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第五十二話 死闘の果て、命を果たす

 煉界船が落ちていく。

 直掩の楔岩もなく、あれほど激しかった砲撃も無音となり。

 まるで(から)の棺桶のように、広大な地表へと沈んでいく。


「勝ったわ……みんな……!!」


 最後まで付き従った勇敢な騎翅の上で、ベルゼヴィータはその一言と共に宿敵の最期を見つめた。


 ――激突。

 遠雷のような重轟音を立て、岩肌へと墜落した箱舟が粉々になる。

 それはもはや何の神秘性も邪悪さもない、ただの木造船だった。


 粉塵と端材の煙を巻き上げながら、戦いはついに終わった。

 これまでは撃退止まりだった煉界船戦。だがこうまで完全に破壊できたのなら、深族が請け負ってきたこの役目はどうなるのだろう。

 もう二度と、地上を脅かすことはないかもしれない。死地に赴く貴族の戦士も現れずに済むかもしれない。


「みんな……」


 しかし、ベルゼヴィータの表情に笑顔はなかった。

 勝利を、未来への喜びを分かち合うべき大勢の仲間たちが、いなかった。


 犠牲はあまりにも多く、そして大きい。ベルゼブブの軍勢。空を飛んでいる者は、俺たちをのぞいてもはや誰もいなかったのだ。

 空は空疎で、そして残酷なほどに自由だった。


「みんないなくなってしまった。わたしたちだけが自由になれたって、こんなの……」


 騎乗する騎翅に顔を埋めるようにして、ベルゼヴィータはすすり泣いた。

 かける言葉が……見つからない。騎翅たちは彼女と共に育ってきたという。家族、兄弟、戦友。そのどれもが当てはまった。


「皆、あなたのことを愛していたのですわ。騎士として戦士として、これ以上のない立派な忠義を果たしました。ベルゼ、どうか彼らを褒めてあげて……」


 アークエンデも言葉を詰まらせながら、彼女の肩をそっと抱く。


「わかってる、エンデ。でも、悲しいの……」

「ええ……そうね。悲しいですわ、とても……悲しい……」


 二人は抱き合ってわんわん泣いた。

 彼女たちが零した涙の粒こそが、騎翅たちへと贈られる勲章のようだった。


 彼らが渇望したのは単なる自由ではない。彼女と共に生きる自由、それだ。

 死闘の果てに、それをかなえた。あまりにも壮絶に、命を散らして。

 何が言える。その偉大な騎士たちに、言葉はあまりにも足りない……。


 その時だった。


 ヴォオオオオオオオオオオオオ…………!!!!


 突然、地を鳴らすような特大のブブゼラ音が、山のガスで煙るはるか下方から吹き上がってきた。ビリビリと肌を心地よく震わせる、この音は!!?


「グノー!?」


 いち早く反応したベルゼヴィータがハエを急降下させる。俺たちもすぐにそれに続いた。

 そこで俺たちを待っていたのは――。


「貴族様!」

「ああ、ご無事で!」


 青ざめた肌。艶やかな黒い髪。ルビーの瞳。深族。深族の若者たちが大勢いる!?


「ベ、ベルゼ、これは一体……!?」


 アークエンデが驚きの声を発したのは、彼らが総出で墜落した騎翅たちの介抱をしているその光景へだった。


 傷だらけのハエに懸命な治療を施しながら、そのうちの一人が生真面目な声で言う。


「貴族様から煉界船の記録を聞かされて、我らにも何かできないかと思ったのです。これまで我々は、あまりにも同胞に対して無頓着すぎました。同じ土地に住む仲間なのに……! しかし、仲間を募って出発したはいいものの、戦場は空高く、その上、理解できないほど激しくて……。そんな時、貴族様の手勢が負傷して落ちて来たのです。我々は大した力はありませんが、薬だけは村中からかき集めてきましたので……」

「大丈夫です、貴族様。彼らは強い、助かりますよ……!」


 彼らの言葉に偽りはなかった。ハエたちはボロボロではあったものの、適切な処置により一命をとりとめていた。

 羽を失い、脚を失い、眼を失った者がいる。傷のない者などいない。手の施しようもなくすでに息絶えてしまった者も、やはりいる。

 だがそれでも、大勢、生きている!


