

 

 ※


「ここしばらく同胞たちと墜落現場を見張っていたのだけれど、墜落現場に(ガス)とミアズマが同時に出ていて普通の人間はとても近づけなかったわ」


 通りすがる者もないヴァンサンカン上空の風を切りながら、隣をゆくベルゼヴィータとエクリーフの会話が聞こえてきた。


「呪いには慣れてるからミアズマはいいけど、ガスはちょっと困るわね~」


 ミアズマは森の精気とも呼ばれ、深山幽谷から立ち上る自然の魔力だ。耐性のない人間が長時間浴びるといわゆる「山に(さわ)られた」状態になり、気分が悪くなったり意識を失ったりと中毒症状が出る。


 ただ、ミアズマが生物濃縮された動植物を食料とすることで、深族は現行種族の中でも際立った魔力を有するに至った。彼らからすれば山の恵みであり、ミアズマが噴出しているというのは豊かさの証拠に等しいのだろう。


「ただ最近、ようやくガスの方が収まってきたから、気をつければ現場を見に行くことはできると思うわ。もちろん、わたしもついていくしね」


 ベルゼヴィータの頼もしい呼びかけに、エクリーフが「ありがと~」と後ろから頬ずりしている。森閑とした黒衣の令嬢に対し、このほんわかお姉さんの組み合わせはなかなかにアリだ。なごむ。


「時に伯爵殿~?」


 手綱を握る俺の腕の中から、タマネが仰向きで顔を見上げつつ言った。


「拙者、今回の目的についてよくわかっておらんのでござるが、何やら船を見に行くというわりには、海ではなく山に向かってるようでござるな?」

「ああ。その船は山に沈んだからな。獣人たちには七つの箱舟の伝説は伝わっているのか?」

「拙者らはイルスターの生まれでござるから、知っているのは人間と同じ内容でござる。ただ、盗人窟の獣人グループであちらの国での伝説を聞いたことがござる。それによると最後の嵐の日、獣人たちの箱舟は五番目にあったとか」

「五番目?」

「左様。箱舟は縦一列に並んでおり、前後の船で連絡を取り合っていたそうでござる。ただエルフとドワーフは仲が悪いから、その間に我ら獣人の船がござった。もしあと二つ後ろにいたなら、嵐に呑まれていたのは獣人たちだったかもしれんでござる」

「…………」


 何か気になる話だった。


「他の種族の位置はわかるか?」


「それなら」と、タガネが肩越しに答えてくる。


「先頭は盟友セルガイア率いる人間。次に、竜人、エルフ、獣人、ドワーフの順なので、残ったのは深族でございますな」

「深族が……」


 失われた七番目の種族と最後に連絡を取り合っていたのは、ベルゼヴィータの一族。そして彼女たちは、洪水伝説後の世界において煉界船との戦いを義務づけられている……。

 これは何か関係があるのだろうか? 


 楽しげなベルゼヴィータとエクリーフのやり取りを聞きながら、体のどこかに氷が置かれたようなうすら寒さが、俺の中に長く居座った。


 ※


「よくぞいらした、ヴァンサンカン伯爵。そして力強き騎士(キマリス)たちよ」

「またお会いできて光栄です、勇敢なる英雄たち」


 ゴゴゴゴゴ……。という禍々しい効果音が聞こえてきそうなここは、ベルゼヴィータたちハイペストン家が暮らすお屋敷の前。


 どう見ても……はい、魔王城ですゴゴゴゴ。


 いや城というのは言い過ぎか。砦に近いかもしれない。重厚な石造りの外壁に、堅牢な尖塔の数々。窓から漏れる光は月明かりに似て、常に真夜中の静けさを漂わせている。こんなものが獣道すらない森の中に突然現れるのだから、魔王城とか悪魔城とかそういう呼び方をされても仕方のないことなんじゃないかと俺は思う。


