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第六十二話 天国と牢獄

 ヨハン。本当にいた……!


 だがなぜだろう。彼をおいて他にいないような気がしていた。

 この島にいて、この島にいないとされた人物。この何もない貧しい島に、あり得ないほど裕福な場所。すべてがデタラメのここになら、蛇の求めるものもある。そんなふうに腑に落ちた。


「ほしいものがあるというのなら、命以外何でも持っていくといい怪盗。どうせ僕にはいらないものだ」


 ヨハンはソファーに寝そべり直しながらそんな言葉を吐いた。

 詩を歌うように甘い声。乙女を誘うように柔らかな口調。とても真夜中の侵入者に向ける言葉ではない。


「……ここは一体、何なんだ? ただの砦じゃないのか」


 俺は勝手に物陰から出ていきそうになる足を、もう片方の足で蹴りつけ、慎重に第一の質問を向けた。このヨハンという男、武器の類は一切持ってなさそうだが何かがおかしい。悪い意味で。


「わかってて入ってきたんじゃないのかい?」

「外に光が漏れていた。それで確認しに来ただけだ」

「……なるほどな。君は代官か」

「……!」

「こんな夜更けに武骨極まりない砦を漁りに来る怪盗なんているはずもないものな。しかし代官であっても相当な変わり者だ、ハハハ」


 どうしてわかった? ――なんてたずねたら最後、すべてをバラしてるも同然だ。飄々としつつも得体のしれない聡明さを秘めた瞳は、終始俺に焦点を合わせ続けている。頭はキレるようだ。どう対応する……?


「黙っていても僕の結論は変わらないよ代官。まあ推理は単純だよ。こっちにも色々事情があって、消去法で新しい代官くらいしか君の役どころが残っていなかったんだ。……まあ、もう一つだけ有力候補があったんだけど、そっちが正解だとあんまり嬉しくないんでね……」


 ヨハンは組んだ足をぷらぷら揺らして含み笑う。


「それで、ここが何か知りたいんだったね? 牢獄だよ。罪人を閉じ込めておく場所だ」

「そのわりには天国みたいな場所だ。バーもサロンもあった」

「あれが天国なら煉界行きが決まっている僕には朗報だな。退屈なんだよ、あんな場所は。ああ絶望的に退屈だ」


 ヨハンは「退屈だー」とアホみたいに繰り返しながら、突然何かをチャカポコと叩き始めた。丸い木製の……木魚みたいな謎の楽器だ。本の山に隠れていたらしい。


「そのチャカポコは何だ?」

「ここの本に作り方が書いてあったので僕が作った。暇すぎてね。ヒョウタンの楽器だ。音が可愛いだろ?」

「ひょ、ヒョウタン?」

「ヒョウタンは海を旅する植物だ。ぷかぷか浮いてどこへでも行く。この島は海流的に色んな場所からヒョウタンが流れつくらしくて、島の裏側に一大群生地帯があるんだ。そこから調達した」

「はあ……」


 俺の生返事を受けて、ヨハンはチャカポコを叩くのはやめた。


「おっと、話をはぐらかしてしまったか。君が退屈して帰ってしまう前に真相を話そう。ここはね、いわゆる国のVIPのための特別牢なのさ」

「VIP……」


「そうだ。ただし、ただのお偉いさんというわけじゃない。この国には、異能としか言いようがない特異な才能(タレント)を持ち合わせた人間がいる。彼らは大抵、その力を活かして表舞台で活躍している。政治、文化、芸術……。有力な貴族と繋がる例も少なくないだろう。だが、往々にしてそうした人々は秩序に対して潜在的な危険因子となる。素晴らしい才能たちが、貴族の反乱や反王国的な思想に加担したらどうなる? 燎原の火だ。しかし適当な理由で処刑すれば縁のある者たちを一斉に敵に回しかねず、かといって幽閉程度では心もとない。そこで最適なのが流刑。いくら異能たちでも海に囲まれればただの人間だ。ところがここで国もスケベ心を出す。いつか安全だと判断できたら、またその才能で王国に貢献してほしい。世界を進めてほしい。そのためのご機嫌取り。危険因子の一時留め置き場。何不自由のない国賓級の牢獄がここというわけさ」


 抑揚豊か、弁舌は淀みはなく、まるで短い歌劇を謳い上げるようにして、ヨハンはこの砦の秘密を明かしてきた。


 特別な人々のための、特別な牢獄。

 豪華な遊興施設も、清潔で快適な空間もすべてそのためのもの。まさか、やつれた村人と流刑人ばかりのファーバニス島にこんな秘密の場所があったとは……!


