第八十七話 こねこうちのここのねここねこ
友人のゴールデンな輝きに導かれたのではないだろうが……。
俺はふと、エントランスの物陰からこちらをうかがう者の気配に気づいた。
二人して顔の一部だけをのぞかせ、進退窮まった視線を投げてくるのは、カグヨとパンネッタで間違いない。
部屋から出て来てくれたか。思ったより立ち直りが早くて助かった。この強さも騎士の娘の嗜みなのかもしれない。だが――。
『じーっ……』
二人揃って向けてくる眼差しは、いまだ迷路をさまよい続けていた。戸惑い、怒り、羞恥、驚き、反発……。これからどういう気持ちでいればいいのか、自分でもわからなくなっている。
「や、やあ……」
だからここは、大人の俺から歩み寄らないといけないと思った。これまでの激しいスキンシップやラブコールは全部忘れたことにして、新たな関係を築き直すのだ。若い精神というのはそういう力技ができる。今悩んでいることは、十年後くらいに懐かしんでくれればいい。
『がるるるる……』
「うっ……!」
しかし俺が足を向ける気配を見せただけで、二人は威嚇するように唸り始めた。
顔が赤い。これまでの行為を思い出しているのだろう。だがここで臆してはいけない。彼女たちが部屋から出てきたということは、少しは向き合う準備ができたということのはずだから。
「……騙すつもりはなかったんだ。ほら、わたしもこういう立場だから、ああいうことをしていると知られたら大事だろう? ちなみに、わたしが盗んだものはもうギルドに返したよ。あんな大事なものをいつまでも持っておくわけにはいかないからね」
「……!」
先に反応を示したのはカグヨ。ぴくりと眉を動かし、次に絞り出された声はやや震えていた。
「ほ……本当に……伯爵様が怪盗貴族様だったんです?」
「……ああ」
「どうしてあんなことを……」
「色々と事情があった。ただこれだけは信じてほしい。わたしは金欲しさにあんなことをしていたわけじゃない。表だって動けないから、ああいう奇抜な格好をするしかなかったんだ」
「まさか、誘拐されたわらわたちを助けてくれた時が?」
探る声音に、俺は素直にうなずいた。
「さる人物から不穏な企みの話を聞かされてね。こっそり君たちを見守っていた。わたしがあまりこの力について知られたくなかったのもあるが、騎士領のお姫様が厄介者のヴァンサンカン伯爵に助けられたとまわりに知られたら、色々と波風が立つだろう?」
公女二人の表情が驚きに塗られ、互いの心情を確かめるように顔を見合わせる。
「あんなに……勇敢に戦ったのに……」
「それより……あたくしたちの立場を慮って……」
内輪でぼそぼそと話し合った後、口々に次の質問が来る。
「で、では、わらわたちの弱みを握って無理矢理何でも言うこときかせようとしてきたのも……」
「それは一から十まで誤解だから……。見られたくないところを見てしまったことは謝るけど」
「それなら、あたくしたちにアークエンデと友達になってほしいというのも、近づくための方便でして?」
俺は即座に首を横に振った。
「それはわたしの本心からだ。誓って言う。あの子と仲良くしてほしかった。だから、こうして君たちが遊びに来てくれて、本当に嬉しいんだ。感謝している。ありがとう」
『…………』
俺を見つめる眼差しに変化があったことを、盗賊の感覚が知らせていた。俺に悪意がなかったこと。これまでのスリスリベタベタに言及する気がないことが伝わったらしい。これはいけるか。よし、あと一歩だ!
「さあ、そんなところに隠れていないで、あの子のところに行ってあげてくれないか。今、なんかすごく光ってるけど、君たちのことを心配していた。元気なところを見せてくれれば喜ぶはずだ」
俺が踏み出すと、二人は「ううっ」とお互いにすがりつくようにしながら後ずさる。
「君たちの従者も心配していたよ。わたしに言いたいことはあるだろうけど、今は一旦彼らを安心させてあげてほしい。屋敷のみんなも待っている」
『ううううう……!』
後ろは壁だ。それ以上は下がれない。後は軽く背中を押してやれば、子供の前向きな精神だ。過去のちょっとした失態なんて圧倒的な現在に押し流されて、あっという忘れ去れる。
さあ、今こそちょっと生意気でクソガキな公女に戻るのだ!
