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第八十話 忍者ニャ!

 イーゲルジット。

 その呼び名が俺の外からやって来たことが、俺を芯から震え上がらせた。


 先代のヴァンサンカン領主に取り入り、何をどうしたのか養子になるところまでこぎつけたケチな泥棒。仕事では特殊な糸を使い分け、他者への暴力は極力避けていた。罪悪感から心を病み、養子として呼び寄せた少女にすらつらく当たった挙句、最後は自滅した。


 当然それだけの人生ではない。生まれてから今日に至るまで二十余年の過去がある。

 俺は盗賊との記憶を共有してはいないが、ほぼ同じ長さの人生を歩んできた者として、もはや思い出せないほど大勢の顔や背中を見てきたであろうことはわかる。


 いつか来るんじゃないかと思っていた。

 俺の顔を知る、俺の名を知る、俺の過去が。


「……イーゲルジット殿?」


 押し黙って何も言わない俺に、相手から少し気後れしたような声が漏れた。

 ザイゴール・ヴァンサンカンの正体を知る者。それがどれだけ居てはいけない存在か、盗賊脳に頼るまでもなくわかっている。ではどうする……。


「あの、その……」


 俺を激しく動揺させる過去からの使者は、しかしそちらも同様に大きな戸惑いを覚えているようだった。ジェスチャーになりきれない腕をふらふらと動かしながら、続く言葉を探しあぐねている。

 よく見ると体格はひどく小柄で、まるで子供のようだ。声も高く、変声期前の男の子か、もしくは単に女の子――。


「ほ、ほら、拙者でござる。盗人窟でイーゲルジット殿に助けられた、“タマネ”でござる!」


 しびれを切らしたように、相手は逆光の影から顔を突き出した。口元を隠していたマフラーも押し下げる。


「……!」


 ちょっと吊り上がり気味の大きな目には、薄い紅のアイライン。小振りな鼻に、笑うと愛嬌のありそうな口元。俺に必死に何かを訴えるような表情と合わせて、とても可愛らしい顔立ちだ。そして――正体を晒すと同時にぴょこっと立ち上がった髪の毛に目が行く。


 いやあれは髪の毛ではない。

 ケモミミ。猫の耳だ。

 ではこれは……獣人種族……!?


「……人違いではないかな」


 俺はかろうじてそれだけ吐き出し、返答を待つ間にもケモミミ少女をさらに観察する。


 少しハネたボブカットの髪は白と黒に分かれた独特の色あい。いわゆるブチ猫。服装は和装と言っていいのだろうか、袖とセパレートになった裾の短い着物だ。露わになった細い太ももは色白く、膝から下はなんかルーズソックスっぽい厚手の脚絆とサンダル。長いマフラー。そしてゴザル口調。


 これは忍者……! ネコミミ忍者ニャ……!


「見間違うはずもござらぬ。その身のこなし、そして昨日の糸の技。腕前はより卓越してござるが、動きの癖はイーゲルジット殿に相違ない」


 どこか誇らしげに言う彼女――タマネ。糸の技についても詳しく知っているようだ。ただ、その態度から敵対的な人物ではないことは確からしい。盗人窟で助けられただと……?


「やはり人違いだ。私はそのような名前ではない」

「そっ、そんな。拙者が命の恩人を間違えるはずがないでござる」


 まるで捨てられた猫みたいに必死に食い下がって来る。

 命の恩人? イーゲルジットが人助けを?


 気になる話だが……ここはきっぱりと疑惑を断ち切っておかないと。つきまとわれたら物凄く厄介なことになることは確定的に明らか。


「私は怪盗貴族という。そのナントカジットではない。元々盗賊ならば、わざわざこんな変装をする必要もないだろう」

「怪盗貴族……!?」


 はっとしたようにタマネが目を見開く。途端、彼女の雰囲気が変わった。どこか鋭く――あ、あれ? なんか予定と違うんですが……。


「――昨日の白昼堂々、怪盗貴族の予告状が秘宝展に届けられたでござる。その者は“教会荒らし”で知られたディンゴとワンゴの兄弟をピケで破り、隣国ウエンジットにて公女二人の誘拐事件を密かに解決。そして王国首都での政変や、遠く追放島での事件にも関わったとの噂……」


 うっ!? この子、見た目とは裏腹にかなりの情報通だ……!?


「そんな怪盗貴族と勝負すべく近隣の盗賊たちがこの町に集まってきていると知っての上で、拙者に名を明かしたでござるか?」


 月の光を写し取ったかのような冷えた眼差しが俺に刺さる。

 すごい数の賊が集まって来てる!? ちょっとアルジャン氏ィィィ!? あんたの狂言が結構やばい広がりを見せてるんだけどオオオオ!?