「先々代――いや、最近代替わりして……いや今また交代期間中なんだったか? まあいいや、とにかく昔、王国内にまだ不穏の火種がくすぶっていた頃は、ここは目をぎらつかせた怪人たちの社交場だったそうだ。しかし時がたつにつれ、新たに生まれた異能の芽も平和な世に順応していった。今では囚人は僕一人。今夜のように旅のカラスが偶然迷い込んでくれるのを待つだけの寂しい立場さ」


 平和な時代に英雄は現れないという。荒んだ時代だからこそ、突出した人間が成り上がるだけの自由度――無法さが出てくる。このヨハンという青年は、つまりそういう人種ということなのか……。


「ずっと一人で暮らしているのか? 食料は?」

「一応、世話人のような人たちはいたんだ。ただ、前の領主のお抱えだったから、彼と一緒に消えてしまってね。食料は魔導錬金で長期保存されているのが山ほど。ただ料理は自分でしないといけないし、バーで酒を注ぐのも自分なのが難点だけど。ああ、でも酔い潰れてそのまま朝まで眠てても怒られないのは利点かな」

「それはずるいな」

「ハハハ! 話の通じる男でよかった。何しろ前の領主は、真面目さだけが世界で唯一の美徳と信じて疑わないような人物だったからね。僕がふざけて何を言ってもダンマリさ。猫と交換してくれと何度願ったことか」

「……?」


 前の領主は真面目な人だったのか……? バックレて姿を消したと聞いていたが。

 いや……真面目な人間ほど最後は崩壊することを俺が一番よく知っている。それは突然起こるわけではない。ただ人間は、それほど他人に興味がないというだけのことだ。


「さて。怪盗代官殿。楽しい時間ではあったが、白々しいのも嫌いだ」


 不意にヨハンの声に乾いたものが混じった。燭台の明かりもなぜか弱まったように見える。気のせいか? 一段薄暗くなった部屋で、彼の微笑みは一層妖しく艶めいていた。青い目も白い肌も、それ自身が輝いて見える。魔術とかそういった類のものではない。理論的な解明が及んでいない、神や妖怪の領域のような……。


「僕の名前を聞いた途端、君の中での警戒レベルが上がったね。僕を知っていたな? だが、次にどうすべきか戸惑っているふうでもある。とすると、名前しか知らなかったか?」


 こいつ……。さっきも俺を代官だとあっという間に見抜いた。この異様な鋭さは何だ? ここですっとぼけるのは得策ではない。彼からいらぬ不興を買う恐れがある。


「正解だヨハン。実を言うとわたしは自分の置かれた状況がよくわかっていない」

「へえ! それは随分と高尚な迷いをお持ちだ。どういった状況かな?」


 ままよ。すべてはちゃんと指示しない上司が悪い。


「“蛇”という差出人から、ヨハンと探せとだけ書かれた命令書を受け取った。何のことか君にわかるか?」

「蛇? それはあだ名かな。君の知人に心当たりは?」

「一人いるが、信じがたい」

「そうか。ではそれが正解だろうな。ふむ……。つまりその先は僕に丸投げというわけか。相変わらずだな、叔母上は」

「なに……?」


 俺が目敏く反応したのを、ヨハンの方もまた見逃さなかった。嬉々として身を起こしてくる。


「君の言う信じがたい蛇とは、元王妃のマリスミシェルのことだろう? 彼女はわたしの父の、三人下の妹だ。ゴルゴンパイク公爵家。王家に次ぐ、この国ナンバー2の大貴族。それが僕の太い太い実家というわけさ」


 ゴルゴンパイク家……!


