第九十三話 禁書庫館長がやって来たそこそこな理由
〈血のクッキー事件〉未遂から数日、屋敷に併設された教会にシノホルンたちがお勤めに来たことで、俺たちは再び顔を合わせる機会を得た。
「わたしが毎日来られなくなってしまって、ザイゴールには寂しい思いをさせてしまっています。……よね? ねっ!」
「ええ。以前はいない方が珍しかったですから、あなたと会えなくてわたしも屋敷の者もとても寂しがっていますよシノホルン司祭」
「。.:*・'(*゜▽゜*)'・*:.。.パアアアアア……」
と、こんなやり取りが屋敷の玄関口であったのだが、何だかシノホルン司祭がどんどん幼児退行しているようで少し心配である。あれか? お姉さんキャラの上位が出て来ちゃったから、相対的に子供になっているのか?
「失礼いたしますお客様。お茶をどうぞ」
応接間で直々に美人シスター姉妹を接待するのは、王宮流のメイド作法を極めたユングレリオ陛下だ。
「…………」
「あら陛下。どうもうありがとうございます~」
姉妹の反応は対極。顔を引きつらせながらミニスカロリショタメイドを黙視するマスカレーダに対し、エクリーフはのほほんと紅茶のお礼をするばかり。
ややあって彼が退出すると、「ぶはぁ」と肺の中の空気すべて絞り出すようにマスカレーダがため息をついた。
「いまだに信じられん……。エクリーフから、ユングレリオ前国王が伯爵と一緒に図書館に来たと聞いてはいたが、何かまた頭でも打ったのだろうとばかり……」
「ひどくいない~? それにわたし頭打ったこと一度もないけど~?」
ぶーと頬を膨らませるエクリーフ。知的な美人がそのムーブはずるいですよ館長。
「退位された陛下が地方の別宅で静養しているのは都の誰もが知るところだ。が、それがまさか卿の屋敷だったとはな……。それも、あんな……」
言って、さっきの彼の姿を思い出したのか、少し頬を赤くするマスカレーダ。その目が不意に俺をにらむように見た。
「一応聞くが、あの格好は卿の趣味ではあるまいな……?」
「あるまじに決まってるだろ……。それにあんな完璧なコーディネイトは俺にはできないよ」
「う、うむ……。確かに、その……。シャレにならないほどよくお似合いだった……だが……。もう一つだけ聞いていいか? 陛下は……その、男性だよな?」
「それは……俺にもわからん……」
絶対女の子だと思うんだけど……。それを確かめるには、以降の人生をすべて捧げる覚悟のいる舞台へと踏み出す必要がある。
「まあ、それはそれとして。二人はもう町に慣れたのかな?」
俺はスムーズに主題を世間話へと移行させた。実は二人の評判はすでに屋敷のメンバーから聞いていたのだが、本人たちの所感含めて確かめておきたかったのだ。
「ええ、シノホルン司祭の発案で、わたしは町の学校で歴史の勉強会を開かせてもらうことになって、マスカちゃんは運動不足の解消で奉仕させてもらっていますわ~」
うんうんとシノホルンが自信ありげにうなずいているように、美人シスター二人の役どころはあれからすぐに決まったようだった。
エクリーフは臨時の歴史講師。そしてマスカレーダは臨時の体育教師として年齢を問わず町人の健康増進に取り組むことに。先日のクッキー配布のアレがアイデア元になったことは想像にかたくない。
おかげで、スポーティーな薄着で町中を走っているマスカレーダとその生徒たちの集団を、お使いに出たメイドさんたちがよく目撃しているという。そしてそれを見た他の男衆がハーメルンの笛吹き男に続くが如く次々と走り出す光景も。一番人気は、マスカレーダの真後ろ。何がは目的かは…………いやよそう。俺の勝手な憶測でみんなを混乱させたくない。
なお歴史のエクリーフ先生は、成績が優秀な生徒には「ナイショの授業」を受けさせてくれるとの噂だが、それは世間というより国家に対しての重大な内緒のことなので本当にただの噂であることを祈る。
「いい町だな、ここは」
マスカレーダは陛下に淹れてもらった紅茶を大事そうにすすりつつ、しみじみと言った。
「住民は穏やかで、教会の催しにも熱心だ。わたしのところに来る人も日ごとに増えている。中には生業の合間に来ている者も。都の怠け者どもに見せてやりたいよ」
偉大なるものに男が導かれるのはやむを得ないからね。
「それに伯爵殿も、人々が気安く話題に載せられるほど親しまれているようだ。以前は悪い噂も流れてきたものだが……今や嫉妬以外でそれらを聞く機会はない。統治的にも経済的にも、少々気が早いが、卿を中興の祖と讃える者は多い」
「いやいや、優秀な執事や友人たちのおかげだ。俺は彼らに従っているだけだよ」
「人に仕事を任せられるのも優れた領主の条件だ。部下の人気に嫉妬し、横から強引に割り込んで事業を失敗させた貴族は枚挙にいとまがない。ついこの間も、かのゴルゴンパイク公家と競っていた大貴族が、子息のつまらん功名心で家業を一つダメにしたという」
「えぇ……。それは気の毒に……。俺たちには雲の上の戦いだ。うちの執事も関わるなと言うよ」
「謙虚なのは結構なことだ。ただ、だとしてもあまり人前で部下の名を出して褒めるのはよした方がいいな。かのヴァンサンカン領の成功の立役者などと知れたら、あっという間に引き抜かれるからな」
「注意する。ありがとう」
まあ執事Zさんは俺以上に貴族界隈で悪評が出回ってそうなので、そのへんはあまり心配いらないだろう。メイドさんの評判に関してはどんどん広まってくれてOK。
「うむ……。土地も良し、家柄、人柄もよし……か」
そこまで話して、マスカレーダは一つ腹を据えるように何かをつぶやいた。元より端然としていた背筋をさらに立錐させ、俺をひたと見据える。
「卿、折り入って、一つ頼みがあるのだ」
いつになく真剣な声音だった。戦友からの言葉だ。俺は間髪入れず「聞こう」と応えた。
「…………嫁にもらってくれないか」
「へっ?」
<〇><〇><〇><〇><〇><〇><〇><〇><〇><〇>ジャギギギギギギギン!!!!!!!!
