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第五十一話 箱舟の運び手たち

「何ですのこれ!?」


 煉界船の下腹から内部へ突入してすぐ、先行したアークエンデたちの苛立った声が耳に飛び込んできた。


 よかった。そのまま奥へと突撃してしまわないでいてくれた。

 だが、何かの異常があったらしい。俺たちは騎翅を急がせると、そのまま船底の床に滑り込んだ。


 そこは――。


「何も見えないわ。真っ暗よ」


 あちこちに首を振るベルゼヴィータが言う通り、船内は暗黒の世界だった。

 二人がぶち開けたクレバスにも似た亀裂からの入光は確かにある。だがそれは、誰かの手に押し止められているかのようにわずかな範囲で停滞し、広がっていかない。


 星のない夜空。怒りに我を忘れたベルゼヴィータやアークエンデを引き留めるだけの奇怪さがそこにはあった。

 だが。


「父さん!」

「ああ、見えている」


 俺とオーメルンは素早く目配せし、うなずいた。


「お父様、見えていらっしゃるの!?」

「何とか。竜の血のおかげだ」

「オレも。うっすらとだけど」

「オーメルンまで……。わたくしは全然見えませんのに」

「へっ、そこは役割分担ってことでいいだろ、お嬢様」


 盗賊の夜目のおかげだろう。それが竜の血によって強化されているのだ。


「伯爵さん、この船に完全なトドメを刺すわ。どこへ行けばいいかわかる?」


 ベルゼヴィータが激怒を超えて極寒の域にまで達した目を向けてくる。

 俺たちは周囲を観察した。

 内部は船倉らしく広大な空間になっていた。壁も天井も闇の向こうで際が見えない。


 おぞましいことに……内部もヒトの爪で埋め尽くされている。何も知らなければ小さな貝が敷き詰められているようにも見えてしまうが、間違いなく爪。その光景は、膨大な数の死者の手がそこに張りついているような、そんな不吉なイメージを俺に抱かせた。


 そして不気味なことに――外ではあれほど聞こえていた、死者たちの叫びがここでは何一つ聞こえない。すべてが闇の中で静止し沈黙している。

 ここはまるで墓の下だ……。


「父さん、あっちが怪しいぜ」


 オーメルンが指をさす。


「わかるのか?」

「うん……何となく、だけど」

「よし、任せる。みんな、はぐれないように手を繋げ!」


 オーメルンがアークエンデとソラの手を取り、俺はベルゼヴィータと手を繋いだ。


「足元は何もない。でも、転ばないよう気をつけて」


 俺は注意を促しながらオーメルンの先導に従う。

 煉界船の内部は空虚なほどに空っぽだった。

 群れとなって飛んでいた岩の楔もいないし、資材らしきものもない。わずかに棚のようなものがあったりもするが基本はがらんどうで、すべてがすでに役目を終えた遺物のようだった。


「父さん」


 先を行くオーメルンが静かな声を寄せてくる。


「この船……人が作ったもんだぜ……」

「なに?」

「船だからそりゃそうだろって思うだろうけど、なんていうか……死者とか、怨念とか、神サマとか、そういうあやふやなものじゃなくて、もっとこう、クセのある、生きた職人が作った感じがする」

「わかるのか?」


 俺たちは驚きの目を彼に向けた。


「うん……。たとえば、ここは大事な部分だから誰も近寄れないようにしとこうとか、反対に、何かあったらすぐわかるように誰の目にもつく場所に置いとこうとか、そういう工夫っていうか、思想みたいなのがあるんだ。オレにはどうしてかそういうのがわかる……」


 なるほど。これがオーメルンがものの急所を見抜ける力の源泉か。人工物であれば、それは何らかの意図をもって作られる。その際発揮される製作者の合理性、思想、それらを読み取っていけば、自ずと必要な部分に行き着くという寸法だ。


「もしかすると、この船にあるっていう心臓部って、船を浮かせるための装置なのかもしれない。船をぶら下げるより下から持ち上げる方が、職人にとっては良いものに思えたんじゃないかな」

