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第七十話 鬼は外、服はウチで

 キュドサック卿と殺し屋メイヘムの襲撃は、島に潜んだ刺客のほとんどが参加した正に総攻撃だったらしい。


 ゴリラにボコられて戦意喪失した彼らの吐くところによると、ヨハンが近々島を脱出することは知れ渡っており、この大暗殺劇の主犯であったキュドサック卿とその一派の動きを、同時期に派遣されたフリーランスの刺客たちもうかがっていたのだそうだ。みんなどんだけヨハンを殺したいんだよ……。


「混乱に乗じてと考えるのはメイヘムだけじゃねえ。ヤツほど上手く扱えるのがいなかったってだけでな」とは、少し前まであちら側にいたアンサーの言だ。


 彼らにとってもこれがラストチャンスだとわかっていた。しかしその意気込みは、この日までちゃんと人間同士で争ってきたのに、そのルールをぶっちぎりに逸脱する破壊の化身たちによって完膚なきまでに粉砕された。


 ノビていた襲撃者たちは全員が捕縛され、本土にて裁きを受けることになる。その結果この島に戻ってくることになったら、法の神とはきっと大層な皮肉屋なのだろう。


 手短に後始末――代官として最低限の仕事――を終え、俺はある場所へと戻ってきていた。


 もはや焦げ跡しか残っていない流人村。

 丸太による爆風消化も、資産と呼べるものが住み家くらいしかない流人たちには大した救いにはならなかった。焼け焦げ、飛び散った木材の傍らで、誰もが座り込んで途方に暮れている。