う、うわああああああっ!! い、一瞬にして壁や天井が人の目の模様で埋め尽くされた……!? い、いや、気のせいだ。そんなものはなかった……。
だがその光景と同等の衝撃でマスカレーダの発言は俺を――そして室内の人間の時間を停止させていた。彼女の視線は俺の両目を貫いて結び、そらすことさえ許さない強い決意を見せつけ続けている。
この話は前回もう終わったはずでは……!? なぜ、また……!?
「シ、シスター・マスカレーダ……?」
「マスカちゃん、どうしたのいきなり伯爵様に告白だなんて~……?」
シノホルンとエクリーフから正気を疑う声がこぼれ出た。そこに「ん?」と怪訝そうな顔を返した彼女は、はっとした様子で両手をぶんぶんと振った。
「ち、違う違うっ。わたしのことではない。姉の――エクリーフのことだっ!」
「ええ~っ!?」
<。><。><。><。><。><。> ギロリ……。
へ、部屋中に浮き出た目が、今度はエクリーフをにらんだような……。いや、やっぱり幻だ……。
「な、何で急にそんな話になるの~?」
珍しくアセアセとしながらエクリーフが抗議すると、
「急な話ではない。前の安息日に何やら盛り上がっていたから何かと思って町人に聞いてみたが、伯爵殿は婚姻に対して極めて前向きなようだ。もうアカデミアの同期はとっくに結婚しているだろう? 残っているのはエクリーフだけだ」
「別にいいじゃない~。生き方なんて人それぞれで~」
「禁書館の館長として研究に生涯を捧げたいなんて言うつもりだろうが、その立場は極めて危ういぞ。執行部の人員が少し変わっただけで簡単に異動させられる。治安部門にいるからこそ、そういうのはよく見えるんだ」
ぴしゃりと言い切り、マスカレーダの強い視線が再びこちらに向いた。
「聞いてくれ伯爵殿。姉は家庭的に見えて、料理一つもできん。この間のクッキーもできたのは小麦粉の焼死体だけ。うっかりそれをつまみ喰いした審判者殿がたちまち闇堕ちした」
そんな理由で闇ってたんかい。本当にどこかで精神修行をやり直さないとまずいな……。
「ひとたび研究に没頭すれば、何日も部屋から出てこない。飲み食いすら飲み忘れてノビているところを発見されるほど生活力がない。壊滅的だ。終わってる」
「ひどい言われよう~。事実だけど~」
「こんなのでは普通の家庭に入ることはできん。だが、領地も豊かで、深族でも獣人でも受け入れられる包容力のある卿の元でなら、何とか暮らしていけるのではないかと……」
「ま、ま、待ってください! ダメです、そんな、ダメ。ダメったらダメです!」
ここでシノホルンがばたばたと手を振って話を遮った。マスカレーダの勢いに呑まれかけていた部屋の空気が、半分ほど押し返された気配がする。
<Λ><Λ><Λ><Λ><Λ><Λ><Λ><Λ>ニコ……。
おーっとこれには部屋中の目もにっこりだ。
「エクリーフさん、全然承知してない話じゃないですか。何よりザイゴールの気持ちはっ!?」
「むっ……。確かにこれは伯爵殿次第のことだ。で、どうだろうか……」
一旦落ち着きを見せた彼女の目が、俺とエクリーフを交互に行き来する。
「わたしが言うのも何だが姉は美人だ。わたしと違って。体型も、まあ言い方はアレだが殿方の好みではあるはず。これもわたしと違って」
「わたしとマスカちゃんそっくりだと思うけど~……」
「黙ってろ。卿、妹として今を逃させるわけにはいかないのだ。姉は職場にこもりきりで出会いのチャンスはほぼない。ここで伯爵がもらってくれなかったら、次はいつ条件の合う男性と巡り合えるか……」
敵軍を押し返すが如く、ずいずいと顔を近づけてくるマスカレーダ。俺も勢いに呑まれてそれらしい返事をしてしまいそうになる。が、ここまで言われたい放題だったエクリーフが意外な反撃に出た。
「ぶーっ。そんなこと言うなら、先にマスカちゃんが結婚してよ~」
「は? なぜわたしが!」
予想外の一言だったのか、マスカレーダの声が若干上擦る。
