第八十八話 休暇の終わり、いつかの約束
カン、カンと小気味よい音が屋敷前の広場に弾ける。
打ち鳴らされる木の音は、二つの影が交わす木剣が織りなすものだ。
つま先が草を刈る足音。研ぎ澄まされた呼気。空気を揺らす衣擦れ。すべてが静謐を乱さないまま鳴り、二人の間を行き交う。最後に一つ、大きなカン!
「それまででござる!」
砂時計を手に審判係を務めていたタマネが手をかざした。
交差した木剣が動きを止めると同時に、歓声と拍手が場に膨れ上がる。
ギャラリーをしていた俺たちからだ。
剣を交えていたソラとタガネが礼儀正しくお辞儀をし、それに応える。
「すごいですわ。ソラとちゃんと打ち合えるなんて!」
と、勇者の実力を知るアークエンデが称賛の声を投げ入れると、
「フッ、当然です。刀猫一族は我が領の懐刀。そちらのソラという子の方こそ、天晴と言ってあげましょう」
ドドドドヤァ……とカグヨが人一倍鼻を高くする。
「家を離れてからも鍛錬は日々続けておりました」とのタガネの真摯な一言に「見事です。それでこそ誇り高き一族」と誉め言葉で応じるカグヨには、安心しているからこそ出せる気安い空気が感じられた。
もしタマネとタガネが消息不明のままだったら、刀猫一族への称賛には一抹の陰が差していただろう。以前、彼女の前で獣人の話をした時と同様に。
「二人ともお疲れ様。どっちもすごかったぞ」
稽古を終えてこちらに歩いてくる二人に、俺も声をかける。
今の模擬試合は何となく始まったものらしい。ソラが素振りをしていたところにタガネも同じく素振りをしに来て、お互いの動きを見た二人が「むむっ、こやつ……」となったとか、ならなかったとか。
「タガネは結構強い。技が上手い獣人は強いって、ハゲ言ってた」
「恐縮です。ソラ殿も、理にかないつつも自由自在という稀に見る剣術でした」
どちらもガチでやり合っていたわけじゃない。共に小柄で、何も知らなければ子供のチャンバラだと高を括るかもしれないが、実際はとんでもない動きだった。
汗の量や息の切らし方から見て、ソラが全力の四分、タガネが六分くらいだろう。それでも大人顔負け、いや傭兵ギルドのベテランでも及ぶ者はそういないはず。カグヨの鼻がぐんぐん高くなっていくのも納得の腕だ。
「タガネ君、お疲れ様!」
「かっこよかったわよ~!」
「フニャーッ!?」
と、ここで見物席にいたメイドさんたちがタガネを包囲する。マネージャーよろしくタオルやら飲み物やらで稽古後のお世話をされ、彼はその人混みの中に埋もれていった。
「こらっ、おまえたち。サボってないで持ち場に戻れ!」
『ごめんなさーい!』
ユングレリオの叱責のによって彼女たちが退散すると、汗を拭かれブラッシングを終え髪もツヤツヤになったタガネだけが残された。
いやはや、メイド実習生の中にケモミミショタ好きがこんなにいるとは。まあ、やまとさんも「女なら確実に愛せる」と力説してたくらいだから、そういうものかもしれない。
――怪盗貴族騒動からはや二日。
新たに加わった獣人の姉弟は、あっという間に屋敷に馴染んだ。
あれから新たな騒ぎが起こることもなく、隣領のお姫様も平和な休暇を満喫している。
カグヨが獣人二人を誘って、子供たちみんなで庭の草花を見に行ったり、本を読んだり、町やトマト畑に出かけたり。将来日記帳を見たら、涙がこぼれるくらい平和で有意義な休みの過ごし方だ。
ただ不幸なことに、休暇の目的の一つであった怪盗貴族探偵団は、犯人の面が割れたことにより結成間もなく解散となってしまったようだ。
俺に対するカグヨとパンネッタの動きはまだぎこちないところがある。近くをすれ違ったりすると、二人して露骨にアークエンデの後ろに隠れたりする。
