第六十九話 船が来たりて、少女も来たりすればいい
船は、振り返って確かめるたびにその姿を大きくしていた。
村から港へと向かう道の入り口で、俺はヨハンとアンサーを待っている。
彼らはまだ姿を見せない。警戒して、船が完全に接岸するまでは身を隠しているのかもしれない。
なにせバニス村は――今や混沌のサファリパークだ。
「うわああああ! バケモノゴリラだ!」
「ハ?」
ドゴォ!
「島にこんな怪獣がいるなんて聞いてないぞ! け、契約と違……」
「ハ?」
バゴォ!
無礼な発言をした刺客たちが、ルーガの一族にワンパンでのされていく。
島民VS刺客の戦いは、栄養十分で場慣れし、さらに数でも勝る刺客たちの圧勝に終わっていた。ただそれが逆に幸いし、島民たちの中に死傷者はいないようだ。
そして村人たちを制圧したところで、刺客たちはふと、あるものに気づく。
村の隅っこに座り込んでいた――ゴリラ。
彼らは消火を済ませた後、人間たちが争うのを「何やってんだあいつら……」という様子でただ静観していただけなのだが、初見の刺客たちからすればとても放置できるような存在ではない。
訳もわからず無駄に刺激し、ぶっ飛ばされる。それがなし崩し的に他の者へも伝播し、ゴリラVS刺客という無慈悲な敗北イベントが始まっていた。
「おい。おい、怪盗……!」
草が擦れ合うような、かすかな呼び声が鼓膜を震わせた。
この奇妙な聞こえ方は覚えがある。周囲にどれだけ人がいようと、俺だけにしか聞こえない不可思議な話法――レンジャー兵、サイレンスの技術と同じ。
はっとして周囲を見回せば、茂みに身を屈めるようにして一人の男が姿を現している。
「アンサー。ヨハンも来たか!」
「来たよ」
アンサーの両肩に担がれた姿勢で、ヨハンがぷらぷらと足を振って挨拶する。
「えらい騒ぎになってるな。メイヘムか?」
「いや……火を放ったのはキュドサック卿だ。彼も島に来ていた。積年の恨みとばかりに村を焼き払ったんだ」
「ストレスでイカれたか。まあ、そういう貴族はたまにいる」
違う、と言いかけて、俺は言葉を呑み込んだ。あの男は狂ってはいなかった。どこまでも正気で理知的な目をしていて、それで火を放った。しかし、今それを口で十全に説明するのは難しそうだ。
その話題とは別に、俺はふと、アンサーがこちらをじろじろ見ていることに気づく。
心当たりはあった。
「意外と不健康そうなツラしてんな。バラしてよかったのか?」
「こんなところでマスクなんてしてたら、いよいよただの変人だろ……」
今の俺は怪盗マスク未着用だ。変装したままアークエンデたちに会うわけにもいかないので、この顔バレは必然だった。アンサーがヨハンと繋がった以上、どうせ伝わる事実だ。
「まあ、確かにな。そろそろ船が接岸する。一気に乗り込むぞ」
アンサーの言葉にうなずき、俺たちはそこから港までの一本道を走った。
キュドサック卿は村とこの道を押さえて脱出を阻むつもりだったのだろうが、今では逆に暴れるゴリラたちが防波堤となって追撃を防いでくれている。
無事、俺たちが港にたどり着くと、ちょうど、大型船用に組まれた高い足場に物資船が巨体を横づけするところだった。
待ちきれない様子で甲板の手すりを掴む、懐かしい顔ぶれが目に入る。
「お父様! お父様ぁー!」
上品なワンピースに、真っ白でプリムの広い帽子。船旅でも優雅なアークエンデの声が、天上の楽器のように俺の耳を包み込む。
喜びを表すように飛び跳ねながら手を振る彼女に、俺はひどく懐かしい気持ちになった。
「アークエンデ!」
両手で大きく振り返す。
……そうだったな。
俺は彼女の良き父親をやるためにこの世界に来た。俺の家とは彼女のいる所で、俺のいるべき場所もそこにある。たとえどこに送り飛ばされても、結局はそこへ戻っていくのだ。
「おい。あの貴族の娘のセリフ……。それにあの所属旗に書かれてる“ヴァンサンカン・ヴォリュビリス”。てめぇ、よりによってあのヴァンサンカン領の領主だったのか?」
「ま……まあ」
アンサーが驚いたような、呆れたような顔を向けてくる。
「アハハ、ヴァンサンカン領に続いてファーバニス島の世話までやらされるなんて、よほど有能か王宮に嫌われてるかどっちかだよね」
肩から降ろされ、自分の脚で立っているヨハンも気楽に言ってくれる。ゴルゴンパイク家の人が俺のトラブルの最たる例なのをまず自覚してくれますか……。
ほどなくして、組まれた足場に船の方から渡し板が置かれた。その上を誰よりも早く駆け抜けてくるのは無論、愛しのアークエンデだ。
「お父様! アークエンデは立派に務めを果たしてみせましたわ!」
俺は飛んできた彼女を抱き留め、その勢いでくるくると回る。
「ああ、よくやったアークエンデ。こんな立派な船を持ってきてくれた」
「もちろん荷物もたっぷりですわ! あぁ、お父様の匂い……お父様の体温……」
埋もれるくらい俺にしがみついてくるアークエンデ。正直、今あまり綺麗な格好をしていないので、彼女が汚れてしまわないか心配だ。
今回の輸送計画を実際に練ったのはバスティーユだった。しかしその最終決定権は、不在の俺に代わってアークエンデが握った。船の到着予定日、積み荷も計画通り。このアナログの時代にそれって、すごいことだよな。
だが、再会の喜びを堪能する時間は長くは与えられなかった。
「見つけたぞヨハン!」
「王国の平和のために、死ねバケモノ!」
敵意に満ちた声が響き、猛然と突進してくる複数の影が視界の端に映る。
し、しまった、刺客だ。いつの間にか接近されていたのだ。
しかもこの身のこなし、今までの一山いくらのゴロツキとは違う。より訓練され、洗練された暗殺者――。
俺たちはヨハンと刺客のちょうど間にいた。両腕はアークエンデを抱えたまま。動くタイミングは完全に遅れた。ど、どうする!?
