第五十三話 自由な時間は終わらない
戦いは終結した。
これを偉業という一言で片づけられないくらいには、俺も物語の登場人物になれた。
歴史的な転換点。運命の分岐点。それくらい大袈裟な言葉で言い表してもジャ〇に訴えられないほどだ。
ベルゼヴィータとベルゼブブの軍勢、そして彼らを救った深族の若者たちは、ハイペストンの屋敷で驚嘆と称賛でもって迎えられたという。普段はまったく集うことのない人々が、この時ばかりは貴族の家に押しかけて、その快挙を祝福したのだ。
変革の始まりと呼ぶに相応しい、輝かしく華々しい出来事だった。
俺はその場面には立ち会わなかったが、ヴァンサンカン伯爵とその家族たちという協力者の名は深族の間に知れ渡り、近しい土地に住む人間族に対する興味関心は一気に深まったという。詩歌が得意な者は、さっそくこれを題材に大作に取り掛かったそうな。
そしてその俺はというと……英雄気分に浸るどころの話じゃなかった。
すべてが丸く収まりスペシャル笑顔な深族とは違い、煉界船を打ち倒すフラグ立てよりはるかに複雑なハチャメチャが俺に押し寄せてきた。
まず、これまで存在は認知していたが互いに知らんぷりすることで静寂を保ってきた人間族と深族の関係が一気に崩れてしまった。しかもそれをやったのが貴族同士。部屋でハナクソをほじってても裏を読まれる立場となれば、これが単なる英雄譚ではなく、政治的共闘であったとの認識は避けられようがない。
そしてさらにはその相手。死者たちの世界から来たと思われる煉界の船というだけでなく、伝説にある箱舟の一隻かもしれないという神話級のプラスアルファ。
一度の決戦で巻き起こすにはあまりにも大きな政治的波紋を、俺は起こしてしまったのである。
結論だけ言うと――こんだけ煽っておいて、俺は王宮に呼び出されることもなく、セルガイア聖庁に誘拐されることもなく、不気味な安穏の中で何も変わらぬ日々を送っている。
これにはちょっと悪辣というか、気の毒な事情があって……。
俺たちの日常を守ってくれたのは、ゼロノック図書館の館長エクリーフと、ユングレリオとなる(主犯はエクリーフらしい)。
暗黙の了解となっていた深族への不干渉を破棄。さらには国から賜った領内で、容認される規模をはるかに超えた武力闘争を無断で行ったことへの責任。これだけで俺は強く罰せられる可能性があった。
これを回避するため、エクリーフ女史は恐ろしいことに、煉界船と箱舟伝説のセルガイア陰謀説までをワンパッケージにして、国と教会の上層部にぶち込んだらしい。
聞いている側からしたら、コペルニクスが助走をつけて的確にアゴを殴ってきたようなものだ。
二つの首脳部はフリーズ、後、今は政治論争と宗教論争のダブルバトルドーム状態で大混乱だという。世間への公表なんてもってのほか。俺には待機命令すら出されず、ほったらかしという状態だ。
後がすげー怖いとも言うけど……そのへんはユングレリオがどうにか手を回してくれるらしい。ありがとう、うちのロリショタメスガキメイド長。
ちなみに――煉界船の重要施設の中で見た白い祭服の少女のことを、俺はエクリーフとデミオンにだけ伝えていた。
これは国にも教会にも伝えられることはなかった。
俺だけしか見えず、俺にしか声が聞こえなかった相手。事実認定するにはあまりにも証拠が乏しい。しかし、禁忌の図書館に仕える二人はこれを最大級の興味でもって受け入れ、独自に調査に取り出すことを約束してくれた。
「神話によると洪水が引いた後、箱舟は解体されて生き残った人たちの町の材料になったとあります。けれど現在そこはただの高原で、町の遺構一つ見つかっていないんですよ~。だからもし煉界船が七番目の箱舟なら、海に沈み、煉界に落ちてもまだ、原形を保っている唯一の船だった可能性があります。あるいは、その中に乗っていた人たちも……。よかったら今度、墜落跡を調べに行きたいですね~」
そんな再登場を匂わせる発言を、俺に残しながら……。
※
あれからまた少し日数が過ぎ。
決戦の数日前に世界が何事もなかったように、やはりヴァンサンカン領の今日の景色には何一つ変化がない。
いや、ただ一つ――。
「おいしいわ」