ただ、カグヨの方が立ち直りの兆しを見せていた。一人でいる時に屋敷の廊下でばったり会ってしまった時など、少し赤くなりながら「ごきげんよう」などと小声で言って、うつむき加減の会釈をしてくれる。怪盗貴族へのスキンシップの気恥ずかしさをまだ引きずっている様子ではあるものの、これに影響されてパンネッタも落ち着いてきたようだ。
「あの二人は想像以上に優秀な働き手のようですね」
剣の稽古を見物した後、俺が大人しく自室で大人の責務を果たしていると、猫派の執事バスティーユが追加の仕事を大量に運んできた。
「ああ。二人とも人の役に立ちたがってるし、これは早々に仕事を割り振った方がいいかもな」
「どこで噂を聞きつけたのか、傭兵ギルドから早くも二人の登録を望む書状が来ています。町の人間に馴染む意味でも、積極的に参加させた方がいいでしょう」
タマネとタガネもただ保護されるより、逆の意味で働きに見合った対価をもらえる方が気兼ねせずに済むはず。そういう意味で二人が有能なのはありがたい。労働者に対する執事Zのスタンスは「気持ちよく給金を支払いたいからよく働け」。俺も今の立場になってそれが理解できるようになってきた。
「しかし、振り返ってみると凄いもんだな」
俺はしみじみとその言葉を吐いた。
「気がつけば、勇者に陛下に深族の令嬢に留学生に獣人……。ああ、オーメルンもそうだったな。うちに来てくれたのは皆、優秀な人材ばかりだ。こんなに運がいいって、そうあるものかな」
「運とは限りません」
バスティーユは短く否定してきた。
「才人は名君に集う――これは私の師の教えです。良き為政者の元には、その評判を聞いて才能ある人々が集まってくるということ。それは運や偶然ではなく、互いの意思による必然的な団結なのです」
「……おっと。それは俺への誉め言葉と受け取っていいのかな? 我がズッ友」
「オホン。旦那様が名君になれるかどうかは、ひとえに私の働き如何でしょうが――」
「そのとおりだけど慎み浅いな……」
「あの者たちの横を、これまで一体何人の人間が素通りしてきたでしょうか。どれほど優秀な人材だろうと、通り過ぎてしまえばただの人影です。出会いとは、呼び止める力があってこそ成り立つもの。これもまた、先ほどの言葉に含まれた教えの一つです」
ではこの出会いもよろしく――と仕事を一山追加し、執事は整然と部屋を出ていった。
何やらむず痒い思いが胸の中で身じろぎし、俺はわざとらしい苦笑いを浮かべて照れ臭さを噛み潰した。
振り返れば今回の事件は、俺の正体を探るような相手ばっかりだったな。
怪盗貴族の素性を探る者。
ザイゴール・ヴァンサンカンことイーゲルジットを探す者。
どちらも致命傷になり得る、厄介な相手だった。身の安全を思うのであればあらゆる手段を用いてでも排除し、遠ざけるべきだった。
庭から子供たちの楽しそうな声が聞こえてくる。一つ間違えばどれか一つは欠けていた笑い声に、何かを掴んだ気持ちが芽生えた。
「なあ盗賊」
――何だ。
それは、初めて聞いた内なる声だった。錯覚かもしれない。妄想の一人芝居かもしれない。構わず続けた。
「元の俺たちは何者にもなれずに終わった人間だ。何も背負わず、なのに自分一人の面倒すら最後まで見られなかった。何のために生まれてきたのか……それすらわからないダメな大人だ」
自分の行いにすり潰され、立ち直るすべも知らず、行き着いた先はただの自滅。自分の人生すら背負切れなかった中途半端な男二人。
「だけど俺たちが……自分一人が生きるためだけにかき集めていたものが、こうして誰かを救ったり、助けたりできたんなら……。俺たちの生まれた意味は……あったんだよな?」
――……かもな。
返事はどこか安堵の吐息を含んでいた。
