第九十一話 麗しの姉妹シスター、来訪
本年もよろしくお願いします。
蒼穹をバックに、雲のグラデーションがくっきり見えるほどよく晴れた日だった。
屋敷のメイド実習生たちがおしゃべりしながら洗濯物を干す音。カラコロ鳴るタマネの下駄。トモエが庭を掃くホウキ。ソラの素振り。子供たちが静かなのは陛下を家庭教師にした勉強中だからで、耳をすませば黒板を叩くチョークの音すら聞こえてきそうな――。
これは、ヴァンサンカンの平和が奏でる音楽。
俺のペンも快調に書類にサインを引き続け、今日はきっとこうして静かに忙しなく終わっていくのだろうと小さな充足感と肩こりを覚えた矢先に、その奇妙な報せは届いた。
「旦那様、シノホルン司祭が面会を願い出ております」
「……は?」
その違和感バリバリの連絡に、俺は追加の仕事をわざわざ運んできてくれたバスティーユに対し、素っ頓狂な声を返すことになった。
「シノホルン司祭が? 面会? いつも特に用がなくても部屋に入ってきて、そこの談話用テーブルに座っておしゃべりしていくのに?」
「はい」
眉一つ、顔の定位置から動かさずに応じるバスティーユが繋げた「今日はお連れの方が一緒のようです」の一言に、俺は「珍しいな」とだけつぶやいて、途中で止まっていたサインを最後まで引ききった。
シノホルン一行はすでに応接間に通してあるという。最近では教会にいるよりウチにいる時間の方が長い彼女のことだから、今日俺に外出の用事がないことを把握した上での面会申請なのだろうが。
同行者は教会の人間か? 彼女もあれで部下を持つ立場だから何ら不思議なことはない。何かの行事の連絡か、それとも屋根が壊れたけど修繕費が出せないとかそういう話か。
応接間へ向かう道すがら、数分後にわかることをつらつらと予測していた俺は、扉を開けた直後にすべての予想がちゃぶ台返しの勢いで吹っ飛ばされたことを自覚した。
「な……!!!?」
シノホルンを挟むようにして、粛然とソファに腰かけて待っていた修道服の女性二名。
教会の星印が入った貞淑な頭巾、モノトーンの落ち着いたローブに、首から下げた星徴。慎ましく清楚な衣装は間違いなく教会のシスターなのだが、シノホルンより頭一つ高い長身、そしてあまりにも豊かに盛られた部位が、彼女たちの圧倒的な存在感をその場に撃ち込んでいる。
その顔立ちはどちらもはっとするほど美しく、そして――。
「あなた方は……マスカレーダ隊長に、エクリーフ館長!?」
――知った顔。
「覚えていてくれたか、ヴァンサンカン伯爵」
「ごきげんよう~、伯爵様~」
するりと立ち上がった二人が腰と笑顔を傾け、俺を歓迎してくれた。
忘れるはずがない。一人は『アルカナ・クロニクル』の強キャラ、“マスケット”マスカレーダ。ライフルと一体化した長剣を振るい、ソラの無罪を証明するために首無しセルガイア像と戦った、戦友とも呼べる間柄。
もう一人のエクリーフは、ゼロノック図書館という呪われた禁書ばかりが収蔵された地獄のような地下施設の主。彼女ともう一人の協力なしには煉界船戦での勝利は――そしてベルゼヴィータの生存はなく、こちらは知恵の恩人と言える相手。
王国内でも実力者として知られる二人は実の姉妹で、並べて見れば本当によく似ている。ただ表情や物腰で、姉のエクリーフはおっとり系眼鏡お姉さん、妹のマスカレーダは凛とした武人お姉さんということは一目瞭然。同じ顔でも極めて対照的な姉妹だった。
「二人ともお久しぶりです。その節はどうも……」
その彼女らがなぜここに? 驚きながらも何とか社交辞令を絞り出し、二人に再着席を促した俺は、それでも無為に頭を回転させて答えを探そうとした。
マスカレーダは聖庁の戦闘部門の人間だし、立場を利用して禁書の知識を吸収しまくっているエクリーフは歩く発禁本と言って差し支えなく、そこらをフラフラしててはいけない度では妹をはるかにしのぐ。それが、どちらも教会規定の修道服に身を包んでウチにって、何で……?
それともう一つ、驚くべきことがある。
二人の間に挟まれたシノホルン司祭が……小さく見えるッ……!
