第五十八話 鬼の子のこのこ奇々怪々
聞くところによると、急な報せを持ってきた若者は村の保安員でもあるという。
近くにある山の獣の侵入に加え、そこまで狂暴ではないとはいえ犯罪者がそばに住む環境上、見張りは必須。そのための役回り。
その彼が緊張した面持ちで伝えた一言。
鬼の子。
一体何のことだ……?
周囲にも伝播した動揺にシノホルンが驚き、俺のそばに駆け寄ってくる。
皆一様に怯えている、というよりはどこか後ろめたそうな様子。
何かあるな。そう睨んだ俺が真意を村長にたずねるより早く、それは姿を現した。
村の入り口。小柄な影が、しかしこの村の誰よりもしっかりとした足取りで歩いてくる。
それは大きなカゴを背負った灰色の髪の……。
「女……?」
すぐにその全容が明らかになった。
顔立ちは若い。女の子だ。灰色の髪はサイドテールにしてあるも、手入れはされずにボサボサ、片目が隠れるほど伸び放題になっている。
背丈は歳相応だろうか。ボロ布を継ぎ合わせただけの粗末な衣服からのぞく肌は、島民同様に染みついたような赤銅色の日焼け。ただ痩せて骨ばっているように見える腕や脚は、その実、村の誰よりも精強に引き締まっているように見えた。
体からはみ出るほど大きなカゴの中身は、薪やら動物の死骸やらが入っている。重量にすればかなりものになりそうだったが、その足取りに不確かなところは一切ない。
そして鬼の子と呼ばれて真っ先に俺が想像した“角”は……どこにも見当たらなかった。
「村長、頼まれていたもの、持ってきた」
村人らが向ける緊張した視線の網を平然とすり抜け、俺たちの前で立ち止まった彼女が言った。ぶっきらぼうで、少し言葉足らずな印象のある話し方。
「あ、ああ、ありがとう……」
村長はイノシシとでも話すみたいに、腰が引けた様子で応じた。
「薪と、食えるものをいくつかだ」
「そ、そうだな。いつも助かる……」
「では引き換えによこせ」
「いや、それがその、もうじき本土から物資が届くことになったので……」
「? 何だ?」
少女の片目が鋭い視線を投じると、村長はもごもごと口ごもった。周囲の村人たちも気まずそうに目を伏せる。近くでは空になった鍋がまだ残りの湯気をくゆらせていた。
それらを見て盗賊の勘が察した。どうやら村長、というかこの村は、彼女と取引をしていたらしい。カゴの中の生活物資は、村人に乞われ、鬼の子と呼ばれるこの子が島の山から集めてきたものなのだ。
食糧難にあえぐ村にとっては本当に最後の生命線だったに違いない。だが、俺が物資を運んできたせいでその取引に一部歪みが生じてしまったのだ。
「引き換えに何をもらう予定だったんだ?」
俺は、一応ここの代官として話に割り込んだ。
少女の臙脂色の瞳が俺へと移る。
「おまえは誰だ。知らない顔だ」
「本土から来た臨時の管理人、ヴァンサンカン伯爵だ。君は?」
「ルーガ」
少女の名前はルーガ。よし。かなりの野生児に見えるが、コミュニケーションはしっかりしている。だが村人ではなさそうだ。まさか、流刑人なのだろうか?
「君のおかげで村人たちが飢え死にせずに済んだようだ。代官として礼を言おう。それで、君は村と取引をしていたのだろう? その物資と何を交換する予定だった?」
「着るもの」
端的に応え、ルーガは自分の衣服を軽く引っ張った。継ぎ接ぎの一部があっさりと剥がれる。度重なる補修もそろそろ限界と見えた。
服か。島での入手は難しいのだろう。村長はこれを出し渋ったか。
「おまえ、綺麗な服着てるな」
ルーガが近づいて来て、俺のシャツに鼻先をくっつけた。すんすんと匂いを嗅ぐ。
「あっ、ちょっと……」
と抗議に動くシノホルンを一旦制止し、俺はルーガのしたいようにさせる。
今の格好は貴族としてはみすぼらしいが、島民とは一線を画す清潔さだ。
「いい匂いだ。これほしい」
「な……!?」
さらに反応するうちの司祭様にもう一度ステイ。
「わかった。しかしこれは今わたしが着ているので、同じものを持ってこよう。それでいいかな?」
「うん」
「はい」
シノホルンさん? 何であなたまでうなずいてるんですか?
