第七十四話 嵐の前も大荒れ
夜のヴァンサンカン。薄ピンクのしおりとなります。
その日、いつもと変わらず甲斐甲斐しく働くメリッサとトモエに、俺はこう呼びかけた。
「二人とも、すまないが今日の仕事が終わったら、わたしの部屋まで来てくれるか」
『!?』
それまですっかり板についた動きを見せていた二人が、ビキーンと固まる。
「し、仕事が終わったらですか?」
「ご主人様、ご、ご存知だとは思いますが、わたしたちは住み込みですので、業務が終わる頃には夜になってしまいます……」
「ああ……その方がいい。その、少々……大事な頼みがあるので……」
声を潜めた俺に対し、ビキーン、ビキーン! とさらなる硬直を走らせる二人。手に持ったハタキやホウキをぎゅっと握り締め、妙に赤くなった顔をうつむかせながら、彼女たちは「はぃ……」と蚊の鳴くような声で返事をした。
そんな日中を過ぎ、主人たちの夕食の給仕と後片付けを終えたところで、住み込みのメイド見習いたちの一日の仕事は完了する。ちなみに町から通いの場合は、外が暗くなる前に家に帰すことになっている。すぐ近所かつ、もう野犬の心配はないとはいえ夜道は危険だ。
屋敷を取り巻く夜鳥の鳴き声や虫の音が強まり、一日の相の移り変わりをしっとりと伝える時間帯。俺は自室で二人のメイド少女を待っていた。
今日の仕事はもう終わっているはずだが、なかなか来ない。
ただここで急かすのもどうか。仕事兼実習を終えたメイド見習いたちにとっては、夜はようやく訪れた自由時間だ。それを一方的な頼みで削っているのだから、タイミングはあちらに任せるべきだろう。
それにこれは、彼女たちにしか頼めないこと。他の者にもあまり知られたくない……。
何とはなしに本棚に近づき、盗賊の懺悔録を読み直していると、廊下からひそひそと話し声が聞こえてきた。
「ど、どうしましょう。夜に、内密に呼び出されるということは……そういうことですよね……?」
「う、うん……」
「二人でなんて……。は、初めてなのに……」
「あ、あたしだってそうよ……。でも二人一緒にってことは、その、最中は、片方は休めるってことかもしれないし……?」
「や……休める? そんなに激しいことを……?」
「わ、わかんないけどっ……。でもトモエも知ってるでしょ。伯爵様って、不健康そうに見えて体力めちゃくちゃあるんだから……」
「めちゃくちゃに……激しく……される……。ふぁぁ……」
……何だ? 何かの雑談かと思ったが、俺の不健康なツラがどうしたって?
ともあれ、ちゃんと来てくれた。偉そうに部屋で待っているのも忍びなく、俺は自ら扉を開けにいった。
「やあ、こんな時間にすまない」
『!!』
できる限り優しくそう呼びかけると、ちょうど扉の真ん前にいたメリッサとトモエはビクーッと肩を跳ね上がらせて、即座に顔をうつむかせた。
「と、とんでもないですっ……」
「全然っ……悪いことなんかありません……むしろ……」
「さあ、入ってくれ」
「はいぃ……」
「し、失礼しますぅぅ……」
扉を支えて待つ俺の前を、手を繋いで縮こまりながら通り抜ける二人。
ここで、おや、と思った。
すれ違った瞬間、柔らかい花の香りがふわっと舞う。屋敷で使っている石鹸の匂いだ。二人とも風呂を済ませてきたらしい。だが服装はメイド服のまま。それに何というか生地がパリッとしていて、今日一日の労働を感じさせない。……まさか、わざわざ着替えてきた?
