第五十九話 山姥たちのエンデバー
ファーバニス島の半分以上を占める山林。
そこはかつて口減らしのための姥捨て山でもあった。
現在に至るまで森は鬱蒼と深く、獣たちは獰猛。頑健な若者ですら身一つでのサバイバルは到底不可能。
だが老人たちは死滅していなかった……!
野性化し、新たな共同体を生み出していたのだ!
ウソだろ……。何を言ってるんだ俺は……。
捨てられたペットや脱走した家畜が野生化するという話は聞いたことがあるが……まさか爺ちゃん婆ちゃんまでが野に帰ってしまうとは……。
「母さん、見てくれ。新しい服と交換してもらった」
ルーガが白髪のグレートコングにそんな経緯を説明している。
身の丈二メートル超。灰色の獣毛に覆われているとはいえ、筋骨隆々であることはさっきの躍動感溢れる登場を見れば明らか。鋭い目に、そして岩でも噛み砕きそうな牙。そんな容貌の“母”が声を上げる。
ウホウホウホ……。
「な、何か言ってるのか……?」
「“よかったわねルーガ。あなたは女の子なんだから、日頃からもっとオシャレをしなければダメよ”と言っている」
俺の問いかけに、ルーガが通訳してくれた。
「それから“身なりのいい方と一緒ね。そちらは教会の司祭様かしら? 失礼がないといいのだけれど”とも言っている」
「すっごいご丁寧なんですけどお!?」
ルーガ本来の口調はぶっきらぼうなので、この柔和な語り口は決して彼女の一人芝居などではない。マジでこのグレートママコングの言葉なのだ。
「母は村の長だ。言葉遣いが丁寧なのは当然だ」
この“ひと”が長……。ということはルーガは村長の娘。し、しかし……。
「ほ、本当に失礼な物言いで大変申し訳ないのだが……こちらの方は、実際に生物学的に君の母君であらせられるのだろうか……?」
「せいぶつがくてき? 何のことだヴァンサンカン。わかる言葉で話せ」
ウホウホウホ……。
「なんだ母さん? ……ふむふむ……。ああ、本当に母さんがわたしを生んだかどうかを聞いていたのか。だったら最初からそう言え」
ママングから説明を受けるルーガ。どうしよう、あちらのワイルドな方の方が学がある……。
「間違いなく母さんがわたしを生んだ。外見が違いすぎるのでそう思ったのだろう。わたしは先祖返りなんだ。父や仲間からもよくそう言われる」
先祖返りしているのはルーガ以外の人たちだと思うんですけど。
いや、人類の祖先はこんな大型コング類ではないはずだが……。
ウホウホ、ウホウホウホ……。
グレートママングが何やら明らかに文節のある鳴き声を上げる。
うっ……。まずい、何を言っているのか、なんとなくわかってしまった気がする。
「ルーガの母君、わたしはヴァンサンカン伯爵です。先代の領主に代わって、一時的にこの島の代官となりました。後任が決まるまでの短い時間ですが、どうぞよろしく」
ウホウホウホ……。
ママングが手を叩いた。パチパチどころではなく、バァンバァンと大気が震えるようなすごい音だ。どうやら歓迎されているらしい。そして、俺が感じ取った彼女の意図は正しかったようだ。“それであなたはどなたなんですか?”という。
いくら洞察に優れた盗賊でも動物の表情まで読めるはずもない。それが察せられたということは、つまり彼女は人間の表情を俺に向けていたということだ。なんてこった。俺自身が、あれが人間であることの証明をしてしまうとは……。
「わ、わわ、わたしは、し、司祭のシノホルンです。ざ、ザイゴールのお手伝いに、ヴァンサンカン領から一緒に来ました……」
緊張、というより怯えからどもりながら、かろうじてシノホルンも自己紹介する。
ウホウホ、ウホホ……。
「“まあ、伯爵様をファーストネームで呼び捨てにするなんて、二人はいい仲なのかしら?”と言っている」
「はい! そうです!」
うわあ急に快活になるな!
「母さん。いい仲とは何だ? ……ふむふむ、そうか。おまえら、もう子供はいるのか?」
ブーッ!!
「け、計画は着々と進んでいます……!」
「シノホルンさん!?」
ああダメだ、シノホルンがグルグル目になって我を忘れている。この手の話題は彼女にクリティカルヒット&混乱付与らしい。おいバランス考えろ、攻撃痛すぎるだろ!?
