第七十五話 二度目の三公女
雨上がりの泥道に叩きつけられる蹄と、限界速度で回転する車輪の音が、遠く俺の部屋にまで響いていた。
自室の窓から外を見やると、ちょうど屋敷前に駆け込んでくる二台の馬車。
二台は壮絶なデッドヒートを繰り広げていた。黒毛の馬車馬は鋼鉄のような筋肉を躍動させ、猛った眼差しでお互いを睨みつけつつ、一歩でも前に出ようとする天然のアスリートと化していた。そして彼らはついに屋敷の入り口前へと到達し――。
ズザザザザ……!
馬車が見せてはいけない凶悪なドリフトを決め、停車した。
村を襲いに来た蛮族もかくやという登場なのだが、堅牢な客車の扉が開かれると……降りてきたのは春の風のように優雅な少女が二人。
ハチミツを編み込んでふんわり仕上げたような亜麻色のツインテール。勝気なツリ目に、不遜な微笑。歳相応に小柄でこそあるものの存在感は一際強く、そしてギラついている。
ウエンジット鋼騎士領〈人狼公〉が娘、パンネッタ・ウエンジット。
もう一人は、黒い滝のように流した清楚な黒髪ストレートロング。静かに閉じられたまぶたからは静謐さと神秘的な気配が同時に醸され、若さに似合わぬ泰然自若とした盤石さが感じられる。
イルスター槍騎士領公女、カグヨ・イルスター。
二人はしゃなりしゃなりとタラップを降りると、お互いをちらりと一瞥。そして無言のまま自分たちの馬車へと鋭い目を向けた。
「フフン、あたくしの馬車の方が三センチ程屋敷に近いですわ。つまり先に着いたのはあたくし」
「はー? 林道を抜けた瞬間はわらわの馬車の方が五センチ先んじていました。それより先はお相手のお屋敷の領域。つまりその三センチは、人の敷地に図々しく入り込む蛮族の品の悪さの表れということです」
「なんですってぇ!?」
「なんですかあ!?」
バチバチバチ……! うわぁ、メンチビームの放電音がここまで聞こえてくる。
あの子たち出会った瞬間からガチバトルしすぎだろ……。
しかし長年ライバル関係にある両領の“ギスギス! どっちが先にヴァンサンカン屋敷にたどり着くかレース”は、中立たる第三者の介入によってあっさりと終結した。
「パンネッタ! カグヨ! いらっしゃいまし!」
「あーっ、アークエンデ!」
「アークエンデ、ごきげんよう」
待ちきれずに玄関から飛び出していった我が愛娘アークエンデを見るなり、二人はそれまでの勝負をほっぽって駆け寄り、花輪のように手を結び合った。
そのままキャッキャと再会を喜ぶ様子は年頃の女の子そのもの。直に会うのはユングラント魔導学園の模擬試験以来だが、その友情は前にも増して高まったようだ。
遅れて数台の馬車たちが粛々と屋敷前へと入って来る。荷物や付き人の類だろう。
アークエンデの友達で、休暇中で、俺とも顔見知りとはいえ、領主の公女を預かる上で何の政治的しがらみなしとはいかない。では俺も挨拶に行くとするか。
エントランスに顔を出すと、ちょうど三公女が屋敷に入ってきたところだった。
『いらっしゃいませ』
ずらりと並んだメイドさんたちが、一糸乱れぬお辞儀で客人を歓迎する。さすがはユングレリオ陛下が仕込んだ少女たち。見習いとはいえ、その様子は両騎士領の姫の目を丸くさせるのに十分だった。
「お父様、パンネッタとカグヨがちょうど二人揃って来てくれましたわ!」
アークエンデが嬉しそうに手を振って来る。ああ、見ていたよ。ハナ差どころか鼻毛の差ほどもないほど同時に到着したな。俺はうなずき返しつつ、階段を降りて彼女たちの元へ。
「本日よりお世話になります。ヴァンサンカン伯爵様」
「ご迷惑をおかけしますが、どうぞよしなに」
さすがに堂に入った貴族の挨拶をしてみせるパンネッタとカグヨ。後ろに控える付き人たちも、顔を伏せて主人に付き従っている。さっき屋敷前でガンの飛ばし合いをしていたとは思えない上品さだ。
「二人を迎えられてわたしも嬉しいよ。さあ、堅苦しいのはここまでにしよう。せっかく遊びに来たのだから気を楽にして、わたしや家人とも遠慮なく接してくれ」
「ありがとうございます、伯爵様!」
「話がわかって助かりますー」
すぐさま相好を崩して地金を出す二人。だが、それがいい。俺は政治的なマウント合戦や駆け引きなんか望んでいないし、この二人にはどこまでも純粋にアークエンデの友達でいてほしいのだから。
「早速ですけれど、我が領よりお土産をお持ちしましたわ。どうかお受け取りください」
パンネッタが細長い木箱を差し出してくる。柔らかなクルミ材の手触りと、中でちゃぷんと揺れる液体の音を感じた。
「ウエンジットの香りと大地の味わいを閉じ込めた新酒ですわ」
「おお、わざわざありがとう」
「わらわからもこちらを」
カグヨが持ち出したのは高級そうな桐の箱で、やはり中身は酒のようだった。どちらの領地も挨拶にお酒を配るのが礼儀のようだ。イルスターはどことなく東洋風だから、清酒とかかな?