「はぁ……お父様とわたくしの愛と感動の再会を邪魔するだなんて――」
へ――?
俺の腕の中から、柔らかな温もりがするりと抜ける。
「なんて悪い虫!<煉><〇>」
バチイッ!!!
皮膚が痺れるような、盛大な破裂音が鳴った。
先頭を切っていた刺客の一人が、体をエビぞりにして――車輪のように回転しながら吹っ飛ぶ。
えっ――。
それが、その場にいた男たち全員の、きっと素直な感想。
アークエンデが行使したのは……デコピンだった。
指一本を溜めて、放したら、人がすごい回転しながら飛んでいった。
「あなたも! あなたも、そこのあなたも! 全部悪い虫!」
「うっ!」「げっ!」「があっ!」
弾き飛ばされる。アークエンデがデコピンを弾くたびに。
こ、これは……。実際にはデコピンではない。彼女が指を弾くたびに『煉』の魔力を思わせる赤黒い燐光が飛び散っている。
言うなれば、魔弾。詠唱すら必要としない魔力のカスを飛ばしているのだ。
だがその威力は。そして精強な殺し屋を虫でも払うかのようにぞんざいに退ける圧倒感。それでいてあくまで優雅で高貴な仕草はまるで……。
――魔王!!
「お、おのれぇ!」
辛くも一撃KOを免れた者が、素早く起き上がりながら腰のポーチに手を伸ばした。
そのまま何かを口元へと持っていく。手の中には何も見えない。こいつ、何を取り出したんだ――と思った矢先、刺客本人もきょとんとした顔つきになった。
指を開き、そこに何もないことに彼自身が愕然とする。
「おい、これ吹き矢か? 危ねーもんをオレの家族に向けてんじゃねーよ」
彼の横に、細長い筒をもてあそぶ美少年の姿が、いつの間にかあった。
「オーメルン!」
あいつ、いつの間に……! 元から卓越していたスリの技術を、さらに上げたか!
さすがの刺客も、この状況には唖然とするしかないようだった。その一瞬を狙い、アークエンデの無慈悲なデコピン魔弾が直撃する。
これで襲撃は失敗に終わった――そう空気が緩みかけた瞬間、音もなく人影が飛翔した。
獲物に狙いを定めた猛禽のような、鋭く正確な動き。
「メイヘムだ!」
アンサーが叫んだ時点で、メイヘムは完全にヨハンの頭上を取っていた。
両手に持つ二本のナイフが煌めく。ここまでがヤツのお膳立てだったか。阻むものはもう何もない――。
そこに黒い風が吹いた!
「なんだ……!!」
視界を塞がれたのだろう。空中でメイヘムの姿勢が大きく崩れる。直後、船から踊りかかった人影が、彼の背中へ容赦ない飛び蹴りを食らわせた。
つま先に引っ掛けるようにして相手を地面に蹴り落とし、そして自身はメリーポピンズみたいに傘を開いてふわふわと降下してきたのは……。
「エンデ、誰これ? 何だか危なさそうだったから落としてしまったけれど」
深族の令嬢、ベルゼヴィータ・ハイペストン。
綿毛のように軽やかに着地した彼女が傘をたたむと、傘の皮が一斉に千切れて飛び立った。そう。これは彼女が率いるハエの軍団〈ベルゼブブの軍勢〉の最小個体。漆黒のコバエたちが作る、生きた傘なのだ。さっきメイヘムの顔面を直撃したのも彼らだろう。
メイヘムは頭から落ち、完全にノビていた。
今度こそ、ヨハンを狙う刺客たちはすべて撃退された。
村の方からはたくさんのゴリラの雄叫びが聞こえてくる。あちらも決着がついたようだ。
「オレがヨハンを殺る側だったら、これら全部相手にしなきゃなんなかったってことか? ハッ、冗談じゃねえぜ……」
アンサーが肩をすくめるようにしてぼやく。
俺は笑ってうなずいた。
「わかる」
今までちゃんと人間同士が戦ってたのに……。
※お知らせ
諸事情により、次回投稿は10月24日~28日あたりになる予定です。まだ一部スケジュールが決まっていないところがあり、日にちが前後する可能性があります。投稿の際は活動報告とXでお知らせしますので、そちらで確認していただけると幸いです。
一応、敵をはっ倒すところまで書けてよかった……。
また見に来てもらえるととても嬉しいです! ご視聴ありがとうございました!




