第五話 盗んで返してまた結んで
町の家々が木戸を降ろし、ベッドの中でのわずかな夢心地も過ぎた頃に、泥棒たちの時間はやってくる。
星明かりの下で踊るにはあまりにも粗野な連中だが、今宵は俺もそのお粗末な役者の一人にならざるを得ない。
とかカッコつけてみたものの――。
「手間取ったあああ……!」
手際の悪さで言えば、俺は今夜一番の大根役者となってしまっていた。
昼間に不穏な密談を盗み聞きし、何食わぬ顔で屋敷に戻ってそれから準備。イーゲルジットの仕事道具を引っ張り出し、懺悔録をなめ回してその用途を確かめたまではよかったものの、出発直前になって着ていく格好で俺の脳内が揉めに揉めた。
だってクローゼットにちゃんとした服しかなさすぎるんよ!
昼間していた変装は有能すぎるバスティーユが用意してくれたものだ。俺の部屋にはあんな地味なものはなく、いずれもきちんとした正装ばかり。
仕方ないからヤケクソでドラキュラ伯爵が着てそうなインバネスを選んだ。それから仮面舞踏会っぽいマスクも。もし不審者扱いされて職質されても、どっかの貴族と言い張って誤魔化せそうだしな!
星々の屋根に覆われたピケの町は、日中とは違った趣きに包まれていた。
町の明かりがほとんどないから星の光が鮮明だ。昼間は太陽のように輝いていた赤い屋根も、今は色を失って夜空の引き立て役に回っている。
その様子が妙に肌に馴染んだ。一夜限りの盗賊カムバック。かつてそうしていたであろうイーゲルジットの身のこなしで、俺は家々の屋根の上を駆けていた。
足音は皆無。自分にも聞こえなさすぎて少し不気味だ。もしかするとイーゲルジットは単なるコソ泥ではなかったのかもしれない。
スタートの遅れはあったものの準備は整えた。真っ向対決はNG。道具類にも直接相手を攻撃するようなものはなかった。彼が強盗など働かず盗人で終わっていた理由がこれか。それは、これから更生の道を進む俺にとってギリギリの免罪符なのかもしれない。とはいえ――。
(もし殴り合いになったらシノホルンと一緒に逃げるしかない)
そうならないよう祈っているうちに、槍先のように尖った教会の屋根が見えてきた。
一応、昼間の段階で一般的な施錠や防犯は約束してくれている。真面目なシノホルンがそこをサボることはないはず。今も教会は寝静まったように静かで――。
いや!
礼拝堂の窓枠に蛍火のような光がちらつく。内側からだ。
「!! ……しまった!」
一般家庭に普及している燭台の光ではない。あれは懺悔録にもあった泥棒が持つ小道具だと直感する。すでに入られている。人がモタモタしているうちに。このマヌケ!
俺は教会の屋根に飛び移ると、細長く上に伸びたその先端へと目を向けた。通気のために空けられている小さな窓がある。屋根は急斜面で、あそこまで人が素手で登ろうとしても滑り落ちてしまう。
しかし、俺には見えた。星明かりが生み出すわずかな陰影。手がかり、足場となる屋根の破損箇所が。できないなどという発想は最初から頭になく、俺はトカゲのようにするすると壁を登り、窓から中へと侵入していた。
礼拝堂天井部の梁に出る。
下を見ると、小さな光が二つ、虫のように蠢いていた。
声が聞こえる。
「クソッ、あの娘、像をどこに隠しやがった?」
「入る直前まではあった。オレたちが踏み込む直前に隠したんだ。すぐ近くにあるはず」
苛立ちを隠さない男二人。昼間、密談をしていた相手に違いなかった。
シノホルンは――?