話を円滑に進めるため、俺は駆け足で屋敷に戻った。それなりに本気で走ったのでまわりからは少し驚かれたが、そのあたりは今はいいだろう。一枚では何なので三着用意する。変装用でない高級リネンシャツも含めて。
「綺麗だ」
戻った俺の、一番上等なシャツを空に広げて、ルーガは満足げに微笑んだ。どこか野性的で尖った印象のある彼女だが、その笑顔は猫が笑ったようだった。
そして突然――今着ているボロ服を脱ぎ捨てる。
「きゃーっ! 何をしているのですか、あなた!」
シノホルンが彼女を隠すように立ちはだかるが、ルーガはそんな善意に一切無頓着にたった今手に入れた男物のシャツを身に着けてしまった。い、一応下着は付けてたから、見えてないですよ……。
けれども新しいコスチュームのルーガは……えー……。何というか、ぱっと見、裸ワイシャツです。本当にごめんなさいでした。
しかも、清潔なシャツに袖を通したからだろうか? 彼女の粗暴な印象が変わり、意外と整っている顔立ちがよく見えるようになった。目つきは依然として鋭いものがあるものの、髪を整えたらそれなりのお嬢さんになりそうな予感がある。
「いいな。気持ちいい」
ルーガはサイズの合わないシャツに頬ずりし、機嫌良さそうに微笑んだ。だが、動きにくさは許せなかったのか、ナチュラルに萌え袖になっていた部分は、容赦なくまくって短くしてしまった。……それはしょうがないよ、うん。
「おまえは偉いやつなのか?」
ルーガが率直な単語でたずねてくる。
「一時的にだが、そういうことになる。よろしく」
「わかった。なら、長に会いに来い」
「長?」
「だ、代官様!」と、村長たちから慌てた声が飛んだ。いかにも断った方がいいと忠告する顔と声。やはり何か事情があるらしい。しかし、彼女のたちの生活グループがあるというのなら、接触しないわけにはいかないだろう。島にいる者は全員が代官の監督下にあるというのが王国の建前。無論、何かあった時に責任を取らされるのも俺なのだから。
「そ、それでしたら、わたしも」
少し焦った声でシノホルンが名乗り出る。しかしルーガは即座に「ダメだ」と切って捨てた。
「ど、どうしてですか」
答える代わりに、ルーガはシノホルンの後ろに回り込むと、いきなりそのお尻を掴んだ。
「みゃあ!」
飛び上がって俺の横に逃げてくる涙目のシノホルン。
「な、な、何をするんです!」
「ぷにぷにのだらしない尻だ。そんなのじゃ山道を歩けない」
「な、な、な……!」
怒りなのか羞恥心なのか、彼女の頭から間欠泉のような蒸気が何度か噴く。
「わ、わたし、そんなだらしないお尻してません! 本当ですザイゴール、確かめてみてください!」
「い、いえ、わたしは遠慮しておきます……」
社会的地位を捨てる気か? こんなことで。
「ヴァンサンカンは脚が強い。さっきのでそれがわかった。おまえはついてこれる」
「わかった。ではわたしだけで行こう」
「ま、待って。お願いです。わたしもつれていってください……」
すがるような眼差しで、シノホルンが俺を見上げてきた。いつになく必死だ。
……そうか。少しわかった気がする。
さすがの彼女も、ここに一人はあまりにも心細いのだ。
何も知らない流刑の島。村人たちは彼女を温かく迎えてくれるだろうが、本人はこれで都会っ子のお嬢さんだ。出会ったばかりの頃、辺境送りにされることを恐れてもいた。
住人はある程度慣れているかもしれないが、島流しにされるほどの犯罪者がすぐ近くにいることも心配。それも、愛らしく身なりのよい少女。あんまり言いたくはないが、身の危険を感じるのは当然。
「わかった、シノホルン司祭。一緒に行こう。ルーガ、彼女もつれていきたい。もし歩けなくなるようなら、わたしが背負おう」
「ならそうしろ」
許可は得た。村長たちは依然としてもの言いたげではあったし、俺からも聞きたいことはあったが、今はこの奇貨に乗る。まさか本当に鬼という種族が存在して、その集落に連れていかれるわけではあるまい。
こうして俺たちは、鬼の子ルーガの案内で村から離れた山へと入っていったのだった。
※
山道は険しい――というか、道と呼べるような部分がほぼなかった。
ひざを胸の高さまで上げないと乗り越えられない段差は当たり前、中には一メートル近くを這い上がらなければならず、シノホルンはあっという間にへとへとになった。それでも弱音を吐かず、汗はダラダラ、眼をグルグルさせながらもついてきたのは立派だ。
もういつダウンしてくれてもいい。すべて背負っていくので。
「おまえ、なかなか頑張る」
後ろを振り返ったルーガが、意外そうに目を丸くする。
「ぜえ、ぜえ、当たり前です……。ザイゴールと女の子を二人きりにするわけには……ひぃ、ひぃ……」
シノホルンさん?