それに、別に意識して見たわけではないが……どちらも白ニーソ着用だった。普段はタイツで見えないはずの領域が展開されているのですぐに気づいた。ニーソは絶対領土を持つユングレリオ陛下の特権。まだ半人前扱いの彼女たちには許されない強者の装備だったはずだが……。
「トモエ、こっちよ、こっち……っ」
「あっあっ、は、はいぃ……」
そんなメイドさん二人は、まるで屋敷に来た初日のようにぎくしゃくと室内をうろつき、最終的になぜかベッド脇にちょこんと腰かけた。間には人が一人入れそうな不自然な空間。
二人とも今にも砕け散りそうなほどガチガチに緊張し、ミニスカートの裾を握っている。真っ赤になった顔をうつむかせながら俺の方をチラチラと……。さっきから本当に何なんだ、これは?
「二人とも、そっちじゃなくて、こっちに来てくれるか」
彼女たちの奇行に面食らいながらも、俺は執務机へと二人を呼んだ。
「えっ……!? つ、机で……!? え、え……どうやって……?」
「ご、ご主人様がそうお望みでしたら……っ」
「あっ、待ってよトモエぇ……!」
慌ただしく小走りで寄って来る二人。しかも普通は机を挟んで向かい合うところを、トモエを先頭に椅子のすぐ真横まで迫ってきた。な、何だ? このやけに近い間合いは……。
「そ、それで、ご主人様、あの、わたしたちは、ど、ど、どのようなことをすれば……?」
顔を真っ赤にしたトモエが、二人で肩を寄せ合うようにしながら、しどろもどろに聞いてくる。
俺は満を持して用件を告げた。
「ああ、二人宛ての手紙を預かっている」
……………………。
その瞬間。二つの封筒を差し出した姿勢の俺は、なぜか、この部屋の時間が数秒ほど停止したような気がした。時計の針の音、空中を漂う小さな塵さえも例外なく。
『は…………?』
彼女たちの口からそんな音がこぼれて、さらに数秒の空白。
――そして起爆!
『ッッッッご主人様ッッッッ!!!!!』
「えっ、ええっ……」
噛みつかんばかりの勢いでのしかかってきた二人に、俺は椅子の背もたれへと瞬時に追い込まれた。
「それならそうと最初からおっしゃってください! なに紛らわしいこと言ってるんですかっ!」
メリッサの口から猛火の如き苦情が噴出する。
トモエも涙目で歯を食いしばっている。彼女までこんな顔をするのはいよいよ珍しい。
「い、いやでも、この手紙は君らのもう一人の雇い主からなんだよ。その関係って他のメイドさんたちには内緒だから、ほら……」
「そんなどうでもいい人のこと、どうでもいいんです!」
「どうでもいい!?」
メリッサがそう吠えたてる一方で、トモエはふらりとその場を離れつつあった。どこか魂が抜けた様子で、ふらふらと部屋の真ん中を横切り――俺とメリッサが見守る中、彼女は俺のベッドに頭を突っ込んで動かなくなった。きわどい長さのミニスカお尻を外に出したまま。
「もう恥ずかしい……ここで消えます。探さないでください……」
「ト、トモエェェェ!?」
悲愴な叫び声を上げ、メリッサが彼女を引っ張り出そうとする。しかしトモエはベッドシーツを掴んで強固に抵抗しているらしく、なかなか出てこない。
え、えらいこっちゃ……。あのトモエがおかしくなっちまった……!
二人がかりで何とか彼女を説得し、元の位置へと戻して話を再開できたのは、それから数分後のことだ。
「何だか……途方もない行き違いがあったようで申し訳ない……。その手紙は今日の昼、俺宛ての封書の中に入っていたものだ」
あんなアホみたいな醜態をさらした後で領主の威厳もあったもんじゃない。砕けた言葉でそう伝えた俺は、二人の手元にそれぞれへの封筒が行き渡っているのを改めて見やる。封はたった今開けたばかり。握りにヴァンサンカンの家紋が入った偉そうなレターオープナーでだ。ホント、貴族は小さな道具でもはっきり自己主張してくる。
「用件は二人とも同じだと思う。俺にもその内容で手紙が来ていたから」
「……何なんです?」
どこかぶーたれた様子で、メリッサが便箋を広げながら聞いてくる。
俺の眉間に、自然とタテジワが寄った。机に肘を立て、合わせた指の上にあごを置きながら事実のみを端的に告げる。
「明後日、ウエンジットのお姫様とイルスターのお姫様が同時にウチに来る……」
『えっ』
「君たちにはそれぞれの姫のお世話係を頼む、とのことだ」
『ええええええっ!?』
「その反応は俺もバスティーユにやった……」
今の俺が諦めムードなのと同様に、昼のバスティーユも諦観した無の表情で俺の悲鳴を聞き流した。以前、「今度そちらに遊びに行く」と宣言された時はまさか二人同時なんてことあるわけないやろガハハと思っていたが、本当に来るヤツがあるか!