「“わざわざ挨拶に来てくれて嬉しいわ。村まで案内するからついて来て”」
ルーガの通訳を介してそう伝えられた俺は、引き続き彼女たちについていくことにした。
もはや俺が手を引いてやらねば前にも進めない、クッソだらしないニヤケ顔になったシノホルンが、まだ細胞一個すら誕生していない第一子の名前の由来を延々と語り続けているのを聞きながら……。
※
“村”とは表現されたものの、そこは山の中にぽっかりと開いた空き地のような場所だった。こういうのをギャップと呼ぶらしい。ヴァンサンカン屋敷周辺の林にもあり、植物の長い生存競争の過程で生まれるそうな。
建物らしきものは一切なく、ただの小さな原っぱだ。そして村人の姿もなかった。
「普段は皆、森のどこかで暮らしている。何か大事な用がある時だけ集まるんだ。ここは昔、わたしたちの先祖が村を作った場所だった」
ルーガの説明を受けてよく見れば、草の合間からかつての暮らしの残骸のような木材がわずかに突き出していた。
口減らしに送られた人々も野ざらしのまま死んでいったのではなく、バニス村よりももっと粗末なこの村でわずかな余生を過ごしたのだろう。追放した側も死なせるために山へ向かわせたのではなく、ここで自活させるためというのが精一杯組んだ建前だったのかもしれない。悲惨な歴史を感じさせる負の世界遺産だ。
「ちなみにここにあった家は、こんな寒い家無くても一緒じゃああああ、と先祖たちが内側から気合で破壊してしまったらしい」
「わたしのシリアスな想像も一瞬で瓦解したのだが」
「そうか。ついて来い」
俺の意見を華麗に受け流し、ルーガが村の中心を横切って進んでいく。
地面には巨大な足跡がいくつもあった。ここが野生化した人々のホームであることは確かなようだ。
マジで……? いや現実が目の前にあるから従うしかなかったが……これはマジなのか?
この島はどうしてこんなことになってる? いやいくらなんでも、人間が野生化はおかしいだろ。ファンタジーやメルヘンでもありえん……。一体なぜこんなことに……。
俺が深い戸惑いを抱いたその時だった。
《視聴者の皆さん……視聴者の皆さん……》
記憶の中に良く知った声が木霊する。
この包容力のある柔らかい声は。そしてどこか悪戯心を潜ませる茶目っ気のある話し方は……やまとさん!? やまとさんの声が突然俺の脳内に蘇った!
《今日は皆さんに『アルカナ』シリーズの面白エピソードをお伝えしますね》
で、出ーっ! やまとさんの『アルカナ』こぼれ話!
『アルカナ』シリーズは数々の不評を買いつつもなぜか粘り強く生き続ける長寿作品なので、雪だるま式に数多くの負の伝説も存在する。これらがユーザーの心情込みで聞けるのは、生き証人にして語り部である煉界症候群の人たちからのみ。だからリスナーはやまとさんのこの手の話をいつも楽しみにしているのだ。
だが……妙だ。このやまとさんの切り出し方は覚えがない。
俺にはない記憶だとでも? いや、そうとは限らない。動画を流しっぱなしにしながら寝落ちしたことが何度かある。人間、眠っていても脳は動いているという。その時に聞いていた内容が、今の光景をきっかけに蘇った……?
なんてことだ。これは決して俺の頭ではない。俺の頭脳はこんな器用なことはできない。だとしたら……盗賊? 盗賊脳が今まで関知しえなかった記憶の引き出しを開けてくれたのか?
す、すげえぞ盗賊、さらに追跡しろ!
《『アルカナ』シリーズは不満点も多いんですが、実はひどいバグってそんなにないんです。バグかと思うような仕打ちはありますけどねフフフ……》
ふむふむ……。バグを仕様と言い張る話はよく聞くが、ここのメーカーはそんな不誠実なことはしない。そしてユーザーもそれをよくわかっていると。ソフトメーカーへの信頼が感じられる心温まるエピソードだ。
《ただ、論理的にバグってる? っていうところがありまして。それを一つ紹介しますね。『アルカナ2』のとあるサブイベントで、“この会話選択肢は絶対ハズレやろ……”っていうのを選ぶと聞けるんですが、それがこういう感じなんです。
1.そのとある村には口減らしのために年寄りを山に捨てる風習がある
2.その山には村から追放された人々が住んでいる
3.「オレはその末裔に会ったことがある!」
どうですか。文章読み慣れてる人なら、山には年寄りと追放された人たちがそれぞれ住んでるんじゃね? って解釈できると思うんですけど、村の規模やこれを語ってくれるキャラの言い方からして、追放された人=年寄りとしか思えないんですよね。
だからこれは脚本スタッフがテキストを推敲した時に、1.の文章を消し忘れたのではないかと言われています。まあ本編に関係ないし、誤字脱字があるわけでもありませんから見逃してしまったんでしょう。だからこれはちょっとフフッってなれる、誰も困らないささやかなバグのお話でした。それでは攻略の続きをやっていきましょう――》
ささやかじゃねええええええええええええええええええ!!!