 戦地に向かう途中で俺が見た深族は、彼らだったのだ。深山幽谷に住む深族たちは、町の野良猫のようにお互いに対して無関心だった。だが今回、後の同胞たちのために、ベルゼヴィータが家々を回ったおかげで、これまでのやり方に疑問を抱いた。若者ばかりなのも、因習に囚われた大人たちより、若者の方が自然な感性を働かせてくれたのだろう。


 そして彼らは、最後の最後に完璧な仕事を果たしてくれた。


「やるじゃん……!」


 オーメルンの言う通りだ。やったぜ!


 ハエたちが元気に羽を震わせているのを見て、ベルゼヴィータがぺたんとそこに座り込んだ。

 表情は呆けていて、あまりの急な出来事に声も心もどこかに飛んでいってしまったようだ。


 ブウウウウン……。


 頼りない羽音を立てながら、他よりも一回りほど小さなハエの一匹が、ふらふらとベルゼヴィータの前に進み出た。

 きっと若い戦士なのだろう。深族の若者たちの手当ては適切で、虫相手にもきっちりと包帯を巻き、傷を塞いでいる。


 彼はベルゼヴィータの前まで来たところで、よろめいて倒れそうになった。それまで呆然としていたベルゼヴィータが、咄嗟に動いてそれを抱き留めた。


 豊かな黒毛の柔らかな感触。

 それが、彼女の心を現実へと引き戻したか。


「あっ、あ、ああ……あぁぁぁ……! わああああああ……!」


 くしゃっと顔が潰れ、彼女の口から嗚咽がこぼれた。そしてそれはすぐに豪雨のような号泣へと変わった。

 悲しみなんかじゃない。今度こそ歓喜の涙だ。


「よかった……! 生きてる……! みんな生きてる……! わたしたちは生きてる!! わたしは……生きて……いける……!」


 これは後にわかったことだが……。

 ハイペストン家に仕えるこのハエの戦士たちは、主人の力に応じて生命力を高めていくとんでもない特性を有していた。脚や羽を落とされても死なず、体の三分の一くらいの欠損なら元通りに回復してしまう。その強さが彼らを死の一歩手前で踏みとどまらせ、深族の若者たちの懸命な手当てによって生還した。


「お父様、ベルゼが。ベルゼがぁ……」

「ああ。よかった。大勢が生きていた。本当によかった……」


 感激して泣きじゃくるアークエンデを抱きしめてやりながら、俺もまたこの奇跡に感謝し、涙した。オーメルンも涙がこぼれないよう上を向き、ソラは静かに微笑んでいた。


 こうでなくては。こうではなくてはならないだろう。

 空疎な勝利も、孤独な自由も意味はない。

 喜びを分かち合う多くの仲間がいなければ。


 騎翅たちは帰ってきた。

 彼らは確かに果たしたのだ。

 みんなで生き残れという、主人からの(めい)を。


短いですがキリがいいのでこのへんで。

次回、エピソード最終話。伯爵は自分で言ったことの責任を取ろう!

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― 新着の感想 ―
こんなに格好いいハエさん達初めて見たぜ…良かった…良かったなぁヴェルゼ嬢…!!
おましょうま! >雷のような重轟音を立て、岩肌へと墜落した箱舟が粉々になる。 深族にとっては怨敵だけど神話の遺物ではあった訳で、この事知ったら学者が絶叫しそうだよな >戦地に向かう途中で俺が見た深…
リス「煉界船は沈んだね…じゃあ次は原初の獣YAJU編にでも行こうか」 鎖マン「原初の獣復活したらマズイですよ!?(R指定で)消える!消える!」 メガトンコイン「原初の獣YAJU編は難易度めっちゃ高…
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