第六話 娘の手下は三下でした
あんな格好で、マスクまで装着して出撃したというのに、あっさりとバレたその日。
どうせ身バレなんかしないと思ってキメッキメのセリフとか言ってた恥ずかしさと今後の展望への不安で、俺はふらふらと町の視察を続けていた。
シノホルンは怪盗貴族の正体をみんなに言いふらすようなことはしないと思うが……。
引退だ引退! もう二度と怪盗貴族が現れることはないでしょう!
それより町の視察! 俺は毒親から更生しないといかんのだ。それからええと、他にも何か目下の目的があったよな……?
そんなタイミングでだった。
小さな影が、俺のすぐ横を勢いよく駆け抜けていった。
「あっ、危ないっ。ちょっと、気をつけなさい!」
アークエンデが憤慨して上品な叱責を投げつける。が、その人影――子供は振り返ることもなく、一目散に人混みへと紛れていってしまう。
俺は目が覚めた気分で口を開いた。
「バスティーユ」
「どうされました、旦那様」
「財布をスられたらしい」
「なっ、何ですって……大変ですわ!」
無表情の執事に代わりアークエンデが顔を険しくする。
「いや、大丈夫だ」
俺の口元は、自然と棘のある笑みを浮かべていた。
――まさかこの俺から財布を盗むヤツがいるとは。
そんな偉そうな思いの根源はもちろん盗賊イーゲルジット。いくら注意力が散漫だったとは言え、泥棒から泥棒するのは容易なことではない。しかし――。
俺はシャツの袖口からするすると糸を伸ばす。糸は人混みへと引っ張られていく。
この糸は俺の財布に紐づいている。後追いの糸。これを辿っていけば犯人に会える。
「少し走れるか、アークエンデ」
「はい。お父様とご一緒なら!」
娘の元気な返事を受け、俺たちは財布泥棒を追った。見当はついていた。さっき脇を通り抜けた子供だ。一瞬でやりやがった。なかなかの腕だ。
糸は人通りの多い道から、細い裏通りへと流れていく。
さらにその角を二つ曲がったところに彼はいた。俺たちは慌てて身を潜める。
少年は一人の大人と一緒だった。小太りで身なりのいい中年の男。抜け目ない盗賊のセンサーがビンビンに反応している。あいつは臭い。悪の臭いがする。
「……まさか? あの男はエルバン・フハインレッドです」
物陰から観察するバスティーユが驚いた小声でそう告げてきた。
「なに……フハインレッドだと……?」
俺は思わず聞き返していた。フハインレッド。それは……ああ、そうだ。俺が探している男と同じ家名だ。
「最近、金で爵位を買ったという隣町の商人です。あまりよくない噂を聞く人物ですが、なぜここに……?」
バスティーユの疑念の言葉は、鳴り響いた「何だこれは!」という怒声によって掻き消された。アークエンデがびくりと身を縮こまらせるのがわかり、俺は自然と彼女を自分に抱き寄せていた。
直後、人を殴りつける音。
「ほとんど空っぽじゃないか!」
地面に尻餅をついた子供に、エルバンという男は罵声を浴びせた。彼が開いて見せつける俺の財布には銅貨が二枚入っているだけ。中身は最初から抜いておいたのだ。本財布は別にある。イーゲルジットの習性だった。
「……知らない。あんたに命令されたから盗んだだけだ」
ぶたれた頬をさすりながら、少年が憮然と言い返す。口調からキッとにらみかえしたのが容易に想像できる態度だった。
「何だとこのガキ……オーメルン! 口答えなんかしおって、誰の金で今日まで生きてきたと……!」
……!! オーメルン……!? 今こいつ、オーメルンと言ったぞ!
もう間違いない。ざっ、とわざわざ聞こえる靴音を鳴らしながら、俺は物陰から歩み出ていた。
再度拳を振り上げようとしたエルバン、そしてオーメルンと呼ばれた少年が、ぎょっとしてこちらに振り返る。
オーメルン。オーメルン・フハインレッド。
それが、俺が探し求めていた男の名。
いや、今はまだ子供か。
そいつはいわゆる腰巾着。将来アークエンデの手下となる人物だ。
彼はいかにも卑屈で卑怯っぽい顔立ちで、絵に描いたような三下。イケメン揃いの『アルカナ』登場人物においてはハズレもいいところだが――。
こいつは、こいつだけは、最後までアークエンデを裏切らないのだ。何なら一緒に破滅までしてくれる。それは気の毒だけど、真の仲間とも言える。
歳も出身も彼女と同じということで、わーくにのどこかにいるとは思っていたが、まさかこんな形で会うことになるとは……!
「ん……?」
そこで俺は、目を見開いてこちらを見つめるオーメルンの顔に気づいた。
俺の知る限り、オーメルンは女子の皆さんからは誰からも愛されないようなキャラだった。顔の輪郭はとんがっていてスネ夫似。性格も陰湿なのでフォローのしようがない。最後に裏切ってアークエンデにざまあ要素を足してくれないのも、プレイヤーからは消化不良……のはずが……。
そこにいるのは――キラリと光る鋭い目に、嫌味の無い真っ直ぐな鼻と、意志の強そうな唇。あどけないそばかすの残る、紅顔の美少年……!?
