第六十五話 殺し屋コロシアム
アークエンデが指揮する物資船がファーバニス島に着くまで、予定通りならば残り三日。
昼間は代官としてシノホルンと共に島民を手伝い、夜は砦に赴いてヨハンの護衛。そんなブラックな二重生活だ。
竜の血が入ってるとはいえ、このハードワーク。かつての薄汚れた記憶も相まって俺のモチベーションはガタ落ち――かと思ったが、意外にもこれが心地よい環境となった。
まず特産品に関しては、まずまずの反応。
畑に駆り出される流人たちがさほど多くないことから薄々気づいていたが、ファーバニス島は実は人手が余っている。
奇妙に思えるかもしれないが、村が所有する畑は小さく、また手伝いの流人には収穫の一部を分けてやらないといけないため、村人の方で手伝いをさせたがらないのだ。
では余った囚人たちで畑を広げるのはどうか? とも考えたが、島に蔓延る樹木は非常に頑丈で粘り強く、それらを切り倒したり引っこ抜いたりする体力が、すでに彼らにはない。
文明の利器に囲まれていると忘れがちだが、大原則として人が体を動かすには十分な栄養が必要だ。昼飯抜いたけど何とかなるべの精神と本当の飢餓はわけが違う。
そしてヒョウタンを使った工芸品は、開墾事業よりもはるかに少ないエネルギーで、女性にも行えた。加えて、俺には従業者たちに対して支払える見返りもある。
この島の視察にあたり、俺はバスティーユから自由に使っていい、いわゆる小遣いをもらっていた。
別に日頃から出費を制限されているわけじゃない。ただ“ここまでなら甘ったれ領主の裁量でばら撒いても後々統治の問題にならない”という具体的な金額を明示してくれただけだ。
新たな産業を興す際に一番のハードルとなるのはやはり出資者。産業が金を生むまで人々の生活の面倒を見る者が要る。
俺はその全額を、島の人々にベットした。
無論、この島に金だけ持ってても仕方ないので、それは食料や薬などの生活物資に置き換えられることになる。
このヒョウタン工芸品がどこまで伸びるかは半信半疑だったが、それでも人々に乗らない理由はない。皆が積極的に参加を表明してくれた。
そしてルーガのお店の方はと言うと。
空き家の選定が決まり、ディスプレイの段階へと移行していた。
今、ルーガは木製のハンガーを手作りしているという。
発案者はシノホルンだ。店の真ん中に衣類の入った箱をドンと置いて開店しようとしたルーガに、彼女が慌てて助言した。
「そうなのか」と、ルーガは素直に聞き入れ、二人で準備を進めているとのこと。
「もっと飾りつけを増やそうと話し合っているんですよ」
そう話すシノホルンは、自分のことのように楽しそうにしていた。
まだ多くが未知数の段階だが……俺がこの島に来て以来、村は初めて見せる希望に、少しずつ立ち上がっているふうに見えた。
そんな忙しいながらも充実した日中を過ごし、夜はヨハンの砦へ。
「なあ諸君。面倒で大変な仕事と、楽な仕事があったとしたら、どちらを先に手を付ける?」
貴族の遊興施設を思わせるホールの一角。サロンルームの数人がけソファーの上で優雅に寝そべったヨハンが、あくびを噛み殺しながら俺たちに問いかけてくる。
昼間のチャンレンジ精神に溢れた環境から一変。ここは退廃と怠惰の巣窟である。
「面倒なのを先に」と俺は時間を潰すための回答を向けた。
護衛の仕事は、基本的にはただ彼のそばにいるだけだ。この秘密の砦、元より刺客がぽこじゃか湧いてくるような立地でもなく、そうなれば何もすることはない。
「後でつらい仕事が待ってると思うと憂鬱になる。先に終わらせて楽な気持ちで次に取り掛かりたい」
「オレぁ逆だ。楽な方からやる」
反対の答えを寄越したのはアンサー。おまえも答えるのか……。
「片方がつらい仕事ってんなら、オレもそれなりに疲弊するだろう。その後じゃ楽な仕事でも思わぬミスが出るかもしれねぇ。それは気に入らねぇな」
「……随分、真面目だな」
「テメーは怪盗のくせにプライドがねえのか?」
