第九話 労働させるは領主の王道
今日までの成績を確かめてみた。
ヴァンサンカン伯爵:マイナスnポイント(とにかく評判が悪い)
アークエンデ:マイナス2ポイント(刻印レベル2)
シノホルン:マイナス1ポイント(屋敷激震)
オーメルン:プラス1ポイント(よい育ち)
総評:赤字
何で?(半ギレ)
オーメルン以外すべてマイナス収支になってる。どうして!? 闇堕ちフラグからは救っているはずなのに、むしろ正史よりもハイペースで沈んでいっている!
アークエンデの進行度に比べたら、シノホルンはまだいい方。
こんなことを自己申告するのは恥ずかしいのだが、シノホルンはどうやら俺に気があるらしい……ただし! 冷静なる盗賊イーゲルジットの眼によると、これは初心で世間知らずな小娘がちょっと気になる男に優しくされて一時的に舞い上がっているだけで、少しすればウソみたいに冷めるという。
つまり、適当にいなしておけば落ち着くとのこと。……本当か? 本当に大丈夫か? 相手は『2』のラスボスだぞ?
ただまあ……変な言い回しにはなってしまうが、相手が俺だったのは一つ良かった点かもしれない。ここが見知らぬ悪い男だったらフォローもできなかった。穏便に彼女の熱が冷めるのを待ち、マイナスをプラスに転じたい。
後は……俺。ザイゴール・ヴァンサンカン伯爵。
町での俺の評判は、気味悪い、胡散臭い、見たことがない、のままで一向に上向いていない。これはもしかするとアークエンデのアライメントに関わっているのかもしれない。
彼女が安心して胸を張れる領主になる。
付き人は手に入ったし、そろそろ本格的に更生しなければ……。
※
とは志すものの何かアイデアがあるわけでもなく、俺が名案を求めてバスティーユの執務室を訪ねた。答えは大抵そこにある。
すると小さな先客がいた。
執務机のバスティーユと面談でもするみたいに座ったオーメルンは、俺を見るなり少し驚いた様子で、椅子の上の姿勢を正したようだった。
「どうしたんだ?」
「フハインレッド家についての調書を取っていたところです」
俺の質問に、走るペン先を止めないままバスティーユが答えた。
「家族構成、在庫状況、取引先の人種……内にいた者しかわからない貴重な情報ですので。……はい、質問はあらかた終了です。ご苦労様でしたオーメルン」
子供に何を聞いてるんだ……と呆れつつも、俺も疑問に思っていたことを口にする。
「そう言えばエルバンはどうしてオーメルンにスリなんてやらせていたんだろうか? 嫌がらせをするにしても、内容が特殊すぎないか」
これだ。エルバンは金に困っていなかったし、窃盗は重罪ではないにしろ犯罪。わざわざ選ぶにはリスクがある。
視界の端でオーメルンが後ろめたそうな目を向けてきている。彼は従わされただけなので罪は不問となっているが、それで身綺麗になれたと思うほど現金な性格でもない。
「このような噂があります」
紙面に最後の一字をビッと引いたバスティーユが、ここでようやく目線を上げて俺を見た。
「エルバン・フハインレッドは若い頃、盗品商をしていたとか。そこで蓄えた資金を元に表での商売を始めたそうです。人間、成長過程において染みついたものはそうそう手放せるものではありません。何かが忘れられずに、オーメルンにスリをやらせていたのかも――」
……!
意外な過去だ。オーメルンも初めて聞いたようだった。だが、これを深堀したり糾弾するのは俺も気が進まない。同じ穴の狢。何とも扱いづらい……。
「そこまでわかってるなら、伯爵の力で何とかならないのか?」
代わりにオーメルンが口を開いた。エルバンに対する怒りは少しも収まっていない様子だ。それはそうだろう。エルバンのおかしな趣味がなければ、オーメルンも罪を犯すことはなかった。
確かに、オーメルンの証言とバスティーユの噂を合わせれば、人を使って捜査をする理由としては十分かもしれない。悪徳商人だとも言うし、領地の平和のためには動いた方がいいのか……?
