第七十八話 伯爵のイカン予感
「この登場も何度目だ!?」
ヴァンサンカンの月を独り占めするかの如く、闇夜に跳ねる孤独な影。
上品なタキシードに目元のマスク。怪盗貴族、一身上の都合によりまたもや見参!
イヤだぁ! 怪盗貴族が出てくると本当にロクなことにならないんだ!
だが泣き言は言ってられない。アークエンデを魔王に誘うこのブローチを元の場所へと戻さなければ。そもそも盗まれた商工会ギルドも困ってるだろうしな!
盗賊時代に身に着けた素晴らしい技術が、俺を足音一つなく屋根から屋根へと飛び移らせる。誰の眠りを妨げることもなく駆け抜けることしばし、秘宝展会場はもう目と鼻の先だ。
「むっ……!」
俺は反射的に、民家の煙突裏へと身を滑り込ませた。
秘宝展開催期間中の商工会ギルドは、夜にもかかわらず多数の警備員に囲まれていた。臨時の夜間灯火も多数設置されている。
怪盗の予告日まではまだだいぶ余裕があるが……あれが油断を誘うためのフェイクで決行日はもっと早いかもしれないという読み――というお芝居か? ややこしいな!
何にせよ傭兵の皆さんが警備しているのは主に地上。照明はあっても星明かりしかない頭上は死角となっている。
俺は不可視の糸を振るった。千切れた蜘蛛の巣のように風に乗った糸は、やがて商工会ギルドの三階へとたどり着く。ここで実体化。すると目には見えないほど細い一本のロープとなる。
俺はその上を綱渡りの要領で進んだ。この高さ、とてもじゃないが一般人だった頃にはこんな真似到底できない。しかし今はまるでアスファルトに引かれた太い白線を歩くように、何の恐怖も感じずに歩くことができる。少しワクワクすら感じるのは盗賊脳のせいか。
無事、建物の外壁へと取りつき、空いていた通気用の窓から中へ。
「なるほど……」
ひとりごちてうなずく。
やっぱり外の厳重な警備はポーズだったらしい。展示会場は無人だ。冷えた空気の中、展示品には布がかぶせられ、昼間の賑わいの記憶は完全に消し去られている。
よし……早速こいつを返そう。
俺はポケットにしのばせたブローチを布越しに確かめ、あくまで警戒を緩めないまま暗い通路を進んだ。
目的の展示台の上には布がかけられていた。めくってみると確かに台の上には何もない。特に何の対処もされていないということは、少なくとも閉館まではブローチはここにあったということだろうか?
「申し訳ない。これは丁重にお返しする」
誰にともなくそう詫びて、ブローチを元の位置に戻した――瞬間。
「泥棒!」と鋭い叫び!
俺から飛び出した心臓は星を一周して背中からぶち当たった。
その次に取った行動はもう半分本能と言っていい。即座にきびすを返しその場から逃亡する。
見張りがいた? しかし気配は感じられなかった。油断は……多分していなかったと思う。いや、ブローチを返した瞬間に気が緩んだか……!?
窓を跳ね開け外へジャンプ。空中で“吊り下げの糸”を放ち、スパイダーマの動きで一気に会場から離れる。ふと気づく。外の警備は騒ぎになってはいない……? さっきの「泥棒」という声は、実はそれほど大きくはなかったのか?
その後も違和感が続く。建物からだいぶ離れても、誰かの目が背中に張り付いているような感覚が抜けない。
俺は屋根を駆けながら周囲に視線を飛ばした。
すると……。
「! あれは……」
まるで俺を追跡する風のような影が……一瞬だけ見えた気がした。
だが、大きさすら定かではない。あまりにも短時間すぎた。そしてそれきり感じていた視線も消える。
影……あるいは幻のような……何者だ。まさか……本当に怪盗?