「き、君もそうなのかい……?」

「拙者は、盗賊たちが集まるのならもしかしてイーゲルジット殿も、と思って様子を見に来ただけでござる。しかし……ここであなたに打ち勝てば、拙者がどれだけ成長したかをイーゲルジット殿に示したも同然ではござらぬか?」


 わずかに腰を落とすタマネ。俊敏な獣が襲撃のタイミングを計るような気配。


「待ちたまえ。話し合おう。小銭ならある」

「まずは小手調べに……その怪しいマスクを頂戴するでござる!」


 光が走った。

 それが月を宿した彼女の目だったと気づいたのは、俺の真横を疾風が通り過ぎていった直後のこと。


 こっ、この身体能力、確実に獣人の特長……!


「今のを避けるとはさすがでござるな! しかし拙者はもう盗人窟にいたあの頃とは違う!」


 屋根の上をジグザグに走って迫る眼光の軌跡。気づけば肉薄されており、そこから伸ばされる腕を俺は再びかろうじてかわす。


 獣人は世界に六つあるヒト種族の一つだ。そして唯一魔導要素を持たない特別な種でもある。

 代わりに彼らが保有するのは圧倒的な身体能力。いくら身のこなしに自信のある盗賊であっても、獣人の盗賊相手ではスローすぎてアクビが出るぜと煽られても仕方ない。


 しかし――。


「なっ……なんと!?」


 タマネの俊敏な攻撃を俺はことごとく回避していた。竜の血のおかげだ。単なるイーゲルジットの体術ではとっくに捕捉されていた。


 逆にこっちからも仕掛ける。狙いは彼女が腰にぶら下げている猫型の巾着袋。

 はっとしたタマネは素早く身を翻すが、巾着袋自体を隠したりはしない。


 つまり――これが勝負のルールということ。


 一瞬のにらみ合いの後、両者屋根を蹴った。

 リーチでは俺の方が上でも、相手の腰に触れようとすれば自然と姿勢も低くなり、マスクがタマネの射程距離に入る。安全な場所はない。純粋なスピード勝負!


 カカン! と拍子木でも鳴りそうな必殺の間合いに、両者飛び込む。


 タマネの腕が先に伸びる。

 動き出しの速さは彼女が上。こうした勝負ごとに慣れているのか。

 後手に回った俺だが、盗賊の反射神経と竜の血が必中の一手をぎりぎりのところで避けさせた。

 指先がかすり、マスクがずれる。視界が塞がる。しかしもう見えなくても関係ない。俺は満を持して手を伸ばした。


「くっ……!」


 タマネの苦悶の声。対処しようとしているのか。だがもう遅い!!

 視界ゼロのまま俺は獲物を思い切り鷲掴みに――。


「ふにゃあああああ!!」


 ……その悲鳴は痛々しいというよりも、なんというか……とても甘ったるかった。


「えっ……?」


 俺は慌ててマスクの位置を直し、目の前の状況を確認した。

 そこには、こちらに背を向け、お尻をおさえて丸くなったタマネの姿がある。


 俺は手元を確認した。彼女の巾着袋は、ない。代わりに何かとても柔らかいものを握った感触だけが残っていた。


 丸くなったタマネが、真っ赤になった顔と涙目を恨めしげに俺に向けてくる。ぴょこりと長い尻尾が押さえた手の下から出てきて揺れた。


 彼女が押さえている位置。柔らかい感触の記憶。それらが示すものは、まさか……。


「ち、違う。これは事故だ。私は決して君にそういうハラスメントをしたかったわけではなく……」


 お尻だ。それも尻尾に近いところ。

 恐らく彼女は寸でのところで思い切り体を捻り、巾着袋を守ろうとしたのだ。そしてそれは成功し、俺の指先から巾着を消し去った。だがそれが見えていなかった俺はそのまま……。


 個体にもよるが、尻尾の付け根をトントンされるととても喜ぶ猫もいるとか。それでは、さっきのなんか妙にねっとりした悲鳴は――。


「その、素晴らしい動きだった。イーゲルナントカという人も君の成長に喜んでいることだろう。今日のところは引き分けだ。それでは私は用事があるのでこれで失礼する! あの、本当に悪気はなかったんです、スンマセンでした!」


 プルプル震えて動けなくなっているタマネを放置し、俺は一目散に逃げだした。

 いやこれはさすがに俺悪くないでしょう!? こういう勝負なんだからどうしても肉体的接触はあるよ! 仕掛けてきたのはあっちだし、事故だよ! コラテラルだよ!


 そんな言い訳を果たして俺は誰にしているのだろう。とにかくひたすら自己弁護しながら昨日と同じように秘宝展に侵入し、そして〈見掛け倒しジュエル〉を元の位置に戻して俺は家に帰りました!(半ギレ)


そして何も解決してません!(全ギレ)


※お知らせ

次回投稿は三日後の11月30日となります。

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