「しない方がいいでしょう」
そんなことを考えた矢先、バスティーユの釘を刺す声が俺に向かって飛んできた。むっとしたオーメルンの視線が彼に向かって飛んで、整った鉄面皮に弾かれる。
「エルバンは今や爵位を持つ貴族の一員ですし、彼の商会は我が領地に深い根を張っています。その活動を阻害すれば大勢の生活に影響が出ますし、そもそも窃盗など人が集まる場所では珍しくもありません。それをもって罰を与えることは難しいでしょう」
大きすぎる木は、たとえ腐っていても切り倒すことすらできない。強者ポジについた者の特権。それでも、「だけどさ……!」と反発したオーメルンに、バスティーユは「それよりも」との落ち着いた一言をかぶせていた。
「せっかく弱みを握ったのですから、事あるごとに寄付金や人的リソースをたかる方が断然お得です。公的な罰では一度きりで終わりですが、相手の負い目に付け込んで細かくむしり取るのであれば何度でも通用しましょう」
『えぇ……』
違っていた。大人の意見とか社会の構造悪とかそういうのじゃなかった。もっと邪悪で、辛辣な……。
エルバンはこれまでの被害額をすべて弁済する以上の金額を、これからねっとりと失うのかもしれない。さすがのオーメルンもこれには引いていた。
いいか息子よ。これが大人の解決だ……。
「それで旦那様、私に何かご用があったのでは」
「ああ、そうだった。一つ確認しておきたいのだが……わたしって人から嫌われてるよな?」
「はい」
ミリ秒の躊躇もない即答だった。
「使用人が寝室の前を通っただけで俺を睡眠不足で殺すつもりかと癇癪、廊下に葉っぱが落ちていただけでこれが俺の運命と言いたいのかと癇癪、洗濯中に皆で歌っていただけで集団で俺を呪う呪文を唱えていると癇癪……他にも山ほど当たり散らしておりましたので」
「終わっとるマジ……」
俺は頭を抱えた。その場に居合わせてしまったオーメルンも、「伯爵、あんた……」と絶句している。これ、子供に聞かせちゃダメな話だ……。
「先代からのベテランを叩き出し、新たに雇い入れた使用人も即解雇かストレスで依願退職。その後、彼らは当然町に帰っていくわけで、旦那様の悪評は揺りかごの中にさえ届いておりましょう。ああ、今残っているのは旦那様がろくに起き上がれなくなってから私が勝手に雇った人員です。契約はかなり難航しました」
「スイマセン……」
この世界に来てから常々感じていたことだが、屋敷の人間は皆、俺を気味悪がり、恐れている。アークエンデと一緒に洗濯場を覗けば、何かイチャモンをつけられるのではと全力で参加を阻止されたし、食事の給仕をしてくれているオバチャンメイドは、いつ皿を投げつけられても避けられるよう重心を落としている節すらあった。
「ただ最近は、お嬢様とオーメルンのことで少なくとも家人は旦那様への認識を改めつつあるようです。シノホルン司祭への丁寧な対応も、信心深い者たちには効いたようです」
「そ、それはありがたい……」
ここ数日、オーメルンとの修行の最中にたまたま聞いてしまったのだが、使用人たちは俺が本当にオーメルンをボコボコにするために屋敷に連れてきたと思っていたらしい。それくらいしてもおかしくないと認識されていたわけだ。
屋敷の中は少しマシになったかもしれないが、町での評判がこの有様では絶対にまずい。早々に手を打たなければ……。
「何か領民の信頼を回復するようなことがしたい。減税とか給付とか、どうかな?」
俺が必死こいて雑なアイデアを口にすると、バスティーユはこの世で一番しょうもないものを見たような顔で深い深いため息をついた。
「民に上から施しを与えるのはさぞ気持ちよく、善政を敷いた気分になれるでしょう。ただしその金は元は民から集めたもの。それを知る者たちからすれば、浅はかで傲慢な貴族の人間性が透けて見えます」
「もう少しこう……言葉選びというか……」
「しかし、そんな安っぽい自己満足ではなく、旦那様が真に慕われる領主となりたいのであれば、仕事を創出なさい」
「……仕事を?」
俺は目をぱちくりさせた。仕事なんてない方がいいんじゃないのか。
しかしバスティーユは静かに、そして確固たる口調で、