「ルーガ、君の長のところまでは遠いのか?」
「少しかかる。前はもっと楽な道があったが、崖が崩れて埋まった」
「そうか。それは君も大変だ」
「祖先に比べれば大したことない」
「祖先……?」
バニス村とは別系統のグループなのか?
「昔、この島には年寄りを山に追い出す風習があった」
小石を蹴るよりも素っ気なく、彼女の口からそんな言葉が漏れた。
これは……! こういうの聞いたことあるぞ。
「……口減らしの風習です……」
シノホルンが疲労とは別の理由で声を硬くするのが聞こえた。
俺の元いた国でも姥捨て山なんていう伝説で語られているアレだ。あくまで戒めとして語られた説法の類で、実際にはなかったというが……弱者を切り捨てて食料を節約した可能性は、厳しい時代なら十分に考えられる。
この島でも……いやあの村でも同じことが……?
「追い出された人たちは冬の山で身を寄せ合い、凍え死ぬまでのわずかな時間を共にした」
ルーガが語ると、周囲の木々が不穏にざわめいた。風がうねり、木の洞を通じて不可解な唸り声となる。空気は冷たくなり、霜の粒が肌の上を転げていくかのようだ。
「家族の思い出を話し、世の中を恨み、自分たちを捨てた者たちを呪い――」
おうおうおう……。聞いたこともない獣の鳴き声がする。茂みのむこうを巨大な影がすり抜ける。人の世からは外れた臭気が立ち上る。鬼哭啾啾――正に鬼の棲み処。
山姥という人食いの妖怪は、山に捨てられた老人たちが化けたという説がある。
村人たちが恐れていたのは、まさか。
そして鬼の子というのは、それらの怨念が集結したことで生まれた――。
「そうして怒りのあまり野生化した年寄りたちの末裔が、わたしだ」
「ぺえっ!?」
野生化!?!?!?!?
高齢者の方々が!?!?!?!?!?
ウホウホウホ……!
どこかでゴリラが吠えている。え、ちょ、待って、その人たち生き延びたの!? しかもこのゴリラの声、まさか、まさかッ……!
「ザ、ザイゴール、彼女は末裔と言いましたよね……?」
シノホルンも声を震わせて言ってくる。
「子孫がいるということは、そのあの、こ、子を、産んだということで。その、その前に当然、男女の営みがゴニョゴニョ……」
年寄り同士で!? お、お盛んってレベルじゃねーぞ! どうなってんだこの島は!
俺たちが事の真相におののいた、その時だった。
ズガン! と巨大な影がルーガのすぐ横に落ちてきた。
長く真っ白い髪。全身を覆い尽くす獣毛。異様な広さの肩幅に、屈強すぎる足腰。吐き出す息は白く、身長は二メートルをゆうに超す。山姥というにはあまりにもコングな外見に、二の句はおろか三年先までの言葉がすべて消え去った。
「わたしの母だ」
その怪獣の丸太のような腕に触れ、ルーガは俺たちにそう微笑んでみせた。
動物を野に放ったら野性化すると考えられる。
※お知らせ
先日もお伝えしましたが、少しの間投稿をお休みいたします。
まだ未確定の部分があって正確な再開時期がわからないのですが、おおよそ9月17日あたりに次が投稿できるのではないかと考えています。ただ、その後また間隔が空くなど、投稿ペースが不安定になるかもしれません。内容が確定し次第、このシリーズの最新話のところにお知らせを載せておきます。また、投稿再開の際はXと活動報告にてお知らせしますので、そちらでご確認いただけたら幸いです。
是非また見に来てください! ここまでご視聴ありがとうございました!




