第四十八話 名無しの第七箱舟
フードの人物の名はデミオン。煉界船戦を生き残り、その記録を書き留めた人物の孫。
その事実は誰よりも深くベルゼヴィータに直撃したようだった。
口を半開きに固まる彼女に、デミオンは告げる。
「祖父は言い残しました。この記録はみだりに人に見せてはいけない。誤った情報の流布だけは何としても避けなければいけない。しかしもし、煉界船へと挑む真の勇士が現れたのなら必ずこれを見せ、生き延びる方法を模索してもらいなさい、と」
青年は恭しく本をベルゼヴィータへと差し出した。
「どうかこれをお読みください勇士様。そして今度こそ、生きて故郷へとお帰りください」
※
「あら……。デミオンさんじゃないですか。お昼に上がってくるなんて、珍しいですね~」
所変わって地上階のダミー図書館。誰一人欠けることなく帰還した俺たちにほっとした様子のエクリーフは、その最後尾にいた青年を見て朗らかに驚いてみせた。
ちなみに、扉の操作は地下からもできた。むしろそちらの権限の方が強いという。実はあの振り子の操作は一種の暗号文も兼ねていて、もし仮にエクリーフが脅されて扉を開けさせられそうになってもデミオン側で拒否できるという。セキュリティはばっちりだ。
「エクリーフさん。この方たちと個室を使わせてもらっても?」
「は~……。ということは、ついに現れたのですね」
デミオンがうなずくと、エクリーフは素早く受け付け席に「休憩中」の立て札を置き、どこか颯爽とした足取りで俺たちを奥の部屋へと案内してくれた。
個人の作業部屋というより準備室とでも言った方が良さそうな場所だった。未整理と思しき本や巻物が雑多に置かれている。
中央の大きなテーブルに、ベルゼヴィータは例の重要資料『煉界船戦記録』をそっと置いた。
――本当に、あった。
彼女の顔に出ている驚きと思い詰めた感情は俺たちも等しく共有している。
正直、ここまで直接的な手がかりがあるとは思っていなかった。せいぜいここでふわっとした手がかりを得て、それを元に各地の伝承を訪ね歩くことになるかと……。
いや……あの煉界症候群のエリートやまとさんを苦しめたのだ。実際はそうなのかもしれない。だとしたらダイレクトに一次資料をゲットできたのは、深族の貴族であったベルゼヴィータのおかげか……? 危なかった……今回も仲間に助けられたぜ。
「あなたがこの本の著者の孫というのは本当なの?」
そのベルゼヴィータが疑うふうでもなく、話のとっかかりといった声でデミオンに呼びかける。
「はい。祖父はこの町で人間族の女性と結婚し、そうして生まれた母もまた、この国の男性と結婚しました。ですのでわたしはクォーターということになります」
彼の髪が艶のあるブラックでなく、この国では平凡なブラウンなのもそのためか。
「煉界船戦で重傷を負った祖父は、それでも何とか記録官の役目を果たすべく、這って戦場を離れました。しかし里までははるか遠く。そのまま無念の死を遂げる、というところで、探検に来ていた女性に助けられたのです」
「そんなところまで人間が来ていたのね」
「かなり勇敢な方だったと思います。あるいは、無謀で無鉄砲だったか」
デミオンの顔にかすかな親愛の笑みが浮かぶ。
「……! もしかして、あなたのお爺様はその女性の方と?」
それを目敏く見つけたアークエンデが声を弾ませると、デミオンは少し恥ずかしそうにうなずいた。
「はい。献身的に看病してもらっているうちに、自然とお互いに惹かれあって……だそうです。わたしから見ても、若い頃の祖母はとても美しい女性でしたから」
「きゃーっ! ロマンスですわロマンス! 命を助けることで結ばれた二人は、もう離れ離れになることはありませんのよ。ねっ、お父様!」
「そ、そうだね……」
はしゃぐアークエンデをよそに、ベルゼヴィータは冷静に質問を続ける。
「あなたのお爺さんは、この資料を故郷へは持ち帰らなかったの?」
「はい。祖父は両足をやられ、とても里までの山歩きができるような状態ではありませんでした。かといって、人間に代役を頼めるような道のりではありません。それに……祖父はこうも言っていました。たとえ帰れたとしても、故郷にはもうほとんど人はいないだろうと……」
「? どういうこと?」
「祖父たちが、その里における最後の深族、戦士団だったのです」
『!!?』
その場の全員が目を剥く。
最後の、深族?