 名前だけ知っている。本当に不勉強だが、名前だけ。

 ヴァンサンカン屋敷の俺の部屋に、各貴族のエンブレムを紹介した名鑑があった。その本編二ページ目。つまり、現王家の紋章の次に掲載されていたのが、ゴルゴンパイク。


 その名の通り、ゴルゴンの頭のように蛇が群がり、敵を威嚇するように体を伸ばしているデザインだった。おっカッコイイなんて思ってる場合じゃなかった。あれはマリスミシェルの生家だったのか。そして、このヨハンも……!


「我が家は代々、怪人を生む家系でね。誰か生まれるたびに末は王か悪魔かと、一族内でも囁き合っている有様だ。そしてこの特別牢の常連でもある。なかなかすごいだろう? 最盛期には両親とその子供たちが一家丸ごとここでカードや玉突き遊びに耽っていたというんだから」


 何なんだそれは……。生まれながらの不穏分子一族? よく家ごと潰されなかったな。いや……そのリスクを考慮しても余りある有能さが、一族にはあったということか。まるでこの天国の牢獄が生まれた理由そのものだ。


「彼女は一族の中でも上手くやった方だな。王の側室となって継嗣(けいし)を生むまでこぎつけたのは彼女が初めてだった。元々、実家でも異端児扱いではあったらしい。異能をほとんど表に出さなかったという意味で。だが、夫の死を受けてついに見せたな。〈執着〉の刻印――」

「え……!? 今、なんて……!?」


 聞きに徹していた俺は、絶対にスルーできない単語に芯から震えた。

 ヨハンの舌が、ロウソクの火を妖しく照り返しながら唇をなめるのが見えた。蛇のようだった。


「〈執着〉の刻印だよ。魔導要素『煉』の上位表徴。亡き夫に向けられていたそれが、行き場を失って半ば暴走状態に陥った。それに巻き込まれたんだろう? 一つ前のお坊ちゃん国王様は」


 マリスミシェルが……〈執着〉の刻印持ち……!?


 道理でアークエンデとソリが合うはずだ。性格の一致以上に、生まれ持った素養でも似通っていたのだ。そしてユングレリオ暗殺まで行き着いたのも、アークエンデが父を喪って悪の公女に落ちていったのと同系の末路に思える。唯一の違いは、マリスミシェルは破滅フラグを踏むどころかそれを蹴り抜いて平気で通り過ぎていったところ。なんて女だ……。


「そ、それで……わたしはどうすればいいのだろう? 君、いやあなたに対して……」


 俺は早くも、社会的に息も絶え絶えになっていた。なんか、立ち入り禁止の場所に300メートルは突き進んでから気づいたような気分。


「そう縮こまるなよ怪盗君。僕は見ての通り囚人で、世の中的には最底辺の人間だよ? だが、僕が君に頼みたいことというのは最初から一つしかない」


「いいかな、代官」と、ここで初めて彼は真剣な声で呼びかけた。


「君はいわゆる援軍だ」

「援軍?」

「前の領主が警備ごと人員を引き払ったせいで、この砦はがら空きになっている。ここは牢であると同時に、内部の人間を守るやはり要塞でもあるんだ。僕に何かあればとりあえず小躍りしてみせる人間の数は両手の指から溢れる。残念ながら、次の領主が決まって警備態勢が復活するまで僕の命はもたないだろう。そこで寄越されたのが君だ」

「まさか……あなたを守れと? あの手紙にはそんな話はまったく……」

「僕がそう思ってるんだからそうなる。手紙の余白はそういう意味さ。それで、君はいつまで島にいる? 近く、迎えの船が来るんじゃないのか。僕もそれに乗せていってほしい。もちろん、殺し屋に仕事をされた後じゃない状態でだ。僕を守り、本土まで無事に連れ帰る――。代官、ここからが君の本当のミッションだぜ」


おまえもう怪盗やめて警備部入れ

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陰謀渦巻きすぎィ!! つまりヨハンは元王妃の甥っ子。ユングレリオとは血縁。 王位継承権ありの追放対象。 ……原作のアークエンデがここに追放されていたということはワンチャン接点のある人物か。 そして今…
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