「労働を生み出し、人を雇い、適切な賃金を支払うのです。そうすれば人々には労働、収入、消費のサイクルが生まれ、安定した生活を手にできましょう。人は貧しければ罪を犯し、暇をすれば不和を起こすものです。時を召し上げ、代わりに金を払う。民は飢えと罪と諍いを回避できる。領地は平和になる。これこそが旦那様が良君となるただ一つの王道です」
「なるほど……」
労働なんてクソクソのクソだと思っていたが……そういう意味じゃ仕事って、社会における重要なインフラの一つなのかもしれない。
国が税金で儲かるとかそういうの以前に、一人一人の暮らしが安定する。将来の見通しも立つから心も落ち着く。世の中の社長さんは社会インフラの担い手だったのか。偉いな……。ブラック以外な……。
「わかった。考えてみる」
バスティーユの言葉を噛みしめつつ俺が部屋を出ていこうとした時、背中に戸惑うような声が追いついた。
「旦那様。今の私の話を鵜呑みにするのですか?」
「……? ダメか?」
振り返って彼を見る。バスティーユは執務机の向こうから俺のことをじっと見つめていた。何かを測るように。何かを探るように。俺は何ら後ろめたい気持ちもなく、それを見返した。
やがて彼はその目線を解いて、
「…………いいえ、賢明かと存じます」
「わたしもそう思う。ありがとう。参考になった」
「…………。いえ」
最後まで思案顔の執事を残し、今度こそ俺は部屋を出た。
※
それにしても、仕事……仕事かぁ。
俺なんかが何か思いつくものかなぁ。領主の権力で公共工事みたいなのをすれば手っ取り早いんだろうけど、それってうちから金が出ていくだけで、継続的じゃないしなぁ。もっと上手くお金が回っていくようなことを考えないとなぁ……。
「お父様ー! お父様ぁー!」
バスティーユの執務室を出ると、小鳥が鳴くような可愛らしい声が聞こえてきた。ぱたぱたという軽快な足音も。うちの天使アークエンデだ。
「お父様はどちらに? お父様ぁー!」
「アークエンデ、ここだよ。オーメルンもいる」
「お父様!」
俺が呼びかけてやるとアークエンデは嬉々としてこちらに突進し、数メートル手前から身を投げ出すようにジャンプした。
「おいまだ遠いって!」と咄嗟に叫んだオーメルンの目測通り、彼女は明らかに途中で失速し、お腹から廊下に墜落するコースだった。
俺は慌てて前に出ようとするも、間に合わない! ――はずが。
彼女の体はそこから水平に飛び続けた。
背中で自然と二つに分かれた長い髪を一度、翼のようにはばたかせて。
えっ……。
「お父様!」
俺の腹に顔を埋め、アークエンデが嬉しそうに頬ずりする。
あの、今、飛んでたよな、この子……。オーメルンと思わず顔を見合わせる。彼もまた目を真ん丸にして口をパクパクさせていた。何だ……? また何か……勝手に進化したのか……!?
しかしそんな些細な謎も、ぱっと顔を上げたアークエンデの満面の笑みが消し飛ばす。ああ、俺は何を悩んでいたんだっけ。守りたいこの笑顔。
と。
不意に、爽やかな花の匂いが彼女から広がった。
「アークエンデ、その匂いは?」
「ああ、やっぱり気づいてくださったのですね。庭師のホデオが、今朝咲いたばかりの花をくれたの! ほら、これですわ!」
そう言って、彼女は胸元に差した花を見せてくれた。朝露に濡れるような瑞々しい花は、アークエンデを飾る宝石そのものだ。
「ねえお父様、今日は色んな花が一斉に咲いた日だそうですわ! 一緒に見に行きませんか?」
「そうか。じゃあ一緒に行こう」
「やったぁ!」
言って、再び俺に抱きつくアークエンデ。
あぁ~無限に可愛い。これが闇堕ちフラグ二本立て中なんて誰が信じられる?
「オーメルンも一緒に行こうな」
「……わ、わかってるよ。オレはお嬢様の付き人だし」
「ありがとう」
「べっ、別に伯爵のためじゃねーよ。仕事だ仕事! ほらっ、お嬢様もいつまで吸い付いてんだ。花が咲いたのは庭のどこだよ、早く案内してくれよ!」
「ええ、もちろん! お父様、こちらですわ!」
二人並んで走り出す子供たちに手を引かれるように、俺は庭園へと向かった。
アイデアなんて悩んでる時点で出てこない。そういうのは、何かをインプットした時にポロッと出てくるものなのだ。そう思うことにして。
働かざる者よく動くべし