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第七十一話 希望号の期待なき約束

 えー……あんな感動の旅立ちイベントの後で何ですが――。

 船内は混沌を極めています!


「ザイゴール。ザイゴール……あっ、すみません島でのクセで……。領主様、少しお話よろしいでしょうか?」

「はい……?<煉><〇>」

「おい伯爵! 何で司祭様があんたを呼び捨てにしてんだ? まさか……」

「ベルゼヴィータ。これ、すごく綺麗な布だ。これは何だ? 服の材料か?」

「それは新しめの雑巾よルーガ。そんなの捨ててこっちを触りなさい。黒シルクよ。それからこっちは普通のシルク。違いを確かめて」


 船の食堂は大変賑やかだ。

 この船〈大らかなバレーヌ号〉は海運用の商船なので、まともな客室など存在しない。甲板の邪魔をしないよう、大抵の者は唯一空いている食堂にたむろすることになる。


 島での最後の数日は復旧だ建築だでろくに会話もできないほど忙しく、今になってやっとお互いの身の上話ができるくらいの余裕が生まれた。


 特に新しく屋敷のメンバーとなったルーガに質問が集中したが……その他にも皆が話したいことだらけで、この騒々しさだ。


「やれやれ、行きは島民を救う物資を積んだ希望号だと思ってみりゃ、帰りは犯罪者共を死ぬほど載せた絶望号か」


 そんな途切れることなく続く子供たちの会話に目を細めつつ、恰幅のいい船長は嘆息の中にささやかな愚痴を織り交ぜてきた。彼が憂う所はもちろん、ふん縛って船倉に押し込た数十人からなる刺客たちのことだ。


「申し訳ない船長。かかった手間や食料の費用は後ほど報酬に上乗せする」

「いえ領主様、それくらいはサービスしましょう。あの島を襲った不幸を思えばね。それに、島民にとってこれは環境改善の大きなチャンスかもしれない」


 その船長の発言に俺は首を傾げた。今回の困難に立ち向かうために、島民は確かに新しい関係を築けた。しかし、彼の真意はそれとは少々趣きが異なるようだ。

 彼は飲み水代わりの葡萄酒を一口含み、口角をわずかに持ち上げて見せた。


「今回捕まえたゴロツキども……。中には報奨金付きのお尋ね者も混じっていました。捕縛の経緯を考えれば、それらは満額島民に支払われるでしょう。そして大規模火災による住居の消失。領主様とヨハン様が訴え出れば、恐らく多くの篤志家から救いの手が差し伸べられるはず。明日をも知れぬ貧困は自己責任で見向きもされないが、大きな災害なら喜んで助け舟を出す。世の中とはそういうものですな」

「なるほど……」


 確かにそういうことはある。これを世間の偽善となじるほど擦れてはいない。人間、できる時にできることをしているだけだ。


 新しい信頼関係、新しい家が建ち、特産品用の工場も作ってもらえる。皮肉にもキュドサック卿の凶行は、村にかつてない変革をもたらした……。


「時に、当のキュドサック卿の様子は?」


 俺の問いかけに船長は首を横に振った。


「食事はとりますが、他は何も。部下によると、目を閉じて床に座ったまま他のゴロツキとも話もしないそうです。何だか微笑んでいるようで不気味だとも……」


 微笑む……。彼のすべてを懸けた暗殺劇は失敗したのに、どうして。

 不意に俺の中に、奇妙な思慮深さを湛えた彼の眼差しがよみがえった。


 ――かつての私はどうしてこんな単純なことができなかったのだ?

 ――今の私の視座は、塵芥漂う人界を超え、星界へと向かう高みにある。


 あの時は、ネジの飛んだガンギマリの言葉のように思えた。だが、いざ事が収まった後のこの良好な風向きはどうだ?


 人界を超えた視座。天からの俯瞰。

 まさか、彼はこの結末を予測して村に火を……?


 いや……さすがにそれは考えすぎだろう。深読みしすぎて的を外す典型だ。

 これは試練に直面した人々が最善を尽くした結果、禍転じて福と為したにすぎない。キュドサック卿の目的は間違いなく、暴走した自己の正義を満たすことだけにあった……はずだ。


「ところで――」と、弾む船長の声が、俺の思考を迷宮の中から引き上げた。


「ご息女の指揮は見事でしたな。港の作業場を四六時中見張って、一日の狂いもなく積み込みを完了させるとは。最初は子供のごっこ遊びと侮っていた作業員たちも、最後はすっかり彼女の指示に従っておりましたぞ」

「へえ……! そんなことが」


 初耳だ。俺の声も思わず弾む。

 海の荒くれ者どもを相手に、指揮棒片手にあちこち指示を飛ばすアークエンデの姿が目に浮かぶ。『アルカナ1』の悪役公女バージョンからして彼女は仕切り屋であり、人を従えるタイプの人間だった。その才能は良い方に伸びているということか。