自滅したダメな二人が合わさってできたザイゴール・ヴァンサンカン。比率としては申し訳ないくらいに盗賊だのみだ。もう片方の過労サラリーマンは、ただ死にかけで配信動画を見ていたっていうだけの不均衡。
「だからその分、俺がこれから苦労するよ。そして今度こそ最後まで生き切って、何者かになってみせる」
――まあ、頑張れ。働き者。
どこか気だるげで上から目線の声。だからこそ、俺の声じゃない。
ペンを取り、新たに増やされた書類の一枚にサインを引く。体のどこかが軽くなった気がした。
イーゲルジットと言葉を交わしたのは、それが最初で最後だ。
※
そうして瞬く間に時は過ぎ、今日は公女様二人が帰る日。
屋敷の前にはメイドを含め全員が集合していた。
「二人とも受け取って。また遊びにきてね」
ベルゼヴィータがラッピングされた黒シルクのワンピースを二人に贈る。
「お、オフウウウウ……」
「アへぇぇ……」
臣下には見せられない蕩けた顔になってしまうパンネッタとカグヨ。黒シルク製品に関しては滞在中に何度も着まわして遊んでいたはずだが、やはり自分への一点ものという魅力は別格だったか。
「一生大切にしますのぉ……」
「家宝といたしますぅぅ……」
ゲル状になりつつ、餞別の品を抱きしめる二人。
「どんどん使い潰してもらって構わないわ。傷んだらすぐ直してあげる。ああ、サイズは覚えたから、新しいのを作ってあげてもいいわよ」
「こ、ここッ、この家の子に……」
「な、なりゅ……なりゅ……」
別れ際の初っ端に後ろ髪引っ張りまくるのやめたげてくださいベルゼヴィータさん。
「カグヨ様、拙者らのことは……」
続いてタマネが神妙な面持ちでカグヨに呼びかける。彼女ははたと人間に戻ってうなずき、
「ええ。“ハガネ”にだけ、こっそり伝えておきます。おまえたちの母はどう思うかわからないから……」
「ありがとうござります」
姉弟は揃って頭を下げた。一族の複雑な感情が垣間見えた場面だった。
「とても快適な休暇を過ごせましたわ。みんな、どうもありがとう」
次にパンネッタが視線を巡らせお礼を述べたのは、ユングレリオ以下メイドたち全員だ。彼女たちはそれに応じるように、背筋を正して目を伏せた。
「特にメリッサ。あなたは本当に良くしてくれましたわ。ありがとう」
「……! はっ、はい。ありがとうございます、ありがとうございます……!」
ウエンジットの世話係だったメリッサが、感極まった様子でぺこぺことお辞儀をする。
一方でカグヨも、
「トモエ。あなたもとても親切でした。従者たちに代わって感謝します」
「も、もったいないお言葉です……!」
「東のよしみで、タマネたちとも仲良くしてあげてくださいね」
「はいっ……!」
と感激に目を潤ませていた。でかい騒動に巻き込まれて目立たなかったが、二人とも陰日向に頑張ってくれていた。
そう言えば昨日の晩、トモエとメリッサが各陣営の従者たちと握手をしたり、抱き合ったりしていたっけ。出立の朝は忙しくなるから、前日のうちにお別れを済ませていたのだろう。その様子からも、彼女たちがいい仕事をして信頼関係を結べたことがうかがえた。
これは後で俺からもご褒美を用意しないといけないな……。
「カグヨ、パンネッタ……」
アークエンデが進み出ると、三人は自然と手を取り合った。初日に見せた花輪のような仲睦まじく、そして固い繋がり。
「二人ともまたいつでも遊びにいらっしゃって。歓迎いたしますわ」
「いいえアークエンデ、今度はあたくしがあなたを歓待する番。必ず遊びにいらして。家族そろって」
「同じく。わらわもあなたを待っています。こんな楽しい休暇を過ごせたのは初めてです。……一生忘れません」
別れはいつでも寂しいものだ。大人ならすぐに届く距離であっても、子供たちにとっては想いすら容易には行き来できない隔たり。明日はもう隣にいないという寂しさに、彼女たちの眼にも自然と涙が浮かんでいた。
