第四十九話 煉界船戦、最前線
煉界船の弱点はわかった。
それが人間のある部族の中ではナグルファーと呼ばれ、また別の方面からは、創世神話の途中で沈んだ七番目の箱舟であるという可能性も探った。
もう他に必要なものはない。
煉界船ナグルファーとの戦いは非常に面倒なフラグ立てが必要だとやまとさんは語っていたが、俺たちは幸運にもその多くをスキップできた。
ユングレリオとエクリーフが旧知の仲だったこと。
ベルゼヴィータとデミオンが同族だったこと。
これらの縁が、真相への道程を最短で俺たちにもたらしてくれたのだ。
後は、この戦いに勝利するだけ……!
「ごめんなさいね。相手が煉界からの侵略者で、箱舟にも関わっているとすれば、本来なら教会が率先して対処しなければいけない内容だわ。でも、本当にそうなのかの議論できっと何か月もかかってしまう。今そこにある危機は、あなたたちに任せるしかない」
図書館を去る際に、エクリーフはそんな詫び言をベルゼヴィータに伝えた。
「気にしないで。これは元よりわたしたちの義務。知恵を授けてくれただけでも十分すぎるくらいよ」
頭を下げるエクリーフに柔らかな言葉を返すと、彼女は次にデミオンに目を向ける。
「この記録、本当に持っていってしまっていいのね?」
「はい。写本は作ってありますので。どうかその情報を一族の方々と共有し、今後の備えとしてください」
デミオンは戦いには参加しない。元よりこの戦いは戦士たる貴族の役目。祖父より託された大仕事を完遂した今、彼は平和な世界で自由に暮らしてほしい。
最大の収穫を得て、俺たちはイーサンの町を後にした。
「いよいよ、煉界船との決着だな」
騎翅たちの背中に乗ってヴァンサンカン領へと戻る道すがら、意気込んだ様子でオーメルンが言う。
「オーメルン、おまえは……」
「残れなんて言うんじゃねえぜ、父さん」
「…………」
俺は口ごもる。
言いたい。すごく言いたい。アークエンデとソラにもだ。
これから始まるのは……戦争だ。大人の俺だってイヤだし怖い。かろうじて耐えられているのは子供たちの未来のためという意思、そして荒んだ世界で生きてきた盗賊の感性だろう。
子供たちはちゃんとわかっているのだろうか? 友達を救うため。そんな大義名分に浮かれて、この先の過酷さを想像し切れていないのではないだろうか?
「忘れないでくださいまし、お父様」
物言えぬまま子供たちを見つめる俺に対し、アークエンデが柔らかく言った。
「わたくしたち、これでもたった二人でニーズヘッグと戦っていますのよ」
「あっ……」
俺がぽかんとしたところで、アークエンデ、オーメルン、そしてベルゼヴィータからの笑いがこぼれた。
「怪物と戦うのは二度目。それも今度はソラとベルゼヴィータと彼女の軍勢が一緒なんですもの。怖いものなんて何もありませんわ」
「竜の血の助けもあるしな」
「船って大きいんでしょ? 強くて大きい相手はね、思い切りぶっ叩いていいんだよ。ハゲ言ってた!」
忘れていた。ここの子供たちはすでに歴戦の猛者だ。俺とは格が違う。
「伯爵も、ちゃんと生きて帰ってくるつもりなのだろう?」
俺の腕の中からユングレリオが言った。
「もちろんです。そうしなきゃ、ここまでやった意味がない」
「だったら皆で行って、皆で帰ってこい。ボクはあの家でいくらでも待てる」
「わかりました……。三人とも、頼む。アテにしている」
俺が告げると、子供たちは力強くうなずいた。
「で、ベルゼヴィータ。煉界船が出てくる場所って、そんなにはっきりとわかってんのか?」
覚悟を再確認したところで、オーメルンが話を進めた。
「ええ。ほぼ。深族が好んで住む秘境は、土地自体が特殊な力を持っているの。煉界船も同じものを求めているみたいで、この世界に現れる時は大抵が深族の居住域の近くなのよ」
「深族からしたら、たまったもんじゃないな」
「ええ……」
ベルゼヴィータの返答はどこかぼんやりしている。
