第八十五話 ダッシュ、奪取、脱出!
両腕無敵装備によって無人の通路を進む中、俺はある場所で足を止めた。
「パンネッタ、少しいいかな」
俺の右腕を取っていたパンネッタに一言断り、ポケットからブローチを取り出す。
「怪盗貴族様、それは?」
「落とし物だ。ここの品らしいが、侵入した誰かが持ち逃げし損ねたみたいでね……」
展示用の台座にかぶせられた布の下にそっと戻す。
「標的でないものは盗まないどころかきちんと返品する……。素晴らしい人間性ですわ」
「いや、わたしは泥棒だから。マジで絶対に見習ってはいけないよ?」
うっとりする公女二人に人の正しき道を説きつつ、一つの仕事が終わった。
これが、この不可解極まりない魔石に対してできる最後の抵抗になる。展示会は本日がラスト。朝になれば秘宝珍品は厳重に箱に詰められ、倉庫へと運ばれていくはず。それまでここにあれば……。
やるべきことを果たし、いよいよ会場最奥へ。
当然と言えば当然だが警備は最厳重を極めた。
俺の部屋くらいはある広々としたスペースにて、直立不動の傭兵たちが欠片の収められた中央ケースの周りを囲んでいる。
四方を見つめ動かない瞳。隙を突くなど到底不可能。どこから攻めても強行突破になる。
だが――。
「来る……!」
物音はない。気配だけがそれを伝えた。
俺とは真逆の位置からこのメインホールに入った者がいる。
疾風のように警備の脇をすり抜け、股の下をくぐり、四つ足の加速でもってすべてを振り切る――タマネだ!
「ここまでだ。ありがとう」
俺の引き締まった声にすべてを察したのか、未練を見せずに手を離す公女二人。その時にはもう足が自然と床を蹴っていた。
ケース目がけて突撃する。
「来たぞ、怪盗だ!」
こちらに気づいた警備が抑え込みにくる。
その屈強な腕をかわし、立ち塞がる足を糸で絡め取ってこかせ、上から覆いかぶさって来る相手には頭を掴んで上を飛び越える。
並みいる警備をいなして、お宝まで残り五メートル!
ケースを透かして向こう側にぎらつく獣人の瞳を見た。むこうも等距離まで詰めている。一瞬のリードもビハインドもない。
俺が警備を一人かわす。タマネも一人抜ける。俺がまた一人。タマネも一人。俺が最後の一人を突破。タマネも同じく。
同時! まったく同時に包囲を抜けた!
後は中央のケースまで一直線。何も阻むものはない!
「うおおおおお!」
「にゃおおおお!」
両者全力疾走。俺は大股で。タマネは四つ足で。
二人ともあらん限りの速度を乗せて手を伸ばし――。
――「しめしめ、これで怪盗と言えど……」
「!?」
俺の耳をかすめる誰かの声。伸ばした手の先に小さな紫電が散るのを見た。
こ、これは!?
ためらいが停滞を生む。
次の瞬間――。
「盗ったでござるううううううううううううう!」
飾りだけの保護ケースを吹っ飛ばし、タマネは高々と聖剣の欠片をかざした。
秘宝を照らしていた明かりが、今度は誇らしげな彼女の顔を浮かび上がらせる。
勝者はタマネ――そう思われた直後だった。
突然、聖剣の欠片から稲光が迸る。
「あにゃにゃにゃにゃにゃにゃ!?」
骨まで透けて見えるような強烈な電撃がタマネの小柄な全身を駆け巡った。
これは……! トラップだ。盗難防止用の電撃トラップが欠片自体に仕掛けられていたのだ。手を引っ込めるのが一瞬遅れていたら、俺もこれに巻き込まれていた……!