「マスカちゃんの部隊の人もみんなお相手がいるんでしょ~? 独り身はマスカちゃんだけだって言ってたじゃない~」
「わ、わたしはいいんだ。まだ焦るような時間じゃない」
「それ焦ってる人のセリフ~。マスカちゃん、男性ばかりの職場にいるのに全然そういう話がないんだもの~。お姉ちゃん心配~」
「そ、それは仕方がないだろう。わたしは小さい頃から女としての魅力がないんだ。エクリーフと違って……」
ちょっとしょんぼりした表情を見せるマスカレーダ。そうか、さっき盛んに姉との違いを強調していたのは、子供の頃からのそういう負い目があったからか。確かに、パワー系よりもおっとり知的美人の方がファンは多いかもしれない……。
「それはマスカちゃんが自分よりも強いお相手を求めてるからじゃないの~?」
「それは、好みとしては一応あるが、そこまではっきりと求めているわけでは……」
「そう思われてるのよ~。それで遠慮されちゃってるの~」
「そうだったのか。くそう。今からやり直せるだろうか……」
何だか話の流れがおかしくなってきてる。いや、これはエクリーフが上手く妹を誘導してくれているのか? こうして話をうやむやにする作戦……さすが煉界船の正体を突き止めた人だ!
「あっ、そうだ~。お姉ちゃん名案思いついちゃった~」
ここで決めに来た! お姉さん、よろしくお願いします!
「二人で伯爵様にもらってもらうっていうのは、ど~お~?」
「ぺえっ!?」
俺は思わず奇声を上げていた。シノホルンは『叫び』みたいな顔で停止したし、マスカレーダだってさっき以上に狼狽した声で「ま、待て待て待て! どうしてそうなる! どんな家庭環境だそれは!?」と口角泡を飛ばす。
「別に領主に何人夫人がいてもいいでしょ~。考えてもみて、伯爵様は他種族の間では、煉界船を倒した英雄でもあるのよ~。武功で言えばマスカちゃんより上なんじゃないの。ほら要望通り~」
「そっ、それは……確かにそうだ。実力もよく知っている。信頼できる……」
ちら……とさっきまでとは毛色の違う目線で俺を見てくる騎士隊長。おいおいおい! どっちが始めた話なんだこれは!? まずい、まずいですよ!
「い、いや、やはりそんなのダメだ! 夫婦関係が複雑すぎる!」
しかしマスカレーダは最後の理性でもってこれに反抗。よくやった騎士隊長! それでこそ神聖なる教義の守護者!
「そうかしら? 二人一緒に可愛がってもらえばいいじゃない~。姉妹なんだし~」
「いかがわしすぎるだろこの歩く発禁本! そういうところが理解できんのだ! いつか破門されるぞ!」
あ、マスカレーダからもそういう扱いなんだ。
「じゃ、お姉ちゃんもまだ結婚しない~」
笑顔でぷいと顔を逸らして見せるエクリーフ。どこか満を持して、という風格があった。あるいはここまでが彼女が仕組んだ拒絶の方式だったのかもしれない。これは妹の頭が上がらないはずだ……。
「だったらなんでわたしについてきた」
もはや着地点はずらせないと悟ったのだろう。どこかいじけた口調で、マスカレーダが問いを飛ばす。
「エクリーフは謹慎も何もないだろう。だが、わたしがヴァンサンカン領に行くと言ったら、次の日には勝手に旅支度を終わらせていた。前から伯爵の話をたびたびしていたし、彼に興味があったからじゃないのか? だからわたしは、口下手なエクリーフに代わって直談判を――」
「えっ。それは煉界船調査のためだけど……」
「えっ」
「えっ」
「えっ」
<〇><〇> えっ
「あら~、言ってなかったかしら~。煉界船の調査を頼んでたベルゼヴィータのお兄さんから、船の残骸に異変があったから直に見に来てほしいって連絡が来てたの~。そしたらマスカちゃんもちょうどヴァンサンカン領に行くことになったから、あらちょうどいいわ~って思って……」
『おっ……』
「おっ?」
『大事じゃないかあああああああああああ!!!!!』
俺とマスカレーダの声は、綺麗に重なっていた……。
はいここまでが無駄に平和なお話でした。お付き合いありがとうございました。




