第五十六話 最果て島のしじまに
すべてが順調にいっていた。
深族の特産品は大当たり。
黒シルクは王国中の上流階級の話題を独占し、深族の女性たちが作ったドレスはどれも着る黒い宝石として、顧客だけでなくファッションデザイナーたちをも唸らせた。
しかも作り手自体が見目麗しい美女ばかり。彼女たちに憧れる貴族の少女が大量に出現したのも無理からぬ話。親ごと家督を売り払ってでもほしいという標語が生まれるほど、ヴァンサンカン領の深族ブランド『黒い翅』はその名を国中に轟かせた。
領の財政は豊かの一言で、陰気な顔をしたザイゴール・ヴァンサンカン伯爵は、毒親から善き父、名君へと飛翔する最中だった。
――そんな成功が、これまで必死に押し返していた破滅の運命を引き寄せてしまったのだろうか。
俺は今、薄暗い船室の中に押し込められている。
小さな机に小さなベッドは、かろうじて貴族の面目を保てる最低限の待遇を狭い個室に与えていた。しかしその尊厳とて、波のたびに床ごと右へ左へと傾く俺とぶつかり、陰湿な痛みを与えてくる。
うねりは海の鼓動そのものだ。海という一匹の巨大な水の怪物が身をくねらせるだけで、その上に乗っているだけの小さな小さな我らは翻弄される。
勝てるわけがない。海をねじ伏せる船などない。当然、貴族も。
だが、これから向かう場所のことを思えばこれでもまだ天国だという。
そこはこの世の果てと言われていた。
ファーバニス島。
通称、最果ての追放島。
破滅フラグを踏んだ者が送られる、絶海の牢獄だ。
※
船は島の埠頭へと到着した。
俺はその少し前から甲板に立っていた。
荒んだ風が、普段は着ないようなみすぼらしいシャツの隙間を抜けていく。
不機嫌に曇った空は、ここでは普通のことだと不愛想な船長は告げる。
ここに送られてくる者たちの心情を写し取ったのか、それともここで生涯を終えた者たちの無念が空へと登ったのか。涙も枯れたらしい渇いた曇天を今一度見やり、俺は朽木を組んだような頼りない桟橋へと足を降ろした。
「領主様……」
後ろから声がした。こんな俺に付き従うようにそばにいてくれるのはシノホルンだ。
だが、領主、その呼び名はもう違う。
彼女だけだ。ここにいるのは。他は誰もいない。何も持っていない。
だが、孤独でないだけでもありがたい。この島の荒んだ風は、すでに体にこたえる。
どうしてこうなったんだろうな……。
何が悪かったんだろう。
調子に乗りすぎた?
領政が上手くいきすぎた?
好事魔多しというが、さすがにこれは特大の一発すぎるだろう。
モノクロ画を彷彿とさせるうら寂しい海岸。目につく木々や草花は細く、植物すら楽には暮らせない痩せた土地。送られてきた罪人が同じ姿になるのに、いったいどれほどの猶予がある?
そんな景色のむこうから人がやってくる。
粗末な身なりの老年男性。だが知っている。あれで彼は案内役であり島の長だ。
彼が言った。
「ようこそいらっしゃった代官様! どうぞこちらへ!」
マジで……何でこうなったんだよ……。
※
事の発端は、この流刑に使われる追放島の管理者が失踪したことにある。
一応、臣従礼も済ませたれっきとした貴族で領主だった。だが、一年のうち約一か月は本土を離れてこの離島に滞在しなければならず、その他様々な要因も加わってトンズラしてしまったらしい。
「よくあることだ」と、元王妃……いや王太后マリスミシェルは書状の中でそう語った。そう……。これはあの一人毒蛇の大行進、マリスミシェル様からの直々の依頼なのだ……!
後任が見つかるまで、一時的にヴァンサンカン伯がファーバニス島を管理せよ。
長期の滞在義務は免除する。だが一度は現状視察もかねて島へ出向け。今すぐにだ!