「どうした? まだ準備が足りないか?」
「そうではないの。ただ、エクリーフが言っていたことを思い出して。六つの種族が結託し、七番目の種族を海に沈めたという話……」
「ああ、あれはだいぶ衝撃的だったな……」
自分たちの祖先が裏切り者。それを指揮したのはセルガイア。確証のない、世間的に見れば異端的な教義アンチが書いた怪文書なのだろうが、煉界船=第七箱舟の構図ができあがれば、これに同調する者も出かねない。表には出せない重大な異説だ。
「あれ? でも、深族ってセルガイア教を信奉をしてはいなかったよな?」
「よく知っているわね。わたしたちはセルガイアを“古き盟友”と呼び、尊重はしているけど信仰の対象にはしていない。わたしが気になっているのは、煉界船が謀って沈められたのなら、その後のことも話し合われたかもしれないってこと」
「その後のことって?」
「復活した箱舟を抑える役目が、どこかの種族にあてがわれたかもしれないということよ」
「! まさか、それが深族……」
ベルゼヴィータはうつむくような曖昧な首肯を見せた。
「煉界船を迎え撃つ義務はあまりにも古すぎて、誰も起源を知らない。でもその神話の時代に何か決め事があって、その仕事を負ったというのなら……。なぜわたしたちの祖先は、こんな過酷な役目を引き受けたのかしら?」
「……何かメリットがあったか、それとも……」
――何かの罰か。
だがそれは言わないでおく。これから始まる戦いは、そんな深族に巻きつけられた鎖を断ち切るためのものだから。
煉界は世界の脅威となり得る。元々はアークエンデに魔王を継がせないための戦いだったが、毒を食らわば皿までだ。
ついでに深族も世界も救ってやれ、ヴァンサンカン伯爵。
※
屋敷で夜を明かした俺たちは、夜明けと共に数騎の騎翅たちに迎えられた。
迎えのホストたるベルゼヴィータは昨日一日かけて、周辺の同胞に煉界船のことを伝えて回ったという。一人でも多くの知り合いにこの事実を伝えるよう頼みながら。
多くが共有する必要がある。今この時だけでなく、未来のためにも。
一方、俺たちの方はというと、戦いについては誰にも話していない。真相に立ち会ったユングレリオと、唯一伝えたバスティーユだけが知っている。
「バスティーユ、俺たちに万が一のことがあったら領地を頼む」
「では、出かけている間に滞った分の仕事は机に積んでおきますね」
こいつめ! 俺たちが無事に帰ってくることを少しも疑っていない。
もちろん俺もその結末を信じて、帰ってきたらあまりの仕事量に辟易しようと思う。
そうして朝焼けの光の中、煉界船討伐隊、出撃――。
光の海に沈む世界は、今まで見たどんな景色よりも美しかった。
雲も川も家々の屋根も暁に燃え立ち、世界の始まりを祝っている。
町の空を抜け、森を越え、ハエの軍勢は片面を赤々と染め上げられた北方山地へと入った。
空から見る山々は、こちらはるか上を軽々と飛び越えているというのに、果てしなく広大に思えた。
突然、その下から、雲を吹き散らすような凄まじい轟音が空へと鳴り響いた。
山の一角から飛び立ったのは、王冠を載せたハエたちの王“群王”を先頭としたベルゼブブの軍勢本隊。
ベルゼヴィータは二人乗りしていたアークエンデに騎翅の手綱を預け、本来の軍馬であるグノーへと乗り移る。
壮観だ。王冠の玉座の上に魔王を頂いたハエの軍勢は、どう見ても恐ろしい異形だというのに、果てしなく頼もしく勇壮な強者たちに見えた。
「みんな、聞いて!!」
ベルゼヴィータが王冠の鞍から立ち上がり、風鳴りのようによく通る声で言い放った。
「これから向かう戦は、わたしたちの死に場所ではない! 生き残るための戦いよ! 傷つき戦えなくなった者は速やかに後退し、安全だと思える場所に身を潜めなさい! 生き残れば自由になれる。たとえ最後の一人になっても、わたしが必ず船の心臓を突き破ってみせるから! みんなで生き残るのよ!!」
ヴォオオオオオオオオオオオオ…………!!!!