 過去に一度だけ、俺はここに挨拶にうかがったことがあった。煉界船戦後間もなくだ。

 二度目の訪問でもその印象はミリも変わらない。マガい。そしてこの建築の由来はたった一つ、一族の趣味、だそうだ。


 俺たちを迎えてくれた砦の主たちも、異様な威容を持っていた。

 当主、つまりベルゼヴィータのお父さんであるマルコシアス卿。

 ……はっきり言ってベルゼヴィータのお兄さんにしか見えないほど若々しく、妖艶な美男子。一族特有の黒髪がゆるくウェーブし、艶やかな額から垂れている。紅い瞳は澄みつつも妖しく力強い。高身長、手足長し。世の男性が生まれの不公平を呪う要素に満ち溢れていた。


 その隣に佇むのはお母さんのグレモリー夫人。こちらもベルゼヴィータのお姉さんで十分通る若々しさ。


 上品に結い上げられた黒髪。額に垂らした一房の前髪がアクセントとなり、少女のような面影に大人びた印象をもたらしている。黒シルクの着こなしは本家本元としか言いようがなく、一度だけ黒シルクの宣伝のために都に出た際に、その端然かつ完璧ないで立ちは見物した女性たちすべての目標となり、絶望となったという。


「お久しぶりですマルコシアス卿。本日は手土産も持たずに大勢で押しかけてしまい、申し訳ない」

「いや、ヴァンサンカン伯爵。貴方と再会できることが、我々にとって何よりの喜びなのだ。娘の命を救ってくれただけでなく閉塞していた同胞(はらから)をも助けてくれた。本来ならば一族を挙げて歓待しなければいけないところ、長子のフォラスが一刻も早く伝えたいことがあるとのことで、このような質素な出迎えになってしまったこと、こちらこそ深くお詫びする」


 俺の挨拶に、倍にもなる謝辞を交えて返してくれるマルコシアス卿。外見は魔王ないし魔界のプリンスそのものだが傲岸不遜さは一切なし。そして仕草の一つ一つに華というか色気がある。これは森から出てこられると困る人がたくさんいるだろうなあ……。


「お父様、お兄様はどこに?」


 横からいつになく慎ましやかなベルゼヴィータが口を挟んだ。ここに来ると彼女まで立派な魔界の住人になってしまうのか。


「依然、研究室にこもり切りよ」と、これにはグレモリー夫人がかすかに髪を揺らして答える。


「ベルゼヴィータ、伯爵様たちをご案内して差し上げて」

「はい、お母様」


 優雅とも静謐ともつかない母娘のやり取りの中に、どこか小さな遠慮があるのを、盗賊の感性が嗅ぎ取った。

 一族の掟として我が子を絶対死の戦場に送り出さねばならなかった母親と、守ってもらえなかった娘。その娘は数多の騎翅たちと生還し、生贄のようだった煉界船戦の歴史そのものを打ち壊した。二人の間に残ったのは、何か。


 ただ、横を通り過ぎた際に夫人が俺にそっと囁いた、


「あの子はまだ生娘なので、三人で睦む際はどうかお情けを……」


 というあまりにもセクシャルでセンシティブな要望に、なんだ結構踏み入った話までできてんじゃんと、親として安心した。いや逆に安心できないが……。


 そうして俺たちは館の中へ。

 外見の妖しさに負けず、内装も煌びやかかつ妖艶。深紅の絨毯が真っ直ぐ敷かれた暗い廊下に、琥珀色のランプの光が点々と浮かび上がる。

 

 壁に歴代の魔王一家――じゃなくてハイペストン家の人々を描いた絵画の数々。夜中に見たらチビりそうな群王(グノー)の迫力ある一枚もある。


 これら荘厳な景色を「古いだけ」とベルゼヴィータは言い切っていたが、この闇の耽美と瀟洒の煮詰まったような感性が、他者からの賛美も求めず森の中にひっそりと佇んでいるというのは少々もったいない気がした。


 ラストダンジョンみたいな廊下を抜け、たどり着いたのは重々しい扉。


「フォラスお兄様。伯爵さんたちがいらっしゃったわ」

「来たか。入ってくれ」


 ベルゼヴィータの繊細な声など通りそうにない扉の奥から、廊下を震わせるほど低く落ち着いた男の声が俺たちを誘った。

 

ちょっと扱いの難しい娘の嫁ぎ先もすでに決まっているのでご両親も安心なようです。

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