……と、そういう話でした……。
ウッソだろこれ……。アークエンデが王太后様に気に入られているのは薄々わかっていたが、俺は? これもしかして、すげー嫌われてる?
この命令の内容を知った時、ユングレリオが真っ青になって俺に平謝りしていたが……多分、これは彼を保護していることへの嫌がらせではない。それならもっと前から激重なやつをやっていたに違いないからだ。これは俺にまつわる何かだ。だが何をしたんだ俺は……。
「道が荒れておりますので、どうぞお気を付けを。あっ、司祭様も」
桟橋しかない粗末な波止場から島唯一のバニス村までの道すがら、村長がそんな声をかけてくれる。
「大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
村長に親切にされたシノホルンが、たおやかな笑みで返礼する。その可憐さに、村長の顔がぽおっと赤くなる。天使のような聖女の微笑みはこの最果ての島でも健在だ。
「すみません。最近は、道の整備もままならない有様でして……」
「聞いています」と俺は即座に応じる。少し前から――いつものことだそうだが――この島は食糧危機に陥っているという。
離島というのは当然のことながら、他の共同体との行き来が難しい。そうなると物資の往来もごくわずかとなり、自分のところの畑が不作だった場合のフォローの仕様がなくなる。
そんな時に村を救ういわゆる“おすくい米”は、領主の懐から出ることになる。ただし領主の資産というのは、国王から賜った領地から集めたものだ。元よりやせ細ったこの島ではまともな税など取れるはずもなく、食料危機のたびに貴族の自腹はすり減っていく。いや借金すらあるか。これは逃げたくなるのもわかる……。
「後日、わたしの娘たちが物資を運んできます。島民で分け合って危機を凌いでください。一応今回の船にも多少は食料を積んでいますので、すぐに村に運ばせましょう」
「おお! ありがとうございます、ありがとうございますぅ……!」
村長は涙ながらに礼を述べてきた。本当にありがたかったに違いない。
しかし……追放島か。
これは、何かの因果なのだろうか?
正史のアークエンデは、『1』の主人公であるアルカナへの数々の嫌がらせや、それをはるかに超えた悪逆な行為によって、次期国王クレインハルトから学園を追放され、破滅する。
その後の行方についてゲーム内では語られないが、やまとさん曰く、『アルカナ・アルカディア・ジ・アニメーション』というOVA……の小説版でその先が仄めかされているという。
……ちなみだがこのOVA版、ファン待望のアニメーションにもかかわらず、出来は悪い意味で恐るべきもので、やまとさんが配信している同動画サイトにて、珍妙な編集を加えることで有名なRTA動画の中で、「上映会」と称して視聴者に地獄を味わわせる道具として使われているほどだった。
俺も視聴したことがあるが……。うん、やっぱ製作費は大事だ。
それで、その小説版によると。学園を追放された後、すべての力を失ったアークエンデは、身分により死罪こそ免れたものの、その次に重罰である流刑に処された、かもしれないという。
流刑にはランクがあって一番軽いものなら田舎への蟄居。そして最悪なのが、この追放島だ。
ラスボスまでやらかしたアークエンデが送られたとしたら、ここである可能性は非常に高い。何の力もない貴族の少女が一人で生きられる場所ではない。きっとすぐに飢えや病気で命を落としてしまうだろう……。
だがもし、そこが今より少しでも改善された環境となっていたら……。
最低限の命を繋げるだけの、衣食住が揃っていれば……。
俺はそんな、今の歴史ではないどこかのあの子のためにここに遣わされたのかもしれない。
ならば俺はここでできることを精一杯しよう。
ただ視察の期間を漫然と過ごすのではなく、代官としての任期が続くうちにこの島の景色を少しでも良くできるような。
「こちらが、代官様のお屋敷になります」
そんなことを考えているうちに、一行は小さな家の前へと到着した。
娘の代わりに追放されに来ました。