幾千という羽音が、気炎を吐くようにその言葉に応じた。
俺たちも拳を振り上げ、気勢を上げる。
そうだ。勝つためにいく。勝って生き残るためにここまで手順を踏んだ。
この戦い。みんなのためにも絶対に勝つ!
そうこうしているうちに、下方の山々にガスがかかり始めた。
記録によると煉界船は一か所に停泊しており、こちらの接近に合わせて浮上、攻撃態勢に入るという。その場で何をしているのかはわからないが、もしも彼らの目的が報復なら放置していていいわけがない。
「ん……?」
「どうかしたの、伯爵さん」
俺の小さなつぶやきを聞き逃さず、ベルゼヴィータがたずねてきた。視界は悪くなっている。彼女は些細なことにも細心の注意を払っていた。
「いや、下に、深族の人がいたような気がして」
「ホント? このあたりに住んでいるのかしら。こちらに気づいて離れてくれるといいのだけれど」
にわかにハエたちの羽音が忙しなくなった。
「敵の気配を察知したわ! 下にいるわよ!」
ベルゼヴィータを乗せたグノーが、その巨体を雲の中へと押し沈める。
周囲を護衛していた俺たちもそれに続いた。
遠くからはまるで綿アメのように見える雲も、近づいてしまえば薄い靄の集まりだ。下は見えている。
「何ですの、あれ!?」
アークエンデが叫んだ。
見下ろす山の一角が、歪な雷雲のように赤黒い放電を渦巻かせていた。
アークエンデの瞳から同じ色の光が漏れるのを、俺は見た。
『煉』の魔力が溢れ出ているのだ。
そして俺も、異様な風のうめきを聞いた。これは声? 死者たちのか……!?
「煉界船よ!!」
バチバチと凄まじい破裂音が高鳴った瞬間、周囲のガスを押しのけてそれは全景を現した。
……でかい……!!
船底部分が箱型に膨らんだ、まるで要塞を纏った鯨のような偉容。
そしてその外装は妙に艶めいた生物的な光を反射していた。一目見た印象は確かに鱗。だが言い伝え通りなら、それは死者たちから剥いだ爪だ。
ムカデの脚のように横腹から突き出た多数のオールが空を掻くと、煉界船は土煙の尾を引きながら鈍重に宙へと浮き上がった。
悲鳴が、聞こえる。
幾千幾万の人々の悲鳴。
錯覚に近い。風の音に混じって別のものを聞き間違えているような。
だが神話の時代から続く怨嗟、怒り、慟哭、叫喚……!! それらを纏って、煉界船が浮上してくる。
船の上部。ブリッジのような建物から光が飛んだ。
「何!? みんな、気をつけて!」
ベルゼヴィータが警戒を発した直後、光線はベルゼブブの軍勢の横を素通りし、はるか上空で花のように咲いた。
傘の骨のように線を引きながら分裂し、俺たちのはるか頭上に天蓋を作り出す。その端は地上まで伸び、辺り一帯を完全に包み込んでいるように見えた。
「結界ですの!?」
「これが……誰も帰ってこなかった理由というわけね……!」
“少し遠く”から戦場を観察していた程度では、確実にこの中に囚われてしまう。デミオンの祖父もこれに捕まったのだ。
そして、突然。本当に虚無から生み出されたように、無数の石くれが箱舟のまわりを取り囲んだ。
細長い、楔の形をした岩塊。よく見ると、それには薄っすらと翅のようなものが生えている。どことなく蜻蛉を彷彿とさせるそれらが煉界船の直掩機。凶悪な矢じりそのものだった。
「先手を取らせるつもりはない。全軍、突撃!」
ベルゼヴィータがもっともシンプルでもっとも強力な号令を下した。
俺たちの周囲を飛行していたハエたちが、一斉に急降下を開始する。
それを迎撃するように、楔岩たちも煉界船上空に結集。
次の瞬間――両者激突!!