さっき席を立った時も、そして座った時も、見事に“揺れた”。何かとは申さないが。
背の高さや手足の長さもあって、その迫力、全体の美麗なバランスは、別にやましい気持ちがなくとも見惚れずにはいられない。それに比べるとシノホルンははっきりと小娘だった。今も何となく、二人の間で(〇▽〇)みたいな魂の抜けた顔を晒している。
バカな……。ヴァンサンカン屋敷では無類の強さを誇るシノホルンが子供扱いだと……!
いや実際、二十代半ばと思しき美人姉妹に比べれば全然子供なわけだが、ほとんどが十代の我が家ではシノホルンとベルゼヴィータは不動のお姉さんポジだったのだ。それが、突然のメジャー級選手の登場によってこうも容易く崩壊するとは……!
「こうしてお互い無事に再会できて何よりだ。盟主の星の導きに感謝を。卿の息災に喜び申し上げる。……さて、不躾で申し訳ないが、共に命を預けて戦った身。もしわたしを戦友と思ってくれているのなら、他人行儀なのはここまでにしないか」
マスカレーダの砕けた声が、俺を迷える煩悩の谷から引き戻した。相手もまた、こちらを戦友だと思ってくれていた。その気持ちが嬉しく、ついポンと手を合わせて軽い声で返事する。
「ああ、そうだな。命を預ける以上の礼節はないだろう。こちらこそ元気な二人にまた会えて嬉しいよ。変わりは――ありまくりなようだが……」
「そうなんですよ~」
俺の懸念する声を、ほわほわとしたエクリーフの返しが包んだ。
「マスカちゃんと一緒に修道服なんて着せられちゃって~。こんなの着たの十代の見習いの頃以来なんですよ、懐かしいわ~。どうですか伯爵様~。わたくしたち変じゃありません~? 何だかちょっとサイズが合ってない気がして~」
言って、服を撫でたり伸ばしたりしてみせる彼女。そのつど、布地の下に隠されたボディラインが実態を表す。首元には長い襟のような布を垂らしているのだが、その覆いがあっても下の形がわかってしまうほどの立派な双丘。そりゃあ、服も委縮して縮んで見えるか……。
「マスカちゃんはよせ……。それに服の感想なんか聞くな……」
姉が何とも無防備で蠱惑的な仕草をする間、隣のマスカレーダはひたいに指を当ててぶつぶつ言い続けていた。『クロニクル』では絶対に勧誘したい鬼武将も、この天然ほわほわお姉さんには強く出られない間柄のようだ。
「ああエクリーフ、大丈夫。二人ともよく似合っている。……しかし、どうしてその格好を?」
俺は敢えてそんなマスカレーダの方に質問を向けた。案の定、彼女は姉の世間話を打ち切るために神速の答えをこちらに抜き放った。
「先の事件における処分が決まったのだ」
「先の事件?」
「世剣の審判者に対する越権行為と、首無し像との交戦――」
「それは……」
ソラのことか!
セルガイア教にとって勇者ソラは世界の善悪の縮図。彼女が闇落ちして人に仇なすのであれば、世界が悪に傾いているという証明。その罰は甘んじて受け入れなければならないというのが教団のスタンスなのだ。
しかし俺とマスカレーダの部隊は、ソラの訴えに呼応して彼女が闇の力をばら撒くのを阻止してしまった。常識的に考えればあれ以外の正解などなかったが、セルガイア教徒ひいてはその暴力装置という、法規でガチガチに統制されなければいけない彼女たちにとって、そうした個人判断は重大な教義違反に当たる恐れがあったのだ。
「……何だかとても昔のことのように思える」
一応、世界の片隅を救った部類に入るはずだが、それが霞んでしまうくらい、その後も同等のトラブルが押し寄せてきた我が身に思いを馳せる。アークエンデとの平和な日々さえあればいいのに、なぜかそれは今一番レアなものになりつつあった。
「あれ以降も伯爵が忙しい身だというのは聞いている」
マスカレーダは同情を含んだ微笑を浮かべ、「だが実際、処罰内容の決定からだいぶ時間が空いてしまったのだ」と含みのある声を押し出した。
「わたしに科せられた罰は大したものではない。迷惑をかけたヴァンサンカン領への一定期間の奉仕活動にとどまった――つまり、これだ」
修道服を引っ張ってみせるマスカレーダ。
