第五十七話 村の飢饉のための食糧なんで
村長さんが案内してくれたのは、ピケの町であれば庶民が暮らす程度の平凡な二階建てだった。
だが、この島では豪邸にも等しいのだろう。船着き場からの道すがら、島民が暮らす村落を少し離れた位置から臨んだが、いずれも補修では済まないほどにボロボロな家屋ばかりだった。
この家が解体されずに残っているだけ、彼らの自制心は凄いと思う。
「大変心苦しいのですが、わしらからは何もお世話してさしあげられません」
権威を示すにはあまりにも古ぼけた帽子を取り、村長は恐縮しながらそう述べた。
「大丈夫です。自分たちのことは自分たちでしますので。それより物資の分配を。後程わたしたちも手伝いにうかがいます」
「ははぁ……代官様は盟主様の使徒に違いない……!」
俺が言うと、村長は何度も頭を下げながら、村の方へと戻っていった。
「ご立派です、領主様。ご自分から人々の救済を申し出るなんて」
預かった屋敷の鍵で中に入りながら、シノホルンが感じ入った声で言った。
「食料だけ届けさせて後は高みの見物というのも気が引けますから。それより、わたしについてきてくれてよかったのですか。アークエンデたちと一緒に来れば、もう少しマシな船旅だったろうに」
俺だけ名指しで「すぐ行け!」と命じられたのだ。当然、乗る船も選んではいられず、いきなり無理難題を押しつけられた船長は終始不機嫌だった。金でなんとか連れて来てはもらったが。
「いえ、いいんです……。領主様と二人きりになれるチャン……いえ、一日でも早く困っている人々を救わなければ」
今、半分以上真の目的を白状しましたよね?
しかし、島の窮乏を知って彼女が一番に奔走してくれたのも確かだ。今回持ち込めた緊急支援は、周辺の教会に呼びかけて集めてもらったものが大半を占める。
その中には彼女がシホとして屋敷で働いて貯めた金もほぼ全額投入されていた。汗水垂らして貯めた金を躊躇いなく放出できてしまうのは、彼女の崇高な精神の証明に他ならない。本当に聖女の名に相応しい人だ。彼女を傷つけ、闇堕ちさせることは絶対に許されない……。
「ところでシノホルン司祭。細かいことなのですが、ここで領主と呼ばれるとわたしがこの島の正式な管理者と誤解を与えかねないので、違う呼び方にしてもらえるだろうか? 別に何でもいいので……」
俺はあくまで一時しのぎの代役。ここでイメージが定着してしまうと正式な後任がやりづらくなるかもしれない。
「ん? 今なんでもいいって……」
「えっ、まあ……」
なんか不穏な言葉が聞こえたぞ。
「じゃっ、じゃあ……」
シノホルンは突然もじもじと指を絡め始めた。
「ザイゴール……っ」
えっ、ファーストネーム? これは予想外の呼び方だ。今まで俺のことを名前で呼ぶ人間は一人もいなかった。
「そ、それでわたしのことは、司祭と呼ばすにシノホルンとお呼びください。もしくは“おまえ”と……」
「は、はあ……。シノホルン……」
「……っっっ!! ザ、ザイゴール……」
「シノホルン」
「ザイゴール……!」
なんだ、これは?
シノホルンは頬に手を当て、顔を真っ赤にしてニョロニョロと化している。これは何の儀式だ? こんな姿を村の人に見られて大丈夫か……。
だが俺の名前を呼び捨てにして嬉しそうにしている彼女が可愛くないかと言えば、そりゃもう抜群に可愛い。絶海の孤島。二人きりの寂しい家。男女の間を遮るものなど何もなく……。
いや、いかん! いかんぞヴァンサンカン伯爵。
お互いに立場がある身。それにシノホルンはアークエンデたちよりは年上とはいえ、まだまだJKくらいの子供なのだ。王国の習慣として全然OKだとしても……何だ、あれだ、ダメだ!
それに俺は代官としてこの島の生活を少しでも良くする任務がある! しくじったらあの毒蛇のマンションに何をされるかわかったもんじゃないしな!