「そこまでわかるなんて、オーメルンは凄いわね」


 ベルゼヴィータが感心したように褒めると、オーメルンは照れたように身を揺すり、


「へへ……。実際のとこはわかんねえけどよ。でもそういう工夫ってやっぱ、できることに限界があるヒトがするもんだろ」


 神ならば全知全能。弱点を隠そうとするのなら、文字通りそれを消して弱点ではなくしてしまうこともできるはず。


 煉界船を作った者がいる……。この船の正体が本当に第七の箱舟なら、製作者は失われた第七種。そしてそれをナグルファーへと作り替えたのもあるいは……。


 いるのか? ここに。未遭遇の第七種人類が……!


 不意に、前方に光が見えた。

 死神が死出の旅路で掲げるようなおぼろげな光。しかしこの闇の中では見逃すはずもない。


「あれだ!」


 オーメルンが声を上げて足を速める。

 他の者たちもわずかな光源で足元が見えるようになったのか、足取りに自信が戻る。


 しかしこの光のせいか俺は見えてしまった。

 虚空を漂う、霞のような何か。それらは不定期に形を変え、人の顔のようなものを作り出しては、俺たちのすぐそばを通り抜けていく。


「…………のれ……」「……赦……すな……」「…………緘黙(かんもく)の……」

「う、うわっ!」


 俺は思わず片手で耳を塞いでいた。


「伯爵さん!?」


 ベルゼヴィータがその異変に真っ先に気づき、声を上げる。続けて子供たちも。


「お父様、どうしましたの!?」

「……いや、何でもない。誰かの声がすぐ近くで聞こえたような気がしただけだ。気のせいだったらしい……」


 目的地まであと少し。この奇妙な霞は通り過ぎるばかりで無害なようだし、ここで余計なことを言うのは控える。


 囁くような念じるような声は、それからも聞こえ続けた。

 これは死者の声なのか。前々から思っていたが、なぜ俺だけに聞こえる?

 やはり地獄に片足を突っ込んだからか?


 けれど奇妙なことがある。この声たちには、どこか臨場感のようなものがあった。目の前の相手を無視して延々と繰り返される恨み言ではなく、この場に応じた、この状況だからこそ出てきた焦りや呪詛。そうした生々しさがあるのだ。


 こいつらの流れていく動きも気になる。俺たちとは逆方向。それはまるで船を捨てて避難しようとしているみたいにも思える。


「ここだ!!」


 オーメルンたちが体当たりで扉を跳ね飛ばして突入した。

 強烈な光が、暗闇に慣らされた俺たちの目を刺した。


 その部屋はこれまでの何もない空洞とは違い、不可解な奇岩に四方を囲まれていた。それらの石の突起から、部屋の中央に向けて紫電の糸が伸びている。

 環状列石を思わせる、呪術的で、しかしどこか科学的にも思える装置。

 その中央には、赤黒く、妖しく輝く宝石があった。


 奇妙なことにそれは物質としての形を変え、収縮を繰り返していた。時に宝石に見え、時に臓器に見え、鼓動していた。

 こいつ……生きている……! 正しく心臓だ……!


「今度こそ息の根を止める……!」


 聞いているだけで凍えそうなベルゼヴィータの声がそう宣言し、子供たちも攻撃態勢に入る。ここまで来たら煉界船も風前の灯火。

 だが俺はその時――別のものに気を取られていた。


 その宝石を挟んで反対側に……誰かいる。


 宝石の光に潰されてぼんやりとしか見えないが……煉界船との戦いにおいて、初めて見る何者かの存在。船でも岩でもない、生きた誰か。それは……。


「……子供……?」


 わからない。体が小さいからそう思っただけだ。

 それが動く。部屋の中央を避け、回り込むようにこちらへ向かってくる。

 襲ってくる!? ……いや、微妙に様子が違う。これは俺たちが入ってきた扉から外へ出て行こうとしている動きだ。


「壊れろおおおお!」

「ぶっ壊れなさあああい!」


 子供たちは宝石への攻撃に夢中なのか、それに気づいていない。

 だが何かおかしい。あまりにも無頓着すぎる。子供たちだけでなく……退出を試みようとする、あの何者かの動きも。


 まさか、仲間たちには見えていないのか?

