第六十一話 怪盗貴族、離島にも登場
ルーガは普段、日が暮れる頃にはあのツリーハウスに戻っているから、夜にあの古い砦を眺めることは今までなかったという。
それが昨日、俺たちを送ったことで目撃することになった。
放棄されたはずの砦に明かり。
建物としては、この島のどの家よりも頑丈で立派だ。だが、村や畑のある平地からは離れすぎていて、危険な山の中で食料調達をしない限りはあそこを棲み処にすることなんてできやしない。
だとしたら何の明かりだ?
そして、誰がいる? まさか……。
臨時の代官だとしても、このことは知っておくべきだと思った。それにさっきも述べたが、建物自体はまともなのだ。もし何らかの破滅的な災害が起こった時、あそこは避難場所として使えるかもしれない。それくらいは押さえてもいい。
夜になり、多少は動けるようになったシノホルンと食事を済ませると、俺は早速調査に出ることにした。ルーガが見た明かりを確かめるのだ。
「どちらへ……?」
部屋で準備をしていると速攻でシノホルンに見つかった。もう眠ったと思ったのに甘かった。ていうか、なんでスーッと入ってきてそこに立ってるんです?
「山で見た砦に、明かりが灯っていたという話を聞きました。真偽のほどを確かめてきます。家の戸締りはしてありますが、何かあったら隠れていてください」
「わかりました。ではこれを。ザイゴール」
そう言って彼女が手渡してきたのは――。
※
「とうっ!」
星と月明かりしかない離島の夜空に、暗色のマントがはためく。
紳士が纏う高級インバネスにハット。そして目元を隠す怪盗のマスク!
なぜ持ってきた? そんで何で俺に渡した!?
言うまでもない。シノホルンは俺が怪盗貴族であることを知っているので、「やれ」と言うのだ。なんで!?
しかし変装は別に悪くないかもしれない。砦に住み着く何者かにわざわざ素顔を晒してやる理由もない。
村の人間も流刑人もすべて名簿で記録されている。村長曰く、抜けはない。つまり、そのどちらでもない誰かがあの砦にいる……。用心するに越したことはなかった。
盗賊プラス竜の血による健脚は、月明かりすら通さない真っ暗闇の山道をものともせずに駆け抜けた。一度通った道は脚が覚えている。これは盗賊のスキルだった。
すぐに砦が見える崖上まで来る。
「……本当だ……」
光。砦の覗き穴から、ほんのかすかだが光が漏れている。まともな視力では気づかない。ルーガの目、恐るべしだ。
俺は急勾配の斜面を滑り降り、砦へと近づいた。
周囲に人、動物の気配はなし。
堅牢に組まれた外壁は苔むし、ツタが網のようにはびこって、手つかずの時間の長さを俺に告げていた。やはり無人では……? との結論を頭の片隅に保留したまま、正面側へと回り込む。
動かなすぎて接合したのではと思えるほど、硬く閉ざされた鉄扉。周囲の地面を見ても、開けられた形跡はない。だが……。
「これは……?」
砦の間近まで迫る樹木の群れに、俺は奇妙な痕跡を見つけた。土から盛り上がった根に、何かで削ったような跡がある。
これは鉄靴による傷だ。そんなものを履いているのは兵士くらいのもの。島の住民じゃない。そしてよく見ると、土にも足跡が残っていた。多数の足で踏み固められている。新しいものではない。しかし大昔の名残でもない。
少し前までそれなりの人数がここを通過していた――。
俺は無駄に鉄扉に挑むようなことはせず、砦の上部へトカゲのように這い上がった。
大本命、明かりがこぼれている覗き穴に近づく。
覗き穴といっても、視線しか通らないような小さい穴ではない。矢を射かけるための窓なのでそれなりの大きさだ。
覗き穴は、内側から鎧戸で塞がれていた。ただ、光の見える窓だけが、その鎧戸が落ちてしまったらしい。経年劣化によるものか。
光源は、覗き穴から少し離れた場所に置かれた燭台だった。火に新しいも古いもない。しかし、ついさっき灯されたばかりのような、そんな新鮮味を感じた。
ロウソクの火は、回廊のような長い通路を照らしている。盗賊の警戒心が働く。怪しい空気。だがここで引き返す道理はない。
俺は音もなく体全体を砦内部へと滑り込ませた。森の中とは違う人工物の匂いが、四方から迫ってきた。聞こえるのは外の虫の音ばかり。内部に人の気配はない。
用心しながら進むと、通路の先に扉があった。
耳を近づけてみるも、内部に物音はない。そっと扉を押してみる。開いた……。
中に入ってみて……俺は信じられないものを目撃した。
「なんだと……!?」
足首まで沈むほどの分厚いカーペット。
壁に提げられた瀟洒なタペストリー。
頭上にはシャンデリア。半二階へと続く階段の手すりには、動物や武具を模した精緻な装飾すら添えられている。
「おい、なんだ、ここは……!」
俺は戸惑いの視線を周囲に飛ばした。
サロンのようなソファーの並ぶスペースがある。あっちにはカウンターつきの……バー! 奥に見えるのは、絵画を並べた美術展だ……!?