『ううう……ウボアアアアアアアアアアアアアアア!!!!』
ビターンビターンビターン!
「しまった発作が! 早かったのか!」
二人が魚類のように飛び跳ね始めてしまう。
さすがに床の上でこの高さのバウンドはまずいと、取り押さえにかかったその瞬間――。
「にゃあああああああ!!」
突然、聞いたこともないような悲鳴がエントランスの端から端まで駆け抜けた。
「そっちは何だ!?」と出所に目を向ければ、そこには驚くべき光景が。
「おっ、おやめください! それがしはこれでもモノノフで……!」
「やめるでござる! 拙者たちはただ伯爵殿に言われて参っただけでござる……!」
ネコミミの獣人が二人、メイドさんたちに取り囲まれてもみくちゃにされていた。
「きゃああああ! それがしショタ!? モノノフって何!? モフモフの間違いでしょ!?」
「柔らかい! 可愛い! どうしたのこの子たち、また伯爵様なの!? またかー!?」
猫可愛がりとはこのことだ。メイドさんたちが四方八方から手を伸ばして彼女らの髪やらネコミミやらを撫でまわしている。領主家のメイドが相手とあってか、二人ともろくに抵抗できないのがさらに拍車をかけている。
「フニャーッ!」
とうとう耐えきれなくなったのか、こちらに向かって逃げてくる二人。髪はボサボサ、涙目の状態で俺の後ろに隠れる。メイドさんたちが俺を見て「ちいっ、逃げられた!」という顔になった。たしか君たちって、メイド修行と行儀見習いのためにウチに来てるはずだよね……?
「は、伯爵殿! あれは何でござるか!? 約束通り昼過ぎ頃にお訪ねしたらいきなり襲われたでござる!」
「それがし、このような不埒な扱いを受けたのは初めてでございます! 伯爵様、あれらはこの家に巣食う妖怪なのですか!?」
腰にしがみつくタマネともう一人。タマネとほとんど顔立ちの変わらない――つまり少女にしか見えない――少年獣人がまくし立ててくる。こっちが弟のタガネらしい。
格好はくすんだ苔色の着物に袴と、サムライ風。後頭部に小さなちょんまげが結わってある。これに加えて生真面目そうな態度と言葉遣いが、メイドのおねえさんたちの刺さるところに刺さりまくってしまったらしい。
そういえば、公女二人が引きこもったことに驚いて、獣人姉弟が来ることをみんなに伝えていなかった。これはしまったな……。
「ザイゴ……領主様、騒がしいようですが何かありましたか……?」
「こら、研修生諸君。おしゃべりの時間にはまだ早いぞ!」
この数々の騒ぎを聞きつけ、屋敷の他のメンバーも集まってくる。ある意味、タマネたちを紹介するのにちょうどいいかもしれない。そんなふうに俺が前向きに捉えていると、
「……あなた、タマネ?」
一人、まわりとはまったく質の異なる声で呼びかけた者がいた。
振り向けば、あんなに元気に跳ねまわっていたカグヨが二本足で立ち――いや立ち尽くしながら、獣人姉弟に限界まで見開いた目を向けている。
反応は劇的だった。
『かっ、カグヨ様!?』
同じように目を見開くことになったタマネとタガネ。二人は今の自分の姿を確かめるように視線を落とすと、逃げ出す準備をするようにわずかに足を引いた。
「待ちなさい! 待って!」の鋭い制止が、その動きを塞ぐ。
「そのまま……。逃げないで」
カグヨが両手を前に出したまま、そろそろと近づいてくる。野良猫に近づく足取りそのもの。
タマネとタガネは観念した様子で下を向いていた。子供が叱責を恐れる姿に似ていた。しかし――。
カグヨはうつむく二人の肩を、自身も顔をうつむかせたまま、抱くようにして引き寄せた。
「生きてさえいてくれたのなら、他に何もいらない……」
震える声で、それだけ言う。はっとなった姉弟の目に、じわりと涙が浮かんだ。
「カグヨ様……。お懐かしゅうござります……」
「お元気そうで……何よりです……」
鼻をすする音と三人の態度が、それまで浮足立っていたエントランスの空気を一気に冷ます。
これは……。俺はその場の面々と顔を見合わせた。
この三人の反応。まるで生き別れた家族と言わんばかりだ。