俺は不穏に鳴る心臓をこらえつつ、暗闇に目を這わせた。
いた。
男たちのすぐ後ろ。祭壇の前で縛られて転がされている。猿ぐつわもされて声が出せないようだ。
寝間着姿で、ケガをしている様子はない。ひとまず最悪の事態は避けられたか。
そこでふと、視界の端に光るものが飛び込んできた。
教会の高い位置にずらっと並んだステンドグラス。そのすぐ下についた窓棚に、夜盗が探している銀の地天使像が引っかかっている。
どうやらシノホルンが咄嗟にぶん投げたらしい。
下に座席やら儀式の道具が多くあるこの状況で上は盲点だ。彼女は最良の判断をした。
よし……これだけモノが揃っていれば……。
俺は梁を伝ってシノホルンの頭上まで来た。
コートの裾からスルスルと糸を垂らす。その先端には釣り針。昼間使ったものより一回り大きなもので、鷹の爪を模した形をしている。
釣り針をシノホルンを縛っているロープへと引っかける。
軽く引いて手応えを確認。いける、という感触が返ってきた次の瞬間には、俺は梁から身を躍らせていた。
落下する俺。それと引き換えに、シノホルンの体が一気に梁の上へと吊り上げられる。井戸のつるべみたいに。
「んんー!?」
驚きにくぐもった悲鳴を上げる彼女に対し、空中ですれ違い様、俺は唇に指を立ててシーッというジェスチャーを送った。第三の侵入者。彼女からしたらもう訳がわからないだろう。そんなシノホルンもあっという間に天井の闇へと消えていく。
「ダメだ、見つからねえよアニキ。こうなったら小娘から聞き出すしかねえ」
「しょうがねえな。まあ、二、三発も殴られれば素直に吐くだろ」
男たちが振り返った時。それは、俺がシノホルンと入れ替わりで祭壇前に降り立ったのとほぼ同時だった。
『なにっ!?』
しかし、一連の過程を知らない夜盗二人からすれば、彼女が消え、俺が忽然と現れたとしか思えなかっただろう。
「うら若い司祭様を縛り上げて家探しとは、エレガントじゃないな」
俺は内心の緊張を隠してそれっぽく告げた。声が震えなかった度胸と太々しさは、盗賊イーゲルジットに感謝せざるを得ない。
「何だてめえ!? いつの間に!」
「あの女をどこにやった!」
身構える男二人。当然だ。仕事中の泥棒はたとえ猫であっても誰かと会うのを嫌う。
「彼女に用などないはずだ。探してるのはこれだろう?」
俺はコートの中から銀の像を取り出して見せた。
「あっ、てめえが持ってやがったのか! この泥棒!」
「泥棒から獲物を横取りするなんて、これもう半分犯罪だろ!」
俺らのしてること全部犯罪だよ。
「それをよこしやがれ!」
男の一人が飛びかかってくる。俺は素早く身をかわしつつ、床に指を走らせる。二人目も迫ってきた。飛び退く俺を正確に追撃してくる。が、
「いでっ!?」
男は盛大にスッ転び、およそ三十センチを顔面でスライドした。
「何やってんだバカ!」
「違ぇ! 何かに引っかかったんだよアニキ!」
アニキと呼ばれた方が咄嗟に光源を向けた。光る小石。泥棒の小道具。
教会の暗い床の上に、白い線が照り返った。糸だ。さっき俺が仕掛けた。
イーゲルジットは仕事に糸を使う盗賊だったらしい。昼間使ったのは盗み聞きの糸。そして今夜使っているのは途切れずの糸という強固なもの。
「何者だてめえ! オレたちがディンゴとワンゴとわかってんだろうな!?」
「貴族みたいな格好しやがって! 名を名乗れ! 名を!」
他にも糸があると警戒したのか、間合いを詰める足を鈍らせつつ、泥棒二人がわめいてくる。
えぇ……泥棒が名乗り合うとかそんなことあるんですか。でも、ここで正体は泥棒じゃないと気づかれるのも厄介だしな……。
それじゃあ、ええっと……。
「無礼者に名乗る名前はないが、怪盗貴族とでも呼んでくれたまえ」
……よし決まった!
「ダッサ! 何だおまえその名前!」
「頭おかしいんじゃねえの!? もう半分無礼者だろ!」
「うるせえ! 何でだよカッコイイだろ!」
いきなりの罵倒合戦が始まりかけるのを、俺は大人の慎みでもって阻止した。
「オホン! それよりそんなモタモタしてていいのかな? さっきので立ち位置は入れ替わったぞ?」
「……!」
ディンゴとワンゴがはっとなる。
今の俺は出口側にいる。二人は祭壇側だ。つまり――。
「まっ、待て。早まるんじゃねえぜ」
「そ、そうだぞ。それを持って一歩でもここを出たらアレだぞ。もう半分犯罪だぞ」
「全部犯罪だっつってんだろ! ではこの天使像はいただいていく! さらばだワハーハ!」
俺は速やかにきびすを返すと、教会からダッシュで逃げた。
『待ちやがれええええ!』
当然、泥棒たちは追いかけてくる。よーし計画通り!