全っ然ささやかじゃないですよやまとさん! 種としての根源的な変容をもたらしてるよ! 今! 俺の眼前で!
だが……これかッ……! この一文の消し忘れが、ルーガたちを生んでしまったということか……!
これがダイレクトに追放島のことなら、語りたがりのやまとさんなら絶対付け足してくるはずなので、きっと別の地域のことなのだろう。だがここでもそれが適応された。
山に捨てられた年寄りが生き延びて子孫を残すための自然な答え。それが野生化……!
自然な答え……野性……まあ自然と言えば間違いなく大自然に属する回答だけどそういう意味じゃないだろ。もうちょっとこう……その辻褄合わせの能力を、もっと穏便に使えなかったんですか、天は?
とにかく一つわかったことは、この世界では人を森に捨ててはいけないということだ。必ずそうなるわけではないだろうが野生化してしまう……! 多分これは、ダメなやつだ……!
そんなふうに俺が一人で議論し一人で結論を出した頃、
「ここだ」
ルーガの少し弾む声が俺の耳朶を打った。
視線を現実に向け直せば、村の端っこの木の上に木造の小屋が見えた。俗に言うツリーハウスだ。
「へえ、これはすごいな……!」
俺は思わず目を輝かせた。その外見は子供の頃に漫画かアニメで見て憧れた、秘密基地そのものだったのだ。
細い木を積み上げた隙間だらけのボロ小屋。だが中に招待してもらうと、上手い具合に周囲の枝葉が壁となり、雨風は十分しのげそうだ。
「この家は君が作ったのか? 立派なものだ」
ママングが木の根本に座り、あくびをしながら腹を掻いている。車座に座った俺たちは、床の隙間から何となくそれを見つつ話をした。
「仲間と一緒に協力して作った。みんな体が大きいから、入れるのはわたしだけだが」
あのワイルドな外見なので、多分野宿なんてへっちゃらなのだろう。元が人間なだけに集団生活も上手そうだ。
「バニス村と違って、ルーガたちは食べ物に困ってはいなさそうだな」
「森の中にはいくらでも食料がある。それらはわたしたちの先祖が一生懸命探した大切な場所だ。だから平地の人たちには教えてはいけないことになっている」
一瞬、シノホルンが何かを言いかけて呑み込んだのがわかった。
気持ちはわかる。助け合うべきだと言いたかったのだろう。だが、バニス村とここの関係を考えると、それは容易く口にできることではない。同じ理由で彼らは山に追放されたのだ。
「バニス村の人間と交流しているのは、君だけなのか?」
「ここのみんなは平地の村とはあまり関わりたがらない。母は、彼らとは大昔に決別したと言っていた」
決別か。だろうな。村長たちにもそうした後ろめたさが確かにあった。先祖の仕返しのためにバニス村を襲撃しないだけ、コングたちは理性的で優しいとも言える。
「ただ、わたしは平地の道具があった方が何かといい。服とかが特にそうだ」
そう言って、彼女は着ている俺のシャツを摘まんでみせた。すっかり忘れていたが、彼女の見た目は裸ワイシャツのままだ。お母さんに出会い頭に俺がぶん殴られずに済んだのは奇跡かもしれない。
「わたしにはみんなみたいな毛がないから。だから冬の寒い時は、みんなにくっついて温まるんだ」
朗らかに言ってのけるルーガ。それは彼女たちにとって普通のことなのだろう。
「ルーガ。わたしは、島に住むみんなと仲良くしたいと思っているんだ」
「それはいいことだヴァンサンカン。でも、村のみんなはそうは思わないだろう」
「君のお母さんは親切にしてくれた」
「母はしゃこうせい? が高いんだそうだ。とっぷれでぃなんだそうだ。どういう意味かわかるか?」
「洗練された素晴らしい女性ということだよ。わたしの目が節穴でたびたび申し訳ないのだが、もしかして君のお母さんは美人なのかな?」
「ああ。今でも他の男から言い寄られることがあるぞ。父さんがよく追い払っている」
「そうか」
「ザイゴール……」
あの……そんな深刻そうな目で見ないでくれますかシノホルンさん……。俺があのお母さんに何をする懸念があるっていうんですか……。
「ただ、両親はわたしに、平地の村に住んでほしいと思っているようだ」
「え?」
意外な意見だった。ルーガは自身の歳相応にスレンダーな胸に手を当てて言う。