そう言えば、カグヨのところには刀猫族という獣人がいて、力を認められたただ一人の子だけが身辺警護を務めるという。タマネたち姉弟も、高貴な者に仕えるために生まれたと言っていた。ということはまさか……。
「伯爵様。……この二人とは、どういう関係で……?」
顔をわずかに上げ、綺麗に揃えられた前髪の下から、濡れたカグヨの眼が俺を一心に見上げた。
その眼差しと声には、二人の身を案じる気持ちがこれでもかとこもっていた。
やはりそうだ。タマネとタガネは、カグヨの家に仕える獣人だったのだ。
三人の歳はさほど変わらないように見える。であれば、幼い頃に交流があったかもしれない。貴族の側近は子供と一緒に育てるというし。
では――カグヨもそうだったのだろうか。
ある日突然、タマネやタガネが消えていくところを見てしまったのだろうか。
親に真相を聞かされ、ショックを受けたのだろうか。
……そうなのだろう。以前、獣人のことを語る彼女の眼は古い傷を抱えていた。
ならば、彼女も同じことを思ったのだろうか。
子猫たちは優しい誰かに拾われた――と。
「みんな聞いてくれ」
俺は答えの代わりに声を広げた。
「この二人はタマネとタガネ。訳あってうちで預かることにした。二人とも不慣れなことばかりだから、色々面倒を見てやってほしい。逆に、手伝ってほしいことがあったら気兼ねなく相談してみてくれ。二人はお客さんでもなければ奴隷でもない。同じ家に住む仲間だ。お互いに支え合おう」
「――!」
息を呑む気配がカグヨから伝わった。
柔らかい空気がエントランスを満たす。さっき荒ぶっていたメイドさんたちは姿勢を正し、オーメルンやソラたちは歓迎の微笑み。アークエンデも光ったまま優しくうなずいてくる。
「カグヨ。“優しい誰か”は俺がやる」
俺は彼女に笑いかけた。かつて無力だった自分にそうするみたいに。
「二人を悲しい世界から守る。だから安心してほしい。もし様子が気になったら、いつでも遊びにきてくれ。俺も、君と会えるのを楽しみに待ってる――」
瞬間――カグヨの顔がかあっと赤くなった。
小さく吸ったまま息を吐くこともせず、濡れたままの瞳で俺をじっと見つめる。
なぜか、その瞳の中で俺以外のすべてが切り取られているような、そんな奇妙な感覚を抱いた。盗賊と竜の血が見せたある種の錯覚だったのかもしれない。
そしてカグヨはつぼみのような唇をかすかに震わせ、最初の言葉を……。
「カグヨ様ああああ! 拙者、拙者またお会いできて嬉しゅうござるうううう! にゃああああああああん!」
「ちょ、ちょっとタマネ……!?」
「カグヨ様、それがしも、あなた様の身をずっと案じておりました。ご立派になられました。もうそれだけでそれがしは悔いはなく……ッ!」
「タガネまで……もう」
抱きついておいおい泣き始める二人に、カグヨは仕方なさそうに微笑んだ。その本人からも、残っていた涙の雫がこぼれていく。
これで……ハッピーエンドだろう。
獣人姉弟は屋敷に迎えられ、怪盗貴族の正体なんてもう過去の話だ。パンネッタも友の事情を察し目を潤ませている。
全方向丸く収まり、これで明日から――いや今日からでも穏やかな日常が戻ってくる。そうに違いないと思った矢先。
「旦那様」
一人冷静な声をかけてくる者があった。バスティーユだ。場の空気に一切感化されない硬い目つきに小言の嵐を予感し、俺は先に口を開く。
「この二人のこと、前もって相談できなくてすまなかった。だがノーとは言ってくれるな。俺の責任でちゃんと面倒は見るから」
「いえ。旦那様がそうと決めたのであれば私は何も申しません。二人の部屋はメイド長に言ってすぐに準備させましょう」
そう答えてきびすを返した後で、どこか温度を含んだ一言。
「猫は家に何匹いてもいいですからね」
あっ、こいつっっ……!
「裏切る時に猫を膝に載せて邪悪に笑ってそう」
「猫も悪い顔してそう」
「でも裏切っても今とあんまり変わらなさそう」
メイドさんたちからヒソヒソと好き勝手言われつつも、我がZっ友は平気な背中で仕事へと戻っていった。
東のお姫様とのコネも作っていくう!