「とんでもないですわ、船長様。すべては皆さんの協力のおかげです」


 と、ごく自然にアークエンデの声が参加してくる。優雅ながらも船員たちにしっかり敬意を払うその様子は、海上の王たる船長の笑みを一層深くさせた。彼女がただ理屈で水夫たちを仕切ってきたのではないことが一目で知れる様相だった。


「すごいなアークエンデ。そんな難しい仕事までこなしてくれたなんて」

「お父様……」


 俺が彼女の肩にそっと手を添えると、彼女はうっとりと目を閉じ、首を傾けた。


「当然ですわ。お父様から仰せつかった大役ですもの。お父様のお願いとあらば、アークエンデはどんなことでもやり遂げてみせますの」

「へえ……。何とも健気なお嬢さんじゃないか」


 花の香りを感じさせる声がふわりとテーブルに舞い降りた。いつの間に俺の横にいたのか、ヨハンだ。


「あっ、ヨハン様! お褒めの言葉ありがとうございます」


 アークエンデが軽やかな淑女の礼で応じる。

 島の港で対面した時点で、ヨハンは自分の正体を皆に伝えていた。ゴルゴンパイク家。そしてマリスミシェルの甥であること。アークエンデが無条件で最敬礼を示すのは自然の成り行きだった。


 俺は、イヤな予感がした。

 ヨハンはここ数日、非常に興味深そうにアークエンデを見ていた。抜け目のないこの男のことだ。彼女が『執着』の刻印持ちだということは薄々勘付いているはず。

 そしてその危惧は、今、目の前で現実のものとなる。


「時にアークエンデ。君は大いなる望みを――人には言えない、しかし身の内を焦がすような激しい渇望を持っていないかい? 僕はわかるんだ。そういうのが」

「ヨハン!」


 俺は咄嗟に彼の肩を掴んでいた。冷たい汗が一気に背中に浮かぶ。ヨハンは言葉に異能を持つ危険な男だ。キュドサック卿も彼との対話で変容させられた。アークエンデまで同じ目に遭わされたら……!

 ヨハンの目が妖しく光り、吐き出される息に熱がこもった気がした。


 が――。


「いいえ、そのようなことあるはずがございませんわ!」

『へ?』


 天井の端々まで行き渡る明るい声に、俺たちは揃ってマヌケな声を上げるハメになった。


「確かにわたくしの身の内を焦がすのはお父様への愛! しかしそれは誰に憚るものでもありません! 一日一回はこう宣言していますの! お父様はわたくしのもの。わたくしはお父様のもの。愛する二人は互いに固く、きつく結ばれ、死ですらその間に挟まることは許されない、と!」


 身振り手振りに回転までつけた大宣言。俺は静かに……眉間に手を這わせた。


 屋敷のメンバーは聞き慣れたいつものフレーズだろうが、ここには初見のヨハン、船長、たまたま居合わせた上級船員にアンサーまでいる。彼らからの奇異と驚きの視線が、俺の顔付近を羽虫のように漂うのがわかる……。