 それらの端っこ。かつて小さなお店だったものの前に、彼女たちはまだ佇んでいた。


「ルーガ、シノホルン」

「ザイゴール……!」


 呼びかけに応えてくれたのはシノホルンだけで、ルーガは母親に肩を抱かれ、悄然と夢の終わりを見つめていた。

 あれからずっと、そうしていたのだろう。


 元の色を一つでも探すことができないほど、店は真っ黒に焼け落ちていた。

 建物自体が薪と大差なかったのだ。燻す煙が立ち上り続けるそこに、ルーガが心を込めて用意したものは何も残っていない。


「ルーガ……。すまない。わたしたちの問題に、君の店を巻き込んでしまった……」


 俺の謝罪に、ルーガの母だけがちらと横顔を寄越した。その目は人の悲しみに満ちていた。

 後悔、しているのだろうか。娘を人の村に送り出してしまったことを。


「おまえは悪くない」


 凍った水面に波紋を起こすように、ぽつりとそんな声が落ちた。ルーガだった。


「火に気をつけなかったわたしのせいだ」


 彼女の目は店の瓦礫を見つめたままだ。


「違う。君は悪くない」

「わたしのせいで、全部燃えてしまった」

「違いますルーガ。こんなことが起こるなんて誰も思わなかった」


 シノホルンも必死に彼女を慰める。

 こんな理不尽の中にあっても、ルーガは誰も責めない。島民と確執のある一族に生まれ、それでも怒りのやり場をどこにも求めない。その健気さが今は痛ましい。


「もう一度、やり直す。家を建てて、服を集めて、飾りの石と花を用意する。そうでないと……」


 彼女は途切れ途切れにそう告げる。


「そうでないとお店が可哀想だ……」


 この子の気質には野生の厳しさがある。しかし同時に優しさもあった。冷えた体を温める陽光の、乾いた喉を潤す小川の、涼しい風と、柔らかな大地の。

 彼女は親しいものを愛した。自分の夢を、愛した。


 いくつかの足音が近づいてきて、息を呑む気配を俺へと伝えた。

 子供たちだ。ベルゼヴィータもいる。敏い彼女たちはここで何があったかをすぐに感じ取ったらしい。言葉もなく立ち尽くし、憐憫を帯びた眼差しをルーガへと向ける。


 それを見て、俺は一つの決断をした。


「……やり直すというのなら、ルーガ。わたしのところに来ないか」


 ピクリ、とルーガの母の白髪が揺れる。


「ヴァンサンカンのところに?」

「ああ。海を渡って、わたしの屋敷に。衣食住はすべて保証する。実は今ヴァンサンカン領では、被服の研究が盛んに行われているんだ」


 俺はちらりとベルゼヴィータに目をやった。たったそれだけの仕草だったが、彼女はすぐに意を汲んで一歩歩み出、


「本当よ。今、わたしたち深族を中心に、様々な新しい服が作られているわ」

「……! おまえの服、綺麗だ……。こんなに綺麗なもの見たことない」


 彼女が身に纏う漆黒のドレスに、ルーガの目はこぼれるほどに開かれた。乾いていた瞳に、にわかに光が戻る。


「こんな綺麗な服が世界にはあるのか……。それじゃ、わたしが集めてきたものは……」


 落胆したように店を振り返る彼女に、俺は慌ててフォローを入れた。


「それも大事なものだ。実際、流刑村の人たちはルーガの服を欲しがっていただろう?」

「ああ、そうだった」

「ただ、世の中にはもっと色んな服がある。色んな綺麗なものが。ルーガにはそれを見てもらいたいんだ。もう一度、店を開く時のために」


 ウホウホウホホ……。


 ルーガの母が何かをしゃべる。受け取った娘は首を傾げた。


「“りゅうがく”……? それは何だ母さん」

「別の土地に行って勉強することですわ」


 答えたのはアークエンデ。


「……! おまえも、すごく綺麗だ。服だけじゃなくて髪も目も、川で拾った石みたいに光ってる」

「ありがとう。これはあなたのお店ですのね?」

「そうだ。服屋……だった」

「きっとさぞ大事な場所だったのでしょう。こんなことになって残念でなりません。でも、我が(くに)に留学すれば、次はきっともっといいお店ができますわ」

「本当か? ヴァンサンカン」


 俺はうなずいた。


「そうできるよう、君の手伝いをしたい。いい服をたくさん知っていれば、それだけお店に置ける選択肢も増えるだろう?」

「それは……そうだ」

「ルーガのお母さん」


 俺は白髪の巨人へと向き直った。


「今回のことは、わたしたちの愚かな争いが原因だ。森で静かに暮らすあなたたちを、また傷つけてしまった。罪滅ぼしになるかはわからないが……ご息女に夢のための勉強をさせてあげたい。身の安全は、わたしが全力で保証する。どうか、彼女を預からせてくれないだろうか」


 ウホウホ、ウホウホ……。


「……母さん、わたしが決めろって? そうか。それならわたしは……もっと服について勉強したい。ヴァンサンカンのところでならそれができるのなら、わたしは行ってみたい」


 ルーガは迷わなかった。どこまでも真っ直ぐだ。


 ホッホッホ……。


 母親が笑ったのが、俺にもわかった。彼女がこちらを向いて、かすかに目線を下げる。俺は静かに拳を握り、深く頭を下げた。


「だが、島を出たらもうみんなとはそう会えないな……」


 唯一の心残りのようにルーガがそう口にする。山の高みまで登っても、この島からは本土の影さえ見ることはできない。遠い遠い場所だということはわかっているようだった。

 しかしそんな難題も、我が領ならばあっさりと解決できた。ベルゼヴィータが告げる。


「里帰りなら心配いらないわ。船の上で距離を測ってみたけど、わたしの友人に頼めば、お屋敷からここまで数時間で運んでもらえる。空を飛んでね」

「空を? 本当か? おまえの友達は鳥なのか?」

「もっと賢くて美しいものよ」

「おまえは友達も綺麗なのか……」


 ルーガはすっかり感心しきっていた。彼女の中ですべてだった世界の端が次々に崩れ、その先に果てしない平原が広がっていく様子を、俺の盗賊の眼は静かに捉えた。


 若さだ、と思った。世界は無限に広がっていて、自分はどこまででも行けると感じられるある意味無鉄砲さ。だがそれは、大人が希望と名付けた気持ちと何ら変わらない。大人がなかなか手に入れられないものを、子供たちはあっさりと掴んでいく。