案の定、イーゲルジットは素早かった。ディンゴとワンゴも見かけによらず俊足だが、こちらの方がわずかに勝る。ただ、わずかだ。二人相手では分が悪いかもしれない。
しかし俺は走りながら、背後に粉をばら撒いた。そして教会から拝借してきた小さな燭台に火を灯し、聖火ランナーのように掲げる。
「何の真似だそりゃ!」
「おれたちをナメてんのか!?」
当然激おこの二人。
余計な動きをしたせいで、俺と二人の距離はぐんぐん縮まっていく。
そして、その手が俺の背中を掴もうとしたその瞬間。
燭台を手放すと、俺は横にゴロゴロと転がって暗がりに身を隠した。
しかし、
「追いついたぜ!」
「そら天使像をよこせ! そいつはおれたちの獲物だぞ!」
ディンゴとワンゴは燭台に飛びつき、まるで格闘でもしているみたいに地面で暴れ始めた。
一見、何かのコメディ劇でもしているようだが、本人たちは必死で本気だ。
そこに、冷や水を浴びせるような声がかかる。
「……何やってんだ、おまえら……」
『え……』
声の主は手に長い棒を持ち、そして腕章をはめていた。夜警番と書かれた腕章を。
ディンゴとワンゴははっとなる。そこは辻番――つまり、交番のような場所の真ん前だった。
「……その燭台は教会のものだな? なぜそんなものを持っている。ちょっと話を聞かせてもらうぞ」
「な、なにいいいいい!?」
こうしてディンゴとワンゴは御用となった。
※
二人の顛末を見届けてから大急ぎで教会に戻ると、俺はシノホルンを梁の上から下ろした。
抱きかかえてみてわかったが……彼女は控えめな性格に反して、かなりその、発育がよろしかった。分厚い司祭服のせいで昼間だとまったくわからなかったけど……。
「大丈夫ですか司祭様。今から猿ぐつわを外しますので、気をつけて」
俺が猿ぐつわを外してやると、彼女はこんこんと咳をした。
「ありがとうございます。あの泥棒たちは……?」
「傭兵たちに突き出してきました。おケガは?」
「ありません……」
訴えかけるような彼女の瞳が俺をじっと見つめる。
「あの、あなたの声、どこかで聞いたような気が……」
「えっ……オホンオホン、いや他人の空似でしょう。俺は泥棒ですので、司祭様と仲が良いはずがありません」
「そう、ですか……。あなたも……地天使様の像を盗みに……?」
「…………」
俺は縄を解いてやった後で、もの言いたげな彼女の手の中に銀の地天使像を押し込んだ。
「これはお返ししますよ、司祭様」
「……! どうして……」
シノホルンは心底驚いた顔をした。さっきまでこれを巡って一悶着起こしていた狼藉者だ。素直に返却される理由が何一つわからなかったのだろう。
俺は笑って伝えた。
「神様には借りがありますので」
立ち上がる。このまま話してるとボロを出しそうだし、さっさといなくなろう。
「あっ、待ってください。血が」
不意に、シノホルンが俺の手に触れてきた。
よく見ると、手首の外側、微妙に見えにくいところに細い傷ができている。糸で切ったらしい。
「この程度、何でもありません。それより自分の身を心配なさってください」
俺はさっさと消えたい一心で、説教じみたことを口にした。
「あなたはとても優しい方だ。けれど世の中は、それに付け入ろうとする悪者がたくさんいる。あなたは無垢で無知なままそれらと向き合ってはいけない。そうした邪悪さもまた人の心であるということを理解した上で人々に接してください。あなたが傷つけば悲しむ者が大勢いる。……特に俺がね」
「えっ……」
「それではおやすみなさい。像は念のため隠しておくとよいでしょう」
一方的に言い渡し、俺はそそくさと教会から逃げ出した。
※
翌日のことである。
朝からアークエンデが騒いでいた。
「お父様、怪盗ですわ! 町に怪盗が出たんですって!」
「へ、へえー。それは何て言うか……変なヤツだな……」
情報ソースは新聞だった。アークエンデは小さいのにもう新聞なんか読んでるのか偉いな……。
深夜の出来事だったのに、朝にはしっかりニュースになっていたらしい。マスコミでーきるー。
記事によると、捕まった二人組の泥棒ディンゴとワンゴは、教会施設を中心に各地で盗みを働いていた有名人だったらしい。
しかし、そんな二人が今回盗み出したのはどういうわけか単なる燭台。本人たちは「怪盗貴族にやられた」などと不可解な証言をしており、取り調べはさらに続くという。
「状況から察するに、この泥棒は〈ドッペラドンナの香〉を嗅がされていますね」
そう話題に乗ってきたのはバスティーユだ。うげっ……この執務S、なんでそんなことまでわかるんだ……?