「いや、これは、そのですね……」

「……あはっ、何て自由で純粋な心なんだ。こんなの見たことがないよアークエンデ!」


 取り繕う俺の言葉を押しのけ、アークエンデに負けず心から楽しそうな笑いを広げたのはヨハンだった。


「君はすでに己の探索を極めている。応援するよアークエンデ。その熱情が相手を捕らえ、相応しい結末に行き着くことを心から願う」

「ありがとうございます、ヨハン様! ヨハン様はわたくしの味方でいてくださいますのね!?」

「もちろんだよ。君には感服した。もしかして、叔母とも気が合うんじゃないかい?」

「ええ! 今度都に行くときは、真っ先に会いに来るようにお誘いを受けてますの!」

「やっぱりね、ハハハ!」


 なにわろてんねん。いや……やめてくれよヨハンと意気投合するとか……。自由すぎるこの怪人を感服させるとか、どうなってるんだうちの子は……。


「…………」


 ふと、腕組みしたままこちらをじーっと見つめるアンサーと目が合った。

 俺は咳払いし、彼に近づいた。


「お、おいアンサー。勘違いするなよ。わたしとアークエンデはそういう不健全な関係ではない」

「あ? 確かテメーが明日をも知れぬ命だってんで、急遽養子を取ったんだろ。男でなく女を引っ張ってくるなんて、それくらい事態が切迫してたって証拠だ」

「そっ、そうだ。よく知ってるじゃないか……」


 ほっとする。さすがは元レンジャー兵。裏社会に堕ちても国際情勢は目敏くチェックしているということか。


「だが今のテメーを見るにツラ以外は持ち直したみてぇだから、それならとっとと縁組みにし直してガキ作れや。それが領主の仕事だろ」

「おいィィィィィ!! 何てこと言うんだ。……あのな、俺は大人で、アークエンデはまだ子供だぞ……! 歳の差だって……」


 慌てた俺はひそひそと彼に反論する。


「十も離れてねえだろうになに気にしてんだ? ジジイが小娘孕ませるのなんて貴族じゃ珍しくも何ともねー。むこうがその気なら、なおさらさっさとやることやりゃあいい」

「なっ……。お……おまえはダメだ! 裏の世界ばっか見てきたせいで目が汚れている!」

「ンだとコラ! なら言わせてもらうがな、テメーみたいに後継ぎ問題を甘く見てるヤツのせいで汚れ仕事が末端に行くんだよ! テメーのお気持ちなんかどうでもいいから二人でも三人でも若くて健康な女捕まえてきて毎晩ガキを仕込め! そんで全員に長幼の序を叩き込め! ここ特に大事な!」

「やめろォ!」


 何て会話だ……。

 船長たちがこらえきれず、顔を伏せたまま爆笑しているのが聞こえる。子供たちは――ダメだ、とても目を向けられない。だが、一定の湿度を伴った視線が、あちらから俺に照射されているのを感じる。俺の首は壁を向いたまま、ますます動けなくなる。


 船は海上の牢獄だ。どこにも逃げ場はない……。


「いやはや、孤独な砦生活を抜け出してみれば、こんな色彩豊かな世界が待っててくれるとは。代官君、君には感謝してもしきれない。是非幸せになりたまえ」


 そんな俺にぬけぬけと話しかけてくる大戦犯ヨハン。

 俺はかろうじて投じた横目に恨み節を乗せ、


「あのな……元はと言えば、あんたがアークエンデに変なことを吹き込もうとするから……」

「ふむ……。僕の力は僕が意識して発揮しているものではないのでね。まあ忌まわしいと思ったこともないが……ところでだ」


 ここでヨハンは声を潜め、急に真面目な口調へと切り替えた。


「僕の力は相手の本音を引き出すものとも、本心を鎧っている理性やタガを外すものだとも言われている。受け手の感触は僕には知りようもないが、家族はこの力を『エンジェルトーク』と呼んでいた。まあ、天使と話をしたみたいだ、ということでね」

「悪魔の間違いじゃないのか」

「フッ、解釈は任せよう。ただ一人、これに別の呼び名を付けた者がいたんだ。祖父――つまりはマリスミシェル世代の父親ということになるんだけれど、彼の異能は占術に似ていて、未来を見通したり過去の秘密を暴いたりと、世の王侯貴族たちを大層怖がらせたらしい。そんな彼が晩年、『エンジェルトーク』の噂を聞いて僕を本家に呼び出した……。そして一言言ったんだ。『エルヨの声』と」

「……『エルヨの声』?」


 まるで聞き覚えのない単語だった。煉界症かつ煉界ゲームマスターであるやまとさんの配信でも一度も聞いたことがない。


「その異能の行使を最後に彼は亡くなった。僕は実家の書庫はもちろん、王宮の書庫も、そしてファーバニス島の書庫からもその言葉を探した。けど手がかりは何もなかった。もちろん知っている人間もいない」

「造語か……?」

「祖父は過去だけでなく未来も見通した。だからこれは未来に現れる言葉なのかもしれない。このまま僕が本土に無事たどり着いても、結局は不自由な生活を強いられるだろう。そこでお願いだ。『エルヨの声』という単語を覚えておいてほしい。そしてもし君の人生の途中でその名を拾うことがあったら、僕に教えてほしいんだ」


 ヨハンの声はいつになく真剣だった。退屈な船旅の単なる余興という雰囲気ではない。この刹那的な快楽主義者が唯一こだわる、この世界の道標のような言葉。


「そんな都合よく見つかるものかな……」

「君の人生は総じて都合が悪いだろうさ。だからこそ、どこかでぶつかる気がする。僕が君にとって悪魔であればあるほど。そうじゃないか?」


 俺はため息をついた。秘密の指令ですらない単なる口約束。そして雲を掴むような話。そこまで真剣に受けたり断ったりするものでもないだろう。――この時の俺はそれくらいに考えていたのだ。


「わかった。覚えておくだけ覚えておく」

「頼んだよ。お礼は弾むから。そうだな、世界の半分なんてどうだい?」


 俺は笑った。


「わーくに一つで十分だ。それと、あの子たちで」


 子供たちをそっと見る。

 ヨハンは天使のように微笑んだ。


 船はこの会話の二日後、本土に到着した。

また読みに来てくれてありがとうございます!

このユルい回にてエピソード完。次回、短いお話を挟みます。

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