ああ、なるほど。教会には社会奉仕で罪を償うという罰則がある。数ある処罰の中でも一、二番に軽いものであり、武力での奉仕を本業とする彼女にとっては、別種の、追加の奉仕が罰というわけだ。
「わたしとしてはすぐにでも果たしたかったのだが、隊を抜けられない事態が起きてしまってな」
「? それは?」
「〈反貴族連盟〉が不穏な動きを見せたのだ」
「!」
不意に出されたその名に、俺は思わず息が止まった。
反貴族連盟とは、何を隠そう『アルカナ・クロニクル』における大舞台〈憤災戦争〉の引き金を引いた武装反乱組織だった。
平民出身の将軍イカロスとその父ダイダロスが中心となり、下級貴族と土地の有力者をはじめとした不穏分子が武装蜂起した。王国北西部はずれの、現在においても反王政、反貴族思想が色濃く表れる僻地でのことだった。
だが歴史的に重要なポジションにいながらゲーム的な扱いは散々だ。
君主イカロスは有能でダイダロスは内政型としてまだ使えるが、他がホント無能。下級貴族たちは、今のままではこれ以上の出世は見込めないと絶望し、ワンチャン現状変更に乗り出しただけの考えなしだし、土地の有力者はそいつらから軍費を吸い上げようとする守銭奴ばかり。当然武将としての性能も低く、この勢力がプレイアブルになるのがゲームシステムに慣れた三周目以降という仕様もうなずける有様(こういう配慮はできる子なんです:やまとさん談)。
つまるところ、彼らはラスボスというより動乱のきっかけを作った尖兵役に過ぎない。ラスボス級はアークエンデや他種族の長が務めるし、本当に本当の“火種”は別の、もっと深いところにある。
けれどその名を出された以上、その火種が揺れたことを意識せざるを得ない。俺は腹の底に湧いた苦い液に口を重くしつつ、どうにか「彼らは、どうなった……?」の質問をマスカレーダに投げかけていた。
「特には」
返答は軽かった。
「いつも通り集会で王政批判を展開して終わりだ。王国軍と我ら聖騎士修道会が揺らがず構えていたら、あんな連中は何もできん」
ほっ、とため息をつきつつ、ソファーの背もたれに疲れた体を預ける。
一瞬ひやっとしたが、政治的に見ればこれが大国の日常か。不平不満を巨体の一部に押しつけながら、全体はなあなあでやり過ごし続ける。医者にかかって厄介な病名を告げられる面倒よりも、知らないふりして小さな痛みを耐え続ける方が楽。こと、人の私利私欲がからむ問題に根絶などない。
「大事にならなくてよかった。ありがとう、マスカレーダ」
「フ……他人事のようだが、これには卿も大きく貢献しているのだぞ?」
「え?」
マスカレーダは微笑を俺に向けたまま、膝の上にあった手を小さく組み直す。
「ヤツらが動き出したのは、おりしも誰かさんが王国首脳部のアゴに一発ぶち込んで王宮も教会もストップさせてくれたタイミングだった。その影響は軍や聖騎士修道会の上層部にも及んだ」
「あら~」とその犯人が口元に手を当てて微笑む。
俺はひやりとした。エクリーフのかましたワンパンは、独断で深族と結び、煉界船と戦った俺たちを助けるために彼女がばら撒いてくれた鼻薬入りの紅茶だ。
マスカレーダはその事情を知らないようだが、彼女の棘のある声は、そのまま俺の体にも巻きついてダメージを与えてくる。むしろ縛られても平気そうな顔のエクリーフより俺の方が被害が大きい。
「しかしその間、卿は深族との摩擦を起こすどころか、ファッションという至って平和的な手段で成功を示した。良好な結果が先に出たことで、異文化交流に立ちすくんでいた首脳たちの一部も早々に脳震盪から立ち直り、不穏分子につけ入る隙を与えずに済んだ、ということだ」
「へ、へえ、そんなことになっていたのか……」
傍から見ればひどいマッチポンプだ。だが、これはギリギリ許してもらいたい。もし深族との交流で何かトラブっていたら、反貴族連盟を勢いづかせていたかもしれないのだ。危なかった……。
「って、ちょっと待ってくれ。首脳が動揺から立ち直ったってことは……」
「そうだ。卿の処分もすでに下されている。ちょうど話が出たところだし、沙汰を伝えておこう」