「わたしはみんなと違う。わたしと同い年の子は、わたしよりもう何倍も大きくなった。ここで暮らすより同じ姿の人たちのところで暮らす方がいいと、両親は言っている」
「君はどう思う?」
「わたしもそう思う」
返答に寂しさはなかった。
「ここのことは好きだ。でも、みんながわたしに気を遣ってくれているのもわかる。それは申し訳ない。だから森を出る準備を少しずつしているんだ」
そう言うとルーガは床から立ち上がり、部屋の隅にあった木箱を持ってきてくれた。
少し嬉しそうに見せてくれた中身は、真新しい……とは言えないが、以前着ていたボロ布よりははるか服らしい服が何枚も入っていた。多分、これまで平地の村と交換してきたものだろう。
「これで服屋さんを始めるんだ」
ルーガは素朴に目を輝かせて言った。
「服はないと困るからみんな喜んで買っていくって、母さんが言っていた。これでわたしは平地の村でも暮らしていける」
無邪気な夢だった。拙く、でもどうしようもなく純粋で綺麗な。
この数枚の服が彼女の夢であり、未来。
俺とシノホルンは顔を見合わせ、そして微笑んだ。
「お店ができたら、ぜひ買わせてもらおう」
「わたしも利用させてもらいます」
「ありがとう。そろそろ帰った方がいい。日が暮れるとおまえたちは山を歩けなくなる」
※
山は帰り道の方がきつい。下りの方が膝に負担がかかるからだ。
「ひぃ、はぁ……」
とはいえ、下山ルートは単純な下降とはならず、登ったり下りたりの繰り返し。シノホルンが相変わらず死にそうな声を上げている。
俺はそんな彼女が一人で脱落しないように、最後尾からついていっていた。……間違っても健康的に揺れるお尻を見たかったわけではない。
「ん……?」
俺はふと立ち止まった。
「どうした、ヴァンサンカン」
息一つ切らしていないルーガが振り返って聞いてくる。
「あれは、人間の建物か?」
俺は崖下に見える森の一角を指さしてたずねた。石造りと思しき建造物の屋根が見えている。ほとんど木々に埋もれているためか、行きでは気づかなかった。
「ああ。古い建物らしい。要塞? だか何だかだ」
ルーガは興味なさそうに答えた。
石材は腐ることがない。バニス村の掘っ立て小屋や、ルーガのツリーハウスよりもはるかに文明的で、そしてどこか異質に見えた。
「かなりちゃんとした建物みたいだが、誰も住んでないのか?」
「知らん。だが、ここまで来られるヤツなんていないから、多分いない。わたしたちが住むには天井が低いしな」
笑って言うルーガ。
孤立していると言って差し支えのない立地だ。はるか昔の戦争で使われて、それきりなのだろうか? 何だかちょっともったいないな……。
「ザ、ザイゴール。ちょ、ちょっとだけ、休憩を……」
息も絶え絶えのシノホルンがそう訴えてきた。それをルーガが「ダメだ。今休んだらもう立てなくなるぞ」の一声で一蹴し、彼女を泣かしにかかる。
「いや……ここまでよく頑張りましたシノホルン司祭。後はわたしがおぶっていきましょう」
「えっ……い、いいのですか……?」
「もちろんです。こう見えて、力持ちですからね」
シノホルンを背負う。竜の血の力は、彼女の体重を羽のようにしか感じさせなかった。
「えへへ……。あったかい……」
幸せそうなつぶやきが、彼女の口から肩へとこぼれ落ちてくる。
……すっごい当たってるけど……今は余計なことは言わないでおこう。
「ははは、わたしもそうやって母にしがみついてこの道を歩いた。懐かしい」
ルーガが子供扱いしたように笑うが、シノホルンは「へへへ……」と緩んだ笑みのまま俺にさらに密着してきた。
くっ、さらなる圧力が……!
計画は進行中――。まさか、これもその一端では……。
いやしかし、ここまでついてきた根性はホンモノだ。その健闘を讃え、今は邪推なんか捨てて彼女のいいようにさせよう。け、決して、この感触を楽しんでいるわけではないのだからな……!
そうして俺たちは無事、山を下りていったのだった。
島に来て初日からこれでは先が思いやられる……。
※お知らせ
再開しましたが、前にお知らせした通りまたどこかで中断に入ると思われます。ただそのスケジュールがまだ確定していないため、わかり次第お伝えいたします。それまでどうぞお付き合いください!