 そして、自分が不可視であることを相手も知っている……?


 近づいてくる。どうすればいい。攻撃……!? スルー……!? 誰なんだこいつは? 手ぇ出していいのか!!??


 強すぎる光を抜け、相手の姿が鮮明に見えた。


(何だと……!?)


 どこか聖職者を思わせる汚れ一つない白い祭服。木の根あるいは血管を模したような装飾は神聖さと禍々しさが混在し、邪な信仰を俺に強く感じさせる。右目にレースのような模様の入った白い眼帯。医療用というより何らかの儀式に用いる装飾具を思わせる。


 これは……文化だ。

 飾ることで何かを表象し、権威を示している。

 悪霊でも死霊でもない。この相手は生きている……!


 着ているのは――やはり、子供?

 髪は石灰のように白く。顔や手、むき出しの太ももからつま先まで肌は褐色。瞳は黄金。

 顔立ちは……こんな時に使う表現ではないかもしれないが、幼くあどけない。


 その小柄な人物が、どこか眠たげに見える目をアークエンデたちに向けた。睨みつける。生の感情。生きた者の怒り。


「緘黙の羊どもが……」


 吐き捨てられた言葉。


「緘黙の……羊……?」


 それを、俺は思わず繰り返していた。


「!?」


 人物が黄金色の目を見開き、俺を見た。

 目が、合った。

 たまたまの一致ではなく、確実に相手を視界の真ん中に置くための視線の接合。


「……おまえ……何……?」


 囁くような、ぼんやりした声が、それでもはっきりと驚きで空気を震わせる。


「わたしが……見えているの……?」


 この驚き方……! やはりこの人物は、こちらから見えない、声も聞こえないことを前提にここまで近づいていたのだ。

 そして声からしてこの相手は……女の子……?


 しかしこの場で何かを言い返す機会は、俺には与えられなかった。

 彼女の体が、まるで風に攫われるように浮き上がり、出口へと流れていったのだ。


「……退く……」「…………危険……」「放棄……」


 無数の声が彼女にまとわりついているのがわかった。俺たちとすれ違っていった霞と同じ。それでも少女は最後の最後まで目を見開いて俺を見ていた。俺も目が離せなかった。


 おまえは、誰だ? きっとお互いにそう問いかけながら。


『どりゃああああああああ!』


 壮絶な亀裂音に、俺は我に返った。

 怒り狂ったベルゼヴィータとアークエンデが、ついに煉界船の心臓を叩き割ったのだ。


 直後、世界に劇的な二つの変化が起こる。

 一つは、まるでこの船の内部に憑りついていたような分厚い暗黒が晴れ、ただの暗闇になったこと。そしてもう一つは、ガクンと船内に激震が走る。


 船が……落ちている……!!


「退避いいいいいいい!!」


 俺は大声で叫んだ。

 元来た道を全速力で駆け抜ける。真っ直ぐにストンと落ちるのではなく、徐々に高度を下げていっているのが救いだ。でなければ立っていることすらできなかったはず。


 だが、墜落に巻き込まれたら結果は同じ。


 ぶううううん……。

 必死に駆け戻る中、聞き慣れた羽音がした。


「あなたたち!」


 ベルゼヴィータが歓喜の声を上げる。

 騎翅たちだ。俺たちを船内まで運んできてくれた彼らが、中まで迎えにきてくれたのだ。

 俺たちはがむしゃらに彼らに飛びつき――そして沈みゆく煉界船から脱出した――。


なおクロニクル本編には船内での戦いは収録されていないし、イベントを完遂してもストーリーに変化はない。

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