「ナ、ナニイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!!!」
叫んで、俺は硬直した。
結果。
男三人、その場で誰も動けなくなった……。
※
「何だ貴様は! ……いや本当に何だ!?」
「はっ!?」
その石化状態からいち早く立ち直ったのは、悪徳豪商貴族のエルバンだった。
俺も我に返り、本当に何だろうと反省する。登場した途端に絶叫して硬直とか、何しにきたんだよ帰れよ……。
でもまさか、子供の頃のオーメルンがこんな顔をしていたとは。いや本当に本人か? いくら何でも骨格レベルで違う。何をどうしたら、この顔がああなるんだ?
「オ、オホン。いや、なに。大事な財布を落として探していたところ、偶然ここを通りかかりましてね。どうやらそちらの坊ちゃんが拾ってくれていたようで、いやあ助かりました……」
立ち直った俺がよく回る盗賊の口で話を進めた途端、エルバンの顔が強張った。オーメルンはもっと蒼白だ。そりゃそうだろう。盗んだ相手がバッチリ追いかけてきたのだから。
「お、おお……そうでしたか。ええそうですとも、息子が拾ってきました。失礼ながら中を改めさせてもらいましたが、持ち主の手がかりになるようなものが入っていなかったので困っておったところです」
エルバンがそれっぽい話を伝えてくる。咄嗟に言い訳を作り上げたのは商売人の底力か、それとも、慣れているからか……? 何であれ彼がオーメルンに対して強い苛立ちを向けているのを、盗賊の眼は見逃さない。
金持ちの彼がなぜ子供にスリなんてさせているのか、不可解な点は多い。が、こっちにも大事な用がある。ひとまず状況を利用して主導権を握りたかった。こういうのはどうだろ……。
「その財布はわたしにとって大切なものでしてね……。まあ親の形見のようなものです。それを拾ってくれたあなた方に是非お礼がしたい」
「い、いやいやそんな。当然のことをしたまでで……もう次の商談に行かないと……」
「そう言わずにわたしの屋敷はすぐそこです。ほら、町を出て林を抜けた先の」
「……!?」
エルバンの顔がこれ以上ないほど引きつるのを俺は見た。
この町の者なら誰でも知っているし、エルバンほどの有力者もわかっているのだろう。そこにあるのはヴァンサンカン伯爵の住まいだけだと。
「な……まさか、冗談を……」
「冗談なんかじゃありませんよ。さあ、賢そうなお子さんも一緒に」
俺が手を差し伸べると、それが剣の先端に見えたみたいに二人は後ずさった。現実逃避するようなエルバンのうめきが入る。
「そ、そんなはずはない。領主様はご病気で明日をも知れぬ命だったはず。屋敷から解雇された者の話では、目の下に炭を塗ったような濃いクマがあり、目は死人のように淀んでいたと……」
「なるほど。それはもしかして……こういうものかな?」
俺は顔を隠していたフードを取り払った。白日の下に晒される素顔。目を見開く男に、俺は堂々と言ってのけた。
「エルバン。余のクマを見忘れたか?」
「は、はうあっ……!」
そこには復帰初日から何ら改善していない陰鬱な目と、マッキー級のクマ。
噂通りの特徴を目の当たりにしたエルバンは、口をパクパクさせておののくしかない。
効果は抜群だ! さすがは八代将軍の名台詞……! まさか異世界でも余裕で通用するとは。
俺たちは初対面のはずなので忘れたもクソもクマもないはずだが、そんな細かい話はどうでもいい。それよりエルバンは、我が子が領主から財布をスッてしまったという、そのとんでもないやらかしの渦中にいるのだ。
「そしてわたくしはお父様の愛娘アークエンデ!」
いきなり横から飛び込んできたアークエンデが、帽子を取り払って金糸のような髪を風へとなびかせる。
ドヤァ……と二人で立ち並ぶ姿に、片手で顔を覆うバスティーユの様子がなぜか伝わる。一緒に混じってくれたらもっと楽しいのに……。
見るからに高貴な生まれのアークエンデにより、状況は決した。
しかしここで変に相手を追い詰め、暴れん坊シーンに移行するわけにはいかない。俺はケンカは弱いし、アークエンデもすぐ隣にいる。だからこの隙に一番の要求を差し込む。
「エルバン卿、どうやら商売が忙しいようなので、今回は屋敷への招待は諦めるが……一つ提案がある。その子をわたしに預けてもらえないだろうか?」
『えっ!?』
俺の提案に、一同が驚きの声を発した。エルバン側だけでなく、アークエンデたちもだ。
それはそうだろう。二人にもオーメルンの秘密については話していない。だがチャンスは今しかない。この圧倒的優位性がある今しか。
「このガキ――子を? そっ、それは大変結構でございます。どうぞお好きなようになさってください!」
エルバンは最速の反応を示した。その応答に呆然とするオーメルンをぐいぐいと押し出すまでしてくる。特大のやらかしの後とは言え、この反応はさすがにおかしい。
「……いいのか? そんなに簡単に決めてしまって。家族に相談などは?」
すると、エルバンは冷や汗の滝を作った顔で何度もうなずき、
「元より、死んだ親戚の子を預かっていただけです。領主様の元で暮らせるならこの子も幸せでしょう。そら、何をボーッとしている。さっさと行かないか!」
最後の一押しを受けてよろけてくるオーメルンを、俺は片手で抱き留める。
「それでは領主様、わたくしはこれで失礼させていただきます!」
そんな逃げ口上も終わらぬうち、風のように逃げていくエルバンの背中を、俺は呆気に取られる思いで見送った。
何だか予想外のことばかりだが……。
これは上手く行ってる……んだよな?
俺の腕の中では、オーメルンがただ唇をきつく結んで、うつむいていた。
悪には悪の友情があるのだ。