「祖父の生まれ育った土地の深族は、元から集落としては小さかったのですが、閉鎖的な暮らしの中で徐々に数を減らしていき、そこに追い打ちのように煉界船が現れたといいます。そこで大半の者を失い、里としての自然消滅は免れないだろうと……」
「……そんなふうに、なっていたの……?」
ベルゼヴィータが寝耳に水の態度でたずねる。
「はい。貴族様は周囲の同胞の様子をお確かめになったことがあるでしょうか? 祖父の話では、深族はそれぞれが独立して暮らしているために助け合うことも少なく、いつの間にか里ごと姿を消しているのだそうです。わたしは生まれも育ちもこの町なので、その生活形態についてはよく知らないのですが……人間の町を見た祖父は、貴族様に指導者の役目を果たしてもらえばよかったのだ、とたびたび漏らしていたとか……」
深族は政治をしない。だから指導者も必要ない。古いしきたりに沿って個々で生きている。
種族内でも交流が少なければ子供も増えないのも当然。そうしてだんだんと数を減らしていった。煉界船という世界の危機を、一族のみで背負い込みながら……。
「何も知らないわ。そんなこと。家族からも聞いたことない」
歯噛みするようにベルゼヴィータはこぼした。
煉界船を放置すれば一族は滅びる――。その言い伝えのために戦って死ぬ運命を負わされた彼女からすれば、深族が自然消滅しかけているとなれば、何のために命を捨てに行くのかわからない。これは……看過できない問題だ。
「深族の問題については、また今度話し合いましょう~。それよりも……よいしょ!」
どん、とエクリーフが、分厚い本を数冊テーブルに乗り上げさせた。
「どこだったかしら~。確かこのへんに……ああ、あったわ~。じゃ、こっちは……ああ、これこれ~」
次々に本をめくり、目的のページを見つけては開きっぱなしにしていく。
「エクリーフ、それは何を?」
ユングレリオからの問いに、彼女はのほほんとした態度とは裏腹に、やけに素早い手つきでページを手繰りながら、
「船にまつわる伝説、伝承を集めたのです~。“大きな船”の伝説は、不思議なことに世界のいたるところにありますのよ~」
「ああ、代表的なのが『七つの箱舟』だな」
「陛下、その通り~」
「もう陛下ではないってば」
『七つの箱舟』。これは、うちの町でもシノホルンがよく子供たちに読み聞かせしてやっている昔話だ。
内容としてはノアの箱舟っぽいのだが、箱舟が七つもあって最後に一つ沈んでしまう展開が特徴的。失われた船に乗っていた第七種は、今も地上から絶えた種族となっている。
「エクリーフさんにも協力してもらって調べているのですが、人間たちの伝説に登場する“大きな船”の特徴に、煉界船の記述と似通っている点が少なくないのです」
「なんだって?」
俺たちはどよめいた。
祖父の記録を開いたデミオンが所定のページをこちらに見せてくる。走り書きらしき船の一部のスケッチが添えられている。
「ここを見てください。煉界船は鱗に覆われていると書かれています」
「そして人間の少数部族の伝承にも、“爪に覆われた船”の話があるんですよ~」
エクリーフの語る文言に俺たちは首を傾げた。
鱗はまだ水に関わるものとしてわかるが……爪って何だ?
「祖父は戦場から少し離れて煉界船を記録していました。鱗の正体が何だったのかまでは観察できていません。それが船にびっしり貼りつけられた爪だったとしても、気づかなかったでしょう」
なるほど。これがその共通点というわけか。でも、そうかもしれないというだけでまだこじつけの域は出ないかな……。
俺たちが腑に落ちないでいるのを見届け、エクリーフは得意げに眼鏡をクイと持ち上げた。
「爪に覆われた船の名前は〈ナグルファー〉。その部族の伝承では、死者たちの爪を剥がして貼りつけているとされていますわ~」
うげっ、と皆の顔が引きつる。何だその痛々しい船は。
「あ~ドン引きしないでください~。爪を剥がすというのは、セルガイア教の聖本にもある由緒正しい浄化の手順なんです~」
「浄化?」
「はい~。煉界における、罪人たちの」
『!!』
煉界。“煉界”船……!
これは……ナグルファーと煉界船を繋ぐ重要な情報……!