「あなた、お風呂にしますか、ごはんにしますか? それとも、こ、こんな時間からもう……?」
「シノホルン司祭、正気に戻れ! 部屋に荷物を運び込んだら村の様子を見にいきますよ!」
「……ハッ! わたしったら今まで何を……? 悪い夢……いえ、いい夢だったような……」
わたしは正気に戻った! で、いいんですよね? 気を抜くとフニャけだしそうな微妙な気配は少し心配だが、このままでは勢いで変な事態になりかねない。
俺たちは簡単な身支度を済ませると、雑草に覆われかけている細道を歩き、その先のバニス村へと向かった。
このファーバニス島には、二種類の人間が住んでいる。
一つは、言わずと知れた流刑人。王国本土から物理的に隔離され、恩赦以外で刑期が終わることはない。つまりは終身刑だ。島から脱走しようとすれば問答無用で処刑。かつては高貴な者たちへの極刑に代わる厳罰だったが、今では一般の犯罪者にも適応されている。
もう一つはこの島で生まれ、この島で暮らしている人々だ。
ファーバニス島は元来無人島ではない。少数だが現地民が細々と暮らしている。そこに犯罪者をブチ込むなんて王様は何を考えているのかとも思うが、最近はそれによって国からの援助も引き出せるのでだいぶマシになったそうな。
流刑人たちは島民の畑仕事などを手伝うことで見返りを得、かろうじて命脈を保っている。力づくで物資を奪っていくような凶悪犯は、そもそも島流し前に断頭台の露と消えるので、それ未満の犯罪者たちとの関係は比較的良好ではあるという。
だが島民とのトラブルがないわけでもなく、住人たちはわずかな財産を守るため、慎重に彼らを見張る必要があった。一方で島での生活基盤がゼロな流刑人たちは、わずかな体調不良やケガが元で次々に命を落としていく。それが罰だと言わんばかりに。
「代官様!」
「おお、司祭様も一緒に……!」
「ありがたや、ありがたや」
すぐに食べられるものは受け取ったその場で食べてしまったのだろう。俺たちが村にたどり着くや、漁や野良仕事で赤銅色に日焼けした村人たちが、保存食のクッキーや黒パンのカスを口の周りに張りつけながら出迎えてくれた。
皆、衣服は傷んでおり、体は痩せている。年寄りはほとんどおらず、また子供も多くない。肌はなめし革のように固く見え、ここでの暮らしの過酷さと、それに長年耐えてきた人々の苦労が如実に伝わってきた。
今回俺が、変装にも使う少しボロの格好をしてきたのも、彼らとの落差を埋めるためだった。島を訪ねるにあたり、あまり裕福な格好だと無駄に彼らの不満と劣等感を刺激することになると、バスティーユから助言を受けていたのだ。それは、権力者だと誇示して相手に弁えさせるより、わずかに悪い結果を導くだろうと。
それでも俺のシャツは、司祭服のシノホルンをのぞいて、村では一番綺麗な色をしていた。
村の炊事場では、女性たちによる炊き出しの準備が行われていた。野菜類を煮込んだスープだ。うちのトメイトウも持参したかったが、多分初めて食べることになり、好き嫌いが出ると困るので初弾は見送った。
俺もシノホルンも、そちらの手伝いに回る。支度をする女性たちもやせ細っている。
俺が包丁を握ると皆から大層驚かれた。ほうら珍しいだろ、千切りもできるんだぞ。
具材をしこたまぶち込んだスープができあがると、村人たちは涙ながらにそれを受け取り、感謝を口にした。
それを見て、早くも一つの仕事をやり遂げたような、そんな気になった。
バスティーユに話したら「その程度の満足感に酔わないように」と小言を言われそうだが、伯爵の中身は所詮小市民と盗賊のコンビだ、許してクレメンス。
特にシノホルンがそこにいるだけで発する威光というか清らかな雰囲気は、多くの迷える子羊たちを大いに安心させたようだった。
村には小さな教会があるものの牧師やら何やらは誰もおらず、村長が代わりを務めてきたという。彼は一教徒に過ぎず説法の仕方も知らない。そこへ本職であり、さらに可憐でうら若い乙女の司祭が来たとなれば、人々からは天使にしか見えなかったことだろう。
この純粋な人たちのためにも、やはり、あのダメなシノホルンはしっかり封印しておかなければ……。
「流刑者たちもここにいるのですか?」
配給が村人に回り終えたところで、俺は村長にたずねた。
彼は村の住人に食料が回り切るのを見守り、最後にスープ皿を受け取っていた。
「いえ、彼らは少し離れたところに住まいがあります。村の皆が満たされたら、残りは彼らに配りましょう」
臆面もなく村民優先を口にする。何も知らない善人が聞いたら残酷な話と感じてしまうかもしれないが、この序列はある意味で彼らの最後の矜持にも見えた。自分らは犯罪者ではなく、彼らの贖罪を“支えてやっている”立場だという。そうでなければ、こんな苦しく危うい生活なんてしてられない。
これは守られるべきラインだ。安っぽい綺麗事で罪人と村人を同列に語るわけにはいかない。特にこんな、飢えがすぐそばにある孤島においては。囚人の代わりに飢え死にする覚悟のあるヤツだけが、彼を非難できる。
そんな話をしていた時だった。
「村長、村長!」
一人のまだそこそこ若い男性が、村の共同炊事場に慌てた様子で駆け込んできた。
まわりに比べると一回り屈強な体つきで、ある程度は食べていることがわかる。恐らくは力仕事や危険な仕事担当なのだろう。
そんな彼が、村長たちの不安の目を一身に集める中、強張った声でこんなことを叫んだ。
「鬼の子だ。鬼の子が来たぞ!」
伯爵様と一緒ならどんな辺境送りになっても大丈夫そうなシノホルンさん。