落ち着かない俺をニヤリと見た彼女は、さしてもったいぶらずに結論を口にした。
「お咎めなしだ。こうしてわたしが口頭で伝えられるくらい軽い話なのだから、当たり前だな」
二度目の安心と脱力。ソファーの背もたれが大活躍。
「今、卿が開いた深族との交流を否定する者はほとんどいない。貴族や富豪の女性は誰もが黒シルクの虜だ。今から供給を断ったりなんかしたら、夫の不審死が相次ぐとさえ言われている」
「ひょえっ……」
俺がお咎めなしなのはこれ以上ないほど幸いだが……。首都の貴族たちはある意味で深族に支配されたのかもしれない。これは大丈夫なんですかね……。
「ただ、この裁定には母后マリスミシェル様の口添えがあったという」
「ええっ、あの毒……じゃなくて母后殿下が?」
「本来、処罰の議題に上がった貴族がお咎めなしとされることは非常に珍しいのだ。甘い顔をすれば他の諸侯に示しがつかんからな。しかし母后殿下が、追放島の大火の対処をもって、卿の罰を打ち消すことを提案した。わざわざ一族から弁の立つ者を呼び寄せて」
「……!」
「あの方が政治に口出しすることなどまずないぞ。卿は人も事件も大物に愛されているな」
冗談めかしてハハハと笑うマスカレーダ。まさかマリスミシェルが助けてくれるとは。ひょっとしてあの無茶振り代官もこれを見越して? それに一族の弁の立つ者って、まさか……。
いやこれ以上の陰謀論はよそう。真実ならあまりにも用意周到すぎて怖い。すべて手のひらの上……。ユングレリオはもうずっとうちにいていいからね。
「さて、話があちこちに飛んでしまったが、要するにはわたしは謹慎期間中だ。エクリーフ共々、しばらくシノホルン司祭の教会に世話になる」
ここでようやく会話はスタート位置に戻り、部屋にこもっていた一抹の堅苦しさも霧散。マスカレーダの声に笑みが混じる。
「ここにいる間、町のためにできる限りの奉仕をするつもりだ。卿も用があったら何でも言ってくれ。わたしもエクリーフも喜んで応じよう」
「あ、ああ、それはありがたい。二人にやってもらいたいことか、ふーむ……。それなら……」
俺は修道服の二人をしげしげと眺める。力仕事から町の子供たちへの勉学まで、この二人なら何でもできそうだ。こういう突発的な内政イベントみたいなのは逃したくないな、と頭の中で吟味していた、その時だった。
「ク、クッキー!」
突然、それまで停止していたシノホルンが奇声を上げながら立ち上がった。
「明日、教会でクッキーを焼いて配ります! この二人にはまずそれを手伝ってもらいますので! ザイゴールも是非遊びに来てください! ねっ!」
唖然とした俺やマスカレーダは、その勢いにただこくこくとうなずくしかなく、「それではわたしたちはこれでお暇します! お時間いただきありがとうございましたザイゴール!」との嵐のような彼女の謝辞を最後に面会時間は終了となった。
後に残されたのは俺一人。
……何でシノホルンは突然再起動したんだ? マスカレーダが何でも言ってくれみたいなことを言ったあたりで反応してたように見えたが……。
まあいいか。教会でイベントがあれば顔を出すのが領主の務めだし、子供たちも自発的に手伝いにいくことだろう。
「あれ……」
そういえば、エクリーフがどうしてここに来たのか聞いていなかった。
彼女が上げた報告は、事実に彼女なりの高度な推測を混ぜ込んだ蓋然性のあるもので、それ自体が罰せられるようなものではないはずだ。
まあ後で本人に聞けばいいだけのことか。あの二人が何か問題を起こすとは思えないし、ゆっくりとわーくにで骨休めしていってくれればいい。
「はあっ!? ユ、ユ、ユングレリオ陛下あっ!?!?!?」
「あら陛下~。お久しぶりですわ~」
「やあ、エクリーフ。それにマスカレーダ隊長だな? ボクはもう王様ではないよ。ここの可愛いメイド長さんだからね、あはっ」
エントランスから聞こえてくる悲鳴とその他の声を受け流しながら、俺はこの時、何の問題もなく明日を過ごせると考えていた。あまりにも呑気に。
聖職者が三人も訪れるなんて、新年一回目に相応しい爽やかで厳かなお話だなぁ……。