「死後煉界に向かった者は、もっとも罪と欲が表れる場所、顔の部分を首ごと切り落とされた後、手足の爪をすべて剥ぎます。爪や歯というのは、その人の力や権威を意味するとされていますので、まっさらな魂になるには不要なパーツなんですねぇ」
痛そうすぎる。
「歯が抜ける夢というのは、自分の衰えや力を失うことの暗示だとも言うしな。では、そのナグルファーという船は、死者たちの力や権威によって守られているということか」
ユングレリオからの言葉に図書館員の二人は揃ってうなずいた。ちょっと楽しそうなあたり、彼女たちは根っからの学者肌のようだ。
「ナグルファー=煉界船……。なるほど、確かにありそうだ」
俺はうなずいた。
これは単なる伝承の構造分解とは訳が違う。俺たちは実際にそいつと戦うことになるのだ。
死者の力に守られたナグルファーを煉界船と同一視するのなら、それは以前戦った煉界人と同じ力を持っていることになる。いや、彼らが失った力をか。深族の戦士たちが誰も帰ってこないわけだ……。
「祖父の記録によると、煉界船は巨大な箱舟のような姿をしていて、空飛ぶ多数の石くれを従者として引き連れているそうです」
「船を守る戦力もあるのか……それに、箱舟だって……?」
箱舟という単語はついさっき出てきたばかりだ。『七つの箱舟』。「ええ」とデミオンとエクリーフが満を持した様子で俺たちを見据える。
「失われた第七の箱舟――それが煉界船ナグルファーの正体であると、わたしたちは見ています」
……!!
俺たちは揃って震えた。そんな神話に出てくるような存在が俺たちの敵だと?
「この説をエクリーフさんから聞かされた時は、わたしも目が飛び出るほど驚きました。しかし調べれば調べるほど、これらは同じものとしか思えないんです。他にも――」
「なるほどね。でも学術的な分析は今はいいの。倒す方法は? わたしが知りたいのはそれよ」
暴走気味の二人に向けたベルゼヴィータの冷静な一石はかなり早かった。話に引き込まれかけていた俺たちもはっとなる。確かに神話と現実の繋がりにはワクワクするものがあるが、今一番重要なのはそこじゃない。
「はい貴族様。煉界船には確かな弱点と呼べるものが一つあります」
デミオンもまた素早く切り替えて返答した。祖父の戦闘記録を開いて手元には置くも、中をほとんど見ることなく諳んじてみせる。
「船底の前左側。人の腹に見立ててちょうど心臓のあるあたりに、船の重要な機関らしきものが存在しています。祖父の時は、貴族様の命を懸けた一撃がその隔壁を破壊し、それだけで煉界船は撤退を始めたといいます」
「そして、少数部族の伝説でも、ナグルファーの一番深いところに“心臓”があると伝えていますわ~」
『!!』
俺たちは顔を見合わせた。これはとても、とても価値のある情報だ。煉界船の急所。そこを狙って攻撃を集中できれば、最小の被害で敵を撃退できるかもしれない。
「素晴らしいわ。あなたのお爺さんは、途方もなく重要な任務を果たしてくれた。これは深族全体にとって大きな発見よ。心から感謝します」
「ありがとうございます。祖父の願いも今度こそ叶うでしょう……!」
ベルゼヴィータとデミオンはがっちりと握手を交わした。
彼としてもこれは祖父の代から続く宿願だったに違いない。
最初コミュニケーションが変だったのは、初めて同胞を見て興奮したからか。それでも冷静に相手を戦士かどうか見定めたのは、彼の知性の表れと言えた。
「……にしても、何で船が襲ってくるんだろうな。中に誰か乗ってんのか?」
話が概ねまとまったところで、オーメルンがぼやく。
「乗組員のようなものは見なかったそうです。ただ……」
デミオンがエクリーフに意味ありげな視線を投げた。うなずいた彼女は、一冊の本を取り出した。鍵付きのベルトで封じられた仰々しい本。
これは……普通に禁書なのでは?
「これは、辺境で廃墟となっていた修道院の奥で見つかった、いわゆる偽典です」
「偽典?」
「教義論争の根拠としてどこからともなく現れる、異論派の人にとって都合のいい写本ですね。でもこれは“つい最近作られた最古の聖本”ではなく、古さだけなら最古級。ただし内容の過激さと、類似の写本が一切見つからないことから、古い時代の誰かが書いた創作神話とされておりますわ」
エクリーフはそう言い、知的な目を刃のように鋭くした。
煉界船の話をしている時ですらどこか緩さのあった彼女の変化は、部屋自体を冷たく尖らせた。ただ事ではない。この本は……一体何だ?
「あまりにも現教義と敵対的な内容……。これを書く意味、修道院が保存しておいた理由はいまだ不明です。ただ、これによれば、第七の箱舟は最後の嵐で沈んだのではない……盟主セルガイアと六つの種族が結託し、謀って沈めたというのです」
全員が息を呑む。
「当然、教会関係者は誰も信じていません。謀った理由、手段、何も記されていませんから。しかし、もしこの謎めいた神話が本当なら……煉界船ナグルファーの船長は失われし第七種。理由はもちろん、裏切り者たちへの報復…………ですかね~♪」
伯爵、ついに神話にまで足を踏み入れてしまう。