尖った先端を向けて真っ直ぐに飛んでくる楔たちを、騎翅たちは俊敏かつ無軌道な動きでかわしていった。あの巨大さでもさすがはハエ。人の乗り物ではとても不可能な動きで切り返すと、その強靭なアゴでもって楔に噛みついた。
バリボリと岩が砕ける凄絶な音。それがあちこちで鳴り響く。
「すげえ!!」
オーメルンが歓声を上げる。
騎翅たちは究極の格闘型航空戦力だった。大顎にはアブのようなノコギリ状の牙があり、岩ですら噛み砕くことが今この場で証明された。
しかし、楔もやられるばかりではなかった。反撃に、ハエたちに突き刺さっていく。緑の体液が霧のように飛び散り、青空を濁す。
「あの子たちは屈強よ! あの程度でやられはしない!」
ベルゼヴィータの叫びに合わせるようにグノーが動いた。
混戦の中にその巨体を沈み込ませると、黒い体毛に覆われた腹部を波のように蠕動させる。
その波は黒い風となって周囲に爆発的に広がり――直後、一帯を飛翔していた楔が一気に爆ぜ割れた。
「これは……振動か!?」
しかし周囲にいるハエたちはもちろん、俺たちにも異常はない。
楔だけを狙い撃つ、特定周波数の広範囲攻撃……!
さすがは〈死食の女王〉専用騎! とんでもないぜ!
だが、楔の群れはまたすぐに現れた。
どこから出撃しているかもわからず不気味だ。無尽蔵かもしれない。……そうだ。グノーの一発でカタがつくなら、今まで誰も帰ってこないなんてこともない。歴代のグノーたちだってそう……!
突然、閃光が宙を走った。
グノーのすぐ横をかすめる。
「あの船から撃ってきたよ!」
オーメルンと相乗りしているソラが指さす。
あの箱舟、砲撃までできるのか。
無数の光条が押し寄せたのはその直後だった。砲台らしきものは見えないが、まるで船が魔法を撃っているかのように光線をばら撒いている。
薙ぎ払うような一撃に、多くの騎翅たちが巻き込まれた。それを見たベルゼヴィータが顔をしかめる。
「クッ……まだまだぁ!」
手傷を負いながらも騎翅たちは生きていた。人間なら丸ごと飲み込まれているほどの光線だ。頑丈さも半端じゃない。
しかしこれで、双方の総戦力が登場しきった。
向こうにもこれ以上の増援はないはず。
「これでいいわ! ――エンデ!」
「ええ!」
アークエンデが素早く騎翅をグノーへと翔らせ、ベルゼヴィータを乗り移らせる。
グノーを含むベルゼブブの軍勢は囮だ。
目立つ大群を煉界船の上空で戦わせ、別動隊が下へと回り込む。
過去の戦闘記録によれば、煉界船の船底は深族の貴族の攻撃で破壊できている。〈死食の女王〉を継いだベルゼヴィータなら間違いなく同じことができるはず。
さらに言えば、その次を継いでしまいかねない王国認定破壊神のアークエンデさんも一緒だ!
「いいわ! 案の定、下は手薄になってる!」
「一気にいこう! みんな離れるなよ!」
俺の声に皆がうなずき、一塊となって空を駆ける。
もっとも危険な蟲の一刺し。
この作戦の核となる奇襲が、始まった。
魔導学園入学前に子供たちの経験値がマッハなんだが……。