「ははは、お互い思想があって結構なことだ。あらゆることは意志を持って臨んでこそ当事者となれる。流されるままではただの時間の浪費だ」
ヨハンが高尚なまとめに持っていったが、彼だけでなく俺もアンサーもそれぞれのソファーで横臥しているこの状況は正しく浪費の極みだった。怠惰。猫ルームの猫か俺たちは。
ヨハンの警護開始からすでに二日が経過し、ずっとこの調子だ。ひどい時はしりとりまでしている。信じられるか? 怪盗と殺し屋と囚人のすることがそんなだなんて。
「まぁ、いつかはここも忙しくなるだろうよ。ヨハンを狙って島に入り込んだヤツは何人か見てる」
肘をついて寝そべるアンサーが、そんな情報を口にした。
「ほらな、怪盗。僕は人気者だ」
「人気者じゃないからそうなってるんだろ……。アンサー、そいつらは手強いのか?」
「どうだろうとオレより二日以上も後れを取ってんだ。手ぶらで帰る二流には違いねえ。気にするこたねぇよ」
「ちなみに、君の雇い主は誰だい?」
話の流れでヨハンが図々しく問いかけると、アンサーは「言うかボケ」と軽くあしらった。
「依頼主を名を明かせば、この業界での名も信用も失う。それじゃあオレの指が治っても意味ねえだろ」
「すでに盛大に裏切ってると思うのだが……」
「わかってねえな怪盗。この業界、裏切って成果を出すなら、それは評価されるんだよ。今回ばかりはしくじれねぇ仕事だったが……手が治るんなら事情が違うぜ」
「だが確実に恨まれるだろう。敵が増えるぞ」
「ハッ、敵の数こそ強さの証明ってな。八方塞がれるくらいでないとオレには釣り合わねえよ」
この清々しいまでの太々しさ。自分の衰えを悟って我を失いかけていた二日前とは明らかに違う。
これもヨハンと話したせいなのだろうか。あれ以来、変に自分の過去を打ち明けるでもなく、急に親しみやすいキャラになったわけでもないが……何か一つ解放されたような陽気さが、この男の周囲には浮かんでいた。
メンタルヘルスの神だというのなら、マリスミシェルがヨハンを生かしておこうとするのもわからなくもない。だが本当にそうなのだろうか。この妙に艶のあるヨハンの容姿。まるで猛毒を帯びた蛇の美しさにも似るような、そんな危険な印象が拭えないのだ――。
カランカラン。
不意に鳴り響いた鳴子の音に、俺もアンサーも瞬時に動いていた。微動だにしなかったのはヨハンだけだ。
「ようやく刺客第一号か。遅ぇーんだよ」
「第一号はおまえだアンサー。その手でいけるのか?」
「テメー、この前オレを凌いだからって調子に乗ってんな? もう相手の位置は捕捉してんだ。おめぇより早く片付けて、余った時間で助けにいってやんよ」
娯楽ホールを出るまで続いたやり取りは、その扉を抜けた時点でふっと消え去り、後には足音すら残らなかった。
合図もなく二手に分かれた俺とアンサーは、それぞれの標的へと向かう。
月明かりさえ追い出された暗い静寂の中、侵入者二名が押し殺した物音は、あまりにもたどたどしく空気を伝わった。
侵入口は砦二階の覗き窓。そこから二手に分かれている。コンビらしい。護衛がいるとは聞かされていないので、余裕綽々に手分けしてヨハンを探すつもりか。
やがて前方に明かりが見えた。浮かび上がる刺客の顔半分に、森林を抜けてきた疲労の脂が粘るように光る。
いくら殺し屋でも、この暗闇では明かりを持たざるを得ない。反撃を恐れないのであればなおさらに。
俺は通路の曲がり角に待機し、相手を待った。
刺客は短剣を右手、蝋燭を左手に持ちながら、長い通路を歩いてくる。
足音を殺し……ヨハンの気配を探っているようだ。
このまま待ち伏せし、出会い頭に仕掛ける。
接触まで、あと五メートル、四、三……二……!
その時だった。寝静まっていた砦の空気が、突然激しく揺れた。遠くで激しく回る罵詈雑言。物音。アンサーがおっぱじめた。
獲物と遭遇したのとは違う緊迫を感じ取り、片割れも一気に警戒態勢に入った。
短剣をより臨戦態勢にしたまま、曲がり角へと突っ込んでくる。
このままでは危険――!