ウエンジット鋼騎士領から突如送り付けられてきたカモミールティーを俺と分けあっていたベルゼヴィータが、優雅な感想を口にする。
「それはよかった」
返す俺も、リラックスできる香りに鼻孔を埋めつつ、椅子の背もたれに身を預ける。
ベルゼヴィータが遊びに来ていた。
ゼロノック図書館に戦勝報告に行って以来の顔合わせだ。その間、深族の間では様々な動きがあったらしく、伝えたい土産話が山のようにあることが、どこかそわそわした彼女の顔からもうかがえる。
しかし折悪く、大事な戦友である子供たちはちょうど町の教会の手伝いにいってしまっていた。皆が帰ってくるまでお楽しみはお預けという状態だ。
「実を言えば、本当に生き残れるなんて思ってなかったの」
二人きりのうちに話しておこうという風体で、ベルゼヴィータの声がカップから立ち上る湯気を揺らした。
「最後は、わたしが身を挺してあなたたちを逃がすつもりでいた。でもいつからか、みんなで一緒に戦って、生き残ることばかり考えられるようになっていたわ」
「それは楽しかったかい?」
ベルゼヴィータはくすりと笑った。
「ええ、とても。そして怖かった。希望を持ってしまったことが。それが無惨に踏みにじられるのが。これでも小さい頃は持っていたのよ。でも歳を重ねるたび、戦死していった貴族たちの強さを知るたび、その希望がウソだってわかってしまった。……不思議よ。今、すべてを失ってしまった気持ちなの。生きる希望も、死への覚悟も。だけど心地いい。この空白が。何をしてもいい。何もしなくてもいい。そうしていても、わたしは何も失ったりしない……」
これまで彼女の時間には限りがあった。未来と呼ぶにはあまりにも克明に定められたリミット。ため息をつく時間さえ、その刻限までを削る行為だった。
それがない――どれほどの解放感か。俺には、さすがにわからない。
「それもいずれは慣れてしまう」
俺は小学生の夏休み初日なんていう極めて庶民規模な過去の感覚を思い起こしつつ、その言葉を投げかけた。
「今のうちに堪能するといい。空っぽの方が色々詰め込めるって、俺の知ってる歌手も歌っていたもんだよ」
「いい歌ね。今度歌ってもらっても?」
「へっちゃらさ」
ここでベルゼヴィータはほうっとため息をつくと、ティーカップの取っ手に、手遊びのように指を絡ませ始めた。
「でも……そうね。一つだけ、きちんとしておかないといけないことがあったわね」
「?」
カップよりも白い彼女の指が、落ち着きなく取っ手の表面を行き来する。疑問に思って様子をうかがえば、何だか顔が赤い。
「ねえ、伯爵さん……。前に、わたしが人生に必要だって言ってくれたじゃない?」
「! あっ……は、はい……」
こ、これは……。ま、まずい。
「……考えて、みたの。わたしなりに。ほ、ほら、わたし、このあいだ死ぬ予定だったでしょう? 当然、先の事なんて考えたことなかったし、恋も……したことないし」
「そ……それは……そうだろうね……」
この話を進展させるのは危険だ。迂闊な発言をした俺に責任があるとは言え……もし彼女とそういう仲になったりしたら……国が動く!
「正直……どうすればいいか、わからないの。このことは家族にも話せていないわ。わたしは深族だし、あなたは人間族で、大切な友達であるエンデのお父さんでもあるでしょう……?」
よ、よかった。とりあえずむこうの親には伝わっていない。ここは、前とは状況が変わったわけだし一旦リセットして考えていこう、とか何とか提案して――。
「それに、一緒になったら当然、夜に、あ、ああいうこともするわけでしょう? 貴族が後継ぎを作るのは義務だって、この家の性格悪い人も言ってたし。い、イヤってわけじゃないのよ。興味がなかったわけでもないし……。ただ自分には関係ないことと諦めて、いつしか無関心になっていっていっただけ。でもいざ、それを自分がするって考えたら……」
「そ、そうだよ。これは大事な話だから、一旦冷静になって、距離を整理しなおして――」
俺の言葉を最後まで聞き切らず、はあっと悩ましげな吐息が、再度カップの湯気を揺らした。
「伯爵さん。一つだけ、お願いしていいかしら……」
「な……なにかな?」
「わたしを初めて抱く時は、最低でもエンデより後にしてくれる?」
ブーーーーーーーーーーーーーーッッッ!