「ありがとうカグヨ。おっとと、こちらの方が重いな」
「フッ、当然です。イルスター槍家はどこぞの蛮族と違って、瓶の中身をケチったりはしませんから」
「なっ……!」
バチィ! と一瞬明るく照らされるエントランス。
やめて! 人んちの玄関でお構いなしにイグニッションしないで!
「伯爵様、もちろんお土産はそれだけではありませんわ! 同じものを一ケース分積んできておりますので、屋敷の皆さんで召し上がってくださいまし!」
「むっ……! わらわもこれは手渡しする用で、後ほど一ケース運ばせますー!」
「はあっ!? だったらあたくしは、ウエンジット自慢の大剣を贈呈――!」
「わらわだってイルスターの象徴たる長槍のお土産が――!」
「やめろォ! 戦争でもする気か!?」
その場で掴み合いになりそうになった二人をどうにかブレイクさせ、話の主導権をこちらに取り戻す。ダメだこの子ら、こっちでちゃんと手綱を握らないと、いつキャットファイトを始めるかわかったもんじゃない。
「ひとまず二人に部屋を用意してあるから、一端そこで落ち着こう。馬車旅での疲れもある。あと、二人の世話役を紹介しておく。メリッサとトモエだ。屋敷で何がわからないことがあったら彼女たちに相談してほしい。もちろん、わたしやアークエンデに直に言ってくれても構わない」
「よ、よろしくお願いします……」
緊張した様子のメリッサとトモエが、俺の前まで来て深々とお辞儀をする。
それに対して二人の公女は……怪訝そうな眼差しを彼女たちへと向けた。値踏みするような無遠慮すぎる態度。いくら姫たちが高貴な生まれで、相手が一介の使用人とはいえ、あんまりそういうことはしてほしくない……と早くも先行きの不安を抱いていると、パンネッタがぽつりと一言。
「ずいぶん可愛いらしいですのね」
ん……?
彼女たちが同時に俺をじろりとにらんだ。
メリッサとトモエに向けていた目そのままに。いや、むしろあの目つきは、最初から俺宛てのものだった……?
「あの、伯爵様。あまりこういうことを、これからお世話になる方にお伝えするのは憚られるのですが、他ならぬアークエンデのお父様ですから、言いますわ。……ご趣味もほどほどにした方がいいですわよ……」
「ぺえっ!?」
さらにカグヨからも非難がましい声で、
「お屋敷の大きさに比べてメイドの数がやけに多いです。それも若くて綺麗な子ばかり。おまけにスカートは変に短い……。わらわでなくてもどうかと思います」
「ち、違う、これはわたしの趣味でやってるわけじゃなくて……!」
俺は必死に抗弁したが、公女二人の目に信用の二文字が戻ることはまるでない。
ああいかん、そういえば俺と彼女たちの間には一時、最悪の勘違いがあったのだ。俺が彼女たちの秘密を握り、それをネタに無理矢理言うことをきかせているという誤解が……。
しかしここで助け舟が現れた。「大変失礼ながら、お姫様方――」との落ち着いた口調で話すのは、元国王のロリショタメスガキメイド長ユングレリオだ。
「伯爵様のお屋敷ではメイドギルドの実習生が行儀見習いをさせていただいております。この娘たちの仕事着も当ギルドが独自にデザインした新機軸です。もし至らぬところがございましたら、その責はこのボク、メイド長のユングレリオが負いますので、その時はいかようにも罰してください」
『!!』
短いスカートを摘まんで宮廷流のお辞儀をしてみせるユングレリオに、公女二人は突風を浴びたように体を後ずさらせた。
「この風格、この気品――! ただのメイドさんではありませんわ……!」
「まるで王家に代々仕える家令のような威厳……! この若さでですか……!?」
領主の公女とはいえ国王陛下と謁見できるほど偉くはない。直に顔を見たことはないはずだが、それでも彼がその身に宿す威風は感じ取ったらしい。まあもし顔を知っていたらもっと大変な反応になっていたと思うが……。