だがその先に、人影はなかった。
「惜しかった」
俺はその頭上から相手に呼びかけた。
慌てて天井を振り仰いだ殺し屋は見ただろう。暗闇から逆さにぶら下がる変態マスク男を。
次の瞬間、ピラミッドで眠るファラオ並みにグルグル巻きにされた刺客が、吸う足音もめっきり減った床へと転がされた。
相手が角に現れる瞬間、糸を存分に仕掛けてから天井に逃れたのだ。
後は勝手に標的がそのゾーンに入ってくれるのを待つだけ。
もはや声すら上げられず、芋虫のようにもがくことしかできない。
よし、これで後はじっくりと尋問をして――。
「!?」
ふっと、暗闇の天井から人影が舞い降りた。
この瞬間初めてこの世に現れたかのような黒い天使は、着地ざまのナイフの一撃で、身動きの取れない刺客の心臓を一突きにしていた。
「……!!」
刺したナイフをさらにねじる。内部で風船のように割れる臓器の音を、俺は聞いた気がした。
ビクンと痙攣したきり、刺客は動きを永遠に止めた。
「甘ぇよ怪盗。その場で殺せ」
凶悪に歪んだアンサーの二色の目が、嘲笑うように俺を見据えた。その眼差しは、サロンで寝転んでいた時と紙一重の違いしかない。平穏と殺戮の境目は、この男の中ではそれだけの厚みしかないのだ。
「暗殺ってのは、もっとも利害関係が出る政治手法だ。得したヤツが犯人――だからこそ殺し屋と直に接触する依頼人なんていねえ。証拠なんて出た日には一発で縛り首だからな。何も知らねえよこいつらは」
「……一生知りたくない業界ネタだった」
そう返すので精いっぱいだった。
俺は恐れていた。この、なったばかりの死体を。
「片付いたのかい」
時間と共に濃くなり始めた血臭の中、涼しげな足取りで近づいてくる人影があった。ヨハンだ。
「ああ、二人とも始末した。怪盗は縛り上げただけだったがな」
「ふうん」
「そういやオレとやり合った時も武器らしいもんは使わなかったな。持ってねえなら貸してやるぜ?」
アンサーが聞いてくる。
「わたしは……いらない」
「あぁ?」
「アンサー君。怪盗君は罪悪感があるんだよ」
ヨハンが穏やかな声でそう代弁した。
「罪悪感だと?」
「正しい罪悪感がなければ、人は幸せにはなれない。彼はそれを守りたいんだ」
「守りたいってテメェ、泥棒は犯罪だぞ」
「それを言われると身も蓋もないが……とにかく彼には、踏み越えられない一線がある。まあいいじゃないか。無力化してくれたのなら」
まるで学校の先生のように含み聞かせるヨハン。アンサーはちらと俺の方を見たが、すぐに薄笑いを浮かべ、
「ま、怪盗のプライドってことにしておいてやる。実際、腕は確かだからな。トドメを刺すくらいの手間は引き受けてやんよ」
そう言って、刺客の死体を片付けるために手を伸ばしたその時だった。
突然伸びた銀の光が、石の床を叩いて火花を散らせた。
「!!」
アンサーは素早く身を引いていた。あのままだったら手首から先がなくなっていたかもしれない。そしてその際に、近くにいたヨハンを掴んで後退させてもいる。回避と同時に依頼人の保護。こいつの仕事はやはりプロフェッショナルだ。
「怪盗!」
言われるまでもなく、俺もまた糸を飛ばしていた。
標的は……どこだ!?
「いないぞ!」
「オレも見失った! んなワケがねえ! オレたち二人が……!」
素早く言葉を行き交わせ、ヨハンを壁際に押し込みつつ二人で後ずさる。
おかしい。確実にいたはずだ。攻撃されたのだから。なのに闇の中には誰も見えない。
「まさか……。アンサー君、三メート先の右の壁、下側を狙いたまえ!」
なぜと問う声もなく、アンサーは素早くナイフを投擲した。
「グエッ!」
くぐもった悲鳴が上がり、それきり物音が途絶える。
「何だァ? こいつは……」
俺たちが近づいてみると、奇妙な光景がそこにあった。
黒ずくめで、覆面の刺客が死んでいる。それ自体は大したものじゃない。問題は、彼の体半分が壁にめり込んでいたこと。
いや……正確には、壁の一部がめくれ上がりそこから這い出てくるところだったのだ。
その無防備な瞬間にアンサーの一撃を食らった。首に当たったのは、さすがに偶然だろう。
「要人退避用の秘密のルートだ」
ヨハンがぽつりと言った。
俺たちは顔を見合わせた。砦に多数ある秘密の待避所は、その利用者しか知らない。つまり囚人しか。どうして殺し屋がそれを知っている? たまたまか?
「……見ろや怪盗。そいつの格好、泥の汚れも木くずもついちゃいねえ。ここを探し当てるのにオレでさえそれなりの苦労をしたってのに。真っ直ぐ来ましたって感じだぜ」
「……砦の場所を知っていたと?」
このVIP用牢獄は砦としての頑丈さだけでなく、秘匿されているというのも安全性の一つだったはずだ。その存在を長年ここで暮らしている島民ですら知らない。それをこいつは……。
「砦の場所も、秘密の通路も知っている? それは妙だな……」
ヨハンが口元に手を当てながら言った。
「ここの収監者は外の見えない駕籠に押し込まれて運ばれてくるんだ。したがって、秘密の通路は知っていても砦の位置まではわからないんだよ」
「じゃあ何でこいつはその二つを知ってんだ?」
アンサーの問いに、ヨハンはすぐには応じず……。
やがて顔を手で覆って、けたたましく笑い始めた。それは下品さすら伴う、心の底からの馬鹿笑いとして廊下を満たした。
「そうか。ようやく君の本音が聞けた! やっと自由になれたんだね、嬉しいよ!」
その顔は本当に歓喜に輝いていた。だからこそ、怖かった。こいつは何を笑っている?
「おい。何か知ってんなら言え。他ならぬてめぇの命に係わることだぞ」
「失礼、アンサー君。今、もっとも精力的に僕を殺しに来ている犯人の名前がわかったよ。こんなに嬉しいことはない。アランドラ・ヨセフ・キュドサック――。この島の、前領主だ」
暗殺が成功しても失敗しても誰も悲しんでくれないメンツ。