信じられなかった。巨大な一つのフロア内に、貴族の遊興施設のような設備が勢揃いしている。
どうして? なんで?
ここは死刑も同然の過酷な最終流刑地なはずだ。なぜこんな贅を尽くした施設がある? それも古びた砦の中に?
俺は夢か幻でも見ているのだろうか。それらのことごとくが今は寝静まっている。夜な夜な宴会を開くための場所のはずだが、ノーピーポーでフィニッシュ。
警戒しながら近づいてみたバーカウンターには、わずかなホコリが積もっていた。明かりがついているのも入り口付近の燭台だけ。ついさっきまで使われていたという微熱すらない。
「わからん……何も……」
その後、俺はこの豪華なフロアを慎重に歩き回ってみたが、人影一つ見ることはなかった。
しかし最低でも一人はいるはずなのだ。この蝋燭をつけた誰かが。
一旦、この謎の娯楽室から出ることにした。まだ他に部屋があるかもしれない。
通路をさっきとは逆に進み……そして、
「!」
あった。光が漏れている部屋。
その通路に差した光が、わずかに揺れている。
いる……。
半開きになっている扉をそっと開け、中をのぞいてみた。
そこは……図書室のようだった。所狭しと置かれた書棚には、読むのに一月はかかりそうな書物が隙間なく埋め込まれている。
ぼそぼそと、何かが聞こえた。
古いページをめくるような……いや、これは人の声だ!
「……なぁ……ないなぁ……」
いる。見つけたぞ……!
俺は室内へと忍び込んだ。
本棚を遮蔽物として、身を潜めながら、独り言の続く奥へと向かう。
次第に明かりが強くなっていく。
……いた……!!
人間だ。人間の若い、男だ。
膝に猫でも乗せていそうなくつろいだ姿勢でソファーに寝そべり、周辺には積み上げた本の山々。
襟元にレースの装飾を添えた一目で高級とわかるブラウス。革のズボンもシンプルなデザインだが高そうだ。奔放に投げだした足は裸足だが、つま先は陶器のように美しい。
波打つようなクセの強い金髪が肩近くまで伸び、青年の端正な顔立ちを少し隠していた。だが聡明そうなブルーの瞳は、それ自体が発光しているかのように鮮やかだった。貴族だ。間違いない。
「ないなぁ」
男はさっきからそればかりを繰り返し、分厚い本のページをめくっている。
「ねえ、君」
その繰り言が突然、呼びかけへと変わった。
「そこの本棚の裏にいる君だよ」
な……!? バレた! 盗賊の技が気配を殺していたはずなのに。
焦りから口の中が一気に乾いていく俺の耳に、「ちょっと考えてくれないか」との安穏な呼びかけが吸い付く。
「聖本にあったんだよ。“汝、悪意を為すべからず”ってさ。しかし、何でだろう? なんで悪を為しちゃいけないんだ? そのへんの事情を書いた解説書がこのへんにあったはずなんだけど、なくしてしまってね……気になるんだ……」
声は一貫して穏やかで、焦りもしなければ驚きも、そして不法侵入のこちらに対する不信すら含んでいない。ただわからないことを聞いている。それだけ。
「……目的と違うからだ」
俺はなぜか、それに対する答えを返していた。
「目的?」
「人が生きるのは幸せになるためだ。だが悪を為した者は――罪を犯した者は幸せにはなれない。罪の代償を恐れ、報復に震え、常に怯える日々を過ごすことになるからだ」
「そうかな? たとえば強盗で大金をせしめた者なんかは、案外その金で幸せにやっているかもしれない」
「それは幸せとは違う。正しい幸せを得るには正しい罪悪感が必要だ。人々と共有できる罪悪感が。それがなければ、何を得たところで一時の快楽に漂うだけ。時間がたてば覚めて、餓える」
「ふむ……」
なんだ、これは。これは本当に俺の言葉か?
男に問われた途端、思いが口から勝手に溢れ出てきた。
これは懺悔ではないのか。俺の中の盗賊の。
家族にも話したことのないような話を、どうして、こんなところで。
「不法侵入者が言うにはちょっと面白い言葉だな。目的と違う、か。なるほど気に入った、今日の疑問はそれで解決としよう」
男は開いていた本を閉じると、ぞんざいに山の一つに積んだ。それで限界を迎えたか、すでに十分アンバランスだった山が倒れ、他の山も巻き込んで総崩れを起こす。しかし、男には一冊たりとも降りかからなかった。ホコリさえも、避けた。
ハチミツのように垂れた青年の目が、書棚の陰から半身を出した俺を捉える。
「こんな夜更けに知識の巣で人と会うとは、奇遇を超えて運命的だと思わないか。僕はヨハン。君の名は?」
「――怪盗、貴族……」
これまで怪盗が動くとヒロインも増えてきた……まさか!?