「バスティーユ、それはなあに?」
「匂いを嗅がされると催眠状態になり、目の前の光を人と認識してしまう薬品です。泥棒などが追っ手を撒く時に使う手段ですが、お嬢様は真似などしないように」
「はあい」
アークエンデは素直にそう返したものだが、俺はバスティーユの後頭部に目が生えてこっちを見ているみたいで気が気じゃなかった。やめてくれよ名探偵……。
そんなことがありつつも、朝食を済ませ、俺たちは再び町へと視察に出た。
怪盗の話題はすでに出回っていて、昨日の穏やかさとはうって変わって皆、興奮気味だ。ピケの町の人々は大層噂好きらしい。ああこれってもしかして、ヴァンサンカン伯爵の悪い噂もすでにバズりまくった後って考えていいですかね……。
そんなこんなで向かった先は教会。
盗みに入られたということで、心配した多くのボランティアがシノホルンの手伝いをしていた。
多くの教会施設が狙われてきた中、今回被害を免れた教会にいたのは留守番の彼女一人。神の加護があったのでは、などと新聞も書き立てており、シノホルンが外に姿を現しただけで拝む者たちも多数いた。
「司祭様、大変でしたね。おケガもなさそうでよかったです」
俺はこっそりと彼女に近づき、その後の状況について探りを入れた。
「あっ、領主様……」
シノホルンは俺に気づくと、なぜか神妙な顔でこちらをじいっと見つめた。
うっ……。だが大丈夫だ。昨日はマスクもしていたし、正体はバレないはず……。
しかしここで、彼女は不意に俺の手首を取ってひっくり返した。
「!!!」
瞬間、ドオンと音が鳴るほどに彼女の顔が赤くなり、「くぁwせdrftgyふじこlp」と悲鳴を上げながら教会の中に駆け込んでしまった。
「な、何だ……?」
唖然とする俺に対し、「お父様、それは何ですの?」と、アークエンデが俺の袖口を指しながら聞いてくる。
袖を少しめくって確認すると、手首の微妙に見にくい場所に何か小さなシールのようなものが貼られている。
「それは教会で配っている医療用の軟膏シートですね。今朝から貼っていたようですが……ケガでもされたのですか?」
バスティーユがその正体を教えてくれた。だが、俺には当然そんな覚えはない……。
いや……。もしかして。
俺はさあっと青くなった。
今朝からじゃない。昨日の夜。この傷にシノホルンが気づいた時、彼女はすぐにこのシールを貼っていたのでは……?
『2』の彼女は教会医療の達人という触れ込みだった。辺境で多くの命を救った結果、聖女と呼ばれるに至ったのだ。その前段階、現在であっても、薄闇で傷口を見つけ、咄嗟に処置を施すくらいは朝飯前……。
そして彼女は今、あのインチキ臭い怪盗と同じ場所に、俺が同じものを貼っつけていることに気づいてしまった。
彼女自身が貼ったものだ。それを結び付けないはずもなく――。
「くぁwせdrftgyふじこlp」
ああーーーバレたーーー怪盗貴族の正体、速攻でバレたーーーーーーーーーー!!!
怪盗貴族は大変なものを盗んでいきました……それはあなたのフラグです!
<煉><〇> ごっすん五寸釘ですわ~