「む、無念……」
ぺったりと床に倒れるタマネ。その手から欠片がこぼれ落ちる。トラップの本体にされた欠片は黒ずんでひび割れていた。
アルジャン氏が大事な秘宝にこんな危険な仕掛けをするはずがない。ということは――。
俺は欠片を拾い、それからタマネも抱き上げた。
「い、一体何を……」
声は弱々しいが意識は意外とはっきりしてそうだ。あのトラップは体を痺れさせるだけの非殺傷用か。
「ここで捕まったら弟はどうなる」
「!」
「さあ行こう」
警備員たちが態勢を立て直すより早く、俺は不可視の糸を飛ばして窓から一気に外へと抜け出た。
ギルド館の壁を伝い、屋根の一番高いところへ駆け上がる。
ホールからくすねてきた設置型の照明をどんと脇に置くと、そこはもう手品師の舞台上さながら。突然現れた不自然な光源に、ギルドを取り巻く民衆から一斉に声が上がる。
それに負けじと俺は怪盗用の気取った声を張り上げた。
「お集りの皆々様、今宵はわたしの晴れ舞台を見に来てくれてありがとう!」
広げた口上が人々の顔を驚嘆から熱狂へと書き換えていく。地上の警備たちが目を剥き、すぐさま行動を起こそうとするも、ここまで登ってこられるヤツはいない。
「けれども楽しい時間はこれで終わりのようだ。予告通り、お宝はいただいていく! けれども皆、今日は一旦ベッドに入って、今夜の話の続きはまた明日にしてほしい。朝、パン屋が開かないとみんなが困るし、おかずは肉も野菜も新鮮なものが食べたいからね!」
俺は黒ずんだ〈聖剣ステラ・メルトの欠片〉を手のひらに載せ、高々と掲げる。そしてぱっと手首を返した時には、もうそれはどこにも見えなくなっていた。
わあっと沸き返る民衆。警備の怒号を掻き消す彼らの喝采が、突風となって俺のマントを揺らす。泥棒相手に大した熱気だ。不謹慎だがこれが庶民の娯楽というものだ。
「それでは諸君、よい夢を!」
俺は一礼しつつ足元の明かりを消し、怪盗貴族のワンナイトショーinヴァンサンカンを終えた。
タマネを背負って闇夜に消える。
後には糸くず一つ残さない。
※
月の真下を走っていた。
風を切る足に音はなく、一夜の宴が巻き起こした熱もここまでは届かない。
屋根の上の静かな逃避行。
「あなたは、イーゲルジット殿ではないのでござるな……」
俺の背中に収まったタマネが、まだ抜け切らない痺れの中でそうつぶやくのを聞いた。
「イーゲルジット殿は、こんなに優しい人ではないでござるから」
「……そうだな」
「でも、不思議でござる。昨晩あの魔法の雨から一緒に逃げた時。それから今夜、一つのお宝を巡って競った時。拙者はまるでイーゲルジット殿と一緒に仕事をしているような、そんな気持ちになれたでござる」
何かを諦めたようなため息一つを間に挟み、「聞いていただけるでござるか」の前置きが俺の耳をかすめた。うなずきを、背中に伝えた。
「拙者は、さる高貴な人をお支えする家に生まれたでござる。けれど力及ばず、その役目には就けませなんだ。けれどどこかで……大切な誰かの力になりたいという気持ちがあったのでござる。盗賊に身をやつしても幼い頃の夢は変わらなかったのでござろう……」
タマネは――ここから9代目に至るまで同じ夢を追いかけ続ける。それは自分と同じように捨てられた獣人たちのため。彼らが安心して暮らせる国を作るため。大切な誰かの力になりたい。支えになりたい。彼女が力を求めたのは、きっとそのためだけだった。
「タマネ」
「はい……」
「わたしもすべてを説明できるわけじゃないし、上手く伝えることもできない。でも……これだけは信じてほしい。イーゲルジットは、もういない。この世界のどこにも」
「…………」
「彼はこれまでしてきたことの罪悪感に押し潰され、病に伏せってしまった。治せる者はなく、赦してくれる相手もいなかった。そうしてどんどん弱っていき、最後には……。だから君がどこを探しても、どれだけ探しても、もう、見つからないんだ」
背負った彼女の体に温度の低い何かが浸透していくのを、俺は感じた。
「やはり、そうでござったか……」
「薄々勘付いていたのか?」
うなずいた仕草が背中を撫でる。
「イーゲルジット殿はとても危うい人でござった。一人では生きられぬのに、一人でしか生きられなかった。人を信じられないから優しくなれなかった。優しくできないから他人が怖かった。だからこそ、拙者が寄り添ってあげたかった。孤独なあの人の支えになりたかったでござる……」
盗みは悪いことだ。だが泥棒にも心はある。
彼女の心は純粋だった。飾りも混ざりけもない真心。ここにイーゲルジットがいたなら、それは届いたのだろうか。
深く息を吐き、彼女はぶるりと小さな体を震わせた。
「拙者は、また、また……足りなかったでござるかぁ……! また助けられなかったでござるかぁ……! イーゲルジット殿、ごめんなさいでござる。何もできなくて、ごめんなさいでござる……! わああ……わあああああああん……」
彼女の嘆きが俺の体の中にまで響いてくる。
猫が月夜に泣いていた。置き去りにされた子猫のように泣いていた。
俺に何ができる。
思い出す、家の裏の空き地。家族が一匹減っても、変わらずじゃれていた子猫。それを近くで見守る親猫。窓から外を見ればイヤでもそれが目に入る。そのたびに心を冷たいものがよぎる。
あの時、俺はどうしたんだったか。そのどうしようもない現実に対して。