とにかく彼の一声によって、俺が権力を利用して可愛いメイドさんを侍らせているという疑いは晴れた。
ちなみにこれは余談だが、町ではメイドさんを必要以上に雇い入れ、おしゃべりしたり一緒にお茶したりするのをヴァンサンカン伯爵流とか呼んでいるらしい。そしてそのスタイルがトメイトウで儲けた新進気鋭の商人たちの目標になっているとか……。庶民は貴族の生活に憧れ真似しがたるとは聞くが、これもう俺に対する誹謗中傷だろ……。
「……綺麗だ」
と、そこにまた新たな登場人物が現れた。
エントランスの柱の陰から小動物――あるいはハンター――のように様子をうかがうのは、本日はメイドさん垂涎のショタ装備のルーガ。パンネッタたちにとっては初対面となる相手だ。
「ちょっ……アークエンデ!? あの可愛らしい殿方はどなたですの!? オーメルンとは別の付き人!?」
「可愛いだけじゃないです。細身ながらも芯の通った筋肉……! あれは戦士の子です!」
面食いな上に強さまで所望してくる彼女たちにとって、ルーガは理想の男性として映ったらしい。そりゃ山育ちの鬼の子だし弱いわけがない。だが女の子だ。
そしてさらに――。
「エンデ? 今日のお屋敷は何だか様子が違うけどどうしたの? って、あら? お友達?」
優美なスカートを揺らしながら、今度はベルゼヴィータがエントランスの階段を降りてくる。玄関から入って来るところは見なかったので、二階の窓に傘で飛来したらしい。
「あっ、ベルゼヴィータ。ええそうなの、わたくしの大切な友達が訪ねてくれたのですわ」
『ええっ!?』とアークエンデの発言にいち早く反応したのはお姫様二人。
「ベルゼヴィータというお名前に、他とは一線を画する輝きの黒いドレス……まさか、く、く、黒シルクブランド『黒い翅』の会長、ベルゼヴィータ様ぁっ!?!?!?」
「ホッ、ホ、ホアアアアー! ホアアアアアーーーッ!?」
奇声を上げる二人にベルゼヴィータは優しく微笑みかけ、
「あら、二人ともわたしのことを知っているのね。ありがとう」
「と、とんでもないですわ! 会長様のことを知らない貴族の娘なんて、王国中探してもおりませんの!」
「わ、わらわ、服の予約をお願いしたら一年待ちで……! でも楽しみに待っています!」
「へえ……そうなのね。じゃあ、そうだわ。エンデ、よかったらこの間何着かあげたワンピース、みんなで着てみてくれないかしら」
「えっ、あれを?」
提案されたアークエンデが目を丸くする。
「せっかくあげたのに、あなた全然着てくれないんだもの」
「ごめんなさいベルゼ。でもあんな綺麗なワンピース、普段は着られませんわ」
「あんなの普段着よ。それより着ているあなたたちを観察して、今度ちゃんとしたオーダーメイドをプレゼントしたいの。お友達の分も」
「ぶえっ、あたくしたちも!?」
「い、い、いいのですか……!?」
「いいのよ。エンデの大切な友達ならわたしにとっても大切な相手だわ。このお屋敷に住んでたなら、いつでも作ってあげられたのだけど……」
ベルゼヴィータからのサービス精神溢れる発言に、公女二人は一切の動きを止めた。
停止から一秒すぎ、二秒すぎ、やがて小刻みに震え始め――。
「あたくしこの家の子になりゅううううううううう!」
「わらわもなりゅううううううううううう!!」
完堕ち!? あの実家に対する忠誠心マックスの二人が一瞬にして完堕ちだと!? 一分ももたずにか!?
恐るべし黒シルクの魔力……!
そしてここまで、公女二人が屋敷に来てわずか十数分の出来事である。
こんなに序盤からぶっ飛ばして、彼女たちは、そしてこの家はもつのだろうか……?
信長の野望で敵国から来た使者をとっ捕まえて無理矢理家臣にした挙句茶器を渡して忠誠心を強制的にマックスにさせるがごとき暴挙(長い)