「伯爵様……」
そうして最後、屋敷の主のご挨拶。
公女二人が揃って俺を見つめてくる。
ここまで綺麗に(?)来ているので、突然発作を起こしてバウンドするとかいうオチがつかないようにしないと。
俺は昨日のうちに考えておいた、簡単な挨拶を述べようとした。
「やあ、二人とも元気で――」
「コホン。ヴァンサンカン伯爵様、靴ひもがほどけていましてよ?」
「へ?」
パンネッタにいきなりそう指摘され、俺は咄嗟にしゃがみ込んでいた。皆の視線が集まるのを感じる。うへえ、俺が最後にトチるのかよ。……と思ったが、靴紐はしっかりと結ばれている。
あれ? と思った瞬間、俺の体を柔らかい何か包んだ。
「!?」
パンネッタとカグヨが、俺の首元に抱きついている。
「またお会いしましょう、ですわ。秘密の多い伯爵様……」
「次にお会いする時は、わらわももっと素顔になりますね……」
耳元に吐きつけるような小さな囁き。そのやけに妖艶な熱に思わず身じろぎした時には、二人は身を離し、そのまま馬車へと駆けこんでしまっていた。
「アークエンデ、皆さま、それではごきげんよう!」
「タマネとタガネをよろしくお願いします、アークエンデ!」
馬車の窓から無理矢理手を振る二人の顔は真っ赤だった。二領の従者たちは互いに笑みを交わし、こちらに一礼をしてから持ち場に就いていく。
「二人とも、またね! お手紙書きますわ! お元気で!」
アークエンデとヴァンサンカン屋敷一同に見送られ、騎士公女二人は故郷へと帰っていった。
来た時と同じように、嵐のように。
家の中をとっちらかして。
そうして彼女たちの馬車の姿が見えなくなってから――。
「お・と・う・さ・ま?」
盛大に手を振っていたアークエンデの首が、ギギギと軋んだ音を立てながらこちらへ振り向いてくる。いや、この軋みは首の音ではなく……!
「あの二人と何かおありになりまして? Σ<煉><〇> バギイイイン……!」
お、オワアアアアア! 久しぶりに全開出力の刻印がぁ!
「ザイゴール……」
「おい、伯爵……」
「伯爵さん? アークエンデが先でしょ?」
「領主様……」
「ご、ご主人様……」
なっ……!? シノホルン、オーメルン、ベルゼヴィータ、メリッサ、トモエまでもが、それぞれの事情を秘めた眼差しで俺をにらんでいる!
「ち、違うんだ。今のはどうやら騎士流のお別れの挨拶だったみたいで……なあバスティーユ――ってすでにいないぃ!?」
いるのはニヤニヤしているユングレリオ陛下に、ぼーっとこちらを見ているルーガ。興味津々のネコ目になっている獣人姉弟と、近くを飛んでいる蝶に気を取られているソラ。そしてメモ帳片手に身構えるメイドさんたち。
「お父様はわたくしのもの。わたくしはお父様のもの……。アークエンデにはすべてを知る権利がありますの! さあお父様、お教えになって!」
「ま、待って。落ち着こうアークエンデ。そんなに気を高めたら、例の試練石が――うおおわあああああ!?」
「あっ!? 逃げた!?」
「違う違う、吹っ飛ばされてるんだああああああぁぁぁ……!」
〈闇の心臓〉によって高まる魔力。荒ぶる暴風。意図せずとも噴出した怒気混じりの『煉』の波動は、俺を枯れ葉のように空へと巻き上げていた。
「逃がしませんわ。お父様あああああああ!」
翼のように左右に分かれた髪が変形し、ジェットエンジンめいた形状となる。
キュイイイイイインン……ドゴオオオオオオオオオオオオオオオ!!!
そうして天高く追撃してくる昇り竜のようなアークエンデの姿を――きっと、帰りの馬車の親友二人も見上げたことだろう……。
ここでエンディングテーマのイントロ。
お疲れ様でした。これにて騎士公女の休暇編、終了でございます。