実はこういう理由らしい。
近々、“第七次アンテルバル合戦和睦記念日”とかいうイルスター槍騎士領、ウエンジット鋼騎士領双方にまたがる祝祭が行われる。要は終戦記念日だ。争っていた当事者同士の記念日なので、その日にちも一致するというわけ。
ちなみにこのアンテルバルとは現在のヴァンサンカン領のことで、古い言葉で「狭間」という意味があるそうだ。
そしてこのお祭りの中身だが……ザ・何もしない。
その名を冠した七次衝突は、双領の主要貴族に多数の死傷者が出るほどのガチ戦で、これが引き分けに終わった時には、どちらも疲弊しきって領地が自然分解しかけるほどだったという。
これより実に七年、狭間の地を巡っての戦いは一切行われなかった。そんな出来事にちなんで、双領では一週間、領主も含めてほとんどの仕事がお休みとなるそうだ。
その休みを利用して、あのお姫様たちがウチにやって来る。タイミングが一致した理由はこれだ。それにしたって、一年で最大級の連休の旅行先にわざわざウチを選ばなくてもいいとは思うが……。
「むこうも世話係をつれては来るけど、屋敷での勝手がわからないからな。君たちにそのサポートを頼みたいという内容だと思うよ、多分」
「で、でも、あたしたち、昔縁があったってだけで、あっちの作法とかそういうの全然わかりませんよ」
メリッサからの必死の抗議にトモエもうんうんとうなずいている。双方の姫、パンネッタとカグヨの癖の強さについては、アークエンデがいかに模擬試験のことを好意的に話したとて滲み出る。できれば関わりたくない気持ちはよーくわかる。
「安心していい。日中はアークエンデが彼女たちの相手をするし、細かい世話はあちらの世話係がやる。君たちの役目は、その世話係への説明とか連絡が主になるだろう」
「それでしたら、まあ……」
「なんとか……」
そこまで聞いて二人はようやく承諾の態度を見せた。庶民からすれば、貴族のお姫様なんて遠くから見ているのが一番だ。だからこそ、二人の雇い主もわざわざ手紙を寄越して言い含めにきたのだろう。
とは言え、実際に彼女たちが来たら二人の出番は多分あまりない。あのお姫様たちは何かあれば俺やアークエンデに直に言ってくるだろうし、世話係との連絡役が主な役割というのは事実だ。
「そういうわけなので、どうかよろしく頼む。もちろん、その期間は通常の業務は一切しなくていいから。ああ、あとバスティーユがボーナスも出すって」
こうして今夜の密談は終わった。
ただの業務連絡のはずが、何だかずいぶんと荒れたもんだ……。
「それでは失礼します」
「おやすみなさい、ご主人様……」
そう言って退出する二人を見守る。――と思ったら、トモエが急にコースを変え、俺のベッドに頭を突っ込んで動かなくなった。
『トモエエエエエ!』
あの、トモエさん、ホントすんませんでした……。
今度なんか必ず埋め合わせしますんで……。
プロローグ一話分使っておきながらトモエとメリッサの出番はほぼ終わりです。
※お知らせ
新エピソードが始まったばかりですが、11月初旬からまた諸事情により投稿の間隔が空く予定です。詳しくは予定が固まり次第ご連絡いたします。