お茶を吹いた。
「それは、グノーの真似? 重低音が足りないわ」
そんなわけあるか!
「ゴホッ、ベホッ! ベルゼヴィータさん、それはまずいですよ!」
「だってわたし、あの子に嫌われたくないもの」
「そういう意味じゃなくて! 俺とアークエンデは親子で……!」
「血は繋がってないんでしょう? 性格悪い人も、後継ぎができるならどんな形でも別にいいって言ってたわ。歳の差、十とか二十なんて貴族じゃ珍しくもないって」
「あの人は道徳もゼェーット!」
「大事なことなの……」
ベルゼヴィータは顔を赤らめつつも、真剣な目で俺を見た。
「彼女を一番にして、わたしはそれ以降にしてほしいの。それならエンデを傷つけないで済む。……ううん、むしろそれがわたしにとって一番幸せな家庭を築けそう」
「い、いやいやいや……何をおっしゃってるんです!」
「ダメ? 許してもらえない? それならせめて、わたしとエンデ二人いっぺんにでもいい」
「わーっ、おやめさない! そんなアブノーマルなこと言ってると……!」
「アブノーマル? どこが? エンデの裸はきっと綺麗よ」
「ベルゼヴィータさん!?」
――キィィィィィィン……!
「ハッ!?」
「? 何の音かしら」
こ、この飛来音……いやエンジン音はッ……!?
外の空気が震える。窓がガタガタと揺れだす。音はさらに強く、近くなって――。
ドゴオオオオオオ…………!
「部屋の壁ぇぇぇぇ!!」
俺の部屋の壁がぶち抜かれた。
しゅううう、と立ち上る熱気と共に現れたのは――。
「今、お父様に近づく悪い虫の波動を感じましたわ! お父様、敵はいずこ!? 我はここぞ!!」
パラパラと壁の破片を頭や肩から落としながら、アークエンデ。
二つに分かれた髪がバサバサと変形し、メインブースターの形から普通の髪型へと戻っていく。待ってくれこの描写正気か?
「エンデ。おかえりなさい」
「あーっ、ベルゼ! いつ来ましたの!?」
「ついさっきよ。あなたたちが帰ってくるまで伯爵さんにお茶をご馳走してもらっていたの」
きゃーっと町の女の子たちみたいに、手を重ね合わせて喜び合う二人。
だが、町の女の子は二人いっぺんにとか言い出さないし、髪の毛をジェットエンジンにして飛んでもこない。
「オーメルンとソラはどこかしら。みんな揃ってから話したいことがいっぱいあるの」
「きっとまだ町にいますわ。オーメルンったら、従者なのにわたくしより行動が遅いなんて後でお説教ですの!」
音速を超えろオーメルン。この子についていくにはもうそれしかない……。
「ねえ、アークエンデ」
アークエンデの手をしっかり握ったままベルゼヴィータは言った
「あなたのこと、大好きよ」
「! ええ、わたくしもベルゼヴィータのことが大好きですわ!」
無邪気に微笑むアークエンデ。
「わたしが伯爵さんにお呼ばれした時は、一緒に来てくれる?」
「? もちろんですわ! そんなに緊張しなくても、お父様は貴女に怖いことなんて一つもしませんの。でもベルゼがそうしてほしければ、隣で手を握っていてあげましてよ!」
「ありがとう。約束よ」
そう言って、どこか意味ありげに俺に妖しく微笑む。
や、やめろォ! 事情を知らぬ者から勝手に言質を取るなァ……!
「とりあえず、ホコリが収まったらテーブルをこちらに持って来ない? 外が見やすくなったわ」
「あら、本当ですの。ベルゼの故郷の山まではっきりと見えますわ」
そんな、あまりにも強引に世間話へと転じる可憐な乙女二人を見つつ……。
ヴァンサンカン領における煉界船始末という歴史の一ページは、平穏無事、全年齢対象にて幕を閉じるのだった……。
煉界船に勝ったことより人間関係の方が正史に歪みを生じさせそう。