 これでいい。彼女は新たな巣立ちを迎える。何を失うこともなく。夢と希望だけを抱えて。


「君を歓迎するルーガ。我がヴァンサンカン領へようこそ!」


 俺たちはまるで歌劇のワンシーンのように、一斉に彼女に手を差し出した。


「……ああ! 今日からわたしはヴァンサンカンと“いい仲”。ルーガ・ヴァンサンカンだ」

「<煉><〇>」

「そ、その名前はちょっと待ってな。関係各位にあらぬ誤解を招くから……」


 ※


 出港の日、ファーバニス島の港には島民の全員が集まっていた。

 食料配給の船が帰る時でも、ここまで盛大な歓送はないという。


 結局あの火災の後、俺たちは数日を島で過ごすことになった。

 暗殺にかかわる敵がほぼいなくなったのもあるが、一番の目的は住まいすらなくしてしまった島民たちの援助だ。


 物資船の船長が真っ先にそれを提案してくれたのがありがたかった。何でもこの島とは何度か交流があり、村長とも友人の間柄だという。

 物資の運び込みはもちろん、船大工たちを使って簡易な避難小屋まで建ててくれた。


 ウホ、ウホホ、ウホ……。


 中でも特に活躍したのがルーガの一族。

 彼らは森から木や葉を大量に集めてきてくれ、それを積み木のように積み上げてルーガの家のような小屋をいくつも作ってくれた。


 文明的な新築とは言えないが、風雨から身を守るには十分すぎる砦だった。


「どうして、我々に対してこのような……。わたしたちの祖先は、かつてあなたたちを山へと捨てた」


 次々にできていく丸太小屋を前に、村長は神妙に帽子を胸に当てながら、ルーガの母へとそう問いかけた。


 ウホホ、ウホホホ……。


「“娘と交流を持ってくれたお礼です。うちの子と仲良くしてくれてありがとう”と言っている」


 ルーガの通訳を聞く前の段階、母親の口から漏れた音の優しさの時点で村長は涙を流していた。


 暗殺を乗り切ったヨハンも、この数日間を利用して、ヒョウタン工芸品の教本を片手に村人にレクチャーを施した。本には書かれていないちょっとしたコツなども披露し、島の女性や子供たちには大層人気だったようだ。


 島民、流刑人、ルーガの一族。村を襲った火は、彼らの財産だけでなくその垣根までも焼き払った。皆が一丸となってこの難事に立ち向かったのだ。


 島の正式な援助は、俺とヨハンの連名でマリスミシェルに陳情することになる。

 復興が約束され、ヒョウタンの工芸品にも期待できる。港に集まった人々の顔は、島に来た時とは異なる、真っ直ぐな希望に溢れていた。


「お気をつけて代官様!」

「皆さん、お達者で!!」

「グオオオオオオ!!!」


 チャカポコチャカポコ……。

 砦から運び出したヒョウタンの楽器まで合わさった盛大な見送りが、甲板に立つ俺たちへと最後まで向けられた。

 誰もが、ルーガも、彼らの姿が見えなくなるまでずっと手を振り続けた。

 また来よう。そして新しくなったこの島とまた会おう。そう心に誓った。


 俺たちは知っている。


 流人村の端に、島民たちの手作りによる小奇麗な小屋が建てられた。

 まだ家具も何もない、空っぽの家。

 けれど入り口には「ルーガの店」と書かれた素朴な看板が下げられ、彼女の夢の帰りを今日も待っている。


再開して早々、エピソード完!

と言いたいところですが、もう一話だけ続きがあるんじゃ。

こんなにサワヤカにまとめたんだから、変な修羅場なんてあるはずないやろガハハ。

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― 新着の感想 ―
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リス「更新だ!今じゃ!パワー(呪い)をネキセに!」 リス一同「いいですとも!!」 鎖マン「本当にやりやがったぞあいつら、いや糸氷だけガン無視して寝てるな…」 メガトンコイン「糸氷はなんなら忍者と…
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