何かイヤな予感がする。俺は念のため大回りをして屋敷へと戻った。
※
「フギャアアアアア!!」
翌朝。俺の安寧の朝は俺自身の悲鳴によって粉々に打ち砕かれた。
「おい何だ今の悲鳴!?」
「どうしたヴァンサンカン」
「終焉の時……来たれり……!」
ドタバタと部屋に雪崩れ込んでくるオーメルン、メイド服のルーガと闇ソラの三人。きっと本日の朝番だったのだろう。
俺はベッド脇にしゃがみ込みながら、「な、何でもない。大きな声を出して済まなかった」と必死に取り繕ろう。
「だったら何でしゃがんでるんだよ。まさか、どっかケガしたのか……?」
「い、いや、そんなことないさ」
俺は立ち上がって寝間着のまま腕を広げて見せる。子供たちはそれを見てようやく納得してくれたようだが、一人――オーメルンだけは最後まで俺の右手をわざとらしいほど見つめ、最後にため息を吐いて部屋を出ていった。
クッ、あれはバレてるな。
だが何も言わずに去ってくれた。いい男だよおまえは。
俺は糸で右手の甲側に潜ませていたものを手元へとひっくり返す。
――魔王アークエンデのブローチ。
「何で……あるんだよぉぉ……」
確かに昨日返したはずだった。いや、“はず”どころか絶対に返した。夢じゃない。だがここにあるブローチもまた現実だ。
誰かが……そう、最初にこれをここに運んできたヤツが、もう一度同じことをやった。そうとしか思えない。思えないが、この竜の血で強化された盗賊の感覚を欺くだと? アンサーレベルの達人でもないと不可能だ。
だが他に、俺には心当たりが一つあった。昨日、俺を追尾していた影。あれは只者じゃなかった。しかし、こんなことをする意味はわからない……。
着替えを済ませた俺は、ブローチをズボンのポケットへと滑り込ませた。万が一にでも屋敷の人間に見つかったらまずいし、隙を見てまた返しにいかないと。
※
「やはり怪盗貴族様はヴァンサンカン領にゆかりのある方なのですわ!」
そして朝から、隣領のお姫様たちはとても元気です。
朝食の食卓。もぎたてのトメイトウをスライスしたミックスサラダに、数種類のパン、オムレツはもちろんトマトケチャップ載せ(なぜか俺のだけでかいハートマークが……)、他にも鳥と豚の肉料理、ハムにチーズにゆで卵にデザートまで付くフルパワー型だが、これはパンネッタ陣営からの希望だった。ウエンジットの貴族はこれを食べないと一日が始まらないという。
「この地であれば、きっと麗しのあの方の手がかりが見つかるはずですの!」
「怪盗はミステリアスであるべきとは思います。しかしわらわの乙女心は、その隠された素顔を追わずにはいられないのです……」
洗練された動きで小さな口へと料理を運びながら、カグヨもウンウンうなずいている。
「ならばあたくしたちで怪盗貴族様の調査隊、結成ですわ!」
「おーです!」
二人は拳を掲げ、そして揃ってアークエンデをガン見。
「お、おー……?」と二人につられる形で、アークエンデも手に持っていたフォークを掲げた。
くっ。やはり昨日の一件が彼女たちに火をつけてしまったらしい。昨晩までは好きにさせてやるスタンスだったが、手元にこの不吉なブローチがある状態では俺も秘宝展に関わらざるを得ない。これはイヤな予感がする。
「そのことだけどよ、伯爵……」
アークエンデの隣に座るオーメルンが、ふと食事の手を止めて話しかけてきた。彼は普段は使用人たちと食事をとっているのだが、今はパンネッタたちの要望で同席している。
「昨日の夜、秘宝展に泥棒が入ったらしいぜ」
「!!」
俺はぎくりとしたが、逆に公女たちはテンションブチ上がり。
『まさか怪盗貴族様!?』
「わかんねえけど、展示品が何個か盗まれたって。今朝、町の人たちが話をしてたぜ」
オーメルンの朝は早い。屋敷の手伝いで早朝の町に出ることもある。しかし……。
「盗まれた? 何個もだって?」
俺の問い返しに彼は「ああ」とうなずき、「けど例の欠片は無事だって。だから怪盗貴族じゃないのかもな」と結んで、ベーコンの切れ端を口に運ぶ。
「なあんだ、まーた怪盗貴族様の名を借りた偽物ですのね!」
「有象無象はすぐにそうやって有名人を騙る。許せませんね……」
いやあの、許せないのは窃盗の方だと思うのですが……。
けどこれは何だ?〈見掛け倒しジュエル〉がなくなったというのならわかる。盗まれたのは数点? 昨日、俺と同じくあの場に忍び込んだヤツがいたってことか? 心当たりは……なくはないが……。
「これはまた、あたくしたちの手で怪盗貴族様の無実を晴らさなければなりませんわ」
「あの方の晴れ舞台を、三下のお粗末な仕事で汚すわけにはいきません」
「皆さん、今日も秘宝展に出向きますわよ!」
「おーです!」
「お、おー……」
再び結束する三公女。「げえー」と昨日の騒ぎを思い出してウンザリ顔のオーメルには悪いが、俺にとっては渡りに船かもしれない。何か胸騒ぎがするし、ブローチをこっそり返すチャンスでもある。適当な理由をつけて同行させてもらおう。
なーに、俺も怪盗が板についてきた男だ。現場に戻ったって、こんな子供たちに犯人だとバレたりしないさ(旗)
子供の浅知恵に大人が負けるわけないだろ!
前回、復帰早々読みに来てくれてありがとうございナス!