……そうだ。言い聞かせたんだ。
いなくなった子猫は迷子になって、どこかで優しい人に拾われた。そして今は、温かい場所で、誰よりも安全に暮らしている。そうに違いないって。
子供だった俺にはそれしかできなかった。子猫を探すことも、ましてや家で飼うなんてことできやしない。だから幸せで身勝手な空想にすがるしかなかった。目を背けることしかできなかった。
だが、今は――違う。
「タマネ」
泣いて泣いて、ようやく彼女が落ち着いて来た頃に、俺は告げた。
「うちに来ないか」
「え……?」
かすかな驚きと戸惑い。
「もちろん君の弟も一緒に。怪盗はわたしの本業じゃない。止むにやまれずババを引かされてこうしているだけなんだ。普段は盗みではなく、人のための仕事をしている。君の夢と同じく、人々を助け、人々の暮らしを支える仕事だ」
「……!」
イーゲルジットを知るタマネは、俺にとって極めて不都合な存在だ。しかしここで我が身の可愛さを優先したら……俺はきっとあの子の父親としてひどく相応しくない。
「君の泥棒稼業は……犯罪だから引退だ。でもその腕は人を助けるために十分に活かせる。給料も出す。誰も君たちを傷つけないし、捨てない。日の当たる部屋も、安全な食事も、こちらで用意する。だから――」
「あ、あなたは一体……?」
当然来る、俺の素性を質す声。……最早、ためらいはない。
「わたしはザイゴール・ヴァンサンカン。この地の領主だ」
「!!? りょ、りょ、領主様……!?」
驚きのあまりタマネが俺の背中から跳ね飛んだ。しっかり足から着地しているあたり、体のしびれは取れたらしい。
煌々と光る月を背に、俺はマスクを取った。これから始まる困難はすべて受け止める。この場にはその価値がある。
「あっ……」
タマネが目を見開き、驚きを露わにした。
イーゲルジットはもういない。俺の素顔を見てさぞ混乱するだろう。そんな彼女の感情とも長く向き合っていく覚悟だ。
「……確かにイーゲルジット殿とは別人でござった。大変失礼しました……」
「へっ……?」
平身低頭しつつタマネが言っ……え、なに、何て言った!?
「確かに背格好や顔の輪郭は似てござったが、イーゲルジット殿は陰のあるイケメンでござった。そこまで陰気で不健康そうな顔ではなかったでござる……」
「なっ……!? い、いや、どうかな。元からこんなだったんじゃないのか?」
「いいえ。そんな不吉で七難有りそうな目つきなどではござらん。ワンチャン、サワヤカ系イケメンになれる面立ちでござった。勝手に追い回してしまい本当に申し訳なく……」
「くっ……!」
落ち着け俺! 何を対抗している。本人が違うと言ってるんだからむしろ都合がいいじゃないか。いいだろ……!?
「そ、それでさっきのお話は……?」と、屋根の上で小さく正座しながらタマネが恐る恐る聞いてくる。俺は気を取り直し、伯爵の威厳を纏った。
「ああ、あれは聞いての通りだ。わーくにでは優秀な人材を常時募集していてね。それにほら、わたしが怪盗貴族だろう? 同じような技術を持つタマネには、是非協力してもらいたいんだ。ダメかな?」
「め、滅相もございませぬ! そのような仕官が本当にかなうのであれば、何という僥倖。身に余る光栄でござる。身命を賭してお仕えいたします……!」
「! そうか。ありがとう。君がいい所を見せてくれれば、君と同じように苦しい立場の獣人たちを領主として助けてやれるかもしれない。その時は、君にその人たちを一番に支えてもらいたい」
「!! 拙者が、他の獣人たちのために…………!」
驚きに見開かれた目から、またじわりと浮き出る涙があった。
届かなかった夢。置き去りにされた過去。悲しみは、もうそろそろエンドでいい。
感極まった彼女に、笑顔が弾ける。
「ありがとうございます、ヴァンサンカン伯爵殿! 拙者、一生ついていくでござる!」
子猫は泣き止んだ。
温かい家が彼女を待っている。
※
「はーやれやれ。一時はどうなることかと思ったが」
俺は一旦タマネと別れ、屋敷に戻ってきた。
朝になったら改めて、弟共々みんなに紹介するつもりだ。
外から屋敷が寝静まっているのを確認。町のあの様子では住み込みメイドさんたちも何人か見物に抜け出していそうだが、怪盗貴族の言いつけを守って今日はもう休んでくれているようだ。
玄関はもちろん戸締りされているから、直接二階の窓から自室へGO。
「カグヨとパンネッタにはバレなかったし、アルジャン氏もこれに懲りたらもうニセの予告状なんか出さんだろ……」
長い夜だった。まるでこれまで何日も夜だったみたいに。
月明かりと共に窓枠を越え、マスクをはずす。
そ こ で
部屋の暗がりに、誰かいることに気づいた。
小さな寝息がベッドから。
呼吸音でわかる。これはアークエンデだ。
そして暗がりで、まるで朝まで待ちきれず、ここでコソコソと今日の出来事について密談をしていたような人影は――。
カ gう ヨ と Pぁ ン ネッ た
二人と、目が、合った。
「ギニャアアアアアアアアアアアアア!!!!」
「ギニャアアアアアアアアアアアアア!!!!」
「ギニャアアアアアアアアアアアアア!!!!」
ドゴオオオオオオオオオオオオオオ!!!!
俺の部屋は爆ぜ飛んだ……。
話が一段落ついたのに余分なCパートが始まったら罠だってそれ一番言われてるから




